27.時の止まった庭園
その日、僕はトレム領へ向かうことにした。
街は異様なまでに静かだった。そこには人の気配がほとんどなかった。いや、生物の気配そのものがほとんどないといってもよかった。
ニアによれば、人類の中で生じた摩擦はやがて淘汰へと進んでいき、生まれつき不老不死の遺伝子を持つものが世界を支配するようになっていったという。現存する人類の大半は不老不死である者であり、再生医療など医療的措置により不老不死を手に入れたものは減少の一途をたどっていった。反対に死という制限を免れた者たちは、取り立てて生き急ぐ必要もなく、成長が途中で止まってしまうものが大半だった。結果、子孫が増えることもなく、ただ穏やかに毎日を暮らしていた。
必要最低限の産業と暮らしで、彼らは満たされていた。
ニアに頼んで、僕は再生され生まれ変わってきた間の記憶をすべて思い出させてもらった。
それはエステルの消滅という苦痛に満ちた、耐えがたい内容のものもあり、姉が僕にひた隠しにしてきた気持ちも理解できるような気がした。
あの日以来、僕は姉には会っていなかった。僕はそのことについて、ニアに尋ねることもなかったし、ニアも説明することはなかった。
僕が最後に見た姉の姿は、実は何回か前に再生された際の記憶の時のもので、実際にはもうすでに姉は『生ける屍』として消滅していたのだ。
僕を守ろうとした姉の遺志を思うと、僕は胸が締め付けられた。
僕は隠されてきた真実を受け止めるために、アイオンに会わなければ、と思った。そして、あの、かわいらしい少女、アリシアにも、もう一度会いたいと思った。
今では瞬間移動システムであっという間にトレム領へ行くことができる。僕はトレム領に照準を合わせ、装置を作動させた。
ここは時が止まったままだ。初めて僕がアイオンに会った日と同じように、花々は咲き乱れ、緑は生い茂り、鳥のさえずりや風のそよぐ音だけが聞こえてくる。
僕はバラのアーチをくぐり、庭園に足を踏み入れた。そこには変わらぬ青年の姿のままのアイオンがいた。
「久しぶりです」
僕が挨拶をすると、アイオンは瞳を曇らせた。
「ここに来たということは、君はすべてを思い出したんだね」
アイオンは僕を憐れむように見つめながら言った。
その質問に答える代わりに、僕はアイオンに問いかけた。
「この世界は、あなたの望むとおりになりましたか」
アイオンは僕から視線をそらし、ため息をひとつついた。僕は、その横顔の美しさを眺めながら、やるせない思いにとらわれていた。
「少なくとも、今の世界は、私にとっては生きやすい世界になったことは確かだ。もう息をひそめ、姿を隠し、人との関わりを恐れて生きていく必要はなくなったのだから」
そう言いながら、寂しそうに微笑むアイオンを僕はただじっと見つめていることしかできなかった。彼の望む世界の訪れは、半面、大切なものを失った結果でもある。
「エステルのことは、申し訳なく思う。私さえいなければ、君や君のお姉さんを傷つけることもなかった。私が欲張りすぎなければ、あの時、君の提案を受け入れ、死を選んでいたら、もしかしたらあんなことにはならなかったのじゃないかと。エステルに道を誤らせたのも、私が存在し続けたせいだ。何千年も生き続けてなお、平凡な幸せを望んだ私の自分勝手な思いのせいだと考えれば考えるほど、この数百年は本当の意味で幸せとは程遠い毎日だった」
苦痛にゆがんだアイオンの顔を見ていると、僕は胸が痛んだ。永遠の時を生き続けてきた彼が、ごく平凡な幸せを望むことをだれが責められるというのだ。
「お父様!どなたかいらしたの?」
屋敷の中から声がして、そちらに目を向けると、そこには、美しく成長したアリシアの姿があった。
「はじめまして。トレム領へようこそ」
僕に気づいたアリシアは目を輝かせ、満面の笑みを浮かべると駆け寄ってきた。
「え…?」
アリシアは、僕のことを覚えていないのだろうか。
「あら?でも、以前どこかでお会いしたことがあったかしら?黒髪でブラウンの瞳なんて、珍しいのに、覚えてないなんて、変ね。ねえ?お父様、以前お会いしたことあったかしら」
無邪気に尋ねるアリシアを見て、アイオンは少し困ったような表情を浮かべていた。
「いや、お前にとっては初めてのお客様だよ。私の古くからの友人なんだ」
アイオンの言葉に僕は一瞬、耳を疑ったが、すぐにその意味を察した。
「アリシア、お客様にお茶を用意してくれないか」
「わかったわ。とても美味しい紅茶が手に入ったばかりなの。それをお出ししますね」
にっこりとほほ笑んで屋敷の中に戻る後ろ姿を見送ってから、僕はアイオンに尋ねた。
「アリシアは、記憶の消去をしたんですね」
「ああ。彼女のような『永遠の子ども』は定期的に記憶を消去しなければならないんだ」
消去する記憶は選択できるという。出来事そのものを消去する方法や、感情だけ残して消去する方法、それは自分で選択することもあるし、保護者が選択する場合もある。
「アリシアの記憶には、具体的な出来事については残していない。ただ、それに伴った付随する感情については消さずに残してある。だから君のこと自体は覚えていないけど、君に対して抱いていた好ましいという感情は残っているんだろう」
やはり、アリシアにとって、僕の存在そのものはなかったことになっているのだ。
「エステルのことも含め、彼女にとって、負荷になる記憶は残したくなかったんだ。私の親としてのエゴでしかないのだが、自分の母親の狂気についてなど、知らずにいたほうがいいこともあると判断したからだ」
「エステルのことも覚えていないということなのですか」
僕はアイオンの言葉に驚きを隠せなかった。
「アリシアを産んだ後、エステルはソフィアと同じように、不老不死に憑りつかれてしまったんだ。僕の遺伝子と、アリシアの遺伝子を研究し、そこから君のお姉さんを巻き込んで、ついにその技術を開発してしまった。そのこと自体は悪いことではなかったと今の穏やかな世界を見ているとそう思える。ただ、それをビジネスチャンスとしてとらえ、傷つけた人の家族を巻き込んだのは、人としてどうなのかと思うんだ」
そこで一息つくと、アイオンは続けた。
「君がキリシマ・リュウトとして生まれ変わったころ、エステルは少しずつ体の機能が低下してきていて、ベッドで過ごすことが増えていた。君が不時着したあの日、同年代の子どもに出会った嬉しさからアリシアは嬉々として君のことをエステルに話した。そして君のことを聞いたエステルは、ニアに連絡を取り、君の存在について問い質したんだ。リュウトという少年は何者なのか。リュウとはどういう関係なのか。メグミさんからは一切聞いていなかった君の存在について、疑問を持ったんだろう」
僕は、唇をかみしめて、アイオンの言葉を聴いていた。
そこに僕は、ニアの狡猾さを垣間見た。ニアが企んでいたのは、エステルの破滅だったのだ。




