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その22

 部屋から廊下へと繋がるドアのノブに、中途半端に手を伸ばした状態で私は考える。

(……どうしようか)

 とりあえず、昨日の事を思い出す。

 前半の私の暴走に関しては危ないくらいに恥ずかしかったからスルーするとして、後半の兄さんと家路を辿った時の事を回想してみる。

(名前にさん付けだと嫌がる……というか、駄々をこねる……)

 そんな事を兄さんに言われたから、とりあえず暫定的にだけど、「父さん」「母さん」とあの二人を呼ぶことに決めた。決めたのだけど。

「どのタイミングで呼べばいいんだろ……」

 いや、呼ぶタイミングは分かっているのだ。何かしらの用件がある時に、さりげなくそう呼べばいいのだ。

 そしてその用件というのも、一応ある。

 昨日兄さんとこの家に帰り着いた後、母さんには色々と問い詰められた。その際に兄さんが、

「いや、これはほら、ちょっと遠大な散歩をしてたんだ。郷華がこの街に慣れる為にさ。で、ちょーっとばかし郷華とはぐれちゃって、迷子になったのを俺が探してたんだよ」

 なんて事を言って、私が飛び出していった理由をはぐらかしていた。母さんがそれを信じたのか分からないけど、一応納得はしてくれたようだ。

 そして今、昨日兄さんが使った言い訳の通り、私は少し散歩に出かけようかと思っていた。この街や人混みなんかに慣れる為に。

 という事で、家を出る前には母さんに一声かけようと思っている訳であり、つまりはその時に「母さん」と普通に声をかければ良い訳なのだけれど。

(いざとなると緊張するというか、なんというか……)

 兄さんの口振りからするに、私があの人の事を「母さん」と呼んでも嫌がられる事はないんだと思う。私自身も既に、元の家がどうとかそういう事には――全く気にしていないわけではないけれど――頑迷に拘り続ける気はない。

 だから「母さん」と呼んではいけない理由は何一つとしてない。不安要素だってない。だけど、どうにも呼べない。

 まぁ要すれば、あと一歩を踏み出す勇気がないのだ。

「意外と意気地なしだったんだな、私って……」

 自分の意外な一面に気付き、何とも言えない心持ちになる。……まぁ、昨日までのものと比べれば、そんな気持ちも全然悪くはないように思えるのだけど。

 ――コンコン、と。

 そんな本題から遠ざかるような事を考えている私から手を差し伸べられているドアが、丁寧なノックの音を奏でる。

「郷華ちゃん? ちょっといーい?」

 それに続き、母さんののんびりとした声が聞こえてくる。

「え、あ、えっと……はい」

 少しくぐもったドア越しからの声に、私はしどろもどろになりながら言葉を返した。

「じゃあ、ちょっとお邪魔しま~す」私の言葉を聞いて、母さんは部屋の扉を開く。「あれ、どうしたの? そんなところで固まって」

「あ、や、これは……」

 そして私の中途半端なポーズを見て、首を傾げる。

「……握手?」

「いやそういうものじゃなくて……」

 私は慌てて伸ばしていた手を引っ込める。そして勢い余った感じに直立してしまう。

「え、えと、なにか用ですか?」

「あ、うん。ちょっとね、これからお菓子を作ろうと思ってるんだけど、郷華ちゃんは何か食べたいお菓子ってある?」

「お菓子……」

 母さんからの言葉を聞いて、私は何と返すべきかを考える。

(こういう時に相手を気遣って「なんでもいい」って言うのは、逆に失礼なような気がするから……)

 多分、正直に自分の食べたいお菓子を言うべきなんだろう。でもこれから作るって言ってるし、あんまり手のかかる物は頼む訳にはいかないし……というかそもそも、私はあんまり料理とかをした事がないから、どんな物がどれくらい手間をかけて作られるのかが判然としないし。

「……じゃあ、クッキーで……」

 そしてさんざん悩んだ挙げ句、クッキーという無難中の無難な選択に行き着く。

「うん、分かった。味の方はどんなのがいい? ビター系? それともホワイトな感じ?」

「ホワイトで」

 これは即答だった。でも、うん、仕方ない。ホワイトなチョコ系は譲れないし。

「りょ~か~い。それじゃあちょっと作ってくるね」

 母さんはそう言って踵を返して部屋を出ていこうとする。

「あ、ちょっと!」

 その背中に向けて、私は咄嗟に声をかける。

「うん? どしたの?」

 母さんは立ち止まり、再度私の方へ顔を向ける。

「えと……」

 私は心の中で呟く。母さんって呼ぶ、目の前の人を母さんって呼ぶんだ……

「か、」

「か?」

「か……」

 なんて事ないはずだ。さっき考えた通り、この人を母さんと呼ぶ事に支障も差し支えもない。だから呼べばいい。気楽に、落ち着いて、ゆっくりと、焦らずに……

「かっ――」一度つっかえてしまい、私は少し大きめに息を吸って、そして、「か、帰ってくるのが遅くなるかもしれません!」

 ……全く関係のない事を言った。

「帰ってくるのって、郷華ちゃん、どこか行くの?」

「あ、え、は、はい。ちょっと、この街に慣れる為の散歩に……」

「そうだったの。じゃあ、クッキーは作ったらとっておくね」と、母さんはそこ不安の色を表情に滲ませる。「でも……大丈夫? 昨日みたいに迷子になったりしない?」

「だ、大丈夫です。今日はきっと、そんなに遠くには行かないと思いますし……。それに迷っても、あの人にケータイの番号を教えてますから」

「うーん、それなら大丈夫かな」

「え、ええ、きっと大丈夫……です、はい……」

「それじゃあ、気を付けて行ってらっしゃい」

「はい……」

 そして私は母さんの横を力無い足取りで通りすぎて廊下に出る。母さんは私の後に続いてきているようだ。

 母さんを背後に、階段を降りて玄関へ。そこで自分の靴を履く。

「本当に気を付けてね?」

「はい……行ってきます……」

 その言葉を背に、私は玄関の扉を開けて、憎たらしい青空が広がる外に出る。そして昨日ガムシャラに走り抜けた道の方へ少し歩いたところで立ち止まり、空に向けてため息を吐いた。

「……言えなかった」

 次いで、俯く。

「……私の意気地なし」

 終わりに自嘲の暗い笑みが顔に浮かぶ。

「なんで素直に言えないかな……」

 歩みを再開させながら、その事を考えてみる。しかし、答えは出そうにもなかった。

「はぁ……」

 もう一度、ため息が漏れる。自分の意気地のなさとかがちょっと嫌になって。

(……でも、)

 昨日までとは違う、こういう幸せなため息なら、いくらしても構わない気がする。

「まぁ、時間はいっぱいあるんだし、そんなに焦らなくてもいつかは……」

 憎たらしい青空もたまにはいいかな、なんて思いながら、私は見慣れぬ道を歩き続ける。


「あれ?」

 しばらく気の向くままに歩いていた私は、繁華街へと行き着いた。人が多いところはまだ少し怖かったけど、少しの勇気を出してそこを見て回っていた私は、雑踏の中に見慣れた顔を見つけた。

「……兄さん」

 学校の制服に身を包み、六人連れで歩いている兄さん。その輪の中には東さんの姿もあった。

「…………」

 よくよく辺りを見回してみると、兄さんや東さんと同じ制服を着た人たちの姿がチラホラと見受けられた。という事は、ちょうど兄さんの通う学校――名前はなんというか知らない――が放課後になり、その帰り際に友達と寄り道をしている最中、という事だろう。

「……ふむ」

 と、そこで私の心の中にちょっとした悪戯な気持ちが芽生える。

(少し、後をつけていってみようかな……)

 別に兄さんがどんな事をするのかとか、そういう事が気になる訳じゃないけれど、目的もなく散歩をするだけじゃ少しつまらないし。

(という訳で、状況開始)

 心の中で割りと乗り気に呟いて、さりげなく兄さんたちの後方十メートルくらいの位置に移動する。そして距離を離されないように、近付きすぎないように速度を調整しながら歩く。ついでに、万が一にでも兄さんや東さんがこちらへ振り返っても大丈夫なように、隠れられるような場所の目星もつけておく。

「どこ行くんだろ……」

 小さく呟きながら、慎重に足を進める。なんていうか、こういう出歯亀みたいな行動って、ちょっと楽しい。

 自分の行動を冷静に鑑みてみれば、ただのストーカーさんにしか見えないような気がしたけど、そこはそれ。例えをいささか間違えている気しかしないけど、女の子はみんな噂好きなのだ。

「……で、なんで珍しくお兄さんの方からゲーセンに行きたいなんて言い出したんだ?」

「だからそのお兄さんっていうのをやめろって言ってるだろ」

 兄さんたちから距離もあまり離れていないため、話し声が私の耳にも届いてくる。

「ふふふ……俺は諦めんぞ、功司。いつかお前の事をお兄ちゃんと呼んでやるぜ……」

「それ、なんか誤解されそうな上に気色悪いからやめてくれないか?」

「まぁ、氷室がアレなのは昔からだろ」

「まぁな」

「それで、矢城よ。俺もお前からゲーセン行きたいなんて言葉を聞くなんて思わなかった訳だが……どういう風の吹き回しだ?」

「や、ほら、人生って色々あるじゃない?」

「答えになってないぞ」

「あー……まぁ、気にしないでくれ」

「ふっ、功司。俺は分かっているぞ」

「……何を?」

「お前、真のシスコンだな……」

「なっ!? そ、そんな訳がな――」

「いーや何も言うな功司! 大丈夫だ、みんな分かってるさ! あれだよな、仕方ないよな! 妹をアイドルに育て上げるなんてシスコンロリコンホイホイなゲームを作る会社が悪いよな!」

「……は?」

「とぼけなくたっていいだろ、同志よ! お前もアイドルシスターをやりに行きたいんだろ?」

「や、全然違うんだが」

 兄さんは男の人二人とそんな話をしていた。その話を聞く限り、これから兄さんたちはゲームセンターに向かうようだ。

「功司君って、あんまりゲームセンターとか行かないの?」

「行かないって訳じゃないけど、矢城君から誘う事ってなかったのよ」

「へぇ~」

「なぁ、話の腰を折るようで悪いんだが……」

「どしたの、薫ちゃん?」

「いやな、時代錯誤な感じが否めないんだが……私、ゲームセンターとか行った事がないんだ」

「え? 本当に?」

「ああ、噂には聞いた事があるが、足を運んだ事がない。だからどんな事をするのかが全く分からないんだが」

「そんな大層な事はやらないわよ。大体女の子はプリクラ撮ったり、UFOキャッチャーやったりとか、そういう感じ」

「なるほど……」

「あれ? って事は、薫ちゃんはプリクラ撮った事、ない?」

「まぁ、そうなるな」

「それはいけないわ」

「うん、このままじゃダメだね」

「え、何がだ?」

「薫ちゃん、プリクラっていうのはね、女の子の必需品なんだよ?」

「そ、そうなのか?」

「ええ。プリクラは現代を生きる女の子に欠かせない、いわばステータスの域に達する物なのよ」

「そ、そうなのか……」

 東さんは東さんで、女の人二人とそんな会話を交わしていた。

(そういえば、私もゲームセンターとかって久しぶりだな……)

 兄さんたちの会話をなんとなく耳に入れつつ、私はそんな事を考える。

 多少異質であれど、私も現代を生きる女の子のつもりだ。だから、ゲームセンターに行って、友達とプリクラを撮る事なんかだって幾度となく経験してきた。

 でも私の中にあの能力が芽生えてからは、そういう事とは全く無縁の生活を送っていた。なにか楽しい事をして遊ぶ、なんて余裕はなかった。

 しかし、それも昨日のあの一件で多少は楽になった。なんか癪だというか、腑に落ちないというかだけど、一応兄さんのおかげで。

 だから、好奇心や面白そうだからという理由でこんな子供みたいな行動を純粋に楽しむのは、すごい久しぶりだと思う。

(……でも、もう前の学校の友達とは、こういうなんでもない遊びが出来ないのかな……)

 と、頭を振り、私はその後ろ向きな考えを追い出そうとする。

(いつまでも暗い事を考えてちゃダメ……)

 前の学校の友達とも、またくだらない話をしたり何でもない事で笑い合えたりするかもしれない。いや、私の気持ちが整理できれば、きっとすぐにでも些細な事で笑い合えるようになれる。今は遠くにいるから会えないけど、メールとか電話で気軽に連絡が取れるようになるはずだ。

 ようやく気持ちの切り替えが出来そうなんだ。もっと前向きでいないと。

(そう、だから楽しい事を考えよう)

 一つ息を吸って、ゆっくり吐く。

 ……よし。きっともう大丈夫。

 私がそんな気持ちになった頃、男性陣と女性陣で会話に華を咲かせていた兄さんたちが、目的地らしいゲームセンターへと入っていくのが見えた。

 私はそれに続き、ゲームセンターの入り口に近付いていった。


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