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闇の声

 播磨国明石藩で小姓・三好健吾みよしけんごは親友片桐唐馬の死の真相を探っていた、あれから一年も過ぎたが、なぜ唐馬は自分一人で死んでしまったのか、その思いを捨てることが出来なかったのである。

 西光寺の竹藪と言えば西島師範代が何者かに斬られた場所である、唐馬はきっとその下手人を見つけ、そこで果し合いをしたのだろう、だが、唐馬は弓で射殺されのである、相手がその下手人ならばそれはあり得ない。 ならば西光寺はたまたまか……? だが弓を用意するとは尋常ではない、唐馬が邪魔で生かせておけない相手とは? 消去法で探ると大高睦も候補には残るが、身分が違い過ぎて殺してしまうほどの相手とは思えない、知らない者の存在が必ずあると思ったが、下手に騒いで相手に知られるとまずいので、誰にも相談は出来なかった。

 健吾の手元には唐馬が握っていた矢の羽根部分が残っていた、凶器の証拠として咄嗟に本矧(もとはぎ=矢尻に羽を取り付ける部分)をへし折って保管したのである、それは何やら普通の弓とは違っていたのであるが、検死の役人は矢のコトを大して取り上げなかった。

 健吾は事件後、藩内の武具を扱う商人に、保管している矢の本矧もとはぎを見せてどういうモノかを訪ねて回っていた。

「成程、変わった本矧ですな、若干短めに作られたモノでしょうか?」

「そう思うが、これを扱ったコトは無いのか」

「へえ、わたしどもの扱うモノではございませぬな、しかもこの羽は猛禽のものでございましょう、普通に使えるモノでは……」

「なぜ使えんのじゃ」

「なぜって、猛禽の羽はとても高価なものでございます、普通手に入るモノではございませんよ、お大名への献上とかお金持ちの趣味であったり……」

「そうなのか良いコトを聞いた、また来る、何か分かったら教えてくれ」

「へへぃ、お役に立てず申し訳ありません」

 こう言う調子である。

 ある日健吾の上役が江戸藩邸へ書状を届ける役を与えられ、健吾もそれに同行するようになった。当時明石から江戸までは歩いて16日ほどかかった、長旅は初めてである、日頃の退屈な仕事と違って嬉しい反面、藩士としての責任も感じる気分だった。 武具商から江戸に行くなら、矢のことも江戸の商人に聞けば分かるかも知れないと教えてくれた。

 明石を発ち、名古屋辺りまで来たとき上役が足を痛め、歩くのが困難になったので、陸路をあきらめ名古屋からは船に乗った、尾州船である。

 健吾は幼い時から野山を駆け回ったので足には自信があったが、船はさっぱりであった、乗船して伊勢湾を出ると波が高くなり、顔色は真っ青である。

「健吾酔ったのか、まあこれも経験じゃ、上でもどしてこい気分が良くなるぞ」

「いえこれしき、どうもござらん」

 とは言ったものの他の者も甲板でもどしてきたのか、「気分が良くなった」とか言っているので、恐る恐る甲板に出てみた、船が揺れる度に千鳥足である、数人がとも(船尾)でもどしていた、みな女・子どもである。 武士でありながら情けないコトと思ったが、背に腹は代えられない、子どもの横で同じように戻した、三回もどしたら少し気分が良くなった。 口を拭こうと懐から懐紙を取り出したとき、そこに入れていた矢の本矧を足元に落としてしまった、船が大きく傾き、本矧がスーっと滑って縁に陣取っていた商人の足元まで流れていった。

 商人は本矧を取り上げると少し目を見張った。

「すみませぬ!」

「お前さん妙なモノをお持ちだね」

「それが何だかわかるのか」

「へえ、李満弓りまんきゅう・雷槌の本矧ですよ」

「りまんきゅう? 雷槌いかずち? ……」

「?? 何も知らずにお持ちか?」

「知らぬ、教えてくれ!」

「ハハハ、手前は近江千石屋・藤兵衛、近江商人でございます、お武家さまは?」

 健吾の船酔いがいっぺんに醒めた、明石藩士三好健吾と名乗り藤兵衛の話を聞いた。 李満弓と言うのは、籠に乗せるための短弓『籠半弓』のことで、伊勢南部から熊野の武道家”林李満”により作られたのだ、それで『李満弓』と呼ぶらしい、その弓に使う矢を雷槌と呼び、弓も矢も特別なモノだと言う。

「羽はクマタカの風切り羽、抜けた羽根ではござらんぞ、糸は熊野麻の四本撚り紐、漆で硬めてござろうが?」

「はあ……」

「篦(の=矢の本体)は熊野黒竹の三年生、二寸弱の上物ですな」

「そのようなことまで分かるのですか?」

「断面の繊維の詰まり具合で分かるのですよ、お大名の持ち物かと……」

「どうして大名と?」

「ハハハ、弓はもう合戦には使えません、籠半弓はその名の通り籠からでも射ることが出来る弓、籠に乗る身分と言えば? 弓を見ぬと分かりませんが、これだけ高価な品はお大名への献上か、お大名同士の贈りものにございましょう」

「大名のう……」

「失礼ながら明石藩と言えば、先年伊勢の守の大高睦さまが赴任なされているとか? 伊勢の守さまならば李満弓もお手に入れ易かったと思われますがの」

「伊勢の守がなぜ」

「林李満と言う男、いささか変わっておりましての、近江千石屋でも商売になればと製作の交渉に行ったことがございます、ですが噂どおり大名の依頼であっても断る程の男でございました、何が一介の商人なんぞに……」

「伊勢の守は?」

「はい、李満とよほど気が合ったものか、或いは伊勢神宮へは幾度か奉納しておりまするゆえ何張かはあるハズ、大高さまは悪い噂も多ございましたからねぇ」

「盗んだと申すか!」

「いえいえ、とんでもございません、あっしの口が悪うございました」

「あいや、私の方こそ正直なそなたを叱るとは、許せ!」

 それから船の長旅ということもあり、色々と大高の悪行を聞いた、商人だけあって色々なことに精通していて、それなりの知識もあったのである、健吾は今の自分は上役のことだけ聞いている、井の中の蛙だと恥じ入った。

 やがて尾州船は江戸佃島を横手に見ながら永代橋近くの河岸に着いた、健吾も藤兵衛とはここで別れ、ここからは別の小舟で運河を日本橋まで向かった。上役からは町人と気安く話すなと言われたが、ここ数日で今まで考えもしなかった世の中の理等コトワリが想像できるようになり、価値観も変わって来たのである。

 江戸での滞在は一ヶ月あった、上役は藩邸の中で雑用をやらせようとしたが、藩邸の主の理解もあり、せっかくの江戸だからやりたいことがあればやれば良いと健吾をシバらなかった。

 健吾は全国各藩から剣術修業に集まると言う、神田は於玉ヶ池・北辰一刀流の千葉道場に通うことを決めた、先年亡くなった唐馬の目標でもあったのだ。

 道場では剣(竹刀)を振ることだけではなく、合理的な剣法も学んだ、座学もあり、共に学ぶ者は藩が違っても全員仲間である、当然仲が良くなった。

 (幕末の坂本龍馬も北辰一刀流千葉道場門下生である、ここでの仲間には新選組の隊士も、会津藩の武士もいた、彼らの中では御用改めで斬り合いになっても坂本は逃がせとの申し合わせがあったと言う)

 道場に通い始めて半月である、仲間の一人が帰藩するため、送別の宴を小奇麗な茶屋(芸妓が呼べる店)で行った、もちろん芸妓を呼べる身分ではない、それでも江戸の思い出にと上客の部屋を取ったのである、健吾がかわやに立った時、廊下の向こうに女中に案内されて、奥の部屋に入る武士に目を取られた。 明石藩・大高睦の従者倉吉重蔵である、倉吉がなぜここに? それに誰と会っている……。

 健吾は宴のあと倉吉の後をつけた、仲間の一人には倉吉と会った相手の行き先をつけてもらった。 倉吉は裏道の小さな一軒家に入った、表札はなく何やら妾の囲い家のようであった。 次の日倉吉重蔵と会っていた相手は播州国姫路藩の酒井正元屋敷に入ったと仲間から知らされた。

 それから三日後、道場での稽古を終え、仲間と少し飲食した後、藩邸に戻る途中で誰かにつけられている事に気が付いた、足を速め人通りの多いところに急ぐつもりだったが、前方の路地からも二人の侍が出てきて道を塞いだ。

「千葉道場の門下生だな」

 前に二人、後ろに付けた二人は既に刀に手をかけている。

「千葉道場に間違いはないが、貴公らに恨まれる覚えは無いぞ?」

「そこもとに無くともこちらにはある、問答無用だ!」

「まて、問答無用で命はやれん」

 四人とも抜刀してじりじりと迫って来た、健吾は冷静だったが勝ち目は無いと悟った、前と後ろ二人は斬れても後の展開が想像できなかったのである、その時。

「待て!」

 もう一人、闇の中から声がかかった、四人が一瞬怯ひるむと背後の二人の後方から、声の主がゆっくり現れた、倉吉重蔵である。

「お主ら誰の指図か知らんが、一人に四人は卑怯じゃのう、腕に自信が無いのか」

 後ろの二人はどちらに刀を向けるか迷っていたが素早く健吾の前に体を移し四人と二人が向き合う形となった。

「要らぬ手出しをするな、一緒に死にたいのか!」

「死にたくはないさ、死にたいと思ってわざわざ出て来るヤツがいるか」

「ならば去れ!」

「おいおい、わしが去るとお前たちの内二人は死ぬぞ、それは誰かのう、助けてやろうと言うのがジャマか?」

「邪魔だ! 去らぬと斬る」

「そうか、では四人とも死ぬることになる」

 重蔵がゆっくり刀を抜いた、豪刀である、刀身を見れば大体の器量が分かる、落ち着き払ったその構えはこういう場を幾度も経験したような凄みがあった。

 一方四人の構えは『四人とも死ぬ』と聞いたせいか明らかに落ち着きが無かった。

「お、おれは止める……」

 一人が刀を引いたのがきっかけで、残りの三人もすぐそれにならった、最初威勢の良かった者も何も言わず背を向け走ったのである。

 ホッとしたのは健吾だったが、倉吉にどう応対すれば良いのか分からない。

「く、倉吉どのでございますな、かたじけない」

「三日前、お主がつけていたのは分かっていたよ、その後わしが藩邸までつけた」

「え? まことでございますか」

「ハハハ、つけるのはわしの方が上手そうじゃな」

 健吾はバツが悪かった、謝るべきか……

「お主、三好健吾だな? 片桐唐馬の死の真相は分かったのか」

「な、なんでそんなコトまで」

「友達思いは良いが一つだけ言っておく、大高睦には絡むな」

「やはり大高? でも唐馬の死にどうして大高さまが」

「あの日あそこで、唐馬が戦う相手はわしじゃったのじゃ」

「それでは、あなたが水奉行と西島師範代を」

「西島と言ったのか、惜しい男を斬ってしまった」

「今さら何を言われるか」

「斬った後の唐馬を見てそう思ったのよ、あの一途さがのう……」

 重蔵は自分が大高とは一線を引く身であるとして、唐馬が死ぬ前の事を話した、自分との勝負の為大高を利用したが逆に消されたのではないかと所見を述べた。

「唐馬は、卑怯にも弓で……、李満弓という短い弓らしいのです」

 健吾が懐から矢の本矧を出して見せた。

「おおう、それは多分大高所有のものじゃ、ヤツの櫓の間に飾ってある」

「本当でございますか」

「本当じゃ、いつぞや伊勢神宮の奉納品じゃと自慢していたのを覚えている」

 健吾がメラメラと燃えて行くのが分かった。

「お主、今にでも大高に飛び掛かる様に見えるが、闘志は隠すモノぞ」

「我慢出来ません……」

「その心が危うい、心は器じゃ、自分だけが分かる器に入れとけば良い」

「…… 私は倉吉どののことも良く存じ上げません、信用できぬやも」

「それも自分次第、他人が信用せよと言っても根拠がないでの、ただ今一度言うておく、大高には絡むな、出来るだけ遠くにいるのじゃ、江戸でわしに会ったことも他言無用じゃぞ、明石で会っても知らん顔をしておけ」

「それは私の為? 倉吉どのの為?」

 重蔵の鋭い視線を感じた。

「お互い思うように生きておるが、思いが違うと刀を交える時があるかものう、その時は今宵のヤツ等のように簡単には引けぬぞ……」


 大和国初瀬の里坊、善恩院に司馬慎之介がいた、あれから天狗に会うことはなかったが、夕陽の丘で一人での修業は欠かさなかった。また長谷寺では仏教の教義を学んだ、中でも『八正道はっしょうどう』は大きな立場で物事を判断できる人間となる事を示す道として解き明かしたものである。 その時々の道理に合った最善のモノであり、慎之介の学ぶ道もそこにあったのである。

 最初からの勤行も続けていて、善恩院・善恵和尚はもちろん、寺の僧侶や地域の人々からも信頼を得ていた。

 そんなある日の夕刻、慎之介に早飛脚による母からの書状が届いた、内容は父仁五郎が捕えられ牢に入れられたとの事、帰って来て欲しい。とあった。

 来るべき時が来たのか、父や母のことを思うと居ても立ってもいられなくなり、善恵和尚に相談をした。

「慎之介どのは良く修業をなされ、ここに来た目的は達成なされている、早く戻られるがよかろう」

「はい、今からでも発とうと思います」

「まてまて、早くとは言ったが発つ準備もあるし夜道は危険じゃ、まして今日は新月じゃぞ、迷うのも怖い、明朝を待つが良いと思うがの」

「いえ、夜道は平気です。父や母のことを思うと一刻も早く帰りたいのです」

「そうではあるが、夜道の山越えは方角も分からぬ、わしは不安じゃ」

「和尚さまお許しください、お気使いは身に沁みます。 ただ寝て朝を待つより父母の元へ向かいながら朝をむかえたいのでございます」

「そうか、その思いも十分わかる、では何も言わん気を付けて行くのじゃ」

 慎之介が急いで身支度を済ませると、和尚は残っていた飯をおにぎりにしてくれていた、替えの草鞋も二足渡してくれたのである。

「和尚さま、ご恩は決して忘れません、必ずまた門を叩きましょうぞ」

「なにを大げさな!と言っても、わしも慎之介どののことは修業中の仏に会っていたような気持ちで見ていたのじゃ、きっと立派な仏になりなされ」

「和尚、きっとまた帰ってまいります」

「喝! 今は己の成すべきことだけを考えよ」

 慎之介は深々と頭を下げ、流れる涙を拭いもせず裏口を闇に駆けて行った。

 上り口から善恵和尚がいつものように見送る、その後ゆっくりと夜の初瀬山に一人登り、長谷寺十一面観音様に手を合わせた、朝一番に本堂に入った僧侶が驚いたが善恵は動かず、その後一昼夜を断食して観音様の前を離れなかった。

 さて無我夢中で飛び出した慎之介だが、やはり新月の夜道は無謀だった、暗くて分かれ道の立札が見えない、道そのものが分からないのである。

(困ったな、迷ったらおしまいだ、やはり和尚の言うとおりだったか……)

 歩きを止めようとした時、前方に鬼火が現れた、不審に思う。

「おのれ、妖怪か!」

 辺りは静寂に包まれている、風も無く獣の声も聞こえない、暗闇が広がっているだけだ、なのに慎之介だけに聞こえるような声を感じた。

「鬼火を信じて行くがよい」

 なんと善恵和尚の声だ、いや声の主は誰だか分からないが、善恵和尚が長谷寺巨大観音像の前で、一心に念じている姿が脳裏に見えた、鬼火は和尚の念を通じた観音様のお導きなのか。

「和尚…… 和尚……」

 再び涙がこぼれる、おれは多くの人に支えられて生きている、多くの人に見られているのだ、鬼火の方向に走る。 走ると鬼火は消えてまた真っ暗闇だが道は一本道だ、分かれ道になるとまた鬼火が導いてくれる、慎之介は自分を支えてくれるモノを信じて進むだけで良かった。



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