21.スクランブル
僕は緊急信号を発信した。とりあえず、自分のいばしょをニアに送れば、何とかしてくれるだろう、と思ったので、それほど心配はしていなかった。ただ、無事にそれがニアに届けば、なのだけれど。
機内から出て、あたりを見回したが、湖の周りは木々に囲まれており、人が住んでいる気配はなかった。遭難したらじっとその場を動かない、というのはセオリーだったから、僕はひとまずその場でニアからの通信を待つことにした。
僕が住んでいる都市部は無機質なビルが林立していて、こんな風に自然に囲まれている場所はなかったから、不思議な気持ちになった。母が特定自然保護区域だと言っていたが、確かに保護されているからこその自然なのだろう。
春の風が気持ちよかった。ふっと空を見上げると、薄いピンクの花びらが舞っていた。不意に僕の脳裏に、一面の桜並木と真っ赤なバラの花が浮かんだ。
激しい頭痛と吐き気でうずくまると、不意に僕の上に影が差した。
「大丈夫?」
声の主の方を見ると、そこには銀色に輝く髪とサファイヤブルーの瞳を持つ少女がいた。
とっさに僕は後ずさりしたけれど、少女から目を離すことができずにいた。
「お父様、男の子がいるわ」
少女は後ろを振り返ると、呼びかけた。次の瞬間、木の陰から少女そっくりな美しい銀髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ背の高い男性が現れた。二人揃ってこの世のものとは思えない美しさに、僕は息をのみ、動けずにいた。
「けがはないか?」
少女の父親が言った。僕は声が出せずに、うなずくのが精いっぱいだった。
「緊急信号を受信したものだから、様子を見に来てみたんだ」
少女の父親は僕のエアカーを見ると、事情を察したようだった。
「飛べそうにないみたいだね。あいにくここには修理できる場所がなくてね」
「信号が無事に届いたなら、家のものが迎えに来てくれると思います」
僕はやっとの思いで答えた。なぜかわからないが、この人たちに関わってはいけないと本能がささやいていた。半面、この美しい少女と話してみたいという気持ちもあった。
「迎えが来るまで家で休んでいったらどう?」
少女が目をキラキラさせて言う。少女の父親は考え込むようなしぐさを見せた。
「いえ、迎えがきたときに見つけてもらえないと困るので、ここにいます」
僕が言うと、少女はがっかりしたような表情をした。父親の方は、どこかほっとしたような表情をしたように見えたが、それは僕の気のせいだったのだろうか。
「じゃあ、迎えが来るまでここで一緒に待っていてもいい?」
少女が父親にねだるように言う。
「いつ来るかわからないんだよ」
「だったらなおさら、この子だってひとりで待つのは心細いじゃない」
父親は困ったように少女を見つめた。
「僕なら大丈夫だよ」
僕は少女に言った。父親が僕をじっと見る。初めて会うのに、なぜかとても居心地が悪く、早くこの場から逃げ出したくなった。
「わかった、それじゃあ、私が彼のご家族に連絡をするから、その間、一緒に待ってあげなさい」
「よかった!それじゃ、この辺りを案内するわ。もちろん遠くには行かないから安心して」
少女は無邪気にほほえむと、僕の手を握った。父親は再び森の奥へと消えていった。先ほどまでの頭痛と吐き気はどこかに行ってしまった。それでも、得体のしれぬ不安が心に残った。
「ねえ、あなたはどこから来たの?あなたの髪は黒髪なのね。瞳もブラウンで素敵ね」
少女のおしゃべりは止まらない。
「あ、そうだ、名前をまだ言ってなかったわね。私はアリシア。アリシア・ド・トレムよ」
「僕はリュウト・キリシマ。ここから東の方にある街から来たんだ」
自分と同じくらいの子どもに会うのは初めてだという彼女にとって、僕は格好の標的になったのだろう。次々と質問攻めにされた。
「お父様もお母様も私がここから出ていくことを許してくれないの。外は危険だと言って」
まるで僕の母と同じだと思った。
「アリシア!戻っておいで」
アリシアの父親の声がした。
「君のご家族と連絡が取れたよ。30分もすれば迎えに来られるそうだ」
「じゃあ、それまで家でお茶でもどう?場所が分かったから構わないでしょう」
アリシアが言うと、父親は眉間にしわを寄せ言った。
「アリシア、エステルの具合が悪いのを知っているだろう。申し訳ないが今はお客さんを招ける状態ではないんだ」
アリシアはがっかりしてうつむいた。
「すまないね、妻が体調を崩していてね。屋敷に招くことはできないんだ」
父親は僕の方に向き直って同じ言葉を繰り返した。
「いえ、大丈夫です。僕のことはお構いなく。すみませんでした。突然こんなことになってしまって」
「けががなくて何よりだよ」
「あのね、お父様、この子、東の方から来たんですって。リュウト・キリシマっていうのよ」
アリシアが言うと、父親は目を見開いて、僕をじっと見つめた。
「リュウトは私と同い年なんですって」
アリシアはそんな父親の表情にお構いなく話を続ける。
「同い年…?」
驚いて僕をじっと見つめるその表情は困惑と恐怖の入り混じったものだった。
僕は再び、言い知れぬ恐怖に似た感覚に襲われ、体が震えだした。
「リュウト、どうしたの?どこか具合が悪いの?」
アリシアが心配そうに僕を見つめる。
「いや…なんでもない…大丈夫」
僕は恐怖に飲み込まれそうになっていた。危険だ。このままここにいるのは危険だ。
その時、空からエンジン音が聞こえてきて、見覚えのあるエアカーが降りてきた。着陸したエアカーからはニアが降りたち、僕に駆け寄った。
「リュウト、大丈夫ですか?けがはないですか?」
僕の全身をながめ、センサーでチェックをすると、ニアはほっとした表情を見せ、続いて緊張した面持ちになると、アリシアの父親の方を見た。
「ミスタートレム、お世話になりありがとうございました」
「いえ、私は何も…」
父親は硬い表情のまま答える。
「リュウト、もう帰っちゃうのね。よかったら今度は遊びに来て」
アリシアが言う。僕はそれには答えずに父親の方を見る。
「アリシア、困らせたらだめだよ」
「だって、せっかく仲良くなれたのに。初めての友達なのよ」
父親は困ったような顔をしながら、ニアの方を見る。
「お世話になりました。お嬢さん、機会があったらお邪魔します」
ニアが言うと、父親は顔をこわばらせた。
「お母様、お大事になさってくださいね。お元気になられたらお会いしましょう」
そう言うとニアは僕をエアカーの助手席に乗せ、壊れたエアカーを瞬間転移装置で工場へと送った。
「それではお邪魔いたしました。失礼いたします」
ニアは深々とお辞儀をして、操縦席に乗り込むと、ワープ装置を作動させ、あっという間にアリシアたちの元から離れたのだった。




