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鬼切与力つなもり事件帖  作者: ミミック
二章 赤坂山王裏御用
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第四十話

 源一郎は眉を顰めた。背が高いせいで、てっきり男だと思っていた。だが、女だったのか、と──。


 覆面を剥ぎ取る。露わになった顔は──男装している女のように見えた。


 二十代半ばだろうか。切れ長の目に引き締まった顔立ち。美しいと言えば美しいが、どちらかと言えば「気の強そう」という印象が強い。


 案の定、女は覆面を剥がされた瞬間、その目に怒りの炎を宿した。


 劣勢に追い込まれても尚冷静だった目が、一転して激しい憎悪に燃えている。女であることを暴かれたことへの屈辱か、それとも別の理由か──源一郎を睨みつけるその目には殺意すら感じられた。


 源一郎は女の顔を見つめた。この女は何者だ──。盗賊にしては動きが違いすぎる。弓の腕も尋常ではなかった。あの速射、あの正確さ。闇夜で社人の頭部を射貫いたこともそうだ。並の武士では、あれほどの弓は引けない。明らかに訓練を積んだ者の技。


 ──ただの盗賊ではない。


 取り押さえつつ、女の懐を探った。何か、身元を示すものがないか。だが、何もなかった。


「何者だ。名を名乗れ」

「……」


 源一郎が問うた。女は答えない。口を開く気配もない。ただ、燃えるような怒りを込めた目で源一郎を睨みつけているだけだ。


 拷問にかけても、この女は何も喋らないような気がした。頑なな沈黙。源一郎は眉を顰めた。ただの盗賊ではない気がした。だが、今はそれを追及している場合ではなかった。


「誰か縄を!」


 源一郎が言うと、熊造が駆け寄ってきた。


「へい。……おや、こいつ女でしたか」

「あぁ、逃げようとするかもしれん。しっかり結んでおいてくれ」

「へぇ、わかりやした」


 熊造も驚いた様子だったが、すぐに女の手足を縛り上げた。女は抵抗しなかった。ただ、無言で源一郎を睨みつけているだけ。


 ──源一郎は立ち上がり、本堂を見回した。戦いは終わっていた。


 残る盗賊たちも全員捕縛され、反抗した無宿人たちも同心、岡っ引きたちによって捕らえられ一箇所に集められている。ただ、武器を捨てて降伏した者と、抵抗して取り押さえられた者とに分けられていた。


 裏手からは佐久間が同心たちと共に戻ってきた。


「裏手の二名、逃げようとした者複数名を捕らえました。外に逃げた者はおりません」

「ご苦労だった」


 平蔵が本堂の中央に立つ。辺りを見回し、厳しい表情のまま頷いた。


「上々の首尾だ。死人は」

「盗賊が二人激しく抵抗したため、処断いたしました」

「こちらは相手をした三人とも命に別状はありません」

「よし。降伏した無宿人は、別に扱え。盗賊と同罪にはできん」

「はっ」


 同心たちが頭を下げた。それから平蔵は源一郎を見た。その目に感嘆の色が浮かんでいる。


「しかし……お前、恐ろしく強いな。三人を相手に、傷一つ負わんとはな……渡辺家家伝鬼切流、良い物を見させて貰った。今度、辰蔵に刀の握り方でも教えてやってくれ」

「はっ……恐れ入ります」


 辰蔵──平蔵の息子のことである。本気なのか、冗談なのかはわからなかったが源一郎は一礼して返す。続けて平蔵が言った。


「──して、奉納金は」

「境内の大八車に千両箱が積まれているようです。これより確認いたします」


 源一郎は境内に出て大八車を確認した。大八車には千両箱が四つ積まれている。内、一つは半分ほど中身が入った箱だった。盗まれたのは四千五百両──千両分不足している。


 源一郎は本堂の奥を見た。


「残りは……まだ奥にあるのかもしれません」


 §


 廃寺となったこの寺の構造は、かつての栄華を偲ばせるものだった。


 本堂の脇には板張りの廊下が延びている。右手に進めば後ろ堂へと続く道。左手の渡り廊下を行けば、位牌堂と庫裏があるはずだった。位牌堂と庫裏は既に屋根が潰れている。盗賊たちが奉納金を隠すとすれば、後ろ堂だろうと源一郎は考えた。


 源一郎は本堂脇の廊下を歩いた。板張りの床は埃を被り、歩くたびに軋む音が響く。かつては僧侶たちが朝夕の勤行のために行き来したであろう廊下も、今は蜘蛛の巣が張り、朽ちかけた柱が傾いでいた。


 廊下の途中、左手に位牌堂と庫裏へ続く渡り廊下が見えた。そちらは更に荒れ果てており、屋根が崩れ落ちているのが月明かりに照らされて見える。


 源一郎は右手の廊下を進み、後ろ堂へと足を踏み入れた。


 後ろ堂は本堂よりもかなり小さな部屋だった。かつては住職の居室として使われていたのだろう。今は物置のようになっており、雑多な品々が積み上げられている。古い経机、壊れた燭台、虫に食われた経典の束──残骸が、埃と共に堆積していた。


 源一郎がその部屋に足を踏み入れた瞬間──あの匂いを強く感じた。


 灰狐の言っていた白檀、桂皮、丁子の香り。そして、その奥に隠された苦み。本堂でも僅かに感じたが、ここではより濃密に感じる。まるで、この部屋がその匂いの中心であるかのように。


 源一郎は眉を顰めながら、部屋の中を見回した。


 部屋の隅に──千両箱があった。もう一つ。これで、境内の大八車に積まれていた分と合わせて、計五つ。四千五百両。


「これで全て揃ったな」


 源一郎は呟いた。盗まれた奉納金の全額だ。


 堀田と木村が、恐る恐る近づいてきた。結局、戦闘が終わるまで、後方で震えていた二人だ。残りの千両箱を見て、顔色は悪いながらも二人の顔に安堵の色が浮かぶ。


「全額……回収できたのですな」


 堀田が掠れた声で言った。


「えぇ、奉納金は全て──」


 源一郎が答えかけた、その時──堀田の顔色が変わった。部屋の隅を見つめている。その顔がみるみる内に青ざめていった。千両箱のことなど、頭から消えてしまったというかのように。


「あれは……」


 部屋の隅に、奇妙なものがあった。


 小さな須弥壇。粗末な板を組み合わせただけのものだが、その上には古びた仏像が安置されている。仏像の周りには、蝋燭の燃えかすと──あの匂いの元と思われる、黒ずんだ灰のようなものが残っていた。そして、その周りに散らばった経典や書き付け。須弥壇の前には座布団が敷かれ、誰かがここで祈りを捧げていた形跡があった。


 源一郎は須弥壇に近づき、その灰のようなものを見た。


 ──これが、あの匂いの正体か。


 既に何かを燃やした跡だ。そう思って、よく確認するために源一郎が近づいた。


「渡辺殿!お待ちください!その燃え滓に近づいてはなりませぬ!」


 堀田が叫んだ。


 源一郎は足を止め、堀田を振り返った。堀田の表情は険しい。だが、その目には──何かを知っている者の色もある。寺社奉行の吟味物調役として、何らかの知識を持っている──そんな確信があった。


「……堀田殿。これらが何か御存知なのですか?」


 源一郎が問うた。しかし、堀田は須弥壇の上の仏像を凝視したまま硬い声で答えた。


「これは……弥勒菩薩半跏思惟像……今回の一件……下生信仰が関わっているやもしれません……」

「……申し訳ない。生憎と仏道には疎いのです。下生信仰とは何ですか」


 源一郎が重ねて問うと、堀田はようやく我に返ったように顔を上げた。だが、すぐに何かを隠すように目を逸らした。


「渡辺殿……ここでは、申し上げられませぬ」

「何故です」

「この場で口にすべきことではないのです。私の一存では語れないことも含んでいます……」


 堀田の声は硬い。役人として口外できない事柄がある。そう言外に告げているようだった。


「ただ、一つだけ──。その燃え滓には、あまり近づかぬよう。嗅いでもなりませぬ。本堂にいた、様子のおかしな者たちを見たでしょう。あれは……これを燃やす時に出る煙を吸い続けた者が、煙を吸えなくなった時に出る症状です」


 やはり、薬物の禁断症状だったのか。線香の白檀の香りで隠された苦い匂い──それを吸い続けると、次第にあのような症状が出てくる。あの様子のおかしかった無宿人たちは、この煙を吸わされて、言いなりになっていたのだろうか──?


 前世の記憶が蘇る。麻薬。依存性。禁断症状。その言葉の意味を源一郎は知っている。しかし、江戸ではどうだ。未来のような知識は一般には広まらず、一部の層が独占している。しかし──何故、煙の効果を堀田が知っているのか?


「堀田殿、詳しくお聞かせ願いたい」

「今は、無理です。ですが……後日、必ずお話しいたします。それまでは、この件に深入りなさらぬよう。これは寺社奉行方の領分でもあります」

「……堀田殿、今はそのような──」

「お願い致す」


 堀田の声には、切実な響きがあった。警告なのか、懇願なのか、判然としない。だが、本気であることは伝わってきた。


 源一郎は堀田の顔を見た。


 寺社奉行の吟味物調役ともあろう者が、仏像一つでここまで動揺するのは尋常ではない。しかも、「ここでは言えない」と言う。弥勒。下生信仰。そして──残り香。


 ──事件の裏に潜む何か。だが、今はそれを追及する場ではなかった。堀田が「後日話す」と言った以上、今は引くしかない。無理に問い詰めても、この場では何も出てこないだろう。


「……分かりました。では、奉納金を運び出しましょう。堀田殿、木村殿、立ち会いをお願いいたします」


 源一郎が言うと、二人は頷いた。だが、堀田の顔色は険しいままだった。


 源一郎は同心たちを呼び、千両箱を運び出させた。


 本堂へと戻ると捕縛された盗賊や無宿人たちが数珠繋ぎに縛られていた。総勢四十名近い。彼らは床に座らされ、同心たちに見張られている。降伏した者たちは大人しく俯いているが、抵抗した者たちの中には、まだ反抗的な目つきをしている者もいた。


 平蔵が源一郎に近づいてきた。


「……何やら寺社奉行方、堀田の様子がおかしいな」


 小声で言う。平蔵も気づいていたらしい。


「はい。本堂の奥で、何かを見つけたようです。『弥勒下生』と呟いておりました。それと、あの匂いについても何か知っているようで……『ここでは言えないが、後日話す』と。賊の素性に何やら心当たりがあるのやもしれません」

「後日、か」


 平蔵は眉を顰めた。


「──まぁいい。気になるが、今は置いておけ。まずは奉納金を戻し、こいつらを引き渡すのが先だ」

「承知いたしました」


 源一郎は頷いた。しかし──心の隅に引っかかりが残った。


 堀田が見たもの。弓使いの女の正体。あの香りで隠された苦い匂い。言いなりにされていた無宿人たち。そして──元神職兼嗣との関連。この事件には、まだ明らかになっていない何かがある。


 それは、確信に近い予感だった。




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