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そして数年後。
特に身近な人が亡くなることもないまま、「わたし」は社会人になりました。
姉は一年前に結婚し、しかし旦那さんは病気になってしまいました。
それでもいつかは回復するだろうという周囲の見解は残念ながら外れてしまいました。
その時、「わたし」の頭の中では何故かお葬式のイメージが浮かんで消えませんでした。
自分でも何故こんなイメージが浮かぶのか、分からなかったですね。
そして帰って来た時、電話が鳴りました。
それは姉から。旦那さんが亡くなったとのことでした。
お葬式の日。
「わたし」はその家で、とんでもない光景を眼にしました。
家に安置された棺桶の周囲に広がる黒いモヤ。
―不浄。
頭の中に浮かんだ言葉は、それでした。
それもそのはずでしょう。
旦那さんは納得して亡くなったワケじゃあありません。
病気で、この世を去ったのですから。
しかも新婚一年目を迎えたばかりでした。
姉は旦那さんの実家ともめてしまい、「わたし」の家に戻ってきました。
その時、猫も一緒に。
以前住んでいた家で、子猫の時に拾って育てていた猫は、「わたし」とは遊び仲間のようなものでした。
すぐに引っ掻く気性の荒い猫でしたが、家族でした。
ところが家猫のクセに、脱走癖があるのが困ったもの。
―その日。
書斎の窓は開けていました。
網戸にしておけば大丈夫だろうという考えは、家に帰ってからムダだったと気付きました。
何せ猫は網戸を爪で開け、脱走していたのですから。
辺りを探しても見つからず、一週間が過ぎた頃。
寝る為に自室に戻った「わたし」の部屋。
電気を付け、しばらく本を読んでいました。
ところがふと、目に黒いモヤのカタマリが写りました。
何だろう?
と思っていると、モヤは部屋の中を飛び回ります。
翌日。
仕事が終わり、ケータイを見ると、留守電が入っていました。
聞けば姉から。
猫が死んで、家に連絡が来たとのことでした。
家猫ゆえに、車の恐ろしさを知らなかったうちの猫。
変わり果てた姿で帰ってきました。
…とまあ実体験を語ったワケですが、大体分かりました?
そう。
「わたし」の【呪いと祝福】の一つ―【受精神】。
それは「わたし」の身近なものが、自分の死を伝えに来るのを分かる―というものです。
どーも「わたし」に知らせたいもの達の意思の力が、伝えに来るみたいです。
逆に言えば、親戚でも友達でも「わたし」に伝えたいと思わないなら、「わたし」はそのことを感じ取ることはできません。
一方的な意思の疎通。
コレ、実は墓場でも似たようなことがあります。
特にお盆にお彼岸はとんでもないですね。
お墓に帰って来た連中が、形もない圧迫感となり、「わたし」に意思を伝えるんですから。
しかも内容は結構普通の人間と変わりません。
…あっ、元は人間なんですから、当たり前ですね(笑)。