【創作落語】水攻め怪談
※公式企画『夏のホラー2025』参加作品です。
えー、本日は現代の怪談に一席お付き合いを願いたく存じます。
最近は、サラリーマンの方が出張に行くとなると、泊るところを探すのにたいへん苦労されるそうですな。
『インバウンド』とか言うんですか? 外国人観光客が増えすぎて、ホテル代の相場がどんどん値上がりして、もうとんでもないことになっている。
まあ、どの会社でもたいがい『一泊いくらまで』という上限付きで宿泊費は出してくれるんですが、それが実際の値上がりに追いついていない。
となると、差額を自腹で払うか、ずーっと辺鄙なところの宿を探すしかないわけでして──。
「やれやれ、やっと着いたよ。うわ、ひどくボロいホテルだなぁ」
そうボヤいてるのは、ある若いサラリーマン。まあ、『山田君』とでもしておきましょうか。
この地方の中核都市に出張でやってきたんですが、駅前のホテルが値上がりしすぎて、そこからだいぶ離れたこのホテルしか予約できなかったんですな。見るからに年季の入った建物で、いかにも『場末』という風情が漂っております。
「まあ、あの値段で泊まれるだけで良しとしておくか。──すみませーん」
「いらっしゃいませ、ご予約はいただいておりますか?」
フロントで宿泊手続きをしながら、山田君、ふと訊いてみます。
「あの、ネットで見たんですけど、このホテルってサウナ付きの大浴場があるんですよね?」
「はい、ございます。夜中の3時から5時までは清掃で入れませんが」
「いやー、ありがたい。この炎天下の中、一日中外回りでしたからね。すっかり汗だくですよ」
「それはお疲れ様です。
ただ、ウチのサウナには水風呂がないので、シャワーだけになってしまうのですが、かまいませんか?」
「え、そうなんですか? ──まあ、それでもいいか。
今日と明日の2泊、よろしく頼みますね」
そう言って山田君、部屋に上がって一息ついてから、さっそく汗を流しに大浴場へと向かいます。
「(少し歩く仕草と引き戸を開ける仕草)おっ、まだ誰もいない。貸し切りだなこりゃ」
服を脱いで浴室に入りますと、入ってすぐのところにサウナルームの入口がございます。そしてその横には空っぽの浴槽があって、水道の蛇口に『使用禁止』の札がかけられております。
「あれ、水風呂もあるじゃん。使用禁止ってことは故障してるのかな?」
まあ、そこはあまり深く考えずに、まずはぬるめのシャワーで全身の汗を流します。それからサウナに入る前のマナーとして、全身をひととおり洗い流しまして、さっぱりしたところで、いよいよサウナルームの扉を開けます。
ぶわっとあふれ出してくる熱気を逃がさないように急いで中に入りますと、意外にもそこには一人の老人が座っておりました。
『あれ? 脱衣所に服は見当たらなかったけど、見落としたのかな?』
少し距離を置いて腰をおろすと、そのご老人がふいに話しかけてきました。
「お兄ちゃん、何で水風呂が使えないのか、不思議に思ってるんだろ?」
「え? ああ、まあ」
「ここのオーナーは知らずに作っちまったようだがな、実はこの辺りでは昔から、水風呂に入るのは禁忌とされてるんだよ」
「水風呂がダメ? そんな話、どこでも聞いたことないですけど」
「この辺りには昔、小さな城があってな。あの秀吉との戦いで水攻めにされて、多くの人が恨みを抱えながら亡くなった。
それ以来、この辺りでは水風呂に入ろうとするとな、──出るんだよ。
亡者たちが、その人をあの世へ道連れにしようとするのさ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
まあ、そこまで規模の大きな戦じゃなかったから、兄ちゃんが知らないのも無理はねぇさ。
それでも、サムライだけじゃなく、多くの民百姓も死んだことは事実だ。
この辺りは昔は沼だらけでな、城の規模は小さいが天然の堀に守られてるようなもんで、なかなか落としにくいところだった。
そこで秀吉は、水攻めすることにしたのさ。
秀吉のあくどいところは、まず周囲の村から焼き討ちして回るとこだ。そうすると、民百姓はおのずとお城に逃げ込むよな。
そうやって、城の中の人数が膨れ上がったところで、近くの川の堤を壊して、城を水浸しにするんだよ。
え? ──わかってねぇなぁ、兄ちゃん。
『水攻め』ってぇのは、そんな生易しいものじゃねぇんだぜ?
『城』とは言っても、大きな屋敷に毛が生えたようなもんで、あとは戦用に櫓が2・3あるようなもんでな。
そんなところに何百・何千って人が押し寄せてるんだ。そこに、腰まで浸かるほどの水が押し寄せてくる。さあ、どうなる?
──そう、屋根や櫓によじ登るよな? でも、その広さにも限りがある。
そうなると、ほとんどの者は半分水に浸かったまま、柱か何かにしがみついて、いつ終わるかもわからない責め苦にじっと耐えるしかねぇのさ。
それでな、そういう時に何が一番辛いかわかるかい? ──『渇き』だよ。
呑めるような水は偉い人達ぐらいにしか回ってこない。お前ら下々の者は、その辺の水でも呑んでおけ、ってなもんだ。
しかし、考えてもみな? ろくに身動きも取れねぇから、糞尿も水の中に垂れ流し。おまけに、あちこちに力尽きた者たちの骸がぷかぷか浮かんでる。そんな水を口にしようものなら、すぐにお陀仏だ。
周りに溢れるほど水があるのに口に出来ない。これがどれほど疲れ切った神経を逆撫でするか、わかるかい?
『何で自分たちがこんな目に?』
『誰のせいでこうなったんだ?』
そんな風に恨めしく思っているうちに、やがて皆ひとつのことしか考えられなくなっていくのさ。
──『おのれ秀吉、末代まで祟ってやる』とな。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
まるでその場を見てきたかのように生々しく語る老人に、山田君、だんだん薄気味が悪くなってきます。
おまけに、ふと気づくと、サウナルームの温度が上がっていて、もう危険なくらいになっています。
「ちょ、ちょっとすみません、一度出ますね」
このままじゃ命にかかわると思って外に出ようとするんですが、ドアのノブをガチャガチャしても全く開いてくれません。
「え、何でだよ!? 開けよおい!」
「──無駄だよ」
老人が不気味な笑みを浮かべます。
「強い恨みを抱えた者は成仏も出来ず、この世とあの世のはざまで、ずーっとあの責め苦を受け続けている。だから、気持ちよさそうに水風呂に入る人間が恨めしくて、道連れに引きずりこもうとするのさ。
ところが最近は噂が広まって、水風呂に入る人間がいなくなってしまってな。道連れがいなくて寂しかったんだよ。
でも最近、他にも恨めしい連中が現れてなぁ」
老人がゆらりと立ち上がって、ゆっくり近づいてきます。
「屋根や櫓に登ったら登ったで、そこもまた『暑さ』で地獄の苦しみでな。狭い場所にひとりでも多くいようと、立ったまま人がぎゅうぎゅうにひしめき合っていて、座ることも横になることもできないんだぜ?」
みるみるうちに老人の顔から生気が消え失せ、まさに死人の形相に変わっていきます。
たじろいだ山田君、思わず後ずさりしますが、ドアが邪魔でそれ以上さがれない。すると老人は、顔をくっつけんばかりに近づけてきます。
「お天道様をさえぎるようなものもないし、中の方には風もろくに通らない。暑さで気を失っても倒れることすらできない。
なあ、想像できるかい? このくらいの近さで顔を突き合わせてたやつが目の前で立ったまま死んでも、顔を背けることもできないんだぜ?
横たえてやることも、まぶたを閉じてやることすら出来ねぇんだ。
──俺たちは今でもあの苦しみの中にいる。なのに、お前たちは好き好んでこんな蒸し風呂に入って、あまつさえ気持ちよさそうにしているじゃないか。
なあ、お前さん、蒸し風呂が大好きなんだろう? ──なら、連れていってやろうじゃないか。向こうへ、な」
「ちょ、ちょおっと待ったぁっ!!」
山田君、慌てて声を張り上げます。
「俺のご先祖様は徳川家康公だっ! まあ、傍流もいいとこだけどな」
「──はて? それが何か?」
「秀吉は死んだし、その一族も滅んだ。家康公が滅ぼしたんだ!
わかるか? 俺のご先祖様がお前たちの恨みを代わりに晴らしてやったんだ!
お前たちの『秀吉を末代まで祟る』という願いは、実はとっくに成就されてたんだよ。
お前たちももう、成仏してもいいんだぞ!」
それを聞いたとたん、老人の顔から禍々しさがすうっと薄れていきます。
「そ、それはまことか!? まことに秀吉の血筋は絶えたのか?」
「ああ、間違いない」
「そ、そうか。──ああ、確かにあの地獄に引っ張られる感覚がない。それがしもやっと成仏できるのか──!」
深く溜息をついた老人は、山田君に深々と頭を下げてきました。
「大恩ある方のご子孫とはつゆ知らず、まことにご無礼いたしました。
ところで、そのう──まことに勝手ながら、ひとつお願いがあるんですが」
「な、何ですか?」
「外に水風呂があったでしょう? そこに水を少し張って下さいませんか?
そして、水に苦しむ亡者たちにも、今の話を聞かせてやってもらえないでしょうか。
それであの者たちも成仏できると思いますので」
山田君、ようやくサウナルームから出て一息つくと、水風呂の蛇口をひねって水を出します。
すると、蛇口からは勢いよく綺麗な水が出てきますが、溜まった水の底の方にどす黒い濁りのようなものがぼんやりと現れて、ぞわぞわと蠢き始めます。
でも、山田君が老人にした話を言って聞かせると、水はすうっと元の澄んだ透明に戻っていきました。
「ありがとうございました。亡者たちを代表して御礼申し上げます」
「あなたたちも大変でしたね、もう安らかに眠って下さい。
──あ、でもこれまでに何人か、無関係の人を巻き込んじゃったんですよね?」
「はあ、巻き込んじゃいましたね」
「うーん、いくら恨みが募ってたとはいえ、それはちょっとひどいんじゃないですかね?」
「まあ、そこはそのー、ひとつ『水に流していただく』ということで」