第十話
取り調べが始まってから早四日目、吟味詰は厳しさを増すが遅々として進まず、ついに平蔵が立ち会うことになった。
火付盗賊改方の頭目自らが取り調べに加わるというのは、そう日常的にある訳ではない。平蔵が出張って来たということは、それだけこの事件が重要視されているということでもあった。
そして、それにはもう一つの理由がある。それは丸屋三郎兵衛から届けられた嘆願書であった。
──その日、源一郎が役宅へと出仕すると早々に平蔵から呼び出しを受けた。執務室代わりとなっている書院に入ると、平蔵は机に向かって腕を組んでいた。厳しい表情はいつものことだが、今日は特に険しい。
「源一郎、座れ」
短く命じられて、源一郎は何事かと膝を折った。平蔵は一枚の紙を取り出し、それを差し出す。
「それを見ろ」
差し出された書状を戸惑いながらも受け取る。源一郎はそれを開いて目を通し、眉根を寄せた。
「これは……吉蔵たちの情状酌量を求めているのですか」
──丸屋三郎兵衛からの嘆願書だった。
書状には、吉蔵、清次、新助の三人に対する減刑の嘆願が記されていた。三人は甚五郎に脅されて盗みを働いたのであり、本来は善良な手代であったこと。三人の家族が路頭に迷うことを案じ、何卒寛大な処置を賜りたいこと。丁寧な筆跡で、切々と書かれていた。
「あの三郎兵衛が……」
「ああ。三郎兵衛はやり手の商人という話だが、情にも厚いようだな。手代たちが甚五郎に脅されていた事情を察し、嘆願書を出してきた。……更には、無下にされぬようにと、家内と娘に高級反物まで持ってきてな。無論、そちらは受け取らずに返したが……」
平蔵が歯切れ悪く言った。曰く平蔵は愛妻家であったと言われていている。恐らくは、反物を突き返したことで御新造、御息女にあーだ、こーだと何事かを言われたのだろう。
「情け、ですか」
そして、平蔵は「情に厚い」と言った。源一郎としては平蔵の人の情を信じ、汲み取ろうとしているところは好ましく思っている。……だが、源一郎自身は前世の人と人との繋がりの薄れた世を知っている身として、人の善心を中々素直に受け止められずにいた。その善心の裏には何かあるのではないのかと。
故に、今回の三郎兵衛の嘆願も、穿ち過ぎなのであろうが──源一郎にはどうしても「人情のある三郎兵衛」という評判を呼ぶための商人の強かさに見えてしまっていた。
「元よりできる限り事情を斟酌し、収めるつもりであった。私としても上役に情状酌量の上申を送るのは吝かではない。だが、この嘆願書だけでは減刑にはほど足りぬ」
「そうでしたか……では、このまま甚五郎が白状しなければ、手代たちも共犯として裁かれる、ということですか」
「そうだ。三郎兵衛の情も虚しく、三人は重い罰を受けることになる」
平蔵は頷いた。丸屋三郎兵衛の嘆願書が届けられたことは、吉蔵たちにとって最後のやり直す機会かもしれない。源一郎としても、平蔵の判断に異論などなかった。だが、このままでは──。
「甚五郎が白状しなければ、吉蔵たちは脅されていたという証明ができない。盗人の言葉だけでは真実を証明できない。甚五郎はそれをよく知っている」
源一郎は拳を握り締めた。
「このままだと三郎兵衛の声は無駄になります」
「だからこそ、今回は私が取り調べに加わろう」
平蔵の目には決意の色が宿っていた。
「──甚五郎を白状させる。それが私の役目だ」
§
牢から出され、縄を打たれている甚五郎の前に平蔵と源一郎が立つ。甚五郎は暴行を受けた形跡はあるものの、相変わらず泰然と座すのみ。だが、平蔵の姿を認めた時、その顔に僅かな緊張が走った。
鬼の平蔵──その名は裏社会でも恐れられている。この男の前に出た悪党で、無事に帰れた者はいない。
「甚五郎」
平蔵が静かに言った。その声は低く、重い。威圧感に満ちた、まるで地の底から響いてくるような声だ。
「お前の罪は明白だ。もう逃れられん」
「へえ、そうですかい」
甚五郎は強がった。だが、流石は鬼の平蔵と言うべきなのか、その声には僅かに震えが混じっている。
「お前は十年前にも盗品売買の疑いで捕らえられているな」
平蔵が言うと、甚五郎の顔色が変わった。
「そいつは……誤召捕で放免されたはずでさあ」
「ああ、そうだな。お前は逃げ切った。手下の一人に罪を被せてな」
平蔵の声が鋭くなる。甚五郎は喉を鳴らした。
「当時、お前には『全て俺が仕組んだことだ』と白状した手下──平八がいた。そいつは遠島になり、二度と戻ってこなかった」
「……知りやせんね」
甚五郎の声が掠れる。額に脂汗が浮かんだ。
「あの時、お前は手下の平八に罪を着せた。平八は遠島となり、家族は離散。その後、平八の妻は身を投げ、子は行方知れずとなった」
「……」
「忘れられたかと思ったか。記録に全て残っている」
平蔵は書類を取り出した。それは火付盗賊改方の記録ではない。奉行所に頼み込み、借り受けたものであろうか。
「お前の過去も全て調べた。十年前だけではない。その間にも、怪しい取引が何度もあった。奉行所はお前を張っていたようだな」
「……あっしには、あずかり知らぬことで」
「賭博で人々を借金漬けにし、弱みを握って盗みをさせる。そしてその裏では盗品を売りさばく。それがお前の手口。十年前のことがあってから、お前の嫌疑はずっと晴れていなかったということだ」
平蔵は静かに続けた。しかし、その目は鋭く甚五郎を見据えている。
「今回も同じことをした。吉蔵たちを脅して盗みをさせ、盗品を買い取っては遠方に流す。だが失敗した。吉蔵たちが我々に捕らえられた」
「……」
甚五郎は黙り込む。平蔵の言葉を否定しない。だが、白状もしなかった。
平蔵は一歩、甚五郎に近づいた。その目には厳しさと、同時に深い情が宿っている。
「甚五郎」
平蔵の声が牢内に響く。それは心に沁み渡せるような低い声だ。
「お前にも心を寄せる相手がいるだろう」
「……」
「女がいる。子もいる。孫もいると聞く」
「……」
「お前がこのまま白を切り通せば、お前の血の繋がった者はどうなる。火付盗賊改方に捕らえられた男の縁者として、肩身の狭い生活を送ることになるだろう。女は働き口を失い、子は縁談が破談となる。孫は飯も食えなくなる」
平蔵は静かに続けた。
「だが、お前が白状すれば違う。罪を認め、最後には悔い改めた者として扱われる。縁者への風当たりも少しは和らぐだろう。女や子が町で生きていける道が残る」
「……」
「そして、吉蔵たちのことも考えろ」
平蔵の声に力が込められる。
「吉蔵には妻がいる。子が三人いる。清次には年老いた母がいる。新助はまだ若く、これから先の人生がある」
「……」
「お前の選択次第によっては、吉蔵たちは脅されて盗みをした者として扱われ、情状酌量の余地も出てこよう。だが、お前が否定し続ければ、吉蔵たちも共犯として裁かれる。三人とも入牢では済まない。遠島か、場合によっては死罪だ」
平蔵は甚五郎を見据えた。
「奴らの家族もまた路頭に迷うことになるぞ。妻は蕎麦一杯いくらの夜鷹に身をやつし、子たちの心は千々に乱れよう。行き着く先は心中か、身投げ橋か……」
「……」
「三つの家族を救え、甚五郎。お前の縁者も、吉蔵たちの家族も。それが最後の善行ではないか」
平蔵の言葉は、感情に訴え掛けるものであった。そして、凝り固まった自己保身の念を解きほぐし、心変わりさせ良心に従わせようという、最後の一押しを与えるためのものでもある。
「甚五郎。お前の選択肢は二つだ」
平蔵は静かに言った。
「潔く白状して罪を認めるか、否定を続け死も厭わぬ苛烈な責めを受けることになるか。お前が重罪であることは、どちらにせよ変わりない。だが……最後のあり方は、お前の選択で変わる」
「……」
「最後くらいは人として正しい道を選べ、甚五郎」




