28.最期の願い
「エステルはニアから君について聴くと、メグミさんを問い詰めた。自分のしてきたことは棚に上げ、だまされたと言って責め立てたようだった。その結果、メグミさんとはそのまま仲たがいしてしまった。そのころ君は再び記憶の入れ替えと、肉体のメンテナンスのために睡眠状態だった。その姿を見たエステルは、ショックを受け、そのことで一気に『生きる屍』化が進んでしまった。研究室に座ったまま、ただ虚ろに何の反応を示さなかった。そんな姿をアリシアに見せるのは私には耐えられなかった」
アイオンはそこまで話すと、口をつぐんで、苦々しい表情を浮かべた。
「だからアリシアの記憶を消去する際に、君に関する記憶と同時に母親に関する記憶も消してしまったんだ。彼女の出自に関する記憶はあいまいだが、それに関して疑問を抱くこともないように記憶そのものを操作した」
僕のほほを涙が伝った。
「エステルは、幸せだったんですか?」
僕はエステルを愛していた。AIとしてこの世を去る時も、キリシマ・リュウトとして生まれ変わってからも、ずっと、ずっと、エステルの愛だけを手に入れたかった。
「あなたが幸せにしてくれるんじゃなかったんですか?エステルはあなたと幸せになるはずじゃなかったんですか?」
僕はアイオンにつかみかかり、泣き叫んでいた。
「すまなかった。私があの時、生きることを望まなければ、エステルも君も、こんなことにはならなかっただろう。誰よりも長い時を生き続けてきたというのに」
アイオンは唇を噛み締めた。
「許してくれとは言えない。ただ、最期の願いを聞いてもらえないだろうか」
僕はアイオンの言葉を待った。
「どうか私を、死なせてくれないか?そして、私の代わりにアリシアを守ってくれないだろうか」
僕はアイオンを見つめた。
「勝手なお願いなのはわかっている。こんなことを頼むのは筋違いだ。だけど、君以外に頼むことはできないんだ」
アイオンの頬をひとすじの涙が伝った。
「もう、本当に、疲れてしまったんだ。僕は君がこうして僕のもとへやってくるのを、本当はあの日からずっと、待っていたんだと思う」
何千年も生き続け、大切なものを失い続け、やっと見つけた安住の地すら、アイオンの平穏は生み出せなかったのだろうか。
「お待たせしました。紅茶をお持ちしました。あら?お父様?泣いているの?」
無邪気な笑顔で現れたアリシアは、アイオンを見て驚いた顔をした。
「いや、ちょっと、目にゴミが入ってね。さあ、どうぞ、召し上がってください。アリシア、お前も一緒にどうだい?」
アイオンは何もなかったように僕に紅茶を勧めると、アリシアに微笑みかけた。
ひとしきり、アリシアを交えてどうということのない会話を交わし、僕はトレム領を後にした。アイオンの望みについては、少し時間が欲しいと答えた。
そして帰宅すると、すぐにニアを呼び出した。
「ニア、僕に言いたいことはない?」
ニアは、少し小首をかしげ、一瞬何かを考え込んだようだった。
「私は、あなたの一部として、あなたの望む結果を導いてきました」
「それにはエステルを失うことも含んでいるのか?」
「はい。あなたは彼女を愛していると同時に憎んでいました。私は、彼女の存在そのものはあなたにとって好ましくないと判断しました」
AIは最適解を導く、というのは人類の希望であって、真実ではなかったのか。
「私は何か間違っていたのでしょうか」
人とAIとの間の越えられない壁なのだろう。僕自身が生まれ変わったときに理解できなかった愛するという感情、流した涙の意味を、ニアなりに分析した結果がエステルの消滅であったのだ。
「君は間違っていなかった。僕はあまりにも長く眠りすぎた。その間、君が判断し、下してきた決断は正しかったと認められるように、これから先の未来を、僕は作っていきたいと思う」
そうして僕は、気の遠くなるほど長い年月を生きてきた美しい青年を、永遠の眠りにつかせることにした。




