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鬼切与力つなもり事件帖  作者: ミミック
一章 深川夜盗捕物
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第十三話

 物音が聞こえたせいか──牢の中で、甚五郎が目を覚ました。


「……ん?」


 甚五郎は辺りを見回した。何かが変だ。空気が異様に冷たい。吐く息が白く見える。初夏の過ごしやすい夜が、まるで秋冬の夜のような寒さだ。体が震える。いや、寒さだけではない。何か得体の知れない不安感が心の奥底から湧き上がってきていた。


 本能が警鐘を鳴らしている──気をつけろ。何かが近くにいると……そして、それは今もこちらに視線を向けている。そんな気がしてならない。


 そして、甚五郎は見た。格子の向こう──火が消え、燻り小さな残り火となった篝火の奥の暗がりに、何か、無数の影が蠢いているのを──。


 それを見つけてしまい、甚五郎は思わず息を呑んだ。暗闇の中に潜む、何か人ならざる者たち──。暗闇の中に浮かぶ無数の目。目、目、目──大小様々な形の目が、自分を見つめている。その視線に射抜かれたように、全身が硬直する。


「……ひっ……な、なん、だ……?」


 甚五郎は後ずさった。その顔は恐怖に歪んでいる。手が震え、足が竦む。冷や汗が額を伝い、心臓が激しく鼓動する。痺れるような恐怖が手足の末端から中心へと支配していく。理性は何かの見間違いだと叫ぶ。だが、人間の想像力は凄まじく留まることを知らない。


 ただの影を恐怖の感情で補完し、得体の知れない化け物に見立てるように。暗闇から今にも何かが這い出てくる様を予測してしまうように。一度、想像しだしてしまえば、恐怖は加速し心を一色に染め上げてしまう。


 それは人間の本能──だがしかし、甚五郎の見たモノは果たして想像だったのか、はたまた本当に魑魅魍魎の類だったのか──。


 未知の「何か」たちは牢に近づいてきた。その目は甚五郎をジッと見つめている。冷たく、暗く、底知れぬ目だ。人とは相容れない、人ならざる者たちの視線。それが甚五郎の生物的根源を刺激する。微かな残り火だけの、深い闇に呑まれた役宅に月の光が差し込み、仄かにその異形の姿を露わにさせた。


 それは人の形をしているようで、していない。美しいようで、醜悪に他ならない。生きているようで、生きていない。それらが次々と牢に近づいてくる。その中に──甚五郎は見つけてしまった。見覚えのある顔を。


 ──痩せこけた女と、小さな子供。


 女は青白い顔で、虚ろな目をしている。子供は母親にしがみつき、同じように虚ろな目でこちらを見ていた。


「……へ、平八の……」


 その姿から目が離せなくなり、甚五郎の声が震えた。


 平八──甚五郎の元子分だった男だ。甚五郎の罪を代わりに背負い、遠島になった。何かあれば家族の生活の面倒は見ると博徒衆で親分子分の盃を交わした時に誓っていた。だが……そんな約束はしていないと破った。後になって、平八の女房と子供は生活に困窮して橋の上から身を投げたと聞いた。それはもう、何年も前のことになるだろうか。


 ──忘れていた。いや、忘れたふりをしていた。心の底に、重い蓋をして封じ込めていた。


 その女と子が、今、牢の格子の向こうにいる。死んだはずの二人が。


「っ……!う、嘘だっ……!これは夢だっ……!」


 甚五郎は悲鳴を上げた。だが、その「何か」たちは消えない。むしろ、さらに近づいてくる。


 女が甚五郎を睨みつけている。その目には、深い恨みと悲しみが宿っている。口が動いた。何か言っている。だが、声は聞こえない。ただ、その唇の動きには見覚えがあった。人に恨まれ、これまで何百回と見た口の動き。記憶に埋もれた経験則──何を言っているかなど、想像は容易い。


 ──許さない。


 ──お前のせいで。


 ──地獄に落ちろ。


 子供も同じように甚五郎を見ている。しかし、その小さな目には、母親のような強い怨みの色は無い。ただ無言で甚五郎をその瞳に写し続けている。


 なぜ僕は死ななければならなかった?


 なぜ、僕から父を奪った?


 父と約束したのではないのか?


 何故?と子どもの無垢な目が、甚五郎の罪の意識を呼び起こし、良心の欠片を責め立てる。


 その眼が、次々と甚五郎の記憶を蘇らせた──


 平八が捕まった日、女が泣きながら甚五郎に縋った日。「親分さん、お願いでございます。亭主は親分さんの代わりに刑を受けました。せめてこの子の食べ物だけでも……」と、その声が、耳の奥で響く。


 だが甚五郎は鬱陶しげに答えた。


「知らねぇな。アイツが下手人だったんだろうが。裏切り者と、そんな約束はしてねぇ」


 女の絶望した顔。子供が母の袖にしがみつき、不安そうにこちらを見ていた顔。それらが、今、目の前にある。


 ──お前は知っていた。見て見ぬふりをしていた。


 ──お前は誓いを、約束を破った。見殺しにした。


 甚五郎の心の奥底で、押し殺していた声が響く。それは僅かに残った良心の声。そして、親分としての矜恃に反する矛盾の声。長い間、蓋をして封じ込めてきた葛藤が、今、この恐怖の中で蘇る。罪悪感が涙となって溢れ出る。


「ひっ、ひいぃいぃぃぃ……!!」


 甚五郎は動揺と恐慌の中、這這の体で牢の奥へと後ずさった。だが、背中が壁にぶつかり、それ以上は下がれない。女と子供を含めた、おどろおどろしい「何か」たちは……それでも容赦なく甚五郎へと近づいてくる。その姿、その気配、その冷たさ。全てが甚五郎の心を責め立てる。


 ──一つ目の化け物が牢の格子から甚五郎はと手を伸ばしている。それは仲間を招くようにも、闇の中へと引き込もうとしているようにも見える。


 ──水死体のような色をした化け物が牢の格子にしがみつき、これを開けろとばかりにガシガシと揺らし──格子の向こう側で恨めしげに甚五郎を見ている。


 ──そして、平八の女房と子供もまた……じっと遠くで甚五郎を怨めしげに睨んでいた。その視線が、甚五郎に罪の意識を深く呼び起こさせた。


 甚五郎は思った。これが地獄の使いか。死んだ者たちの魂か。自分が見殺しにした者たちが、化け物となって俺が死ぬのを待っているのか、と──。


 江戸の人々は信じている。悪事を働けば、死後に閻魔大王の前に引き出され、永遠とも思える地獄の責め苦を受け続けることになるのだと。


 まだ幼い頃、博徒となる前の甚五郎は、檀家となっている菩提寺の説法で聞いたことがあった。罪を犯した者の末路を。寺の本堂に飾られてあった地獄絵図を見たこともあった。


 血の池、針の山、火の車──。鬼の爪に引き裂かれて死ぬ。黒縄の線を付けられ鋸で体を切り刻まれる。猛獣に追われ、押し潰され、食い荒らされる。沸き立つ湯の釜茹での刑。舌抜き。飲銅。熱鉄。蝋飲。鉄の棒で尻から口まで貫かれ、焼き串のように炙られる。蠱毒。鳥葬。虫責め。飢渇。五蘊盛苦の粋。


 それは奉行所や火盗改が生温く思える責め。恐ろしい光景が描かれていた。その光景は幼い甚五郎の記憶に恐怖と共に刻まれている。


 だが──それらは結局は他人事だと思っていた。天照大御神を祀り、罪の意識から都合良く逃れ、自分には関係ないと。自分は賢く生きている。捕まらなければいい。バレなければいい。そう思っていた。


 しかし──。


 今、目の前にいるのは、自分が殺した者たちだ。平八の女房と子供。自分が見殺しにした者たち。


「た、助けて、くれぇ……!誰か、ぁ……!」


 甚五郎は叫んだ。その声は震え、途切れ途切れだ。もはや、不敵さのかけらもない。そこにいるのは、ただ恐怖に怯える一人の人間だけであった。


 §


 役宅の奥から足音が聞こえた。誰かが近づいてくる。手に持っているであろう明かりが揺れている。


「何事だ!誰かそこにいるのか!」


 平蔵の声だった。


 源一郎はハッとして顔を青ざめさせた。まずい。平蔵に見られてしまう、と。


 平蔵が裏庭に現れ──手に持った龕灯を掲げ、闇の中を見回す。その鋭い目が、役宅の裏庭に広がる光景を捉えた。闇には呑まれた篝火の微かな明かりと龕灯の明かりが庭に広がる闇の正体を見破ろうと仄かに照らし出す。


 だが──。


 そこには何もいない。平蔵の目には、何者の姿も見えなかった。


 しかし。ただ、感じる。何者かの、異様な気配を。冷たい風が吹き抜け、空気が重い。何か大勢の者がそこにいるような。だが、目には見えない。その矛盾が、平蔵の感覚を研ぎ澄ませる。


「これは……」


 平蔵の声は低く、慎重だった。龕灯を掲げて辺りを見回す。だが、何も見えない。ただ、甚五郎が牢の中で震えているのが見える。そして、庭の端で源一郎が青ざめた顔で立っていた。


 平蔵は深く息を吸った。そして、理解した。


「……これが人でない存在、あやかし、というものか」


 平蔵の呟きが、静かな夜に響いた。


 見えないが、いる。感じる。この異様な冷たさ、この重苦しい空気、この得体の知れない気配。これが人ならざる者たちが発するものなのかと、自身の感覚に刷り込む。


 源一郎は慌てて平蔵の前に進み出て平伏した。


「と、頭取……!申し訳ございません!これには……その……訳が……」


 源一郎は焦り、言葉に詰まった。どう説明すればいいのか。役宅に、あやかしたちを集めてしまった。それも甚五郎を脅かすという一見しょうもない目的のために。そんなことを上役である平蔵にどう説明すればいいのかと。


 平蔵は源一郎を見た。その目には驚きと、そして薄い笑みが浮かんでいる。


「源一郎……お前、この『目に見えない何か』を集めたのか」

「は、はい……あ、いいえ……勝手に集まってしまったというか……」


 源一郎は観念してうな垂れた。


「甚五郎を白状させるために、少し脅かそうと思ったのですが……集まりすぎてしまったようで……」


 源一郎は隣を見やり、困ったように菖蒲に目を向けた。菖蒲は平蔵に向けて、ごめんなさい、とでも言うかのようにペコリと小さく頭を下げた。


 平蔵はマジマジと源一郎の隣にいる少女の姿を見た──いや、見ようとした。だが、菖蒲の姿も捉えることはできない。ただ、刷り込んだ感覚が──ぼんやりとした影のような何かが、源一郎の隣にあると伝えている。


 平蔵は溜息をついた。だが、その顔には怒りよりも、呆れと興味が浮かんでいる。


「まったく……お前という男は」


 平蔵は辺りを見回した。あやかしたちの姿は見えない。だが、気配は感じる。無数の視線が、自分を見つめている。その感覚は不思議なもので、恐怖ではなく、むしろ平蔵の好奇心を刺激する。


「なるほど……これは不思議なものだ」


 平蔵は感心したように呟く。その声には、未知の存在に対する素直な驚きが含まれている。


「だが、屋敷に訳の分からん者を呼び込むとは……源一郎、お前は何を考えている」

「大変っ、申し訳ございません……!」


 平蔵の静かな叱責に、源一郎は伏して深く深く頭を下げた。


「私では……甚五郎を白状させるのに、これしか方法が思いつかず……」

「はぁ……分かっている」


 あぁ、頭が痛いとばかりに、平蔵は目頭を押さえて言った。


「お前の考えは理解できる。脅しで何とかなるなら拷問よりは人道的だ」


 平蔵は牢を見た。中では甚五郎が震えている。その顔は未だに恐怖に歪み、何かから目を離せないでいる。体を丸めて壁に背を押し付け、両手で顔を覆っている。その姿は、もう情を持たない悪党ではない。ただ恐怖に怯える一人の人間だった。


「だが……これは少々やりすぎだ」

「申し訳ございません……」


 平蔵は呆れたように笑い、源一郎は頭を下げたまま冷や汗を流していた。上役である平蔵の顔がまともに見れなかった。


 だが、平蔵の声には言うほどの怒りは見られなかった。むしろ、面白がるような響きがある。


「しかし……興味深い」


 平蔵は辺りを見回した。見えないが、感じる。無数の気配が、自分を取り囲んでいる。


「あやかし、というものは本当に存在するのだな。俺には姿は見えぬが……この気配、この冷たさ。確かに、何かがいるのを感じる」

「はい……」

「お前にはどう見えている」

「……大勢の妖怪や怪異たちが頭取を取り囲んでおります」


 源一郎の言葉に、平蔵は少し身構えた。だが、すぐに冷静さを取り戻す。


「ふむ……俺には見えぬが、お前には見える。目には見えないモノを視る目か……面白い」


 平蔵は頷いた。何故、源一郎には見えて、平蔵には見えないのか、どういう理屈なのか分からないが、そういうものなのだろうと納得した。


「まぁ、いい。それより源一郎、奴らを役宅から出せ」

「は、はい……!」


 源一郎は慌てて、あやかし達に向き直った。


「皆!申し訳ないが、役宅から出てくれ!」


 源一郎の声に、集まった、あやかしたちはざわついた。源一郎の耳に不平不満の声が届く。


「なんだ、祭りじゃなかったのか」

「もう終わりなのか?つまらんな」

「せっかく集まったのに」

「すまない、皆、頼む……!」

「でもまぁ……源一郎の頼みなら仕方ねぇか」

「また呼んでくれよ。今度は本当の祭りでな」


 あやかしたち一同は不満そうに呟いている。だが、源一郎の頼みとあれば仕方ない。その頼みを無下にはできないと言葉を治めた。


「わかった、わかった。源一郎の顔色が青くなっているのは可哀想だ。それだけあの男が恐ろしいのだろう」

「確か……人は、あん男んこつを鬼平ち言っちょるち聞きもす」

「あぃや!鬼切の末裔が、鬼ど仕事してっだが!」

「綱の末モンが、鬼と手ぇ組んどるなんて……ホンマ時代は変わったもんやなぁ」

「確かに。なんとも不思議な世になったもんだねぇ」


 何か誤解があったようだが、妖怪たちは好き勝手噂しながら三々五々に役宅から出て行き始めた。


 平蔵には人でない存在の姿は見えない。だが、感じる。無数の気配が、ゆっくりと遠ざかっていくのを。冷たかった空気が、徐々に温かさを取り戻していく。重かった空気が、軽くなっていく。


 やがて、気配は完全に消えた。役宅に残ったのは、源一郎と菖蒲だけ。


 空気が元に戻った。冷たかった風が止まり、温度が上がる。妖気が薄れ、普通の夜の空気が戻ってきた。篝火の明かりが輝度を取り戻し、煌々と辺りを照らしている。


 平蔵は溜息をついた。


「……まったく、とんでもないものを見た──いや、感じたと言うべきか」


 平蔵は源一郎を見た。その目には呆れと、そして少しの笑みが浮かんでいる。


「源一郎、お前という男は……だが、面白い」

「もっとお叱りを受けると思っていましたが……」

「怒ってはいる。ここは俺の住処でもあるのだぞ。妙な物を持ち込まれて怒らん訳がない」


 平蔵は笑った。


「だが、それ以上に興味深い。あやかし、というものが本当に存在するとは……俺もそれなりに長く生き、色々な物を見てきたが、あやかし、という物は──初めて感じた」


 平蔵は牢を見た。中では甚五郎が震えている。その顔は恐怖に歪み、目は虚ろだ。まだ何かの幻影が見えているのか、ぶつぶつと何かを呟いている。


 平八の女房と子の霊は、もう消えている。他の妖怪や怪異たちの群れと共に役宅を去ったのだろう。だが、甚五郎の目には、まだその姿が焼き付いているようであった。


「それに……確かに効果はあったようだな」


 平蔵は牢に近づいた。格子の前に立ち、甚五郎を見下ろす。


「甚五郎」


 平蔵の声に、甚五郎はビクリと震えた。


「見たのか。人ならざる者たちを」

「ひっ……」

「お前は罪を犯した。人を借金地獄に落とし、盗みを働かせ苦しめた。平八の家族のことも、他にも大勢な」

「へ、平八……」


 平蔵の言葉に、甚五郎の顔が青ざめた。


「そうか……その女房と子が、今夜ここに来ていたのだな。お前を恨んで」


 甚五郎の目が大きく見開かれた。その目には、恐怖と後悔が混じっている。


「その報いは、死後に訪れるぞ。地獄に落ち、獄卒に責めを受け続けるか……死んだ者たちに魂を引き裂かれるか、どちらにせよ永遠に安らぎは訪れないのだろう」


 平蔵の言葉に、甚五郎はさらに震えた。その体は小刻みに震え、歯がカチカチと鳴っている。


「お前が今夜見たのは、その前触れだ。お前の死後を暗示させ、罪人であるお前の様子を見に来た」


 平蔵は静かに続けた。その声は冷たく、しかし情感が込められている。罪に対する怒りと、人としての情──同情と憐れみが。


「……まだ間に合う。今、白状すれば、罪は少しでも軽くなる。悔いがなければ、死後の苦しみも少しは和らぐ。そうは思わんか?」


 甚五郎は震えながら、平蔵を見上げた。その目には恐怖と、そして迷いが浮かんでいる。


「どうする。罪を認めるか」


 平蔵の問いかけに、甚五郎は長い間黙っていた。


 その心の中で、激しい葛藤が繰り広げられている。自己保身の利己心が叫ぶ。黙っていろ。認めるな。最後まで意地を通せ。


 だが、恐怖心もまた叫ぶ。地獄に落とされる。怨霊に引きずり込まれる。永遠に苦しむ。


 そして……忘れていた筈の罪悪感も囁く。罪滅ぼしをした方がいいのではないか。俺は間違っていた。罪を犯した。盃を交わした子分の家族を見捨てた。そこに博徒の親分としての矜恃は何も無い。


 やがて──甚五郎の中で何かが折れた。自己愛が、自己保身が崩れ落ちた。甚五郎は……うな垂れるように頭を落とす。


「……吐く」


 その声は震えていた。


「全部……全部吐く……」


 甚五郎は泣き始めた。その顔には、もう不敵さはなかった。ただ、未知の恐怖に怯える一人の人間がいるだけだった。涙が頬を伝い、鼻が垂れる。その姿は哀れだったが、ある意味人間らしかった。


「あっしが……あっしが悪かった……」


 甚五郎は床に額を擦り付けた。土間の固い地面に額を打ち付け、詫びる。


「吉蔵たちを脅して盗みをさせた……イカサマして借金を抱えさせたのも……全部あっしの指示……」


 甚五郎は全てを白状し始めた。その声は途切れ途切れで、震えていた。だが、嘘はなかった。全てを、包み隠さず話した。逃げ続けた罪への呵責。一度認めてしまえば、濁流のように留まることはない。


「平八にも……悪いことをした……奉行所に裏を取られるのを恐れて契約を破り……アイツの女房と子を見殺しにした……」


 甚五郎の声が詰まる。涙が溢れ、言葉にならない。


「あっしは……あっしは人以下だ……畜生にも劣る……」


 甚五郎は自分の罪を、一つ一つ数え上げた。どうやって吉蔵たちに借金をさせたか、どうやって脅したか、商人との関係、盗品をどこに売り払ったか。


 加えて、十年前の事件のこと、平八のことも。その女と子をどうして見殺しにしたのかも。全てを──。


 平蔵は静かに頷く。


「よし……それでいい。源一郎、調書を書き取れ」

「はっ!」


 源一郎は慌てて筆と紙を取りに走った。


 牢の中で、甚五郎は泣き続けていた。その姿は、もう悪党ではない。罪を悔いる、一人の人間だった。悪党とはいえ、やはり同じ人間。心変わりはする。今回、それは情ではなく、恐怖が引き金であった。


 だが、その恐怖が良心を呼び覚まし、罪を認めさせた。それを目の当たりにした平蔵は、複雑な思いを抱いた。


 人の心は弱い。だからこそ、罪を犯す。だが、人の心には良心もある。それを呼び覚ますことができれば、人は変われる。


 平蔵は空を見上げた。月が中天に輝いている。その光は冷たく、しかし美しい。


「あやかし、か……」


 平蔵は小さく呟いた。


「江戸には、まだ見ぬものが多くあるな」


 平蔵は笑った。その笑みには新たな発見に対する喜びと、未来への興味が込められている。江戸に起こる様々な出来事、人の世の悪意、そして、『あやかし』という未知の存在。どれもが、平蔵にとって興味深い謎であり、同時に挑戦だった。


 源一郎が筆と紙を持って戻ってきた。そして、甚五郎の白状を丁寧に書き留め始める。その筆の音が、静かな夜に響いていた。


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