3.偶然と必然
入院中、僕の失われた記憶を取り戻そうと、母は躍起になっていたようだった。しかし、当然ながらもともと僕には人間として生まれ育った記憶はなかったから、思い出せるはずもなかった。高校生の僕は通学途中、老人の運転する暴走車に轢かれそうになった子どもを助けようとして大けがを負ったらしい。母はその時の話をするときは、いつもさめざめと泣いては
「あなたが意識を取り戻すまで本当に生きた心地がしなかった」
と言った。
家族は両親と姉が一人。父はロボット工学の研究者で、その分野では名を馳せていた。母はその研究所で、事務作業を手伝っていた。姉はごく普通の女子大生。そんな家族の中、僕はそこそこ成績もよく、再生医療を飛び級で学んでいることを知り、自分がキリシマ家に生まれ変わった意味を考えた。
偶然なのだろうか。僕の推察が正しければ、僕はエステルと結婚するリュウ・キリシマの先祖ということになる。たまたまキリシマという姓に生まれ変わっただけかもしれない。だが、僕の記憶しているリュウ・キリシマ博士は、再生医療をもとに不老不死の可能性について研究していた。やはり、ただの偶然とは思えない。そして、その経歴には確か「ロボット工学博士を父に」とあった。
だが、そうなると、計算が合わない。少なくとも、今僕がいるこの時代から、エステルの時代にまで、数百年の隔たりがある。
僕はハッとした。
僕の名はキリシマ・リュウト。…リュウ・キリシマ…。
いや、まさか…。
僕は自分の考えに、胸の鼓動が早くなるのを感じた。
もし、僕の考えが間違っていないのならば。
そのためにはぜひ成し遂げなければならないことがある。
そのためには一日も早く、人間としての生活に慣れて、一日も早く…。
それから僕は必死で人間としての行動や感情について学習した。なかでも身体感覚と、その言語化は本当に難しかった。ロボットには痛覚はない。痛みという概念が理解できるようになるまで、かなり苦労した。怪我をして血を流しても、それが痛みにつながるということを感覚として把握できるようになるのには時間を要したため、僕はしばらく生傷が絶えなかった。医師には、事故の後遺症で神経伝達がうまくいっていないのだろうと診断されたため、周りからは特におかしいとは思われなかったようだった。そして、それに伴う感情表現も、ロボットとしてプログラミングされたことのある喜怒哀楽など、何の役にも立たなかった。あくまでもそれは表面的なものであり、周囲の反応に合わせて選択される機械信号の一種でしかない。人間として暮らしていくと、その複雑さには驚かされてばかりだった。
退院後、学校に戻ると、あっという間に友人たちが集まってきた。
「まったく、死ななくてよかったよ」
「お前を轢いた爺さん、認知症だったらしいよ」
「でも、よかったよな。助けた子ども、かすり傷程度で済んだらしいじゃん」
口々に事故の顛末を教えてくれ、無事に戻ってこれたことを喜んでくれた。どうやらキリシマ・リュウトは人付き合いもうまかったようだ。
学校では勉強だけでなく人間関係も必死で学習した。これはロボットとしてプログラミングされていた人間に好かれるべくふるまうノウハウが役に立った。おかげでごく自然に人間らしく振舞えるようになるのにはそれほど時間を要さなかった。良い友人関係にも恵まれ、学校生活を楽しみながら勉強に励んだ。
なぜなら、僕がキリシマ・リュウトとして生まれたのは偶然ではなく、必然だったのだから。