20.不時着
体調が回復してしばらく経っても、僕の記憶はあいまいなことが多かった。ドクターは高熱が長く続いたので、一時的に記憶障害が起きているのだろうと言っていた。記憶があいまいなところについては、母に尋ねると教えてもらえるが、どうにも作り話めいていて他人ごとに感じられた。子どもの頃の記録もほとんど残っていないのもそう感じる原因のひとつだった。母に聞くと、引っ越しの際にどこかに紛失してしまった、とかパソコンに保存していたが誤って消してしまった、とか、その都度ごまかされているようだった。
そんな中、定期的に受けるドクターのカウンセリングと治療で、少しずつ思い出した記憶はまるで古い映画を見ているようだった。時折その記憶の中に、咲き乱れるバラと、風に舞う桜吹雪がノイズのように混ざることがあったが、それがどこなのか僕にはわからなかった。
誕生日以来、僕はことあるごとに母の工場に行くようになっていた。工場で研究開発されているすべてが僕にとってはとても興味深く、学校の勉強よりも何倍も楽しかった。そんな僕のために母はニアをガイドとしてつけてくれた。工場では作業全般の管理とチェックをしていたニアをそんな風に使うなんて、工場の経営は大丈夫なのかと心配したが、母は、
「それほど優秀なロボットだからこそ、あなたを安心して任せられるのよ」
と言って、全く意に介していなかった。
そうして常に僕のそばについてくれるようになったニアは、兄弟のようでもあり、先生のようでもあり、僕にとってかけがえのない存在になっていった。どこに行くにも何をするにも、ニアは僕の相棒として常にそばにいてくれたので、母が不在なことが多かったが、寂しくはなかった。
学校では当然のようにロボット工学を学び、僕は母の会社を継ぐことを将来の夢に描いていた。それと同時に人体についても興味を持ち、医師としてロボット工学に携わるのも面白そうだと思い始めてもいた。
工場は僕の遊び場のひとつとなって、自由に作りたいものや、やってみたいことを試すことができるようになっていた。その日も自分で設計し組み立てたエアカーの試運転をしようと工場へ向かった。
「最終チェックを頼んでもいい?」
僕はニアに頼んだ。
ニアは設計図を見ながら動作確認をした。
「リュウト、完璧です。よくがんばりましたね」
ニアの言葉に僕は嬉しくなり、早速試運転をすることにした。
「行く先はどうしようかな」
マップを見ていると、広い緑地が広がっている場所に目が留まった。
「ここにしよう。珍しい植物があるかもしれないし、往復するのにちょうどいい距離じゃないかな」
僕が言うと、ニアは一瞬動きを止めた。
「リュウト、そこは試運転には少し遠すぎるのではないでしょうか。このエアカーは一人用ですからもし試運転するならあなた一人で行くことになります。万が一何か起きた場合を考えると、はじめはもう少し近くから始めるべきかと」
「さっき完璧だって言ったじゃない」
僕がふくれて言うと、ニアは少し困ったような表情を浮かべ、考え込んだ。
「それでは、まずミズ・キリシマの許可をもらってからにしましょう」
ニアが母の許可を事前に得ようとするのは珍しいことだった。僕の身の回りのことで許可や選択が必要な場合、たいていのことはニアに一任されていたからだ。しかし、ニアが反対するにはそれなりの理由があるのもこれまでの経験からわかっていたので、僕はおとなしくニアの意見に従うことにし、早速母に連絡をした。
「あら、リュウト、どうしたの?」
「エアカーの試運転で行ってみたいところがあるんだけど、どうかな」
モニターにマップを開いて母に提示する。
母はマップを一目見るなり眉をひそめた。
「リュウト、そこは特定自然保護区域と言って、一般人が許可なくいくことはできない場所なのよ。残念だけど、そこはやめておいた方がいいわ」
「え、そうなの?でも、禁止区域の印はなかったよ」
僕が言うと母はいつもと違い硬い表情のまま首を横に振った。
「とにかくその辺一帯はあまり近づかない方がいいわ。もう何百年も前から人も住んでいないし、未知の環境で何かあったらどうするの。心配だからやめてちょうだい」
頑として許してくれない母に、僕はあきらめ、その代わり、ニアが提示してくれた『安全』なコースを試運転することにした。
「気を付けて行ってらっしゃい。移動中はニアとの通信をつないで、何かあったらすぐ連絡するのよ」
母は心配そうに言った。
「わかった。じゃあ行ってくるね」
僕はコックピットに座り、エンジンをかける。スタートボタンを押せばあらかじめ設定したルートに向けて自動運転が始まる。
「リュウト、私の声が聞こえますか?」
ニアから呼びかけられる。
「聞こえるよ」
僕は返事をしながら、あたりを見回す。機体は徐々に高度を上げ、眼下に広がる街並みが遠くなっていく。僕は興奮していた。
「最高!」
しばらく快適な空の旅を楽しんでいたが、急にニアとの通信が途切れた。
「ニア?僕の声聞こえる?」
僕は焦って何度も呼び掛けたが、ニアの声は聞こえない。
機体の異常は見られなかった。それならば、通信ができなくともあとはコースに沿って帰ることができるからあわてることはない。そう思っていた矢先、突然、ジャイロスコープが乱れ始めた。機体がふらつき始め、パニックになった僕は急いで自動運転から手動運転に切り替えた。操縦桿を握ると体勢を立て直し、マップを見ると、当初のコースから大幅に外れた所を飛んでいた。
前方に山並みが見えてきて、僕は慌てて高度を上げる。まずい。よけきれるだろうか。
次の瞬間、僕のエアカーは山肌ぎりぎりをかすめ、なんとか衝突は避けられたものの、バランスを崩し、操縦不能となった。
とりあえずスピードを落としてどこかに着陸しないと…
僕は必死で操縦し、森の中の湖をかすめ、その湖畔に墜落する寸前に着陸できた。




