第九話
賭場を押さえた夜、深川の表通りは異様な熱気に包まれていた。
火付盗賊改方の役人たちが甚五郎とその一味を縄で縛り上げ、次々と連行していく。禁制の賭博を行っていた客たちはそのまま町奉行所へ引き渡され、本命である甚五郎と用心棒の荒くれ者たちは火付盗賊改方の役宅へと運ばれて行った。
闇夜の中、提灯の明かりが揺れ、縄をかけられた男たちが列をなして歩く。その姿は奇妙な見世物のようで、日も落ちたというのに町人たちが遠巻きに眺めていた。ざわめきの中で、誰かが小声で囁く。
「甚五郎が捕まった……」
「あの甚五郎がねえ……」
「お役人様も本気になれば、やるもんだ」
「もう戻ってこないといいんだが……」
源一郎は先頭を歩きながら、その声を聞いていた。町の人々は賭場の元締めが捕まったことを喜んでいる。だが、その喜びの裏には不安も混ざっていた。甚五郎という男は裏社会で長く生き延びてきた者。簡単には落ちない──そう皆が知っていたのだ。
役宅に着くと、甚五郎たちは次々と牢に入れられていった。
火付盗賊改方の役宅は、御先手組頭が幕府派より拝領した屋敷が、そのまま役宅(役所兼住居)として使用された。つまりは頭取である平蔵の屋敷が火盗改の拠点となっている。なので奉行所のような本格的な牢屋があるわけではなく、母屋から離れた場所に、土蔵や納屋を改造した仮牢が設けられていた。
吉蔵、清次、新助の三人は、白州に近い土蔵を改造した牢に入れられていたが、甚五郎が入れられたのは別の場所だった。
屋敷の奥、庭の隅にある納屋。元は道具置き場だったその建物は、今は重罪人を収容する仮牢としての機能を持っている。
太い格子が嵌められた入口を抜けると、中は真っ暗だった。窓はなく、唯一の明かりは格子の隙間から差し込む光だけ。床は固い土間で、藁すら満足に敷かれていない。壁は板張りだが、隙間から冷たい風が吹き込む。
甚五郎はその牢の中に押し込まれた。格子戸が閉められる音が響き、外側から鍵がかけられる。
源一郎は格子の向こうを見た。暗闇の中に太った男の影が見える。その背中は罪人とは思えないほど堂々としており、捕らえられたのにも拘わらず、危機的な状況にあるとは思ってもいないようだった。
「……厄介な相手だ」
源一郎は呟いた。隣にいた熊造が頷く。
「あっしもそう思いやす。あの野郎、簡単には吐きやせんぜ」
「ああ。十年前にも捕まったが、そのときは白を切り通したと聞く」
「へい。町奉行所の取り調べを耐え抜いたそうで……」
熊造の声が沈む。十年前、甚五郎は盗品売買の疑いで町奉行所に捕らえられている。だが、どれほど責められても口を割らず、最終的には手下の一人に罪を被せて逃げ切った。手下は遠島となり、甚五郎は放免された。
「手下を切り捨てた男だ。今回も同じことをするつもりだろう」
「……あんな男に目を付けられるなんざ、吉蔵たちも憐れでしたな」
「あぁ」
熊造が拳を握る。源一郎も同じ思いだった。
源一郎は牢を見つめた。格子の向こうで甚五郎が座り込んでいる。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
§
翌日。日が昇ると取り調べが始まった。
火付盗賊改方の取り調べは、町奉行所とは比べ物にならないほど厳しい。扱う事件が重罪ばかりであり、処罰も重い。放火なら火刑、強盗殺人なら磔、大規模盗賊なら獄門。この場所に連れてこられた時点で、命はほぼ決まっている。
牢の前に源一郎と同心が二人現れる。格子の向こうには甚五郎が胡座をかいて座っていた。その態度は泰然としており、まるで自身が法を犯したとは微塵も感じていないようだった。
「甚五郎」
源一郎が静かに言った。
「お前の罪は明白だ。盗品売買、脅迫、盗みの教唆。証拠も証言も揃っている」
「へえ、そうですかい」
甚五郎は鼻で笑った。その声には嘲りが込められている。
「証拠ってのは何です」
「お前も見ていた筈だ。賭場から丸屋の反物が見つかっただろう。しっかりと、丸屋の印がついている代物がな」
「はぁ」
「吉蔵たちも、お前に盗んだ反物を渡したと証言している」
「盗人の言うことなんざ信用できませんよ。お役人が盗人なんぞの言うことを信じるんで?」
「甚五郎、貴様っ!しらばっくれるつもりか!?」
甚五郎は涼しい顔で言い、同心が声を荒げた。対する甚五郎の目には何の動揺も見受けられない。
「盗人ってのは自分の罪を軽くするために、誰かのせいにしたがるもんです。あっしを嵌めようとしてるんでしょうよ」
「嵌める?お前が吉蔵たちに借金をさせ、弱みを握って盗みを強要したんだろう」
「それも証拠がなきゃあ、ただの憶測ですよ」
甚五郎は呵々と笑った。その笑いには源一郎たちを馬鹿にするような態度が隠すこともなく現れている。
「あっしは真っ当な商売をしてますんで。賭場だって、まあ……灰色かもしれやせんが、盗品売買なんて、そんなこと。恐ろしくて出来やしやせんぜ」
「貴様ぁっ……!いけしゃあしゃあと……!」
「落ち着け」
源一郎が同心を制する。怒りを表に出しては、甚五郎の思う壷だ。江戸の裁きでは、証拠よりも自白が重視される。物的証拠がいくらあっても、本人が認めなければ罪は確定しない。逆に、自白さえ取れれば、証拠が不十分でも罪人として裁けるという実態があった。
──だからこそ、取り調べは心理戦であった。
「では反物がお前の賭場にあった理由は」
「昨夜も言いましたがねぇ。誰かが勝手に置いたんじゃないですかい」
源一郎は溜息をついた。この男は一筋縄ではいかない。証拠を突きつけても、すべてのらりくらりと言い逃れる。その胆力は見事なものだった。
「これが何か分かるか?お前の帳簿だ。ここには吉蔵たちの借金が記されている」
「金の出入りを記録するのは当たり前でしょう」
「その借金が三度に分けて減額されているな。盗みがあった日と一致する」
「へえ、偶然ですねえ」
甚五郎がニヤリと笑う。ふてぶてしい男だと源一郎は目を細める。
「あっしは情に厚い人間でしてね。借金を抱えて困ってる奴がいたら、そりゃ少しくらい負けてやることもありますよ」
源一郎は拳を握り締めた。この男の厚顔無恥ぶりには呆れるしかない。だが、怒りを表に出してはいけない。そうなっては甚五郎の思う壷。冷静に、理詰めで追い詰めなければならない。
「お前の帳簿にはもう一つの記録があるな」
源一郎は別の帳簿を取り出した。こっちこそが本命、賭場から押収した裏取引の記録だ。甚五郎の視線が帳簿に集中する。
「上方の商人との取引が記されている。この商人に何を売った」
「……」
「おい!何を売った!言えっ!」
「ちぃっと思い出してただけでしょうが。そう慌てなさんなよ、同心の旦那。……さて、なんでしたかねぇ。残念ながら思い出せねぇな。ですが、そりゃあ別の取引でしょうよ」
「何を売ったと聞いている。言えないのか?」
「……色々ですよ。反物とか、骨董とか」
「どこで仕入れた。お前の帳簿には仕入れの値が抜けているぞ。金の出入りを記録するのは当たり前なのではないのか」
「……たまたまでさぁ。それに、商売の秘密ってもんがあるでしょう?」
それきり甚五郎は口を閉ざした。だが、その目には突っ込んで聞かれたくないという焦りが浮かんでいる。少しずつ追い詰められていることを感じているようだ。
「ならばその商人を呼ぼう。過去に何を買ったか、証言してもらえばいい」
「へへっ、どーぞどーぞ」
甚五郎は余裕綽々。この分だと商人もグルであろう。源一郎は更に畳み掛ける。
「お前は吉蔵たちを脅して盗みをさせた。そして盗品を安く買い叩いて、遠方の商人に高く売る。巧妙な手口だな」
「……盗品ねぇ。証拠がなきゃあ、ただの憶測ですって」
「あくまでも証拠と認めねぇつもりか。帳簿も、証言も、盗品もそろってんだよ!」
同心の男はとうとう堪えきれずにキレてしまい、怒気を発した。甚五郎が口元を歪める。
「甚五郎。テメーは逃れられねぇ。さっさと全て白状しろ」
「へっ」
同心の言葉──それを鼻で笑った。その態度は最初から最後まで変わらず不遜だ。
「あっしは何も。証拠なんざ作ろうと思えば作れますからねえ。あっしを嵌めようとしてるんでしょう、お役人様」
「きっ、きっさまぁ~!!ナメとんのか、コラァ!!」
「待て、待てっ!落ち着けっ……!」
その勝ち誇ったような表情を思いっきり殴りつけてやりたくなったが……同心に先を越されてしまった。頬を打たれた甚五郎が横倒しになる。
「ははっ、ぶん殴れば白状すると?でもねぇ、あっしは潔白なもんで。嘘はいけねぇよ、嘘は」
周囲にキレてる人がいると逆に冷静になる。源一郎は自身を落ち着けるために一つ息をついた。埒が明かない。この男はやはり、最後まで白を切り通すつもりのようだ。
江戸の裁判では、自白がなければ罪を確定するのが難しい。証拠がいくらあっても、本人が認めなければ、裁きは宙に浮いたまま進まなくなる。そして、火付盗賊改方が扱う事件は重罪ばかりだ。中途半端な処罰では済まされない。死罪か、遠島か──それを決めるにも、やはり確実な自白が必要なのだ。
──取り調べはその翌日も、翌々日も続いた。責めほどではないが、暴力も威圧も行われた。だが甚五郎は決して口を割らなかった。「知らない」「身に覚えがない」「誰かが勝手に置いたんだろう」──同じ言葉を繰り返すばかり。
火付盗賊改方の取り調べは町奉行所よりも厳しい。だが、それでも甚五郎は屈しない。この男は十年前にも同じことをやり遂げた。町奉行所の責めを耐え抜き、手下に罪を被せて自身は逃げ切った。その経験が、今の甚五郎を支えていたのだった。




