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あなたに知られたくなかった

作者: さこと

セレナ・ピターソンはたしかに侯爵令嬢だった。5歳までは。

5歳の夏、実の母が流行り病で亡くなってから、セレナの環境は何もかも変わってしまった。冬になると、父は、継母と異母妹を連れて来た。

「仲良くやれるな?」

問答無用だった。


異母妹は、父と血がつながっていた。

ということは、父は母を裏切っていたことになる。屋敷に勤めて長い使用人たちは、セレナのために、新しい家族を警戒していた。


案の定、最初はしおらしくしていた2人は1か月もしないうちに我が物顔で侯爵家を扱い出した。

「まぁ、美しい宝石」

継母であるタンナが実母の部屋から宝石を盗み出す。

止めようとした使用人たちはクビになった。


だんだんと昔からいる使用人は減って行った。セレナの味方はほとんどいない。

6歳になったセレナは、突然自室から追い出され、屋根裏部屋に投げ込まれた。

「今日からお前は下女見習いです。私たちに懸命に仕えなさい」


父は何も言わなかった。まるで、セレナなどいないように振る舞う。

優しかった父の変わりように、セレナは泣いた。

「お父様」

誰にも聞こえない小さな声でつぶやいた。


それから、セレナは洗濯や掃除のお手伝いを始めた。毎日その仕事をしているうちに、美しかった手はボロボロになった。

最初は痛くて大変だったけど、慣れた。

そうやって下女見習いをしているうちに、セレナの幼い頭は、自分が令嬢であることを忘れていった。


「ここが汚れているわ」

「はい。奥様」

セレナは7歳になった。しかし、お誕生日会など下女見習いにしてくれる人はいないから、誕生日だということは忘れていた。

誕生日も必死に洗濯掃除をしていた。

この屋敷の奥様もお嬢様もとても厳しい。


7歳のセレナには、まだ一人前の仕事はできない。

洗濯も掃除もお手伝いだけだ。

セレナは一生懸命働いた。セレナが令嬢であることを知っている少数の使用人はこの状況をなんとかできないか考えてはいた。

だが、弱い立場の使用人たちにできることはほぼない。

せいぜいセレナにあてがう仕事を楽な物にするくらいだ。


「私のお父さんとお母さんはどこにいるのかな?」

床の拭き掃除中にふと、セレナは疑問に思った。父が侯爵であることも、母が亡くなったことも、セレナは忘れていた。

幼いだけではなく、精神的なショックも大きかったのだろう。


「会いたいな」

会ったら、たくさん話すのだ。うれしかったこと、さみしかったこと。いっぱい話したいことがある。

「それとも、セレナが悪い子で、捨てられて、ここで働いてるのかな」

想像しているだけなのに、本当にそうなのではないかと思えた。


その後は拭き掃除に没頭した。早くやらないと時間までに間に合わない。

終わらないと恐ろしい目に遭わされる。

お茶を入れるときに少しこぼしてしまった侍女は長い髪を肩くらいにばっさり切られてしまった。そして、泣きながら、

辞めていった。


同じ目に遭いたくないなら必死にやるしかない。ここは恐ろしい職場だった。

セレナも他へ行くことを何度も考えた。ただまだ小さい自分を雇ってくれるところはなさそうだった。

もしもセレナがもう少し大きかったら、逃げ出すことができただろう。

だが、もうしばらく耐えねばならない。


「ノロマで品がないこと。さっさと片付けなさい」

今日もセレナは奥様に怒られていた。

他の使用人もよく怒られているが、セレナが1番怒鳴られる。

叩かれたりはしない。

そのかわり、ひどいことを言われる。

「お前の母がノロマだから、それが移ったんでしょうね。かわいそうに」


よく知らない母ではあるが、母のことまで悪く言われるのはつらい。

「お前みたいなクズは生きている価値なんてないの。ここにいられることに感謝しなさい。今月も給料の半分は返してもらうわ。働けてないんだから。」


セレナは10歳になった。本人は何歳かわかっていないが、食べ盛りなのに、お腹いっぱい食べたことがなかった。

いつもお腹が空いていた。

同情して、まかないを多めにしてくれていた料理長はクビになってしまった。

ますます食事は貧しいものになり、セレナの見た目は到底10歳には見えなかった。


「舞踏会に行くのよ。素敵な王子様と踊るの。」

お嬢様がうれしそうにしている。セレナはダンスより食べ放題になっていると聞いた料理に興味があった。

もちろん下女見習いのセレナが舞踏会に行けるわけがない。

ドレスだってない。マナーもわからない。


奥様とお嬢様が大騒ぎで支度をしてし出て行くと、お屋敷は使用人だけになった。みんなどことなく、のんびりし始めた。セレナもなんだかホッとした。

美味しい紅茶をちょっとだけもらい、

新しい料理長がみんなに配ってくれたクッキーを口にした。

涙が出るほど、美味しい。

「いつかちょっとだけでいいから、舞踏会を覗いてみたいな」

セレナのつぶやきは誰にも届かなかった。


空いた時間に、セレナは鏡の前に立ってみた。

か細くて、ひょろっとした女の子がこっちを見ている。

目だけ大きく、髪は傷んでいて、不器量な女の子だ。

セレナはため息を吐いた。

「お嬢様みたいなドレスは着ても似合わないな」


セレナの母方の祖父母は、世界一周旅行に出かけていて、娘の死を知らない。

彼らは、やっと情報をつかみ、セレナの境遇も把握した。

そして、ふたりは、セレナの前に現れた。舞踏会の夜に。

「セレナ、こんなにやつれて。私たちが悪かった。のんびり船で世界一周旅行をしている間にセイレンが死んでしまったなんて。」

「今すぐセレナは私たちの邸に。」


セレナは驚いた。自分が侯爵令嬢だと、お嬢様と母はちがうが、姉妹だと聞かされて。

「お祖母様、お父様がご主人様なのですか?お母様は?」

混乱したセレナが尋ねた。

「あのロクデナ‥ごほっごほっ。貴方のお父様は侯爵、貴方のお母様は私たちの娘。ソンタラー公爵の娘。情けないけど、だいぶ前に亡くなっていたのを知らなくて。つまり貴方は私たちの大切な孫なのよ」

セレナは混乱した。

お父様がご主人様。あの冷たい人が。

お母様は亡くなっている。それは悲しい事実だった。

セレナは声を殺して泣き始めた。

お祖母様はセレナを抱きしめた。

「もう悪いことは起きないわ。

私たちと一緒に行きましょう」


セレナは、急に現れた祖父母に、そのまま連れて行かれた。

下女見習いから、お嬢様として。

優しい祖父母と温かい使用人たち。

セレナの周囲は一気に変わった。

祖父母は、さっさと、セレナを

公爵家の養女に迎えた。


セレナは何もできなかった。

文字の読み書きもできない。マナーは何一つ身につけていない。

祖父母に対してさえ、まるでご主人様と使用人という態度になってしまう。

「まぁ、ゆっくりでいいわ。セレナはまずは健康にならないとね。こんなに痩せてしまって」


10歳になったはずのセレナは5歳と言われても信じるくらい小さい。

あのまま侯爵邸にいたら、栄養不足で死んでいたかもしれない。

孫娘の危機をギリギリで救い出せたことに、ソンタラー公爵夫妻は心から安堵した。

 

「可愛い子がいるね。いい香りだ」

「殿下。またお忍びでいらしたのですか?」

ソンタラー公爵夫妻は、口調こそ丁寧なものの、親しみが滲むのを止められていない。

ミラン第一王子。ソンタラー公爵と遠いが、親戚関係にある。狼の獣人で、噂では狼に変身できるとか。

殿下は王宮を抜け出して、よく遊びに来ている。


「殿下。私たちの孫娘、セレナです。

ちょっと事情がありまして、私たちの養女になりました。」

セレナは恥ずかしかった。小さな自分は何もできない。もう10歳になるのに。

掃除洗濯はなんとかできるが、他には何もできない。

「うん。この香り。間違いないな。

セレナが、私の番だ。」

ソンタラー公爵夫妻もセレナも驚いた。


番とは永遠で唯一の愛する人のことだ。

ミラン殿下の番がセレナ。

何もできないセレナが、殿下の番。

そんなことが許されるのだろうか。


それにセレナと殿下は7つの歳の差がある。セレナが大きくなれば、特に問題はないが、今は、10歳と17歳だ。

兄妹ならばいいが、番となると話は別だ。

「大丈夫。私は待てるよ」

ミラン殿下は優しく微笑んだ。


どんなに穏やかな人でも、獣人の番に対する思い入れは強いもので、殿下のように紳士的に振舞えるのは前例がないといってもいいくらいだ。

一般的な獣人も、この年齢差なら、さすがに番を害するようなことはしないが、さらって、自分の部屋に閉じ込めるくらいはしかねない。


ミラン殿下は、微笑んだまま、セレナと指切りをした。

「14歳になったら、僕のお嫁さんになるんだよ」

この国では、14歳が成人の年齢だ。

まだ何もわからないセレナはミラン殿下の優しい微笑みに顔を上げることができない。

「殿下、光栄なことですが、セレナはいろいろと事情がありまして、普通より成長が遅れているのです」

「かまわない。私の唯一だ。」


ミラン殿下の瞳はキラキラと光った。

セレナは、綺麗だなと素直に思った。

「何度も言うけれど、私は待てる。連れ去ったりはしない。でも、ほかの誰かのものになるのは許せない。婚約を許してくれるだろうね?」

静かな中に絶対に譲らないという思いが見えた。

「セレナ、まだわからないだろうけど、殿下がね、将来、セレナをお嫁さんにしたいんだって」

「わかるかな?」


「毎日ご飯をくれるなら、いいよ」

セレナにとって、何より大切なのは食べ物だった。何も食べられない日も珍しくはなかったのだ。


ソンタラー夫妻は、満足に食べられなかった環境に育ったセレナが不憫でならなかった。自分たちが何も指示せず、呑気に旅行していたことを深く反省する。

ミラン殿下は、訳ありなのだと理解したらしく、優しくセレナに答えた。


「もちろん三食おやつ付きだよ。うちの料理長はとてもいい仕事をするしね。」

セレナの瞳が輝いた。

三食もあって、おやつもなんて!なんて豪華なの。このお兄さんはえらい人なのかな?

言葉には出さなかったが、セレナには

「殿下」が何なのかわからなかった。


でも、えらくて優しい人にちがいない。

そばにいたら、きっといいことがある。

いい香がするし。

珍しいことにセレナは獣人ではないのに、いい香がわかった。

そういう人族は魔法が得意な場合が多い。


魔法が使えると、一生食うのに困らない場合がある。

魔法もレベルによるのだ。火をつけたり、洗濯物を一瞬で洗って乾かしたようにきれいにする生活魔法から、魔獣を近寄らせない幕を張ることができる防御に優れた魔法、怪我を一瞬で治す治癒魔法。攻撃に特化した魔法使いもいる。


セレナはどんな魔法使いなのだろうか。

ミラン殿下は、ふむ、と考えた。

「セレナ、イメージして。まずは

光を。強い光がいい。そうして、その光を私の足に当ててごらん。」


セレナはよくわからないなりに、懸命に光をイメージした。

すると、セレナの手のひらから光が出た。恐る恐る殿下の足に当ててみた。

「すごいな。初めてやって、これだ。

私の足の傷は古いものだが、きれいに治った。」


「セレナは治癒魔法が使える。身分もじゅうぶんだし、私との婚約に何の問題もないだろう。」


ソンタラー公爵夫妻は、ミラン殿下を信頼していたので、将来的な話であれば、受けてもよいと考えた。

ただ、年齢的には、婚約はした方がよかった。

セレナはまだ判断がつかないだろうから、ふたりが決めてしまうしかなかった。


とはいえ、番であるなら、結婚以外の道はない。ミラン殿下の気が狂ってしまっては困る。番に巡り会うことが奇跡なのだ。その番と結ばれない獣人は気が狂ってしまう。ミラン殿下がいかに理性的であっても、こればかりはしかたない。


「殿下。セレナは今はつらいことがあったばかりで、本来の姿ではないのです。今、注目を浴びるのは、またつらいと思います。半年ほど時間をいただきたいのです」

ミラン殿下は、ため息をつきつつも、

了承した。


セレナの半年間は、大忙しだった。

まずは栄養のある食べ物、適度な休憩とゆったりした睡眠。その間に、テーブルマナーなど、生活の中でのマナー。それができるようになると、舞踏会でのマナーとダンス。

健康を取り戻しつつ、ゆっくり令嬢としての教育が行われた。


その間もミラン殿下は通ってきた。

でも、最後の1か月。ミラン殿下は出入り禁止になった。セレナも夫妻も、殿下を驚かせたかったのだ。

セレナは覚えがよかった。マナーもダンスもどんどん上手になる。

見た目もかなり変わった。

最後の1か月が過ぎて、ミラン殿下がすごく慌てて現れた。


「セレナ?」

殿下を迎えた令嬢は、まだ幼いものの、美しかった。最初に会ったときとはまるで別人だ。おじぎも所作も美しい。

ミラン殿下は、セレナの前に跪き、

「結婚してください」

と真剣に言った。


「殿下。まだ婚約で勘弁してくださいな」

「成人したら、結婚に反対はしないから」

ソンタラー夫妻はニコニコ笑顔で告げた。

セレナは、いろいろ教育も受けたけど、座学は半分くらいしか理解できていないので、番についてはよくわかっていなかった。

「セレナ、ダメかい?婚約してほしい」

ミラン殿下の懇願に、三食おやつ付きを思い出しながら、答えた。

「殿下のお申出を、お受けします」


将来、番であるセレナにミラン殿下がメロメロになり、大騒ぎを引き起こすのは別の話。



アルファポリス様にも掲載しています。

ジャンルが難しくて、こちらでは恋愛にしてみました。


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