その24
時は夕暮れ。太陽は西に傾く度に、光に赤色の度合いを増していき、東の空には闇が降りる。もう太陽も地平線の彼方へと突っ込みかけた今となっては、俺と東と郷華が歩く街の景色を濃いオレンジ色に染めあげてしまっていた。
「へぇ~。じゃあ郷華ちゃんも恋愛物を読むんだ~」
「ええ」
……ゲームセンターで郷華と出会い、みんなと合流してから色々なところを巡った。郷華と出会った直後からの龍鵺のアピールなどなどを退けつつ、スコアが抜けなかったらしく俄然と一位に返り咲く事に燃えている桐垣、トイレで出会ってたらしい薫、小説の好みが似てるような気がする天笠といった面々と自己紹介なんかをしつつ。
郷華は最初こそは戸惑っていたものの、ファーストフードのチェーン店や洋服屋で女性陣とはある程度打ち解けられたようだ。
男性陣はというと、龍鵺は郷華の半径三メートル以内には近寄らせないようにしていたし、桐垣は桐垣で自前の黒いメモ帳(確か色んなガンシューティングの情報が書き込まれている)にブツブツ言いながら何かを書き込む事にほとんど専念していた。
そうしてブラブラとしているうちに、いつの間にかに太陽も傾き、時計の短針ももうすぐ文字盤を半周しようかという時間になっていた。
そこで今日はお開きとなり、各々が家路を辿る事になり、俺と郷華は当然の事、近所というレベルじゃないほどに家が近い東も入れた三人で帰り道を歩く事になったのだ。
「やっぱり王道系のお話が多いね」
「まぁ、小説自体をあんまり読むって訳じゃないですからね」
で、みんなに別れを告げてからというもの、東と郷華は俺をそっちのけで会話に華を咲かせていた。別に寂しい訳じゃないが、ちょっとした疎外感がある。
(まぁでも、郷華がみんなと仲良くなるのは全然悪い事じゃないしな)
そう思い、俺はボーっと夕焼けに染まる景色を眺めていた。うん、やっぱり夕暮れ時の景色は四割増くらいにいいものに見えるな。
「あ、そういえば」
「あん?」
と、家屋の密集する住宅街を間もなく抜けようかというところで、東から声をかけられた。
「功司君、ゲームセンターでぬいぐるみ取ってたよね」
「ん、ああ、まぁ。……それがどうかしたか?」
「いや、いつもなら恥ずかしがって取ろうとしないから、ちょっと珍しいなって思って」
「……たまにはそういう気分にもなるんです」
郷華にあげる為にぬいぐるみを取ってました……なんて口が裂けても言えないので、適当にあしらっておく。
(つか、ぬいぐるみを取れたのはいいけど……どうやって郷華に渡そうか)
入手する事ばかりに考えがいってしまっていたけど、よくよく考えてみれば郷華に渡すのが最難関だと思える。まだゲームセンターで郷華と会っていなければ「たまたま取れたんだけど、いる?」みたいな流れに持っていけたけど、ぬいぐるみを取る一部始終を見られていたらしいとなると、そんな言葉は使えないし……。
「それにしても、功司君ってそういう感じのぬいぐるみ好きだよね」
「そういう感じ?」
「そのペンギンみたいなぬいぐるみ」
そう言って、東は俺が右手に持っている『らすと・えんぺらー君』の入った景品袋を指さす。
「ああ……」
こいつの事か。こいつに関してはもう好きとか可愛いとかを超越して、愛しい。
「いや、だってこいつは問答無用で可愛いだろ?」
「……う~ん」
そこで首を捻る東の感性が信じられなかった。
「いやいや、普通に可愛いだろ。ほら、ちょっと見てみ、この瞳とか」
そう言って俺は景品袋から『らすと・えんぺらー君』を取り出し、東に突きつける。
「……うう~ん?」
「な、なんだその反応……。このすべてを包み込むような諦観の虚脱さを表した瞳に惹かれないというのか、お前は。そしてこの瞳の背景にある悲しくも切ない歴史を想像できないのか」
「やー、私はやっぱりこっちの猫のぬいぐるみの方が好きだし……」
東は手に提げている景品袋からぬいぐるみを取り出し、そう言う。
「く……見た目だけで繕ったぬいぐるみなぞに、こいつの全てが負けるはずは……」
「じゃあ、郷華ちゃんはどっちがいいと思う?」
「え、私?」
そこで話を振られた郷華はきょとんとした表情をする。
「そ。郷華ちゃんは、どっちのぬいぐるみが可愛いと思う?」
「えーと、私は……」
郷華は俺に抱えられた『らすと・えんぺらー君』と東に抱かれた猫のぬいぐるみを交互に見比べる。
「ささ、忌憚ない意見を言っちゃなよ」
「……まぁ、どっちも可愛いと思いますけど……強いて選ぶなら、こっちのペンギンですかね」
笑顔の東に急かされた郷華は『らすと・えんぺらー君』を選んだ。
「ふふ……勝った!」
その郷華の選択にガッツポーズをする俺。やったな『らすと・えんぺらー君』、君は勝ったんだ!
「東さんのも可愛いんですけど、ちょっと押しが足りないかなって思います」
「え~、そうかなぁ……」
郷華のフォローにやや不満げな東。
「ふふふん、諦めるんだな、東。既に勝敗は決した。歴史はペンギンを勝者に選んだのだ」
そう、神は言っている、『らすと・えんぺらー君』はここで滅びる運命ではないと。ペンギン界のすべてを救えと……!
「う~ん、絶対こっちの方が可愛いと思うのになぁ……。功司君と郷華ちゃんって、意外とこういうセンスが近いのかもね」
「や、それはないです」
と、東の言葉を即答で否定する郷華。勝利の栄光に浸る心境から一転、お兄ちゃん傷ついちゃうぞこの野郎。
(いや、ここはその言葉を逆手に取ってみよう)
即答否定をした郷華に対し、ちょっとしたイタズラ心が生まれる。うまく引っかかってくれるかは分からないけど、言うだけ言ってみようか。
「あーあ、なんだ。郷華が俺に近いセンスを持ってるっていうなら、このぬいぐるみをプレゼントしたら喜ぶかなって思ってたけど……いらないみたいだなぁ」
「なっ――」
俺のわざとらしい言葉に郷華は少し焦ったような反応を示す。
「でも俺とは違うなら逆に迷惑だよな、このぬいぐるみをあげたって」
その反応に手応えを感じた俺は、調子に乗ってさらに言葉を続けた。
「い、いや、そ、それとこれとは話が違うと……」
「それとこれって?」
「だ、だから、センスがどうこうって話とぬいぐるみの話は……」
尻すぼみに言葉が小さくなっていく郷華。おおう、まさかここまでいい反応を見せてくれるなんて。
「あー? なに? 聞こえなーい」
そんな郷華の様子に、普段は隠れているもう一人の俺的なものが少しだけ本性を剥きだす。
「……うー……」
郷華は意地の悪い言葉に対して可愛い唸り声をあげる。ていうかそこまで欲しいのか、『らすと・えんぺらー君』が。
「だ、だから、」郷華はキッと迫力ない表情で俺を見据える。「あ、あなたがどうしてもっていうなら、そのぬいぐるみ、貰ってあげても構わないんですっ!」
「……ぷっ」
そして若干顔の赤い郷華から吐き出されたやけに上から目線な言葉。そのチグハグでおかしな言動に思わず吹き出す俺。
「わ、笑うな!」
「い、いや、無理……くくく……」
顔を真っ赤にして俺に抗議する郷華。その姿もなんだかツボに入った。
「くく……ぷっ、ははははは!」
そして堪えきれずに声を上げて笑い出す俺。緋に染まった閑静な住宅街に俺の笑い声がこだまする。近所の人はこの笑い声をなんて思うだろうか。
「笑うなって言ってるでしょ!!」
「す、すまんすまん……でも……くく」
「あーもう! あなたなんて知らない!!」
そう言って勢いよくそっぽを向く郷華。それにつられ、長い黒髪が茜の光を受けながら綺麗に翻る。
「ああ、いや、悪かったって……」笑いをどうにか堪えながら、俺は郷華に対して『らすと・えんぺらー君』を景品袋へ入れて差し出す。「ほら、やるよ」
「え……」
俺の行動が意外だったのか、郷華は差し出された景品袋を見て目を丸くする。
「いらないか?」
「え、いや……」郷華は俺を訝しむような表情をする。「……どうせ、また私をからかうんでしょ?」
「大丈夫大丈夫、そんなつもりは全くないから」
俺はそう言って、ちょっと強引に『らすと・えんぺらー君』の入った景品袋を郷華に押しつけた。
「ついでにこっちも」
景品袋を渡されて少し戸惑ったような郷華へ、さらにスズメニワトリ(今そう名付けた)を入れた方の景品袋を渡す。
「…………」
郷華は不思議そうな表情をしながら、大人しくスズメニワトリも受け取る。
「うむ。素直でいい子じゃ」
俺はその様子を見て満足げに頷いた。しかし郷華は俺の言葉が何か癪だったのか、途端に不機嫌そうな表情になる。
「……何か、企んでるんですか」
「いやいやそんな訳ないって。今日の俺は紳士的なんだよ」
「…………」
まだ何か言いたげな表情をしていたが、郷華は不承不承といった感じに、俺が渡した景品袋×2を胸に抱いた。
「……がと」
「ん? どうかしたか、郷華?」
「別に……なんでも」
ふいっとそっぽを向く郷華。お礼でも言われたような気がしたが、俺の都合のいい勘違いだったかな。
(ま、いっか)
郷華の面白い一面も見えた事だし。『らすと・えんぺらー君』も、正直に言ってしまえばかなり惜しかったけど……それはまた取りに行けばいいだけの話な訳だ。
――しかし後日、改めてゲームセンターに向かった俺は突きつけられた現実に愕然と絶望する事になる。すなわち、『らすと・えんぺらー君』がUFOキャッチャーのラインアップから消失しているという事実に、涙を飲む事になるのだった……。運命は残酷だ。
「……で、先ほどから何か言いたげですね、東さん?」
それはそれとして別の話で、現在進行形で気になる事をまずは解決する事にする。
「ん~? 別にぃ~?」
俺の言葉と視線を受け、絵に描いたような2828円の笑顔を浮かべる東。
「明らかに『別に』って顔じゃないだろ」
「うん、そうだね~」
「……何が言いたい……」
催促の言葉に東は何故だか慈愛の中にイタズラな心を散らかしたような表情をする。
「や~、功司君ってやっぱりツンデレだなぁ~って思ってねぇ」
「べ、別に今日ゲーセンでぬいぐるみを取ったのは、郷華にプレゼントする為じゃないからな、勘違いするなよっ」
誰がツンデレだ、なんて否定するのはテンプレートになってきた気がするので、あえてツンデレってみる。いや、別に本心とかマジになって言ってる訳じゃないぞ?
「うんうん、そうだね、功司君は優しいね」
「…………」
そしたら何故か子供をあやすように、背伸びをした東に頭を撫でられながら言われた。非常に遺憾である。
「えぇい離せ」頭を振って身を引いて、東の手から逃れる。「まったく……なんで幼馴染に子供扱いされなきゃならないんだ」
「だって功司君、可愛いんだもん」
「知るか」
俺は憮然とそう言って、東からそっぽを向く。
「……ふ」
そしたら何かやけにじっとりした笑みで口元を緩めた妹の顔がアングルに入った。
「お前も何が言いたい……?」
「いいえ、別に?」
そう言ってこちらも2828メキシコ・ヌエボ・ペソくらいの笑顔を表情にのせる。果てしなく遺憾である。
「郷華、そんな表情をするのなら、そのぬいぐるみ達を俺に帰して貰うぞ?」
「いえ、この子達はもう私の物ですから」
先ほどまでのテンパり具合とかその他諸々とは打って変わり、しれっとしている郷華。あれ、なんだろう。兄の威厳的なものが瓦解したような気がする。ていうか俺、なめられてない? 気のせい?
「大丈夫だよ~功司君は親しまれてるよ~」
と、後ろからまたも東に頭を撫でられる。
「だから子供扱いすんなっつの」
「じゃあ大人な扱い……する?」
正面に向き直った俺に対し、やや潤んだ瞳に上目遣いの合わせ技を用いつつちょこっと首を右に傾げて意地悪そうかつ少し照れたような表情を浮かべて健全思春期男子の官能的な想像を掻き立てる事をのたまる幼馴染の女の子。
「……どうでもいいけど、幼遊びってちょっと生の本能に呼びかけるような響きをしてないか?」
対する矢城功司はかなりどうでもいい事を発言する事でこの空気を壊そうと試みる。
「うわぁ……」
そしたら血の繋がってない綺麗系美少女の妹に心底引かれたような声を上げられた。
「そんな発想にたどり着くなんて、心が汚れてますね」
「…………」
追い打ちが綺麗に入る。お兄ちゃんは妹にセメられていっちゃいそうだ。心がどこか遠くへ。
「ふふ、大人な扱いって何を想像したのかな、功司君」
幼馴染の女の子の無邪気を装った悪魔の質問。
「あなたの事だから、きっと変態な事を考えたんでしょうね」
血の繋がらない妹のまっすぐな責めの言葉。
「……どうすればいいんだよ、この状況」
健全系青少年の俺はこの状況を打破できる考えが浮かばなかった。
完成してしまった妙なパワーバランスに嘆きつつ、その方程式に基づいて家にたどり着くまで散々な事を言われる俺だったとさ。