第十五話
役宅に戻る前に、源一郎は深川の呉服問屋丸屋を訪ねた。
江戸城より南方。鈴ヶ森処刑場から江戸の町へと戻る道すがら、源一郎は丸屋のことを思い出していた。店主である三郎兵衛──自身の店に勤めていた手代たちであり、窃盗の下手人でもある吉蔵たちの減刑を求め、嘆願書を出した男のことだ。三郎兵衛が嘆願書を出した結果、吉蔵たちの情状酌量が認められ遠島を免れることになった。
源一郎はその結果を直接伝えるべきだと思った。
深川の町は昼の陽射しに照らされて活気に満ちていた。商人の呼び声、子供の笑い声、職人の槌音。生の営みがそこにある。処刑場のどこか陰鬱な静寂とは対照的な、生きている者たちの喧騒。その温かさが源一郎の心を少し和ませた。
丸屋の暖簾が見えてきた。大きな店構え、屋号が彫り抜かれ、黒く染められた立派な看板。深川でも有数の呉服問屋だ。源一郎が店の前に立つと、番頭が慌てて出迎えた。
「こ、これはこれは、渡辺様。ようこそお越しくださいました」
「主人はおられるか」
「はい、奥におります。すぐにお呼びいたします」
番頭が奥へと走っていく。しばらくして三郎兵衛が現れた。その顔には不安と期待が混ざっている。
「渡辺様……」
「三郎兵衛。少し話がある」
「わ、わかりました。では、どうぞこちらへ」
三郎兵衛は源一郎を奥座敷へと案内した。番頭が茶を運んでくる。二人きりになると、三郎兵衛は正座して源一郎を見つめた。その目には祈るような色が浮かんでいる。
「吉蔵たちは……」
「裁可が下りた」
源一郎は静かに言った。三郎兵衛は息を呑む。
「吉蔵と清次は入れ墨に百日入牢、新助は入れ墨は免れ百日入牢だ」
「……!」
三郎兵衛の目が見開かれた。その顔に安堵の色が広がる。
「遠島や死罪では……ないのですね」
「ああ。嘆願書が功を奏したな。情状が酌量され、刑が軽減されたのだ」
「っ、ありがとうございます……!本当にありがとうございますっ……!」
三郎兵衛は深く頭を下げた。その肩が震えている。涙が畳に落ちる音が聞こえた。
「吉蔵も清次も新助も……皆、江戸にいられるのですね……」
「ああ。無事に済めば百日後には牢から出てくる。その時には真面目に働くと、奴らも誓っていた」
「はい……はい……!」
三郎兵衛は何度も頷いた。その顔には喜びと安堵が溢れている。
「ただし」
源一郎は少し声を厳しくした。三郎兵衛が顔を上げる。
「噂に聞いたことはあるだろうが、入牢は決して楽な罰ではない。小伝馬町の牢屋敷の環境は劣悪だ。牢の中は牢名主が幅をきかせ、上下関係も厳しい。暴行も茶飯事だ」
「……」
「役人が言ってはならないのだろうが……囚人に牢内の自治権限を与えるなど……この世の地獄になるというのは目に見えている。あまりに囚人が増えれば間引きされることもあると聞く。身を案じるならば、気をつけねば生きて出られる保証はない」
三郎兵衛の顔が青ざめる。だが、それでも源一郎の言葉は続く。
「……それに、無事に出牢出来たとしても、世間の目は厳しい。新たに仕事を見つけるのも難しいだろう。三郎兵衛、場合によっては情状酌量の願いを出したこと、恨まれるかもしれんぞ」
「……覚悟しております」
源一郎が危惧していたのはそのことだった。生活が立て直せなければ、生きるために盗みを再犯する可能性もある。それでは情状酌量した意味が無い。次に捕まれば、更なる厳罰が下されることになる。
そんな思いだったが……三郎兵衛は静かに、しかし力強く答えた。その覚悟の込められた言葉に源一郎は驚いた。
「渡辺様、私は吉蔵たちが罪を犯したことは許せません。しかし、私にとって彼らは大切な者たちです。だからこそ、生きてやり直す機会を与えたい。そして……私の責務を果たしたいのです」
「責務か」
「はい。雇い主としての責務です。吉蔵たちは一度は盗みに手を染めましたが、それ以前は誠実に働いていました。盗みに手を染めたのは、全ては私の差配の不手際にあります」
三郎兵衛の言葉に、源一郎は聞き入り、我が身ならばと考えた。果たして、裏切られてもなお人を思いやれるのか。自分の差配の不手際と思うことが出来るのか。そして、責任を果たす矜恃を持つことができるだろうかと。
「もし、あの三人が戻ってきたら……また丸屋で受け入れようと思っております。それまで私が三人の家族の世話をするつもりです」
「……」
「長年尽くしてくれた手代たちです。最後まで面倒を見るのが主人であった私の務めですから」
三郎兵衛の声には迷いがない。その目に強い決意が宿っていることに……源一郎は深く息を吐き、瞑目した。
そして──畳に手をつくと、静かに頭を下げた。
「……済まなかった」
「え……?あっ、なっ……!」
三郎兵衛は驚いて目を見開いた。武士身分の与力が商人に頭を下げている。その光景に戸惑いを隠せない。
「わっ渡辺様、何をっ……、そのようなっ、頭をお上げくださいっ!」
「私は、お前のことを誤解していた」
源一郎が顔を上げた。その目には自身の認識を恥じ入る色があった。
「嘆願書を出したのは、店の評判を高めるためだと思っていたのだ。手代を救うことで世間から『情に厚い主人』と評価され、商売に有利になる。そう考えていた」
「……」
「だが、違った。お前は本当に奴らのことを思っていた。家族の面倒も見て、出牢後も受け入れる。入れ墨という烙印を背負った者を雇うのは、商売にとって不利になるかもしれないというのに……その覚悟を示した」
源一郎の声には先ほどまでなかった敬意が滲んでいる。目の前にいる商人は、ただの大店の主人ではなく、己の信念を持った人物だったと気づいたからだ。
「疑って済まなかった。お前は本物の商人だ。金だけではなく、人を大切にする。そういう男だった。ならば私も、その信念に向き合わねばと思う。これはケジメだ」
「渡辺様……」
三郎兵衛の目に涙が浮かんだ。
「私は……私はただ、当然のことをしただけです」
「いや」
源一郎は首を振る。その声音には確信が感じられた。
「当然のことができる者というのは、案外少ないものだ。特に商人は利を追うもの。だが、お前は違った。義理と人情を重んじている」
「……私は商人ですから、確かに利も考えます。ですが、吉蔵たちは二十年も店に尽くしてくれた。その恩は忘れるわけにはいきません。そうした積み重ねが『信用』になるのです」
三郎兵衛は真っ直ぐ源一郎を見た。
「それに、甚五郎に脅されて盗みをしたのです。本来は善良な者たち。たった一度の過ちで見限り、見捨ててしまうのは冷たすぎる。できる範囲で助けてやる。それが人情というものでしょう」
「……立派な心がけだ」
源一郎は頷いた。心からの称賛と共に。
「だが、三郎兵衛。一つだけ約束してくれ」
「何でございましょう」
「奴らが戻ってきた時は、よく話を聞いてやってくれ。罪を犯したことは事実だ。二度と過ちを犯さぬよう、厳しく導いてやってくれ」
「はい、承知いたしました」
窃盗の再犯率というのは意外と高い。そしてその理由には孤独感や心理的なストレスなどが関係していると言われている。ならば、更生には周囲の人々との絆が欠かせないのだろう。吉蔵たちをいかに社会に繋ぎ止めることができるか。それは三郎兵衛にかかっていると言えた。
三郎兵衛は深く頭を下げた。
「それとな──黒幕の甚五郎は今朝、処刑された」
「……!」
三郎兵衛は息を呑んだ。その顔に複雑な表情が浮かぶ。
「そうですか……」
「ああ。賭場開帳、盗品売買、脅迫、盗みの教唆。そして御用手向。その罪の大きさは……計り知れない」
「……」
三郎兵衛は黙って俯いた。その表情は読めない。甚五郎という元凶への不快感と、巻き込まれた吉蔵たちへの複雑な思い。それらが混ざり合っているのだろう。
「だが、奴にもそこに至るまでの過去があったのだろうな。世間では鼻つまみ者として扱われ、社会の裏側でしか生きられなかった。胴元にまで上り詰めたが、そこにしか奴の居場所はなかったのだろう……哀れな男だ」
感傷的にも聞こえる源一郎の言葉に、三郎兵衛は顔を上げた。その顔は──困ったような、不思議そうな顔をしている。何故、悪党なんかのことを気にするのかとでも言いたげな……
「渡辺様は……慈悲深い方ですね」
「私はただ──」
三郎兵衛の選び取った言葉に、源一郎は少し返答に詰まった。慈悲深いというより、前世の価値観が未だに抜けきらないだけ。人が人の命を奪うことへの抵抗感。それは現代人としての感覚であり、この時代では当たり前のことではないのかもしれない。
「私は商人ですから、人の命を奪うことなど考えたこともありませんでした。ですが、渡辺様は火付盗賊改方の与力様として、そのような場面にも立ち会わねばならない。その職責の重さを理解しておられる」
三郎兵衛は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。渡辺様のご尽力で、吉蔵たちは救われました」
「……それこそ当然のことをしただけだ。吉蔵たちが救われたのは、むしろ、お前の行動があったからこそ」
そこで、一瞬の沈黙が落ち。源一郎はすっくと立ち上がった。
「さて──思いの外、長居してしまったな。では、これで失礼するぞ。時間を取らせた」
「渡辺様、少しお待ちください」
三郎兵衛が言い、立ち上がると奥へと消えた。しばらくして戻ってくると、小さな包みを持っていた。
「こちらをお納めください」
「これは……いや、結構だ」
源一郎は伸びそうになる手を下ろし、断った。付け届けだと分かっていた。だが、これ以上受け取るわけにはいかない。見栄もあるが、あまり受け取っていては、慣れてしまいそうで怖い。
「以前受けた分で十分だ。これ以上は受け取れない」
「ですが……」
「三郎兵衛。その金は吉蔵たちの家族のために使ってくれ。牢への差し入れ、生活費。必要なものは多いはずだ」
源一郎の言葉に、三郎兵衛は包みを引っ込めた。
「……分かりました。では、吉蔵たちのために使わせていただきます」
「ああ、それがいい」
源一郎は店を出た。外に出ると、深川の町の喧騒が耳に飛び込んできた。人々が行き交い、商いをし、生きている。その活気が源一郎の心を慰める。
三郎兵衛という男は信頼できる。吉蔵たちは百日後、この店に戻ってくるのだろう。そして、また真面目に働く──入れ墨という烙印を背負いながらも、人生をやり直すのだろう。
源一郎はそう信じたかった。
§
役宅に戻ると詰所には同心たちが集まっていた。
源一郎が入ってくると何人かが顔を上げた。処刑場から戻ってきたのだと察したのだろう。
「渡辺様、お疲れ様でございます」
年配の同心が声をかけてきた。顔に傷のある四十過ぎの男だ。賭場への御用改めにも参加し、確か──通称を権助と言った筈だ。聞けば、源一郎の父、藤治郎に率いられていた者の一人だとか。
「ああ」
「処刑、見届けられたので」
「ああ、無事に終わった」
「そうですか」
権助は頷いた。その目には源一郎への評価が浮かんでいる。初仕事で黒幕まで捕らえた若い与力。元上役の子息。そして、今後、新たな上役となる源一郎への手腕を認め始めていた。
「渡辺様のお働き、見事でした。黒幕まで捕らえるとは」
別の同心が言った。三十代半ばの真面目そうな顔をした男だ。
「いや、熊造の情報があったからこそだ」
「ですが、手口を見破ったのは渡辺様です。屋根から侵入したことも、盗品の隠し場所も、我らでは誰も気づけませんでした。それこそ妖怪の仕業であるとばかり……」
「まあ、運が良かっただけだ」
源一郎は謙遜したが同心たちの目には確かな感服の念が宿っている。
「それに甚五郎一味との戦いもお見事。あれだけの荒くれ者相手に臆せず先頭に立つとは……」
「同心たちも戦ってくれただろう」
「いえいえ、先導した渡辺様の剣があったからこそです」
同心たちが口々に言う。源一郎の働きを喜び、新しい上役がどんな人物か品定めしていた彼らが、今はその知恵と武勇を褒めそやしている。まぁ、彼らからしたらまだ若い上役が阿呆で、口だけのモヤシであったのなら一大事であったのだろう。その点では、少し安堵しているのかもしれなかった。
「これからも、よろしくお願いいたします」
権助が頭を下げた。他の同心たちも続いて頭を下げる。
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
源一郎は笑った。仲間として認められたのだと感じた。前世の職場では味わえなかった深い連帯感。この時代ならではの、人と人との繋がり。
そこへ熊造が中庭へと姿を見せた。
「若旦那、お疲れ様でございやす」
「ん、熊造か」
「処刑、見届けてこられたんですかい?」
「ああ」
「ハッ!甚五郎の野郎、とうとう首を落とされましたか」
熊造は満足そうに頷いた。その顔には悪党が正当な罰を受けたという安堵がある。
「あいつは悪党でしたからね、当然の報いですよ」
「……ああ」
これも時代による違いなのだろうと、源一郎は短く答えた。
熊造は源一郎の表情がいつもとは違うことに気づいた。その何か重いものを背負っているような思い悩むような顔に。
「どうしたんで、若旦那。何か気になることでも」
「いや、ただな……」
源一郎は少し考えてから言った。周囲の同心たちも聞いている。
「人の命は重いものだと思ってな」
「そりゃ、そうですよ」
熊造は真面目な顔で頷いた。その目は源一郎を真っ直ぐ見ている。
「だからこそ悪いことはしちゃいけないんで。人様の命を奪うような、人様の人生ぶっ壊すような真似をすりゃあ、自分にも返ってくる。それがこの世の道理ってもんでさぁ」
「……そうだな」
源一郎は頷いた。
熊造の言う通りだ。この時代にはこの時代の道理がある。それを守らなければ秩序は保てない。前世の価値観だけでこの世界を測ることはできない。法も倫理も時代によって変わる。だが人の命の重さは変わらない、源一郎はそう思いたかった。
「渡辺様はまだお若い」
権助が言った。
「処刑を見て、心を痛める。そんな時期が我らにもありました。しかし、江戸の町を守るには悪党を減らすことが必須。覚悟を決められた者が真の武士だと思っております」
「覚悟か……」
「はい。人の命を軽く見ては下手人と同じ。打捨を許された火盗改の役人としても失格、とお父君からもよく言われておりました。ですから、渡辺様のお悩みは当然のものです」
他の同心たちも頷く。彼らもまた同じ道を通ってきた。長年この仕事をしてきた者たちだ。何度も処刑を見届けてきた。だからこそ分かる。罪を犯した者であろうと、命を奪うことに慣れてはならないと。
「──それより」
熊造は笑った。その笑顔は屈託がない。重い空気を変えようとしている。
「今夜は、あっしが一杯奢りますよ!若旦那の初働き、是非とも祝わせてくだせぇ!」
「いや、待て。それは俺が奢らねばならんだろう」
「いやいや、そんな、若旦那の祝いで奢っていただくわけにゃあ……」
「いやいやいや……いいから。俺が奢る」
源一郎は笑った。少し気持ちが楽になった。
「お前たちには世話になったからな。礼だ」
「そんな……ですが、その、まだお勤めが始まったばかりでしょう?」
「ん、あぁ、大丈夫だ。臨時収入があるからな」
源一郎は懐の包みを叩いた。丸屋からもらった付け届けだ。
「これでまだ、少しは余裕がある」
「おぉ、流石は藤治郎様のご子息!」
「早速ですか。流石、与力様ともなると違いますなぁ……」
「では、今夜は共に町に出かけましょうぞ!」
「へへ、そうですかい。じゃあ遠慮なく」
熊造含め、同心一同は嬉しそうに笑った。
「若旦那は本当に気前がいいですね。先代によく似てらっしゃる」
「父上もそうだったのか」
「へい。あっしが若い頃、先代に世話になりましてね」
熊造の顔に懐かしさが浮かぶ。その目が遠くを見ている。
「あっしのお袋が病気で倒れた時、先代が薬代を出してくだすったんで。『真面目に働け。これからは岡っ引として生きろ』ってな具合で」
「そうだったのか……」
源一郎は初めて聞く話だった。父はそんなことをしていたのかと。機密が多く仕方がないとは言え、家では仕事の話などしない人であったことを思い出す。
「へい。だからあっし、渡辺家には恩がごぜぇます。旦那様──いえ、先代が亡くなられた時は本当に悲しかった。ですが、若旦那がいらっしゃる。あっしは若旦那にその恩を返す所存でさぁ」
熊造の目には誠実さが宿っている。その言葉に嘘はない。父への恩をその息子に返そうとしている。それが熊造という男の生き方なのだろう。
「ありがとう、熊造」
「いえいえ」
熊造は照れくさそうに笑った。
「では、皆様方!本日夕方、日本橋大通り、居酒屋『花菱』にて」
「おう、楽しみにしているぞ」
「そのために仕事しているようなものだからな」
「熊蔵、場所取りは任せたぞ」
熊造は嬉しそうに詰所を出て行った。その足取りは軽い。この江戸に生まれてから、部下となる同心一同に奢るのは初めてのこと。何も言わなかったが、内心では幾らかかるのかと源一郎は戦々恐々だった。
源一郎は一人、与力部屋に戻った。既に同心たちはそれぞれの仕事に戻っている。報告書を書く者、証拠品を整理する者、市中の見回り。火付盗賊改方の日常の光景。
外に目をやると遠く喧騒が聞こえてくる気がした。人々が行き交い商いをし生きている。昼の陽射しが町を照らし、活気に満ちた江戸の喧騒が。
この町の平穏を守る。それが源一郎の仕事。重い職務だ。だが、やりがいもある。そして、そこには仲間もいる。
源一郎は立ち上がり平蔵の部屋へと向かった。最終報告をしなければならないのだ。
§
「失礼いたします」
平蔵は机に向かい書類を読んでいた。源一郎が姿を現すと顔を上げた。
「源一郎か。処刑は無事に終わったか」
「はい。甚五郎は確かに処刑されました」
「そうか」
平蔵は頷いた。
「これで事件は完全に解決したな」
「はい」
「見事な働きだったぞ」
平蔵は源一郎を見た。その目には満足と今後への期待が混ざっている。
「初めての事件で黒幕まで捕らえるとは期待以上。同心たちも新たな上役が思いの外やり手で安堵したことだろう」
「ありがとうございます」
「だが」
平蔵は少し表情を改めた。その目が鋭くなる。
「源一郎。処刑を見て何か思うところがあったようだな」
源一郎は少し驚いた。鋭い人だと思った。やはり見抜かれていた。
「……はい」
「何を思った」
「人の命の重さを改めて感じました」
源一郎は正直に答えた。隠しても仕方がない。この人には嘘をつけない。
「甚五郎は悪人でした。ですが、悪人とはいえ、その命が消えるのを見て少し……」
「複雑な気持ちになったか」
「……はい」
平蔵は頷いた。その顔に優しさが浮かぶ。理解を示す表情だ。
「それでいい」
「え」
「火付盗賊改方の職務は人の命を奪うことに直結する。だからこそ命の重さを忘れてはならん」
平蔵の声は穏やかであり厳しかった。そして、その言葉には重みがある。本気でこの仕事をしてきた者の言葉だ。何人もの悪党を刑場へと送ってきた者の言葉。
「人によっては軟弱とも言うかもしれん。だが、もし処刑を見ても何も感じなくなったら、それは役人として、人として終わりだ。人の命を軽んじる者に、真っ当に人を裁く資格はない。それは罪のない者を冤罪に陥れることに繋がる」
「……はい」
「源一郎。お前は優しい。だが、その優しさを忘れてはならん。この役目には厳しさと優しさ、両方が必要だ。厳しさだけでは人を見抜けぬ。優しさだけでも人を裁けぬ。両方があって初めて正しい裁きができる」
「承知、いたしました」
源一郎は深く頭を下げた。平蔵という人物の深さを改めて感じた。この人は本当に優れた上司だ。
「うむ。明日からはまた別の件に当たって貰うぞ。今日は上がっていい。ゆっくり休め」
「はっ、ありがとうございます」
源一郎は部屋を後にした。
廊下を歩きながら源一郎は平蔵という人物に改めて感服した。厳しいが慈悲深い。強かだが柔軟。そして、部下の心をよく理解している。
こういう上司の下で働けることは本当に幸運だと思った。この人の下でなら自分も上手くやっていける気がした。
詰所に戻ると同心の権助が再び声をかけてきた。
「渡辺様。頭取は何と」
「ああ、思い悩んでいることを見抜かれてしまった。明日からは別の件を振るから、今日はもう休めとな」
「そうでございますか。では、今日は英気を養い、明日からはまた尽力せねばなりませぬな」
権助は笑った。その顔には期待と値踏みの色が浮かんでいる。上役でありながら息子のような年の源一郎に対して──若いのがどこまでやれるか……さて、お手並み拝見といこうか、とでも言うかのように。
「ああ、そうだな」
源一郎も、その色を見抜いていたのか苦笑した。
人の多い江戸では次から次に新たな事件が起こる。それがこの火付盗賊改方の宿命。だが、共に戦う仲間がいる。心強い上役がいる。そして、江戸の闇をよく知る、あやかし達の友がいる。
それが──何よりも心強く感じられた。




