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水争い 2

 先日慎之介の家に身なりの良い二人が訪ねて来たのは三条実親(さねちか)の使者だったのだ、実親とはもちろん大和初瀬で会った三条の方の夫である、その時は死ぬか生きるかの瀬戸際だったが、夫人の長谷寺観音詣でにより見事一命をとりとめた、観音様に感謝するとともに、もう一人、夫人の絶体絶命を救ったのが慎之介である。 三条の方は夫実親が病から回復すると、慎之介の話を毎日欠かさなかった、彼への恩返しのため、二人の使者を送ったのである。

 慎之介は恩など思ってもいないし、貰う気も無いが、村人の命と平和が戻れば代わりに死んでも良いと言ったのである。

「童子どの、良かったのう…… いや童子どのがその気になれば千人が相手でも遅れはとるまいが、世の中の仕組みはそれでは収まらんでのう」

「大将どの、ありがとうございました」

「いやいや、お方さまじゃ、童子さまに何とかご恩を返さねばと、それでいなみ野の難儀を知ると御夫妻で江戸まで行かれて、将軍様を動かしなされたのじゃ」

「病み上がりでそこまで、無理をなされたのではないでしょうか」

「わしもそれが心配じゃったが、江戸城ではわしより早足での、息が切れてついて行くのが精一杯じゃった、どちらが病み上がりか分からんかったぞ、ハハハハ」

 いなみ野の百姓たちは救われた、皆どうしてこの場に都の公家様が現れたのか分からず、慎之介にたずねるが、ややこしい説明よりも長谷寺観音さまのおかげだと言うとすぐ納得した、慎之介自身もそう思うしかなかったが、そう思うと三条の方こそ観音様だったのかも知れない、慈悲のお心で囚われていた百姓達だけではなく、いなみ野、明石藩全体を救ってくれたのである。


 次の日大高睦(おおたかむつみ)の元に幕府より使者が送られてきた、将軍の下命である。

『明石藩の任を解く、即刻帰府し登城するべし、十日以内に登城無くば討伐とす』

 大高は絶望した、ゴロツキ侍も大半は姿を消した、周りには本多佐渡と岩下十朗が残るだけだった。

「本多、岩下よ、今度ばかりはいかんのう、ここで面白くと思うていたがのう」

「まったく、何が悪かったのじゃ」

「あの庄屋の倅がのう……」

「おおう、あいつのせいじゃ、我らがどうなろうとあいつだけは許すまいぞ」

「この期に及んでか?」

「そうじゃ、この期に及ぶから許せんのじゃないか」

「だがのう、我ら三人しかおらんぞ」

「殺るのは一人じゃ、あれを貸せわしがまたあの弓で仕留めるわい」

 言ったのは本多佐渡であった。

「よし、明日の夜ここを発つ、闇にまぎれて行うぞ」


 江戸から帰藩した三好健吾は小坂村に慎之介が帰っていると聞いてすぐにそこへ向かった、双方に積もる話があり夜遅くまで話し込んでいた。

「しばし、小用を足してくるわ」

 健吾が外へ出ると、前方の物陰で人の動く気配が見えた、気付く様子は見せず辺りを歩いてみると気配は三人あった。狙いは慎之介か? 排除しようと思った。

「出て来い、分かっているぞ」

 相手は息を殺していたが、やがて静かに身を現した、大高と岩下二人である。

「やや、お前は大高睦! なにをしている」

「フフフ、明石での最後の仕事じゃ、お前はどいていろ」

「慎之介は兄弟同然、見逃す訳にはいかん」

「片桐唐馬という男も兄弟同然だったのでは?」

 左手の闇から姿を現した本多佐渡が、半分ほどの長さの弓を構えていた。

「それが李満弓か、やはり唐馬を殺ったのはお前たち」

「バカよのう……おれたちもバカだが、お前らもバカ、バカは死ぬしかあるまい」

 本多がためらわず弓を放った、至近距離で動かぬ相手だ、外すはずがない、ところが次の瞬間、健吾が消え、そこに慎之介が放たれた矢を逆手で掴んでいた。

 消えたはずの健吾は本多佐渡の真後ろにいた、健吾自身も何が起きたのか分からなかったが、咄嗟に刀を本多に突き刺し、心の臓を貫いた、本多は一言も発せず崩れ落ちた。

「唐馬のかたきじゃ、いや本当の仇はそこにいる」

 大高を振り向いた、脇にいた岩下は慌てて逃げ出したが、数間先の闇の中で断末魔の悲鳴を上げた、健吾と慎之介が不審に見ると、闇の中からスーッと姿を現し、大高の後ろに立ったのは倉吉重蔵だった。

「健吾、慎之介、もう手を引け」

「何を言う、唐馬のかたきだ命はもらう」

「やめろ、許せぬ悪人でも一度は将軍に目通りせねばならぬ身、勝手には殺れん」

「いや、殺る! 今を逃せば唐馬に合わす顔がない」

「唐馬はもうおらん、自分だけの意地は捨てるのじゃ」

「お前には分からん、いなみ野のここに吹く風が、唐馬だと言うコトを、いつも

一人のお前に分かってたまるか」

「…… いずれにしても大高は江戸に連れて行く、邪魔をすると斬る」

 倉吉が江戸で健吾に言った、”思いが違うと刀を合わせる時がある……”

その時が来たと思った、あの夜のヤツ等のように簡単には引き下がれない。

「倉吉どのお相手願う、唐馬と共に、西島師範代の仇として」

ゆっくり刀を抜き正眼に構えた、一か月ではあるが北辰一刀流で学んだ合理の剣法である、倉吉も避けられぬ勝負と覚悟を決め健吾に合わせるように刀を抜いた。

 じりじりと間合いが詰まり、どちらが仕掛けても良いところで動きが止まった。

 何を合図に、どちらが先に仕掛けるか、いずれにしても一瞬で勝負は決まりそうだった、その時である。

「やめろ! こんなヤツのために何人死ねばいいんだ!」

 こっそり逃げ出そうとしていた大高を慎之介がつかまえていた、それもただの掴まえ方ではない、二十貫目以上はあろう巨漢の大高の首を片手で掴み、軽々と差し上げて首吊り状態にしていたのである、大高は両足をバタつかせ脇差を抜こうとするも慎之介がそれをさせない、そして持っていた李満弓の矢を大高の胸に強く突き刺したのだ。

 慎之介が声を発して一瞬の出来事だった、もう大高が動くことは無かった。

「唐馬の仇! 唐馬の仇!」

 健吾が駆け寄り動かぬ大高睦を何度も突き刺す、そんな健吾を慎之介は止めなかった、倉吉は大高が死んだ以上闘う理由も無く刀を収めて健吾に近寄った。

「もうやめろ、風がそう言っているぞ……」

 優しくそう言ったのである。


 大高の亡骸は倉吉重蔵が引き取り江戸へ運ぶと言う、ヤツの死は仲間割れの末のものであるとも。 健吾は倉吉に明石藩に留まるよう言った、師匠として教わりたいコトが多くあると、だが倉吉は自分が公儀隠密であることを明かし留まることは否定したのだった。

 それから数日後、明石藩主松平直弘に幕府より登城命令が来た、要件は記されてなかったが、良い知らせとは思えなかった、藩とりつぶしならば最悪の“切腹”を覚悟した。

 三好健吾は武士になり藩のために何一つ働けなかったことを悔い、最後のご奉公と同行を強く願い出て許された。 直弘も藩主でありながら皆を守れなかったと、江戸へ参勤中、皆と食事・寝泊りを一緒にした。

 ある夜、直弘が健吾を呼んだ。

「お前が小坂村司馬仁五郎の倅と仲の良い者じゃな」

「はは、三好健吾、司馬どのの子息慎之介とは兄弟同然でございます」

 健吾が平伏したまま答える。

「ハハハ、頭を上げよ、まるで虐めている様ではないか」

「は、恐縮にございます」

「此度の件は彼の者の功績大じゃ、仁五郎にあのような息子がいたとはの」

「大和の初瀬にて、いなみ野を救うためと並々ならぬ修業を積んだとか」

「そうであったか、良き人材に恵まれながらも、わしは愚鈍であったのう」

「いえ、滅相もございません……」

「いや、よい、この二振りを其方と慎之介に与える、渡してくれ」

「殿、慎之介には有難く頂戴いたしまするが、私はそれには値しませぬ」

「ハハハ、其方には今後明石を支えてゆくことへの期待じゃ」

「殿……」

 殿に一生仕えたいと言いたかったが叶わぬコトは健吾にも分かっていた。

 直弘は横に置いていた小刀二振りを健吾に渡した。

「慎之介には会うて礼が言いたかったと伝えてくれ」

「はは、」

 健吾が再び平伏した。


 江戸城白書院、年始の行事など多数の大名が将軍に謁見する時は大広間を使うが、個別の謁見時は白書院が普通だった、そこに今日、明石藩主・松平直弘と老中・酒井正元(姫路藩主)が控えていた、酒井にしてみれば明石藩主の改易は計画通りであるが、なぜ自分も呼ばれたのか不思議に思った、これは松平直弘の恐れ入り様を見ておけとのコトだと解釈していた。

 おっつけ上段の間の襖が開き、将軍登場かと思いきや奏者番のなにがしかがそこに立った、明石藩主は平伏したままだったが、老中・酒井は何事かと顔を上げた、奏者番は一瞬酒井を見たが、おもむろに懐から幅広い上意書を取り出した。

「上意! 酒井殿頭が高い……」

 老中・酒井は奏者番よりも地位は高かったが上様の伝達とあれば平伏せざるをえなかった。

「上意!

 一つ、老中酒井正元はこの職を解き、姫路藩より但馬国竹田藩への国替えとする。

 二つ、明石藩主松平直弘は将軍吉家八男直良を養子とし次期明石藩主として養育すべし。 以上なり」

「あいや待たれよ!」

 退室する奏者番を酒井正元が制したが。

「酒井、頭が高かろう!」

 と一括された、もう立場が逆転しているのである、頭が真っ白となった正元は明石藩主松平直弘には一瞥もくれず席を立った。


 その夜、酒井正元屋敷には倉吉重蔵が訪ねていた。

「……そう言う訳での、お主に良い目はさせてやれぬわ」

「いえ、そのようなモノは、只々直良公のお立場が良くなればと働いたまで」

「そうよのう、わしも最初はその願いだけのモノじゃったが、水争いの工作はちとやり過ぎであったかのう、上様もわしを警戒する筈じゃ」

「は、まさか一揆が起ころうとは……」

「それにしても、老中職を罷免になったとたん誰もわしに会釈もせんとは情けない…、酒井正元ではなく、”老中”と言うモノに皆は頭を下げていたのじゃのう」

「……」

「山中(兵右衛門=遠国奉行)など見てみよ、もう寄り付きもせぬわ」

「……」

「だがのう、直良公が明石藩主となるコトは叶ったのじゃ、お主も隠密を辞めたのなら、直良公を支えるよう明石藩に志願してはくれぬか」

「いえ、明石にはもう有望な若者が育っております、拙者などは……」

 正元が再三頼んだが、重蔵の意思は固かった。

「隠密の生き様が身に沁みついてございます、西国に行き暫くは世の流れを見てみようと存じまする」

 倉吉重蔵は酒井屋敷の門を出た時、なにか清々(すがすが)しい気分がした、一途で負けん気と正義感の強い片桐唐馬、友人思いで芯の強い三好健吾、神業のように大高を仕留めた司馬慎之介、これまでに出会ったことのない魅力を感じる若者を思うと、自分の時代は去ったと思える、だがそれは寂しいのではなく、実に清々しいのである。


 明石藩主松平直弘公、帰藩に向けての一行は途中の川崎宿にいた、夕食の後、直弘が健吾を呼んだ。

「先日預けた二振りを返してもらおう」

「との様、あれはもう頂いたものでございますればお返しは出来ませぬ」

「こら、なにを申す、帰藩すればそれなりの場を設け、改めてつかわすのじゃ」

「はは、ならばまた別のモノを頂戴致しつかまつりましとうございます」

 (言い方むずかしいのう!)

「な、なにをこやつ、図に乗りおって! ……な、何が所望じゃ」 

 それを聞いて健吾がペコリ? と舌を出した。



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