16.別れ
僕が不老不死の研究を始めてから50年が過ぎていた。僕の研究はいよいよ大詰めとなり、あとは実験と治験を残すのみとなった。細胞に直接働きかけて再生能力を強化する薬の開発ができたのだ。これさえ飲めば、アイオンのように、不老不死を叶えることができるはずだ。無駄な手術をすることも必要ない。体への負担もずっと少なくなるだろう。そうすれば、エステルも「エレンプロジェクト」を立ち上げる必要はない。悲劇を繰り返すこともなくなるだろう。エステルに喜んでもらえることを想像すると、僕は気分が浮き立った。
けれど、そのころのエステルは研究に没頭し、僕の存在などもうすでに眼中になかった。それだから、ほんの少しの幸せな気持ちも、長くは続かなかった。僕は感情がマヒしていき、まるでロボットに戻ったようだった。
ロボットだったころ、あんなに人間になりたいと思っていたのに、こんなことならロボットのままでいたかったと思うようになっていた。このままいけば、僕は変異ウィルスに感染して死んでしまう。それならば、自分自身を不老不死にしてしまえばいいのじゃないか、と考えていた。でも、エステルの思い描く未来に、僕はいない。それを思い知った今、僕に永遠に生きる理由などないのだ。
その日は突然やってきた。いつもなら僕のことなど気にも留めていないエステルが、僕の研究室を訪れたのだ。
玄関から入ってくるエステルの足音と、彼女の声が聞こえてきた。
「リュウ、お邪魔するわね。久しぶりに一緒に食事でもと思って」
リビングのソファーで仮眠をしていた僕は突然のことに驚いたが、慌てて起き上がった。
「今日何の日か覚えてる?今日はあなたの…」
いつになく機嫌のよさそうなエステルがデスクのパソコンにかがみこむと、ハッと息をのむ音が聞こえた。そして手にしていた荷物を床に放り出すと、ただならぬ勢いでキーボードをたたき始めた。
たまたま画面をロックしていなかったパソコンの画面には、不老不死を叶える研究の論文が開いたままだった。
慌てて起き上がった僕が目にしたのは、パソコンからデータを消去しようとしているエステルだった。
「なにをしているんだ!」
慌てて駆け寄ったが、時はすでに遅く、データ全ての消去が行われた後だった。
「なんてことをしてくれたんだ!」
僕は叫んだ。
「あなたこそ、私に隠れて何をしていたの?いったいいつから彼に会っていたの?」
エステルは怒りに震えながら叫んだ。
「君こそ、僕に内緒でトレム庭園に通っていたじゃないか!彼を実験対象として独り占めしてきたんじゃないか!」
「それとこれとは別よ!あなたは祖母と同じ、彼を研究材料としてしか見ていないのよ!」
「そうじゃない!僕は、君のために…君のためにこの研究を続けてきたのに…」
僕は脱力した。
「せっかく、あなたの誕生日だからお祝いしようと思ってきたのに…」
エステルの足もとには包みが転がっており、そこには無残に崩れたケーキの姿があった。いつになくドレスアップしたエステルの美しい姿は、怒りと悲しみに満ちていて、そのことが僕の心を切り刻んだ。
これでもう、僕たちの関係は終わってしまうのだ。
「さようなら。リュウ。もうこれ以上彼には関わらないで」
そう言い残してエステルは僕の研究所を後にした。




