表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

列車が来る前に

雨が止む気配はなかった。

季節の境目に降るこの長い雨は、街の色を淡く溶かし、時間の感覚さえ曖昧にしてしまう。

春人はそんな曖昧さの中で、ひとつの確かな思いだけを胸に抱えていた――今日こそ、彼女の名前を聞く。

空は厚い雲に覆われていた。まるで昨日の雨がまだ終わっていないかのように。

春人は駅の入口で立ち止まり、祖母に借りた傘についた雫を軽く払った。

今日は友人と新宿で会う予定だったが、いつもより少し早く着いた。――いや、もしかしたら彼女に会いたかったのかもしれない。


ホームの空気は、湿った金属の匂いと、自販機から漂う淹れたてのコーヒーの香りが混ざっていた。新宿行きの電車はあと三分で来る。


そのとき、彼女を見つけた。

黄金色の髪の少女が、黄色い線のそばに立ち、電子掲示板を見上げている。今日は本を抱えていなかった。


春人は深く息を吸い込んだ。

――今日は…今日は聞こう。


「なあ…」と彼は近づきながら口を開いた。「昨日は言う暇がなくて…」


彼女は興味深そうにこちらを見つめ、言葉の続きを待っているようだった。

しかし、その瞬間、構内スピーカーから金属的な声が響いた。


> 「秋葉原行きの電車がまもなく二番線に到着します。黄色い線までお下がりください。」




彼女は小さく微笑み、春人の方を向いた。

「雨の土曜日って、あんまり好きじゃないんでしょ?」と、何気ない調子で言う。


春人は瞬きをした。

「どうして…それを?」


彼女は肩をすくめる。

「なんとなく、そう思っただけ。」


乗客の一団が二人の間を通り過ぎ、軽く肩が触れた。

春人は会話を戻そうとする。

「そうだ、俺は春人。君は…?」


電車が轟音を立てて止まり、ドアが開いた。

彼女は一歩下がり、鞄を握りしめる。


望美のぞみ。私の名前は望美。」


それだけ告げて、彼女は電車に乗り込んだ。


春人はホームに立ち尽くし、閉まっていくドアと、遠ざかっていく車両を見送った。

――そして、その名が一日中、頭の中で響き続けた。

列車の音はすぐに遠ざかり、ホームには雨音だけが残った。

望美――その名は、春人の耳に静かに、けれど確かに残響を刻む。

たった数秒のやりとりが、一日のすべてを染めてしまうことがある。

そして彼はまだ知らない。

その名前が、この先の物語を大きく動かすことになることを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ