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初瀬(長谷寺) 1

 奈良の長谷寺である、歴史はかなり古い、創建は奈良時代だが詳しい時期や経緯いきさつは不明と言われるほど古いのである。また、長谷寺は地名の初瀬(はつせ=はせ)から来たモノともいわれる。私(作者)はこの半年間に数回訪れていて印象も良い、親しみのある寺と受け止め、知らない人に対しては随分と講釈?を述べるコトが出来るだろう。 ただそう思っている者ほど、本当のところは何も知らないのである。 さて、どう書き出せば良いのだろう……。


 石畳の参道から石の階段を上がれば立派な総門が入山者を迎えてくれる、だがここでは睨みの利いた二体の仁王像から寺に入る心を問われることになる、五百段ある登楼の石段も、最初は緩やかだが初瀬山の中腹に建つ本堂の前では、来る者を拒むかのように段差が大きくなる、苦難の先に観音様と出会えるのである。

 明石藩小坂村庄屋の一人息子、司馬慎之介は長谷寺から少し離れた里坊に囲われていた、里坊とは山で修業を終えた老僧が下山して余生を過ごす場所である。

 ここの主、善恵ぜんけい和尚は長谷寺の大僧正(一級:緋色の法衣)を長年務めた偉い御坊であった。

 長谷寺と司馬家の関わりは、数代前に起こった大和天文一揆に遡る。 畿内各地で起こった他宗派排除の一向一揆がこの大和国まで広がった、この時室町幕府軍として制圧に当たったのが司馬家の先祖だったのである。 彼の働きで大和一帯の宗派が一揆から守られ、特に司馬氏が拠点とした長谷寺の法主は彼に生涯の報恩を誓ったのである。そのえにしで慎之介がココにいる。

 夜明け前のまだ薄暗い中、慎之介がソーっと善恩院(里坊)の裏口から出ようとしていたところに、善恵和尚が声をかけた。

「慎之介どのご苦労じゃの、だが三月も行えばもう良いのではないか?」

 慎之介は当所に来た翌朝から長谷寺の掃除を勤行としていたのである。

「いえいえ、寺の僧侶さまは一日でも成さざる荒行を千日行われるとか」

「ははは、あれは人間の行える業ではない、そんなものを手本にしようものなら命がいくらあっても足りなくなるわい、ははは……」

「はい、なのでわたしは私の出来るコトでご奉仕をさせて頂いております」

「まあ良い、清き心を引き止めることもなかろう、南無大師遍照金剛!」

 善恵和尚が手を合わせて上がり口から見送った、表の木蓮の花びらが昨夜の風で大分散らかっているだろうと思ったが、一片も落ちてなかった。 慎之介の後姿を見送りながら微笑み頷いた。

 慎之介がここに来たのは何も掃除のためではない、明石藩に於ける困難の現実を知らされ、それを一人でも打開出来る力を身に付ける為だった、その”力”とは時に知恵であり、時には刀でもあると考えた。

 長谷寺では仏門の教えから幾らでも学問はできたが、さすがに刀を振るうコトは出来なかった。 だが理解の深い善恵和尚が、初瀬山の山深くに天狗杉と言うのがあって、そこで天狗と共に修行をする者は一流の兵法者になれると教えてくれた、もちろん言い伝えであり真偽は分からぬ? とも。

 慎之介は寺で掃除と僧侶たちの世話の後は日の暮れるまで山に入った、天狗杉を探すのだが、広い山中を手がかりもなく探せるものではない、ましてそれがあったとしても名前が書かれている訳でもなく、無いモノを探すが如くなのである。

 西の山麓に少し開けて里坊が見渡せられる絶好の場所があった、毎日ここで大きな切り株に腰を下ろし、夕陽を見送った後、下山するのである。

 今日もそこに腰をかけていると急に雨が降り出してきた、慌てて木陰に逃れたがよく見ると降っているのは自分の周りだけだ、木陰から出ると今度は自分の周囲以外が降っている。 現実離れした空間で二間先に人影が見えた、八尺はあろうかと言う杖を持ちボロを纏った老人のようである。

「だれだ」

 返事は無かった。

「だれだ、あなたは……」

 老人は少し動揺したようだった。

「見えるのか、わしが見えるのか?」

 今度は慎之介が動揺した、言葉が出ないのである、必死に声を絞り出す。

「あー、あー、あー」

「あれ、見えるとは参ったのう、もう少しキレイな格好をしとけばよかった……」

「あー、あー、あー」

 その時だった。

「喝 !!」

 善恵和尚が枕元にいた、夢だったのだ。 和尚から焦りは禁物、いつ何時も心には余裕を持てと諭された。

 慎之介はその朝も勤行を怠ることはなかった、午後は山にこもる……。

「ここだ、昨夜の夢はなんだったのだろう」

 切り株に腰かけて瞑想した、しばらくして目を開けるとなんと一間先四方で静かに雨が降っている、まただと思ったが今度は現実である。

(落ち着け、心に余裕だ!) 暫らくして雨は止んだ、二間先に仙人のような老人が立っていた。

「司馬の子孫じゃな」

「あなたは誰でしょう」

 今日は声が出た、老人が近寄ってきた。

「わしは天狗じゃ」

「てんぐ……?」

「なんだ、お前が十年も探し回ったわしが分からんのか」

「じゅ、十年?」

「ああそうじゃ、お前はここで十年彷徨さまようておる」

「いえ一月ほどでございますが」

「こちらは時の経つのが早い、だからそちらからは見えぬはずなのじゃが、司馬の子孫じゃから見えるのかものう」

「……」

「まあよい、お前は何をしにここへ来た」

 今までの経緯いきさつと強くならなければならない訳を語った。

「司馬の子孫がのう、百姓か…… いや百姓が悪いわけではないぞ」

「はい、百姓も武士も同じ人間です、其々に支えあうのが良い世の中かと」

「だが世の中は変わってゆくものじゃ、今は不都合なコトが、この先は必要なモノになることもある、その逆も然り、それをお前の判断で決められるのか?」

「その答えは禅に求めようと心得ます、御仏とはまだお会い出来ませぬが、天狗どのにはこうして会えました」

「禅か、おまえ上手いことを言うのう、気に入った。 わしについて修行する気ならば、わしのことは大鬼坊と呼べ」

「大きな鬼ですか?」

「ばか! 大和の天狗のことじゃ、いつもはもっと楽な格好でおるのじゃが、今日はちとヨソユキで来たから肩が凝るわい、強くなる修行は肩もみから始めよ」

 ナントも信じて良いのか?変わった者である、慎之介は師匠となる大鬼坊の肩を揉まされた、さほど凝っても無いようだったが、もっと強くとか親指が弱いとか注文が多かった。肩もみの後は寝床の洞窟まで水を運んだり、大鬼坊の仕留めた大猪を運んだり、座って休む間も無いほどこき使われる。 十日が経った、あまりに里坊を離れているので心配しているものと、夕方山を下った。

 急いで善恩院の裏口から入ると善恵和尚が夕餉の支度をしていた。

「和尚さま申し訳ありません」

 言葉を続けようとしたが、和尚から意外な返事が返ってきた。

「今日は少し遅かったな、何かあったのかな?」

「はい、実は天狗と十日ほど……」

 誰が信じるかと思った。

「き、今日は何日でしょうか……」

 善恵和尚が手を止めて慎之介を見た。

「はて面妖な……今朝出て行き、今しがた帰って来たのみ、日は変わらんよ」

「え? そ、そうでございますか……」

「慎之介どの、昨夜のうなされようからして、少し休むがよかろう、天地の周りと同様、人の気もめぐり合わせの悪い時があものじゃて」

「和尚、違うのです。実は山で天狗と出会いまして」

「ははは、あれは戯言ざれごとぞ」

「いえいえ、わたしも千日行を思い、毎日初瀬山を歩いておりましたが思いもよらぬ天狗と出会い、今日は十日ほど修業をして参りました」

 自分でも言っているコトがおかしいと思った……。

「よいよい何も言わん、これを食べて休むがよいぞ」

 言われるまま夕餉をとり、横になって休んだ、いつも疲れているので十分眠れるのだが、今日はそれ以上に健やかに眠れた、朝起きると昨日のコトが丸々夢ではなかったかと思えた。 心配した善恵和尚が部屋の外から声をかける。

「慎之介どの、今日は休みなされ、寺には昨夜文を遣わしましたゆえ安心なされ」

 慎之介は起きて身支度をした、小坂村を出るとき父親が持たせてくれた、武将であった祖先の名残に、家宝として残した太刀を身に付けた。

「和尚、お心遣いありがとうございます、しばらく寺には行きません、ここも数日の間留守をするやも知れません、そうであってもご心配なく、きっと無事に帰ってまいります、私は本当に大丈夫ですので」

 善恵和尚に深々と一礼してくるりと背を向けた、その姿は昨日までの慎之介ではなく何やら神々しいモノに思えた。


 初瀬山の奥深く、ではなく夕陽が綺麗に見える場所なので、時々は里の者も登ってくる展望台の様なところだった。 だがそこには、時間の流れの差で生じる結界が、誰にも見るコトが出来ない空間を作り上げていた。

「大鬼坊どの、良ければ小袖でもお持ちしましょうか」

 天狗は夢? で会った時と同じボロを纏っていた。

「ばか、わしに恥をかかせるか、人を衣服で判断すでない! と言うモノもわしも最初出会ったときはチト恥ずかしゅうての……」

「ははは、大鬼坊どのは天狗らしくありませんねぇ?」

「なにをぬかす、お前はこういうコトが出来るのか」

 そう言うと持っていた八尺の樫木の杖を思いきり投げた、だが次の瞬間に杖は手元に戻ったのだ。

「ひえ~、どうやったのですか……」

「投げたモノを拾って来ただけよ」

「ひ、人の仕業とは思えませぬ」

「お、お前はわしをなんと思っておるぞ!」

「て、天狗の大鬼坊さまです」

「そうよ、それを忘れてはイカン、最近はわしも三百年ほど大人しくしておるから、人間どもは皆天狗のことを忘れてしまっとる」

「さ、さんびゃく? 大鬼坊さまはいったい何歳……?」

「またバカ者が! 年寄りにトシを聞くな、二千年程は数えておったが後は数えておらん、天生にトシは関係ないのじゃ」

「はあ、”天生”ですか……、ところで大鬼坊さま、この空間はどれくらいの広さがあるのでしょう」

「広さ? お前が望むほどじゃ、広く望めば広く、狭く望めばそれ程のモノ」

「……まだ理解が出来ませぬ……」

「そうじゃの、天狗の世界は奥が深い、物事の一つ一つが分かるのには其々百年はかかるぞ? 人間の世界はどうじゃ、五十年もあれば大体のことわりを知ることが出来るじゃろう、こちらでは千年はかかる、天狗と人間にはそれだけの違いがあると言うコトよ」

「はあ~、天狗さまはエライのですね~」

「エライ……、昔は天狗もいっぱいおってのぉ、京は愛宕の太郎坊、鞍馬に僧正坊、滋賀比叡は法性坊、近くにも大峰山の普鬼坊よ」

 話し出したら止まらなくなった、あれやこれやの武勇伝は尽きる事はなかった。

「それはどのくらい前の話ですか?」

「五千年ほどかのぉ~、たった五千年で天狗は今、わし一人じゃ……」

 急にしんみりとして言葉数が少なくなった。

「エライのかのう……」

 とうとう泣き出してしまった。

「慎之介、わしはのう、辛いのじゃ、寂しいのじゃ、じゃが久々の新入りの修行には手を抜かんぞ、それ!」

 杖が急に飛んできて慎之介が立つ足元の岩を砕いた、かわしたかと思うと杖は大鬼坊の手にあり、次々に攻撃してくるのである。 結界の向こうに夕陽を見ていた男女がいたが、もちろん阿鼻叫喚のこちらに気が付くはずが無かった。




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