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その29

 倉庫から最寄りの駅へと歩く道すがら、俺は薫から今回の件についての事を細かく聞いた。その話によれば、そもそも『何でも屋』が映像関係の組織へと相成ったのは、現リーダーの甲斐の職種によるところが大きいらしい。なんでも甲斐は、そこそこ名の知れた舞台俳優らしい。加えて映画マニアでもある事から、いつか自分で映画を作るような会社を立ち上げることが夢だったようだ。そこで御更木が『何でも屋』のリーダーを辞め、甲斐が組織を引き継いだ際に組織の内容を大幅に方向転換。その時に起こった組織内のゴタゴタを最近解決して、映像関係の『何でも屋』を遂に旗揚げする事になったらしい。そして新生した『何でも屋』のプロモーションとして、今回の郷華誘拐劇を行い、それをカメラに収めて編集して発表しようとした……みたいだ。

 そんな事のために俺と郷華はこんな茶番に巻き込まれたのか、と思いはしたものの、実際に郷華は『何でも屋』のメンバーには非常に丁重に扱われていたようだったのでまぁいいかという気持ちになった。

 次に、甲斐が何故に御更木の言葉にあそこまで怯えていたのか……という事だが、元々マナーやエチケットに非常にうるさい御更木は、自由奔放、若干空気読めない甲斐が粗相を起こす度に「更正プログラム」というものを設け、甲斐を「他人様に迷惑をかけないように」と教育していたらしい。そしてそのプログラムの内容というのは、軍隊の調練を想起させるような、聞いているだけで辛くなるほど厳しいものだった。ちなみに、そのプログラムのおかげで甲斐の体力は相当強くなり、舞台なんかでも迫力のある演技が出来るようになったんだとかなんとか。

 そんな事を話しているうちに、俺らは駅へと到着した。そして、各々切符を購入する。この駅から春風駅までは下ること四駅、乗り換えなしの直通で行けるようだった。

(で、料金は三百五十円……か)

 ……郷華と合わせて七百円だけを御更木に請求するのって、どうよ。なんか――すごい勝手な想像だけど、御更木には「たった七百円か。はん、タクシーを使わない辺り、小僧も小心者だな」なんて舐められた事を思われそうだ。

「どうかしたのか、矢城?」

「いや……別に」

 郷華には俺から電車賃を払うとして、御更木に舐められそうだと思った俺は電車料金の事を黙っている事にした。

「郷華、切符買えたか?」

「あ……はい」

「よし、そんじゃま、行きますか」

 郷華がやんごとなく切符を買えた事を確認すると、俺は率先して改札口を抜けた。それに薫と郷華が続いてくる。

 この駅は、上りと下りで一本ずつしかプラットホームのない小さな駅だったが、時間が午後六時ちょっと前という事で、下りのホームはなかなかの混雑さを見せていた。

 俺は下りのプラットホームの、比較的人の少ない場所へと足を運ぶ。郷華と薫それに続く。

「電車が来るまで……もう二、三分ってところか」

 電光掲示板に表示された時刻表とケータイの時計とを見比べて俺は呟く。

「なかなかいいタイミングで駅に着いたな」

「ああ、ナイスタイミングだ。この点だけは御更木とかに感謝しとこう」

「あ、そう言えば矢城。切符代、いくらかかったんだ? ウチのバカに伝えて後日払うから……」

「あー、いや、それはまぁ……秘密だ」

「は?」

「あーうん。後で話す。後で」

 たったの七百円を請求するのは御更木に負けた気がする……とは言えず、俺はそう言って話をはぐらかそうとする。

「訳が分からんが……まぁいい。なら妹さんに聞くまでだ」薫は話の矛先を郷華へ向ける。「という訳で妹さん、電車賃はいくらだった?」

「え、えっと、三百――」

「ああっとぉ! もうすぐ電車が来るってさ! だからその話は後でしよう、な!」

 と、正直に料金の事を言ってしまいそうだった素直な郷華の言葉を遮る。

「……なにをそんな慌てているんだ?」

「……?」

「ま、まぁいいじゃないか。ほら、電車来たし」

 ものすごく怪訝そうな二人をそう押し切って、俺は今しがた到着した電車を指さした。

 電車は「プシュッ」と空気を吐いた後、乗降口の扉を開いて、そこから今度は乗客を吐き出した。

「結構……混んでるな」

 薫の言う通り、いくらかの人が降り、それに少し勝るくらいの人が乗車した電車の中は、ラッシュアワーとまではいかなくともなかなかの混雑具合を見せていた。

「…………」

 と、俺はそこで一つの懸念が頭をよぎる。

(郷華、大丈夫かな……)

 それは郷華の能力と、彼女自身のトラウマの事。

(確か……近くの人の心が読めるとか、そんな感じの事を言ってたよな)

 考えつつ、郷華へと視線を移す。

「うわちゃ~……」

 すると郷華は、これ以上ないくらいに顔を強ばらせて固まっていた。

(やっぱり、こんな準満員電車なんかに乗るのは辛いよな……)

 今からでもタクシーで帰ろうかな……。

「どうした、二人とも?」

 しかし薫はさっさと電車に乗り込んでしまっていて、いつまでも動こうとしない俺たちに声をかけてくる。それを見て、何となくタクシーで帰る提案が出来なくなってしまう。

(あーくそ。ったく、本当に気が回らないなぁ俺……)

 郷華の能力を知っている身でありながら、なにも考えずに電車で帰るという選択をしてしまった自分に腹が立つ。よく考えれば、こんな状況は郷華にとって最悪なものだと気付くはずなのに。

(……仕方ない、奥の手だ)

 自分の至らなさへの叱責は後でするとして、今はこの状況をどうするかだが、一つだけ思いつく手があった。

(あんまりやりたくはないけど……ま、郷華の為だし、そもそもこうなったのはほぼ俺のせいだし)

 俺はため息を吐いて、郷華の肩にポンと手をおく。

『大丈夫だ、頼りないかもだけど、俺がお前を守るから』

 そして日常生活を送る上では絶対に口には出来ないような事を考える。

 一瞬ビクリと震えた郷華は、驚いたような、そして不安そうな顔で俺を見る。俺はそれに――出来てるかは分からないけど――優しく笑い返す。そして左手で郷華の手を掴み、電車へと歩き出す。

「ちょっ……!」

『少しだけ、俺を信じてください』

 郷華は不安そうな声を出したが、俺の『声』を聞いて、少し迷った後に小さく頷いてくれた。

(……ありがと。信じてくれて)

 俺はなんだか優しい気持ちになりながら、電車へと片足を乗せる。そこで、郷華とつないだ手に付けられたプロミスリングを引きちぎった。

 ――途端。

(あ、く……うーぁ……)

 血液が逆流するような、体内を蛇が這いずり回るような、古今東西嫌な音どもがバンドを組んでライブしているような、心臓をきゅっと握られるような嫌な感覚が俺に襲いかかってくる。しかし表情は崩さない。立ち振る舞いもいつも通りに。

 俺の苦しむ『声』が聞こえるせいか、ものすごく心配そうな表情で俺を見ている郷華。彼女が電車に乗ったところで、ドアが閉まる。そして電車は走り出す。

 電車内は隣の人とほとんど体が触れ合うくらいの混み具合。郷華はそのせいで誰かの『声』が聞こえてしまっているのか、固く目をつむったまま身を強ばらせている。

(郷華、色んな意味で……ちょっとだけ我慢しててな)

 俺はそんな郷華の肩に手を回し、自分の方へと軽く抱き寄せる。そして目を瞑り、出来るどうか分からない賭けに挑む。

 ――郷華と仲直りをした日、俺は自身にかかる郷華の能力をシャットアウトした。あれは俺自身の精神の波長的なのを固定して、郷華の干渉を受けても同調させないようにしたものだ。

 そして今から行おうとするのは、それの応用。一度俺と郷華を同調させてから郷華ごと俺の波長的なのを完全固定させ、他の人と同調させないようにすること。

 もともと俺と郷華の使う、胡散臭さが天元を突破しそうな矢城式テレパシーというものは、他人の精神の波長と自身の波長とを合わせて心の『声』を拾ってくるというラジオみたいなもの。そして郷華はまだ、そのチャンネル選択権を得られず、色々なところに勝手に繋がってしまう壊れかけのラジオ状態。

 だから、勝手に周波数を合わせてしまうラジオを、無理矢理一つのチャンネルにだけ合わせるようにする。こんな電車の中で妹を抱き寄せる、なんていうかなり危なげな行動も、出来るだけ郷華の近くにいた方がそれを成功させやすいと思ったからの行動だ。

 そうやって、出来るかは分からないけど、俺は郷華を守ることにしたのだ。

(まぁ、代わりに俺の心は郷華に筒抜けだけど……)

 この『声』も届いているであろう郷華の心の周波数に、俺は自身を同調させる。これは簡単だ。あっちからチャンネルを合わせてくれるんだから。

 問題は……そこから。

 自分自身の波長を固定するくらいは、そんなにしんどくない。しかし二人分……しかも自分じゃない誰かの波長を固定するとなると、どれくらい大変なのかは知らない。そもそも出来るかどうかさえも分からない。

 ……でも。

 俺の腕の中で、かたく目を瞑って震えている郷華。自分の妹がこんなに苦しんでるんだ。ちょっとの無理くらいなんて、

(気合でどうにかしろ……っ!)

 同調した波長を、郷華ごと力任せに固定させる。どこかへ行きそうになる郷華の心を強引に繋ぎとめる。

(う、お……予想以上に……重っ……!)

 途端、まるで一対多数の綱引きをしているかのような負担が頭の中を焦がす。

「あ、れ……?」

 しかし、郷華が何か不思議そうな表情をしながら、強張った体から少し力を抜いたのを見ると、どうやら俺の思惑通りに事が進んでいるらしい。

(あとは……ちゃんと俺が耐えられるか……)

 カーブに差し掛かったのか、不意に揺れた電車に集中が途切れそうになる。でも、踏ん張る。

「……!」

 俺の『声』を感じ取ったのか、郷華が心配そうな表情で俺を仰ぎ見る。

(大丈夫……俺は、もう、全然、本当に、問題ないから……!)

 未だに暴れる波長の手綱を押さえながら、俺は郷華を安心させるためにそんな事を思う。

「っ!」

 すると、何故だか郷華は泣きそうな表情になってしまった。

(なんで、泣きそうなんだ? やっぱ……っ……俺に抱き寄せられてんのが、嫌、とか……?)

 けっこう必死で頑張りつつ考える。すると今度は、泣いているような怒っているような表情になる郷華。

(まぁ、どっちにしても、だ……。も、う少しだけ、我慢しててく、れ……)

 頭の中を焦がす重圧と体に襲いくる電車の慣性を堪えながら、俺は郷華へと語りかける。

「…………」

 郷華は納得していない表情のまま、顔をうつむかせてしまった。……何か気に障るような事でも言ってしまっただろうか。

「っ……く……」

 思考をそんな脇道に逸らしてしまうと、郷華の波長がまたどこかへ繋がろうとしてしまう。俺は慌てて気を引き締めなおす。

 そうしている内に、電車は一つ目の駅に到着する。

(あと……三駅か……)

 まだ道程の四分の一。そうやって先のことを思うと、気が遠くなりそうだった。

「矢城? どうかしたのか、妹さんをそんなに抱き寄せて?」

 少し人が降り、それよりもちょっと多く人が乗ってくる。その人の移動に合わせ、今まで俺と郷華からは少し離れた場所に流れてしまっていた薫が近付いてくる。

「…………」

 俺はどうにか現状を把握してもらえないかと薫の目を見る。

「あー、とりあえず矢城が大変なのは分かった」

 俺の翡翠色に変わってしまった瞳を見て頷き、薫は耳打ちをしてくる

「どうする? 次の駅の乗り換えで人が大分降りるが……私たちも降りるか?」

「い、いや、大丈夫……人が少なく……なれ、ば……」

「分かった」

 そこで扉の閉まる音。降りるなら出来ればこの駅で降りてタクシーで帰りたかった。しかし郷華を抱きとめながら気力を振り絞る俺は動けず、電車は定刻通りに出発する。

(でも……あと一駅……あと一駅で、けっこう楽になれるんだ……)

 電車の発進する慣性に耐えながら、俺は自分にそう言い聞かせて改めて気張る。


 ――また兄さんに迷惑をかけてしまっている。

 それが嫌だった。

 兄さんが辛いのに我慢して、私を安心させようとしている。

 それが頭にきた。

「……っ」

 そんな事を思うのなら、私が兄さんから離れればいい。

 兄さんはきっと、私の為に何かの能力を使って苦しんでいる。だから、兄さんが辛いのは私が原因なのだ。

 なのに、私は兄さんから離れられずにいた。

 ……私は、怖いのだ。

 兄さんに辛い思いをさせたくない、迷惑をかけたくない。そう思いつつも兄さんの負担になってしまっているのは、また他人の『声』が私の中に入り込んできてしまうのを怖がっているからだ。

 そんな自分に憎しみさえ覚える。

 兄さんのことを心配しつつも、結局は自分のことを優先してしまっている自分が、たまらなく憎い。何も出来ずにいる無力な自分が、最低な自分が、嫌で仕方なかった。

『っ……!』

 また兄さんの苦しむ『声』が聞こえてくる。顔にはあまり出していないけど、苦しんでいる心の声は私に筒抜けなのだ。……それなのに、私が心配そうな顔をすれば、無理して気丈に振舞おうとする。

 そんな優しさに甘えきってしまっている自分を引っぱたいて、少しでも兄さんの負担を和らげることをしてあげたかった。

(……でも、どうすれば……)

 そうやって悩んでいる間にも、兄さんは苦しそうな『声』を上げている。

(どうすればいいの……?)

 と、ぐるぐると思考が巡る私の頭に兄さんの手が置かれる。

『俺は、大丈夫だから……まぁ、なん、ていうか……お兄ちゃんの腕の中で安らいで、なさい……』

 次に、どことなくふざけたような『声』が聞こえてくる。またそうやって自分を差し置いて私を優先させるところが少し癪に障ったけど、その言葉が私に一つの事を思い出させてくれた。

(安らぐ……)

 ……おばあちゃんが言っていた、私の能力の制御方法。それは、心を平穏に保つという事。

 兄さんが何らかの方法で私の能力を抑えているというのなら、私自身が能力を少しでも制御できれば、兄さんへの負担は軽くなるハズだ。

(……なら、私に出来るのは、素直になる事……)

 何も出来ない自分を責め立てていては、感情の波はどんどん激しく、不安定になっていくだけだ。そうなれば、兄さんへの負担は大きくなっていくばかりだ。

 だから、私が今、兄さんにしてあげられる事は一つだけ。

 肩の力を抜いて、私は兄さんに身を預ける。そして、そのぬくもりを強く感じる。

(いつもありがと……兄さん)

 まだ出会ってから少ししか経ってないけど、この人は……矢城功司という人は、私を受け入れて、いつも優しく接してくれた。

(私は素直じゃない方だけと……本当はいつも感謝してる)

 多分――というか絶対、電車を降りてしまえば、私はまた天邪鬼な事を言ってしまうだろうけど……何かと気にかけてくれる事は嬉しく思ってる。一人の人間として尊敬している。そして……もう充分に、あなたは「兄」なんだと思っている。

(だから……今だけは、素直に兄さんの優しさに……甘えるわ)

 私はその思いを口にする。

「ありがとう、兄さん」


「――え?」

 郷華が俺に身を預けてきて、それから何かを呟いた途端、俺にかかっていた重圧が急に軽くなった。

(な、なんでいきなり……)

 例えるならそれは、一対多数だった綱引きが一対少数になった……という感じの微妙な変化だったが、それでも先ほどと比べれば、随分と楽になった。

 ふと郷華が顔を上げる。その表情は、今までに見たことがない、穏やかで素直な表情だった。

(…………)

 兄として本当にどうかと思うが、俺はその表情に少し見惚れてしまった。

「矢城、もう少しで次の駅に着くぞ」

 と、薫からの言葉で俺は我に返る。そして再度気を引き締める。

(少し楽になったからとは言え、それでもまだ油断するところじゃないよな……)

 そう思ったところで、電車が速度を落とした慣性が体に働いた。


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