11.目覚め
温かい…まるで胎児になったようだ…外界からの刺激がほとんどないこの穏やかな溶液の中で、僕は眠っている…もうどれくらいの年月が過ぎたのだろうか。心地よいまどろみの中でずいぶん長いこと夢を見続けているようだ。
「…Caution…Caution…ただいまより呼吸切り替えを開始します」
警告音とともに、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「内容液排出開始。減圧装置作動。外気圧と調整開始」
心地よい環境が、少しずつ不快なものになっていく。浮力が失われていき、自重が感じられる。
母体から産み出される胎児はこんな気持ちなのだろうか。もう少し、あと少しでいいから、このままでいたい…。
「カプセル内気圧調整完了。バイタル異常なし」
薄暗かった視界が、照明で切り裂かれた。あまりの眩しさに目が開けられない。
「体内スキャン完了。臓器不全なし。覚醒レベル上昇中」
体を包んでいた溶液はいつの間にか全てなくなっており、肺一杯に空気が入ってくる。僕はカプセルの中で横たわっていた。カプセルの上部が開き、僕はそっと目を開け、手を動かしてみる。
「リュウト!気が付いたのね!」
薄目を開けたまま、声のするほうに顔を向けると、そこには姉がいた。
「おかえり…リュウト…50年、長かったわ…」
姉は涙を流しながら僕の手を握った。
「蘇生完了。身体機能異常なし」
傍らでニアが黙々と作業を続けている。僕はゆっくりと起き上がった。
「キリシマ博士、無事覚醒おめでとうございます」
ニアはこちらを向いて言った。
「筋力が回復するまでしばらくは安静に過ごしてください。徐々にリハビリを行うことが必要です」
不凍液に満ちたカプセルに身を沈めたときと何も変わらない2人を見て、僕は自分が本当に50年も眠っていたのかにわかには信じがたかった。
「これは、夢じゃないんだね?僕は50年眠っていたんだね?」
姉は微笑みながら頷いた。
「夢じゃないわ。あなたの言う通り、あなたを死んだことにして、50年間、ニアに管理を任せてきたのよ」
ニアは満足げな表情を浮かべているように見えた。
姉は50年前に宣言した通り、当時と変わらぬままの姿だった。
「この50年の間に、アンチエイジングのほうはかなりの成果を上げているの。若返りではなく、老化を遅らせる研究が進んでいるわ。結果は御覧の通りよ」
そういうと姉は得意げにその場でくるっと回って見せた。
「ほかに変わったことはなかった?」
姉はしばらく考えていたが、そういえば、と僕が聞きたかったことを話した。
「ソフィアのお孫さんが国家の大きなプロジェクトリーダーとして活躍しているわ。ええと、エステル…エステル・ド・フォークナー。不老不死について研究しているわ」
僕は胸が熱くなった。とうとう彼女に再会できるのだ。むろん、彼女は僕のことはまだ知らないけれど。
それから僕はニアによって計画されたリハビリを始め、徐々に体力を回復させていった。眠っていた50年の間に起きたことを学んだり、僕の研究のその後の進捗を確かめたりしているうちに、目覚めてから半年の月日が過ぎていた。
死んだことになっていた僕は、キリシマ・リュウトの息子、キリシマ・リュウとして再び研究を始めた。リュウトの家族歴についてはあまり世間に知られていなかったので、誰が母親であるかと言ったことは謎に包まれたままとなったが、特に問題はなかった。
「こうしてあなたが無事目覚めたことで、実験は成功だったと言えると思うのだけど、実用化してはダメなの?」
姉はビジネスの顔になって聴いてきた。
「姉さん、この50年間僕の生存のためにかかった費用を知っているだろう?」
管理自体はニア単体で済ませていたとはいえ、装置自体のメンテナンス費用は、莫大な金額になっていた。
「これを一般に普及させるレベルに落とし込むためにはさらに技術面をブラッシュアップしていかなければならない」
「それはそうだけど…そもそもあなたが死んだことにしなくても、生きて実験を続けた結果だと発表すればよかったのじゃない?」
姉は納得のいかない顔をして続けた。
「僕が生きたまま実験をする、と発表していたら、どうなっていたか考えたことはある?」
姉は眉間にしわを寄せると、考え込んだ。
「まず、姉さんの会社を乗っ取ろうとするヤツが現れる。そして、機密を持ち出すスパイやら、技術を盗み出すものも出てくるだろう。なんなら、技術を盗んだ後に、自分たちの手柄にするため、生命維持装置を破壊されて、僕はそのまま死ぬことになっていたかもしれない」
姉はため息を吐いた。
「こうして僕が無事に戻ってくることができて初めて、この実験の意味があるわけだから。これから徐々にキリシマ・リュウとして研究成果を報告していくことで、実用化を目指していけばいいと思う」
姉はやっと納得したように頷いた。
だけど、本当は、僕が一番防ぎたかったのは、この技術が今のエステルに知られてしまうことだった。僕がエステルと出会って、結婚するためには、どうしても50年の歳月が必要だったし、その間にこの研究が知られてしまったら、その時、僕はエステルにとって不要な存在になってしまうからだ。
50年の間、水に漂いながら見ていた夢はもう一度エステルの笑顔を見ることだった。
そして、エステルにアイオンという夢ではなく、現実を生きるように目覚めてもらうため、僕は死神になるつもりだったのだ。




