02 『期待通りにはならない』
その男は自分をこう呼んだ、『泥棒さん』と。こいつは何かを知っている。こうなってしまっては無視は悪手だろう。こちらからも声をかけ、相手の出方をうかがわなくてはならない。
「こんばんは、誰と勘違いしているかは知りませんが私は泥棒なんかじゃないですよ。その車は私のなのでどいていただけるとありがたいのですが」
「まずはおとぼけか、無駄だ、泥棒さんの事は調べてからここにきてるんだよ」
目の前の男はそうして斗真と向き合う。街灯に照らされ、相手の顔がはっきりと見えるようになる。顔つきからして30代後半から40代前半の雰囲気がする。
斗真は警戒心を高める。当然だ、目の前の男は何か確信をもって斗真に接触してきてるのだ。絶体絶命の状況である。一目散に背を向けて逃げるという選択肢もあるが、それでこの先ずっと逃げ切れるとは到底思えない。
そもそもなぜ待ち伏せできたのか。どこから気が付かれていたのかがはっきりとしない。あれこれと思考を巡らせるも、この状況を打破できるような策は一つも思い浮かばない。沈黙が続く中、次に口を開いたのは男のほうだった。
「さっきも言ったが無駄だ、ここに来てるのは俺一人だがこうなった時点でお前は逃げられない。どうせそのポッケとかに盗品が入ってるんだろ?」
こちらを指さしながら話す。この男の言葉は正しい。今身体検査をしたら斗真からは先ほど盗んだものが出てきてしまう。そうなっては言い逃れはできない。詰みか……ツケが回ってきたのだろう。悪いことにはかならず報いが訪れる。その時がもう来てしまったのだ。
「あんたは俺の正体を知って目の前に現れた、用はなんだ?警察か?なぜすぐに取り押さえない?本当に一人で来たのか?」
「いっぺんに質問してくるなよ……その質問に答えてやるのは少し先だ。まずは泥棒さんにしてもらわなきゃいけない事がある。盗ったもの、こっちに見せて見ろ。」
男の要求の真意は分からないが、言われたとおりにする。
「ちょっと高そうなネックレス一つに、これは指輪、こんだけか?」
「それで全部だよ」
男の疑問に素直に答える。こちらの返答が気に食わなかったのか、何だか微妙な表情でこちらを見てる。
「せっかく泥棒に入ったのにこれっぽちしか盗ってないのか?やっぱ情報通り、あんた結構変わってるよ」
「なんでもいいだろ、あとはなんだ?警察にでも突き出すのか?」
「いーや、、、」
男は再びこちらの目を見る。何かを見定めるかのようなその眼差しに斗真は居心地の悪さを覚える。沈黙が数秒続き、男は再び口を開く。
「条件があるが、警察には突き出さないでやる。いわば取引だ、どうだ?もちろん断ることもできるが、そうすれば俺はお前さんを警察に突き出してやる」
「――――その取引の内容は?」
「簡単だ、俺についてこい、俺の下で働くんだ。そうすれば今回の盗みと、これまでの盗みを俺は見逃してやる」
男はなんて事のない風に返答した。聞こえてきた言葉に斗真は困惑する。犯罪者である斗真を警察に突き出さない代わりに働けと言われたのだから当然だ。――選択肢は無いに等しかった。
「取引に応じたい。正直あんたの目的というか狙いが全くわかんなくて胡散臭いけど、こうなった俺に選択肢は無いんだろ?」
「そういうことだ、話の呑み込みが早くて助かるよ。取引は成立だ、これからよろしく頼むな」
こうして不思議な男と斗真の奇妙な関係が始まる。
「じゃあ早速だけど一つ目の仕事を依頼する――――この盗品、持ち主に返してこい」
「は?」
――ミッション、スタート
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
盗んだものをもとの家に戻すなんて初めてのことだったが、問題なく終わった。むしろ一度入った家なので盗むときよりも簡単にこなすことができた。
現在は男の車の中で、どこか目的地に向かっているようだ。斗真は気になっていたことを質問してみる。
「なあ、どうして俺が泥棒だってわかったんだ?正直な話、まだ見つかるほどの痕跡を残してきたつもりはないんだが」
少し前にニュースで流れていた警察の注意喚起、あれは防犯意識を高めさせるために流したものでまだ斗真の存在を認識してる風に思えなかった。そう思い込んでるだけで、警察も実は気が付いているのかもしれない。
その考えを否定するかのように男は話始める。
「お前さんの犯行には特徴があった、一回の盗みで盗るものが少なすぎるってやつだ」
男の話をまとめると、斗真の犯行は他の泥棒とは違っていた。多発している窃盗事件だったが、その中で被害額が少ないのは斗真による犯行がほとんどだったのだ。詳しく調べないと気が付けないような小さな違和感に男は気が付いた。明らかに一人、異質な泥棒がいることに。ただここからはだいぶ苦労したらしい。
犯行場所がバラバラなため、その付近の監視カメラなどから犯行日時前後に映る人物を探す。ただ問題だったのはその日時の特定が難しかったという点だ。なにせ盗られたことにすぐ気が付けるわけでもない。ただ失くしてしまったと考え、その犯行は表面化しない。半年ほど調べるうちに、ようやく一台の車が映る頻度が若干高いことに気が付いた。それが斗真の車であったという訳だ。
その気づきが証拠になるわけではない。だからこうして直接接触し、犯行後の斗真に話しかけたという訳であった。
「説明するのは簡単だが、マジで大変だったんだからな!?」
ここまでの苦労を思い出したのか、男は顔をしかめた。なぜ男はここまでして斗真のことを追いかけていたのだろうか。
「お前の犯行は地味だった、それはもうウザいくらいにな。――だから俺はお前に声をかけたんだ」
「説明してくれて納得いったよ、少なくとも俺がやらかして見つかったという感じでは無さそうだな」
「まだ知らないことは山ほどある、俺の知ってる中のお前さんの犯行はこの1年で30件くらいだ。ただこれで全部な訳がねぇ、実際はどんくらいやってたんだ?」
「100件近くはある、というか盗みに入った家は全部覚えてるんだ。犯行場所にバラツキを持たせたかったし。」
「まだあると思ってたけど3倍もあったのかよ……恐ろしいやつだなマジで」
斗真は男とのやりとりに妙な安心感を覚えていた。最初の不気味なイメージから転じて、今は気さくなおじさんという印象だ。表情がころころと変わっていくから見てて飽きない。
「おっさんの顔をじろじろ見てんじゃねえーよ、面白くないだろ」
こうやって反応してくれるのだから警戒心が解かれていくのも仕方がないだろう。
「今度はこっちが質問する番だな。なんでお前さんが泥棒をやっているのか、いつからやってるのかだ」
その質問にどう返答すればいいのか斗真は頭を悩ませる。その答えは斗真自身はっきりと持っているわけではない。斗真はぽつりぽつりと自分のこれまでどう過ごしてきたかを語り始めた。
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――向井斗真は親からの愛を知らない。物心ついた時から両親との思い出などが一切見つからないのだ。父親はうるさい人だった。フリーターとしてバイトを転々としながらギャンブルに明け暮れている日々。勝とうが負けようが家の中では酒を飲み、気に食わないことがあれば怒鳴りつける。
でもそれは、斗真にとってそこまで苦痛なことではなかった。本当に酷かったのは母親の方である。働きもせずに家に居座り、斗真を奴隷か何かのように扱ってくる。母の機嫌が良かった声など聴いたことない。冷たい声か、金切り声が当たり前。いや、愛人らしき人と話しているときは少し暖かい声だったような気もする。そんなことはどうでも良い。どちらにせよ斗真に向けられた言葉ではないのだから。
中学のころから新聞配達、高校生になってもバイト三昧で自分のための時間などほとんどなかった。いまネットに浸ってゲーム三昧でいるのはその時の反動によるところが大きいのだろう。稼いだお金も母親に取られ、自分で使えるのはほんのわずか。
どの行動が母親の地雷を踏むか分からなかったので、母親の一挙手一投足に敏感に反応するようになっていた。細かい変化を見逃して、間違った行動をしてしまえば手と怒号が飛んでくる。怒鳴られるのも叩かれるのも慣れることは無かった。そのような変化を完璧に感じ取れるようになったのは中学に入ったくらいの頃からだった。
母親の感情の揺れを、どんな些細なことでも見落とさない。その癖は外の他人に対しても同じように発揮された。役立つ場面はバイト先で客の注文を早く取れるようになる程度のことだった。
斗真が高校生であるときに両親は突然離婚した。本当に急な出来事であり、家族だったのにもかかわらず一瞬で赤の他人に早変わりした。身一つで放り出され、何を頼ればいいのか分からないまま限界を迎えたときが来てしまう。
――――そして斗真は初めて盗みに手を染めてしまうのであった
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「ってな感じかな、今ならもっと賢い生き方を選ぶことが出来ただろって思えるんだけどね。ずるずるとやってここまで来ちゃったってだけの話だよ」
斗真の長い独白を、男は静かに聞いていた。車内にしばらく沈黙が流れた後、男は話始める。
「確かにお前さんのやってきたことは犯罪だ。これはどう誤魔化してもゆるぎない事実だし、それを受け入れるほかない」
男は至極当然の言葉をかけた。斗真自身そうであることを理解してるつもりだ。男はまだ話しを続ける。
「なんで俺がお前さんを探してたかというとな、お前さんがそこまで悪党じゃないのかもしれないって思ったからなんだ。リスクを承知で他人の家に忍び込んでるのに対して盗るものはほんのわずか。どこか遠慮しているというか、やりすぎないようにしようっていう意識があるんじゃないかと疑った。それは罪悪感からくる考えか?」
「多分、罪悪感はあった。でも結局は自分のために人から幸せを奪うのは止めなかった。何言ってるんだと言われるかもしれないけど、あんたに見つかってよかったんじゃないかとも思ってるんだ。これでもう泥棒はやらなくていいんだって」
斗真は泥棒として暮らしている状況を良くは思っていなかった。だから将来に対しての不安も尽きなかったし、いつかは泥棒じゃなくて真っ当に生きていかなくてはと焦っていたのだ。
「だからあんたに感謝してる。こんな俺に働こうと言ってくれて、――泥棒であること以外の生き方を示してくれて助かったって本当にそう思うんだ」
斗真は男に感謝を述べる。斗真から出た言葉は全て本心であった。幼少期からあまり人に誇れる生き方をしてこなかった。これから始まる新しい仕事に胸を躍らせ、そういえば大事なことを聞き忘れてたことに気が付く。
「そういえばあんたの仕事って何なんだ?俺にも出来ることなのかよ、嫌だぞ仕事できなくて一瞬で無職になるなんて展開は勘弁したいんだが」
そう当然の疑問をぶつけるも、男から返事は帰ってこない。顔を見るとなんだか決まりが悪そうな顔をしている。でもこのまま黙っているわけにも行けないので、男は口を開く。
「俺の名前は寺 冬彦、俺の仕事は――探偵だよ」
「探偵か、そりゃあ俺みたいな泥棒を捕まえてもおかしくないよな。俺は何すればいい?助手か事務仕事みたいな感じか?」
「俺がお前に声をかけたのは――――お前さんの泥棒としての力を借りたかったからだ」
そういわれると斗真にも話の先は見えてくる。こればっかりは斗真の察しの良さが裏目に出てしまう。冬彦は続ける、
「泥棒以外の仕事がしたいと言ってたがそれは無理な相談だ、――――お前さんには泥棒として俺の下で働いてもらうぞ」
――――人生、そう期待通りにはいかないなと冬彦の言葉を聞いて斗真は考えることをやめたのだった。
更新ペースの維持が難しいです。