その4
「と、いうわけで、今日から我が家の一員になる矢城 郷華ちゃんです」
ダイニングの扉を開けた父さんは、そう言いつつ隣に立つ少女――矢城郷華の方にポンと手をおいた。
手をおかれた彼女は、一瞬身を竦ませたが、すぐにぎこちない表情を浮かべて軽く頭を下げた。
「わーい、よろしくね、郷華ちゃん♪」
「…………」
そんな少女に対して無邪気に喜ぶ母さん、呆然とする俺。
(や、なんというか……)
どことなく所在なさげな少女。その風貌といえば……
(なんでこんな美形な女の子を連れてくるんだよ……)
十人中十一人くらいが間違いなく美人だと称しそうなほど整った顔立ちに、キメの細かい白肌。背中の真ん中あたりまで伸ばされた黒髪は、キューティクルに満ちたサラサラストレート。身長は割りと高い方であろうか、少なくとも東よりは高い。
全体的に見て、彼女は可愛いというよりも綺麗と言われる女の子だろう。
(ああ……これはまたみんなに何か色々と言われるんだろうなぁ……)
遠い目をしながらそんな事を思う。
「さ、郷華ちゃん。そんなところに立ってないで功司の隣にでも座りなさい」
「え、と……」
「ああ、ここ」
父さんにそう促され、困惑している様子の少女に対し、俺は声をかける。そして左隣の空席を指さす。
「…………」
少女はそれを確認すると、おずおずといった感じに俺の隣まで来て、ものすごくかしこまった感じに着席する。
(まぁ、よそよそしいのもしょうがないよな……)
イスに座った後も、少女は俯き加減のままだった。
「さて、と」父さんも母さんに隣に腰掛ける。「改めまして、初めまして。俺は矢城 俊彦。この家の大黒柱さ」
そして妙に爽やかな自己紹介。
「あ、私は矢城 和泉。この家のお母さんだよ~」
続けて母さんも和やかに自己紹介。
「え、と。矢城功司……です」
その流れにのって、俺もぎこちなく自己紹介をする。
「ん~、固い、固いなぁ功司」
その挨拶が気に入らなかったのか、父さんは俺に絡んでくる。
「いや固いって言われても……」
「固いって言われても、じゃない。郷華ちゃんは可愛い~妹なんだぞ? 正直羨ましいくらい可愛い妹なんだぞ?」
「羨ましいって……」
あなたは龍鵺か。
「そうよねぇ、今のお父さんの発言はすごい微妙な感じだったけど、もうちょっと砕けてもいいんじゃない?」
「あー、うー……」
夫婦からのユニゾンアタック。その攻勢に俺は少し怯んでしまう。
(……じゃあ少し変えてみようか)
でもどう変えようか……。
A:俺がお兄ちゃんだ
B:ご主人様と呼べ!
C:郷華ちゃんって可愛いよね
……違くね? Aはまだ分かる範囲だけど、BとCってなんかもう違くね? いやだからと言ってAを選択する気にはならないんだが。
「……初めまして、矢城功司……だ」
そして結局なにも思いつかず、先ほどと同じような事しか言えない俺だった。
「まったく、この朴念仁め。だから彼女が出来ないんだ」
「なっ、彼女とかは関係ないだろ」
「そうよ、あなた。功ちゃんにはちゃ~んと理亜ちゃんがいるんだから」
「それも違うし関係ない」
母さんの「ねぇ?」という同意を求めるような視線も一刀両断しておく。
「へいへい我が愚息よ。男たるもの、ただ一人の女性としか交際しないってのはもったいない――というか異常だぞ? 少しでも俺の血を引いているんだから、ちょっとばかしアバンなチュールでもしちゃいなYO」
「…………」
だから東とはそんなんじゃない、アバンなチュールってなんだ、YOとかいい歳して言ってんじゃねぇ……などのツッコミが思い浮かんだが、あえて言わない。
「ふぅーやれやれなんだぜ。まったく、二十年くらい前の俺をお前に見せてやりたいぜ」
ズモモモモモッと、父さんが饒舌にしゃべり続けている間に、母さんに何か暗いオーラが集まっているのが見えたが、あえてスルーする。
「きっとその頃の俺が今の功司の立場だったら、手放しで喜びまくりだぜ? うは、妹きた、軽く萌える! みたいな感じで。うーん、明美ちゃんを思いだ――」
と、そこまで口走って何事かに気づいたような父さん。
そして恐る恐るといった様子で母さんの方に視線を向ける。
「ねぇ、あなた。明美ちゃんって、どなた……?」
そこには修羅がおわした。
「あ、いや、その……」
先ほどの饒舌もどこへやら、冷や汗ダラダラで言葉に詰まる父さん。
「ねぇ、確か二十年前っていうと、里子ちゃんっていう子が出てきてたと思うんだけど……?」
「あ、ああうん! 里子ちゃんね里子ちゃん! な、懐かしいなぁあはは……」
「で、」
「ひゃい!?」
強く短い語気に気圧され、女の子みたいな声を上げる父さん。情けないことこの上ない。
「明美ちゃんって、だぁれ?」
「え、えええーと、あ、明美ちゃんは……その……」
「あなた。まさかとは思うけど……まだ私に隠してる事とかって、ないよねぇ……?」
「あ、あ、あ、ある訳ないジャマイカ!」
「でも父さん、最近帰り遅いよね」
「黙ってるんだ功司ィ! もしも上様との付き合いでお水の花道をスキップしてるなんて知られたっ!?」
俺の言葉に、あまりにもお約束すぎるほど簡単に釣られるおっさん。悲しいことに、自分の親父だった。
「さてと。そろそろ晩ご飯の準備をしなくちゃね」
母さんはそう言って、父さんの耳をつまみながら立ち上がる。
「待って!? 痛い、痛いよ和泉さん! とれちゃう、耳とれちゃうから!!」
「黙りなさい」
「ハイィィ! すいませんでした――!!」
大人しくなった父さんはズルズルとキッチンの方へと引きずられていった。その際「助けてくれ」なんて意味合いを含んだ瞳をこちらに向けてきたが、自業自得なので無視する。
「さて、と」
何だかさわがしく話の路線を踏み間違えているが、本題となるのは今のやり取りにポカンとなっている少女だ。
「えーと、なんだか騒がしくてごめん」
「え……あ、別に……」
自分に話しかけられたのが一瞬分からなかったのか、少女はワンテンポ遅れて返事をする。
「非常にみっともない事この上ない父親と何だか怖い感じが漂ってた母親だけど、いつもはあんな感じじゃないから、な」
「…………」
少女からの返答はない。多分だけど、なんて言葉を返していいのか分からないんだと思う。
「あー、まぁ今日のは多分、その……新しい家族が出来てテンションが高いんだと思う」
「……新しい、家族……」
かなりデリケートな問題であるため、個人的には言葉を選んだつもり。だけど彼女の心にはどう響いたんだろう。短く漏らした言葉にはどんな感情が込められているのか分からなかった。
「…………」
さて、どうしようか。これ以上、彼女に踏み込んでもいいものなのか。俺と彼女はまだ今日出会ったばかり。名義的には兄妹だけど、心の距離は他人のものに近い。なら、踏み込まない方がいいのだろうか。
(……って、この考え方は変だな……)
名義的には兄妹なんだから、心の距離が遠いのはあまりにも寂しい。だから、彼女に少しずつでも近づかなければいけないだろう。まだ一日目だけど、会ったばかりだけれど、俺は一応『兄』なんだから。……こう考えるのが、きっと正しい。
(まず、呼び方の改善だな……)
いつまでも「少女」だの「彼女」だの、そんなよそよそしい呼び方はよくない。
「なぁ、えっと……郷華……でいいかな?」
「…………」
返事はないけど、“郷華”は頷いてくれた。
「じゃあ郷華、な」俺は明るく言うように心がける。「えと、まぁ、何というか色々と不慣れな事もあると思うけど、何か困ったことがあったらとりあえず言ってみてほしい」
「…………(コク)」
小さく頷く。
「まぁ男の俺で力になれる事っていうのも少ないと思うけど、そんな時は母さんがいるから」
「…………(コク)」
「父さんは頼りにならないかもしれないけど、たまに頼りになる人だから」
「…………(コク)」
「うんまぁ……とりあえず言いたい事はそれだけ。郷華は何かあるか?」
「……特には、ない……」
「ん、分かった」
「……うん」
今はまだ、かなりのよそよそしさは拭えない。だけど、急ぎすぎる事もないだろう。
(本当はけっこう強気な性格なんだろうな……)
顔を向き合わせて会話をしてみて、少しツリがちな目尻や、俺が何かを話している時はしっかり俺の顔を見ようとしているところからそんな印象を受けた。
「……今日の晩ご飯、なんだろうな」
なんとなく呟いてみた。郷華から答えはない。
――いつかはそんな他愛のない呟きにも返事をしてくれるといいな。
なんて事を思った。