醜い私の心の澱
私の愛する婚約者には、可愛らしいお姫様がいる。
彼の遠縁の親戚で、病弱な彼女。空気の澄んだ婚約の領地で療養している。可憐で美しく、性格もいい病弱な娘。彼女は誰からも愛されて、心配されて、大切にされる。
それは彼も同じこと。
彼は大層彼女を可愛がる。
熱が出れば自ら看病し、時には私とのデートの約束もすっぽかす。
けれど私はそれに何も言えない。
彼女は多くの人から愛されているから。
私の家族でさえ、彼女を疎むどころか心配している。
それだけ、本当に良い子で愛される子なのだ。
…かといって、私が酷い扱いを受けているわけでもない。
デートの約束をすっぽかすのはどうかと思うが、そういう時にはいつも謝罪されてプレゼントを贈られる。
アフターケアまで受けていて文句を言う私の方がおかしいのだ。
彼の両親も、彼女を可愛がるが私にも気を遣ってくれているのがわかる。
私の両親も、彼女のために彼が私との約束をすっぽかした日には好物を食卓に並べてくれるくらい私に優しい。
じゃあ何が不満かって、彼女の存在自体だ。
最低な人間なのだ、私は。
病気の療養に来ている娘に、嫉妬して、憎んで、疎んで、しかもそれを表に出さないようにして沸々と醜い心を滾らせる。
彼女は何も悪くない。
むしろ、病気の彼女のお見舞いに行くと笑顔で迎えてくれて。
優しい子。
可愛い子。
私だって彼女を好きになりたかった。
でも、私は心が汚いから。
彼女のことが、憎くて仕方ないのだ。
ある日、彼が彼女を少し陽に当たらないとと庭に連れ出したらしい。
彼女は陽の光に当たるととても綺麗で。
彼はそれを慈しむような目で見ていたと。
「へえ、情報提供どうもありがとう。それを私に言ってどうしたいの?」
「いやぁ?諍いでも起こらないかなって」
「最低」
「はは、だろうよ。僕は君の敵なのだから」
我が家と敵対する侯爵家の一人娘、将来の女侯爵たる彼女。
そのくせ我が公爵家に入り浸るし、私にやけに構うし、だから私と彼女を通じて我が家と彼女の家の敵対関係は落ち着いてきてしまった。
今では手を取り合って一緒に事業を行うこともある。
いや、良いことなのだけど。
「ねえ、貴女どうして私に構うの?」
「人々はあの病弱な姫君を可哀想だというけれど」
「またその話?彼女の話は聞き飽きたわ」
「まあ最後まで聞けって。僕はね」
一呼吸置いて、彼女ははっきりと言った。
「彼女より君の方が、よほど惨めで可哀想だと思うんだ」
「…最低」
はっきり言われた。
自覚はしていたが、そんなにズバッと言わなくてもいいのに。
「君は僕に最低最低と言うけれど、本当に最低なのは自分だと思っているのだろう」
「…そうよ、悪い?」
「うん、悪い」
彼女は私の肩をがしっと掴み、私と無理矢理目を合わせた。
「君はね、可愛いよ。ちゃんと可愛い。誰よりも可愛いんだ」
「は…?」
「あんな可哀想なお姫様より、よほど可愛い。だから僕は君に構うんだから」
何故だろう。
何故か、涙が溢れてきた。
これはどんな感情?
「…うっ、ぐすっ、み、みないで」
「見られたくないなら、僕の胸で泣けばいい。おいで」
ぎゅっと抱きしめられて、彼女の意外にも豊満な胸で圧迫される。
でも、このふにゅふにゅが今は心地いい。
「あんな可哀想なお姫様にかまけて、こんなにも歪でアホで、自己否定の塊の本当に可哀想な君を放置する真性のバカどもはもう放置しなよ。寂しいならば僕を頼るといい」
「どうして?貴女、どうしてそんなに私を…」
「愛しているから」
言葉に耳を疑った。
「は…?」
「恋愛感情なのか、庇護欲なのか、はたまた別の何かなのか。まだまだ幼い頃のことだ。子供のためのパーティーで、君より可哀想なお姫様を優先したあの男に置いていかれて泣く君を見つけ…僕は、この子を助けるためにならなんでもしようって思ったんだ」
「え、え」
「敵対する家の子だと知っていた。それでも放っておけなかった。愛おしいんだ、心から。守ってあげたいって、初めて思った」
「…」
本気、だろうか。
「だから僕は、女侯爵になると決めたんだ。それに必要な能力も養ったし、親にも認めさせた。君の家との関係修復にも尽力した。婚約者も作らなかった。後継者は親戚の子を将来貰うってことで両親も納得してくれた」
「………」
「満たされない、愛されない、可哀想な僕の可愛い子。どうか、僕を君の愛人にしてくれないか」
「!?」
「あの男は、可哀想なお姫様を愛人にする気だと噂だろう?実際、可哀想なお姫様には婚約者もいない。ずっとあの家に居座る気ですらある。あの男は噂を否定してすらない。もう、君も新しい恋に舵を切った方がいいよ」
なんてことを言うのだろう。
本当に勝手な人。
でも…。
「…絶対、秘密の関係?」
「うん。絶対秘密の関係。もう自己評価は最低なんだろ?だったらいっそ悪い子になっちゃえよ」
その言葉で、踏ん切りがついた。
「…うん、悪い子になる」
「ふふ、オーケー。君は今日から、僕の姫君だ」
元から悪い子だったけど、私はさらに一線を飛び越えた。
飛び越えたら、呼吸が楽になった。
彼と結婚した。彼の子供を産んだ。彼は私を良妻賢母だと称える。
私は夫を支えて、子供を愛し、彼の両親も私を良い嫁だと言う。
私の両親も、嫁に出た私を自慢の娘だと胸を張る。
病弱な彼女は、まだ彼と一緒にいる。
私はそれに文句を言わないし、それに対して心の澱を感じることも無くなった。
「何故なら、全て貴女のおかげよ」
「そう?」
「そう」
彼女と愛人関係になって、色々と爛れた裏事情を抱えることになったが…誰にもバレていない。
周囲からは親友だとでも思われているらしい。
彼女の存在が私の支えになってから、私は彼や病弱な彼女を気にしなくなった。
呼吸が楽になった。
おかげで苦もなく良妻賢母を演じられる。
「私ってやっぱり悪い子よね」
「そうだね、僕らは悪い子だよ。お互いにね。でも、それすら愛おしい」
「ふふ、もう」
「それにね、彼と可哀想なお姫様だって今でも続いてるじゃないか」
「あの二人が不倫関係かは正直わからないけど…」
まあでも、噂にはなっている。
そして二人はそれを否定していない。
私の噂は出ていないから、私たちは上手くやれているらしいが…実際浮気しているかはわからないが噂を否定しない彼と実際浮気していて黙っている私、どちらの罪が重いだろう。
…間違いなく私だ。
私は落ちるところまで落ちた。
幸せだけど。
「けれど、いい加減君の愛息子や愛娘たちも彼と可哀想なお姫様の噂を理解できる年齢だろう。それで噂を否定して回らないとか、子供にも悪影響なのにね。だから、あっちはあっちでクソだよ」
「あら、お口が悪い。でも、子供たちが噂を聞いたら、その場合のケアもいい加減考えなくちゃね」
「お疲れ様」
「ふふふ」
色々爛れてるし、今でも綱渡りの不安定な幸せだと思うけれど。
…醜い私が心の澱を取り除くには、きっとこの道しかなかったから。
「愛してるって言ったらどうする?」
「両思いだと大はしゃぎするよ」
「愛してるわ」
「僕もだよ!」
ぎゅうぎゅう私を抱きしめる彼女に、感謝と愛を感じるようになってしまったのは…それだけは、どうか許してほしい。
いつか色々な報いを受ける日が来ても、彼女との関係だけは後悔したくない。
悪い子でごめんなさい。
でも今、すごく幸せなの。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
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