第十一話
平蔵の言葉に、甚五郎は顔を伏せた。その肩が震えている。源一郎は息を呑んだ。もしかしたら──甚五郎の心が動いたのかもしれない。平蔵の言葉が、この男の心に届いたのかもしれない。
だが──。
やがて甚五郎は顔を上げた。その目には、平蔵が期待したような悔悟の色はなかった。代わりに、冷たい憎悪が宿っている。
「……へっ」
甚五郎は笑った。その笑いは乾いていて至極冷たい。
「流石、お役人様は上手いことを言いやすね」
「何」
「あっしが白状すれば家族が助かる?吉蔵たちが助かる?あっしだけは重罪が決まり?ふざけるんじゃねえ……!」
甚五郎は吐き捨てるように言った。
「あっしが黒幕だと?違うね。あいつらは最初っから仲間さぁ。あっしと一緒に盗みを企んだ一味なんでぇ」
源一郎は目を見開いた。
「甚五郎、お前、何を言っている」
「吉蔵も清次も新助も、皆、あっしの盗賊仲間よ。共に盗みを計画して、共に実行した。あっしが脅したなんてことは真っ赤な嘘っぱちだ。むしろ盗みをするっていったのは奴らの方よ」
甚五郎は不敵に笑った。
「あいつらぁ、自分の罪を軽くするために、あっしだけを悪者にしようとしてるのさ。だが、そうはいかねえ。あいつらも共犯だ。皆で盗んだんだ」
「お前……!」
源一郎は立ち上がった。その顔には怒りが浮かんでいる。
「吉蔵たちはお前に脅されていたんだろう!お前が借金を作らせて、弱みを握って盗みを強要したんだろうが!」
「あいつらの言うことは信じて、あっしの言は信じないので?それにあっしが脅したって証拠はあんのかい」
嘲るように笑う。その言葉に、源一郎は拳を握り締めた。
「クク……あっしがあいつらを脅したってぇ?あっしからしたら、あいつらは自分で選んだんでさ。それに、吉蔵たちの証言も信用ならねぇでしょうに。何しろ盗人の言うことなんざ、一から十まで嘘に決まってるんでね」
「この……!」
この男には人の心というものがないのか。吉蔵たちを、その家族までも道連れにしようとしている。自分だけ重罪となることに我慢ならず、他人を巻き込もうとしている。
平蔵は静かに手を上げた。
「源一郎、落ち着け」
「しかしっ……!」
「落ち着け」
平蔵の声に、源一郎は息を整えた。だが、怒りは収まらない。
平蔵は甚五郎を見た。その目には明確な失望の念が浮かんでいる。
「甚五郎、お前という男は……情というものを知らぬのか」
「情?そんなもん知りませんよ」
甚五郎は表情を歪めても笑みを作った。
「あっしは裏の世界で生きてきた。情なんかに縋ってたら、生き延びられやしねえ。踏みつけるか、踏みつけられるか。それだけだ」
「……お前は、十年前に平八を身代わりに仕立てた。それに飽き足りず、今また、吉蔵たちを巻き込もうとしている」
「当たり前でさぁ」
それの何がおかしなことなんで?と、甚五郎は冷たく笑った。
「平八も、吉蔵も、皆あっしの手下だった。子分ってのは、そういう風に使うもんさね。だが……鬼平さんの説法で心動かされましたよ。そうでさぁ、あっしだけ自白逃れして助かろうなんざ、端から虫が良すぎた。あっしらの罪がデカすぎるってならぁ、皆で罪を背負えばいい。そうでしょう?」
「……」
「吉蔵たちだってぇ、あっしと同じよ。盗みをしたんだ。罪を背負うのは当たり前。奴らの家族だって止めなかったんだ。おかしいと気づいてただろうに。なのに、あっしだけが悪いなんて、そんな都合のいい話はねえ」
甚五郎は冷たく言い放った。
「――いいでしょう。白状いたしやすとも。ただし、あいつらも同罪だ。犯した罪は皆で等分して背負えばいい」
源一郎は拳を震わせた。この男の冷酷さには、言葉もない。自らの縁者も、吉蔵たちの家族も、子どもがいようが──甚五郎の心には響かない。
平蔵は深く息を吐いた。その顔には、深い落胆の色が浮かんでいる。
「……甚五郎。お前には最後まで情を持つことができなかった」
「情なんざ、持ち合わせがありませんで」
「それならば……我らにも考えがある。お前たち一味には火付盗賊改方の責めを受けてもらう」
平蔵の声が冷たくなった。
「お前が白状しようがしまいが、罪は明白だ。盗品売買、脅迫、盗みの教唆の真偽に拘わらず、確定している賭場開帳、御用手向、これだけで重罪なのだからな」
「……」
「だが、吉蔵たちの証言、丸屋三郎兵衛の嘆願書、そしてお前の過去の記録。これらを総合すれば、お前が真の黒幕であることは明白。お前の言葉を信用する者はここにはいない。ならばこそ、お前の手下を含めて身包み全て剥ぎ取り、全て御白州の下に曝すまでだ」
平蔵は立ち上がり、源一郎を見た。その目には源一郎すら一歩後退るほどの怒気が宿っている。
「源一郎、仕切り直しだ。一旦引き上げる」
「は、はい」
「今日の取り調べはここまでだ。甚五郎、お前には明日から厳しい責めが待っているぞ。心を決めろ」
「そいつぁ、楽しみでさぁ」
平蔵の声は地獄から響くように重く、冷たい。源一郎は悔しさを堪えながら立ち上がり、二人は牢を後にした。格子の向こうで、甚五郎が不敵に笑っている。その笑い声が、源一郎の耳に焼き付いていた。
§
「くそっ……!」
源一郎は畳に拳を叩きつけた。その音が部屋に響く。
「あの男……!人の心というものが無いのか……!」
「落ち着け、源一郎」
「くっ……申し訳ありません」
源一郎は歯噛みする。その顔には、その声には明確に悔しさが滲み出ていた。
「……お前の気持ちは俺にもよく分かる」
平蔵は静かに頷いた。その表情には甚五郎という男に対する深い憤りが見て取れる。
「甚五郎は最後まで白を切り通すつもりだった。だが、逃げられぬと見るや否や、吉蔵たちを共犯に仕立て上げようとしている」
「そんなことが許されるのですか!」
「許されるかどうかは、全て自白次第だ」
平蔵は溜息をついた。その声には、深い憂慮が混じっている。
「吉蔵たちの証言はある。三郎兵衛の嘆願書もある。盗品も帳簿も確保している。だが、甚五郎が脅迫を否定すれば、完全な自白とはならない。甚五郎の言う通り、盗人の言葉は信用されにくく証言としては弱い。他に窃盗の証人がいるわけでもない」
「では……このままでは吉蔵たちも同じく……」
「その可能性はある」
平蔵は厳しい顔で言った。
「甚五郎が真実を──全てを詳らかに白状しなければ、吉蔵たちも共謀共犯として裁かれる。情状酌量の余地はなくなる」
「それは……」
源一郎は拳を握り締めた。
「責めを──許可する」
源一郎の顔が曇った。
責め──拷問の意。それは江戸の司法において、最後の手段だった。自白を得るために、罪人に苦痛を与える。石抱き、海老責め、釣り責め。火付盗賊改方ではさらに厳しい責めが行われる。火責め、水責め、想像するだけで身が震える。
だが、それが江戸の現実だった。証拠が不十分な時、自白を得るために拷問が行われる。それが法であり、秩序だった。そして、火付盗賊改方では、町奉行所よりも拷問の使用頻度が高い。それは扱う事件が重罪ばかりであり、確実な自白が必要だったからだ。その一方で、責めに耐えかねて虚偽自白し、冤罪となるケースも実際には多かったとされている。
源一郎は前世の記憶を思い出した。前世では当然ながら拷問など禁止されていた。自白の強要は許されず、黙秘権が認められていた。だが、この時代にはそんなものはない。
「……責め以外に、方法はないのでしょうか」
源一郎が問うと、平蔵は少し考えてから答えた。
「あるとすれば……甚五郎が自ら性根を正し、白状することだが……」
「ですが、あの男は……理責めでも、泣き落としでも決して口を割らない」
「ああ」
平蔵は頷いた。
「あの男は裏の世界で長く生きてきた。役人の取り調べにも慣れている。十年前には町奉行所の責めを耐え抜いた。今回も意地を通すつもりだろう」
「……」
「だが、火付盗賊改方の責めは町奉行所とは桁が違う。あの男が最後まで耐えられるかは疑問だ……」
平蔵は役宅の縁側から外を見た。夕暮れの空が茜色に染まり始めている。
「もしも責めに耐えられれば火盗改は甚五郎に屈したことになり、激しい責めで死んだ場合でも自白を得られなければ、やはり真実は闇の中だ。俺も出来れば責めの手は使いたくない。……他に何か方法があればいいのだろうが……」
「方法……ですか」
「ああ。責めも並行にはなるが、少し考えさせてくれ」
平蔵はそう言って詰所を出て行った。その背中には、何か考えがあるような雰囲気が漂っていた。
源一郎は一人詰所に残された。
夕日が沈みかけている。長い影が地面に伸び、町が夕闇に包まれ始めている。もうじき夜が訪れるだろう。
「……どうすれば」
源一郎は呟いた。
甚五郎を白状させる方法。拷問以外の方法は……何かないのか。
源一郎は前世の記憶を辿った。前世では、取り調べには様々な技術があった。心理学的、精神分析学的な見地に基づいた精神鑑定、科学的知見を背景とする証拠の積み重ね、犯罪を科学的に実証する学問……
だが、この時代にはそれらはない。当然、科学捜査もない。DNA鑑定も指紋照合も監視カメラも無いのだ。あるのは、曖昧な証言と自白。そして、この時代では証拠や証言よりも自白が重視され、罪を確定させる自白を得るための、責めの手法ばかりが江戸では発達した。
そして──。
源一郎はふと、ある考えが浮かんだ。
「……恐れ……あやかし……妖怪……!」
そう、この時代にはない現代の知識がしこたまある癖して、脳筋気味な源一郎が真っ先に思いつく鬼札と言えば──困った時の、あやかし頼みであった。
源一郎には人でない存在が見える。妖怪たちや幽霊とも話すことができる。ならば……あやかしたちを集めて、力を借りることは……できないだろうかと。
だが、どうやって。
源一郎は考えた──甚五郎は人の情を持たない男だ。だが、恐怖心は持っているはずだ。誰もが恐れるもの──それは死。そして、誰も知らない死後の世界。
この時代、人々は死を恐れていた。だが、それ以上に恐れていたのは、死後の苦しみだった。地獄に落ちること。浄土にも行けず、成仏もできずに彷徨うこと。怨霊となって苦しみ続けること。未知に対する想像が、深い深い恐れを生んでいた。訳の分からない事象に対して何とか理屈を当てはめて理解しようともした。だがそれでも──人の不安とは誤魔化しで拭えるものではない。
その感覚は信仰自体の意義を忘れ、電気の光に守られていた現代とは比較することは出来ない。いや──科学を信仰する現代人では常識も当然異なっており、この時代の人が抱いた未知への恐怖とは想像もできない領域にあるのだろう。
だからもし、甚五郎にその恐怖を見せることができれば──。
源一郎は立ち上がった。
「……座敷童に──菖蒲に相談してみよう」
源一郎は役宅を出た。家に帰って、座敷童に話を聞いてみよう。あやかし──妖怪たちの力を借りることができれば、甚五郎を白状させることができるかもしれない。
それは、拷問よりは人道的な方法だ。痛みを与えるのではなく、恐怖を見せる。罪人の心を揺さぶる。それができるのであれば──。
源一郎は夕暮れの町を歩き始めた。本所への道を急ぐ。
空が暗くなり始め、星が一つ、また一つと輝き始めていた。




