7.もう一人の飛び級生徒
今でこそ『魔剣帝』などと呼ばれている俺だが、昔から強かったわけじゃない。
まだ幼い頃、全てを失った俺は、生きていくために、剣を極める道を選んだ。
毎日、欠かさず剣を振り続けた。
なにもかもを失い、なにも持っていない俺が、生き抜いていくために。
……遠い未来、倒さなければならない相手を倒すために。
自分よりもはるかに実力が上の強敵と戦うはめになったり、卑怯な罠に引っ掛かって殺されそうになった事もあった。
危うく命を落とすところだった、という状況に陥ったのは、一度や二度じゃない。
そう言った苦境を乗り越えて生き残り、いつしか世界最強クラスの剣士と呼ばれるようになったんだ。
多彩な剣技を使い、達人だろうが、化け物だろうが、神だろうが、魔だろうが、あらゆる敵を斬る。
特定の国家や組織に属さず、己が道を突き進む、自由を信条とした最強の剣士。
それがこの俺、魔剣帝、アヴァロン・エムエルスなのだ。
子供にされたという事は、最強となるよりもずっと前の状態に戻されたという事になる。
今現在の俺は、本来の俺よりもかなり弱い。悔しいが、これは事実だ。
ならば、俺が一〇歳だった頃と同じ実力かというと、少し違う。
身体は同じでも、今の俺には知識と経験がある。魔剣帝と呼ばれるまでに至った道のりの記憶が、残っているのだ。
肉体そのもののスペックは変えようがないが、記憶があるおかげで、それなりの力を発揮する事ができる。
剣の扱いについては、そこらの騎士よりも理解しているつもりだ。
相対する人間の剣筋も見極める事ができるし、どう対処すればいいのかも分かる。伊達に魔剣帝などと呼ばれてはいない。
弱体化したとはいえ、今の俺は、同年代なら最強だと思う。
六つぐらい年上の連中にも余裕で勝てたしな。相手が弱すぎただけなのかもしれないが。
「上級生と揉めたそうね。駄目でしょう、そういう事をしては」
「……すみません」
学院の職員棟にて。俺はクララ先生に呼び出され、説教を受けていた。
本当は年下だが、今の俺にとっては年上の先生から説教されるというのは変な気分だ。
俺を注意してはいたが、クララ先生はそれほど怒ってはいない様子だった。
「事情は聴いているわ。アーシェさんを助けたそうね。その点は立派だと思う」
「いやあ、それほどでも……」
「それはそれとして、悪目立ちしすぎでしょう? 飛び級しているというだけでも目立つのに、問題を起こさないようにしないと」
「……すみません」
先生の言わんとしている事は分かる。一〇歳の子供に好き放題にされたら、学院の秩序もクソもなくなるって事だろう。
俺としてはかなり手加減をして、必要最小限の暴れ方をしたつもりだったんだが……あれでもやりすぎだったのか。
「暴れている時点で駄目でしょう! 無駄な争いは避けるようにしなさい。分かった?」
「……気を付けます」
連中が剣を抜いた時点で、叩きのめすしかないと思ったんだが……言われてみれば、軽率だったのかもしれない。
相手は素人の学生なんだし、手を出さずに説得するべきだったのかもな。
シュンとした俺を見て、クララ先生は苦笑していた。
「反省しているのならそれでいいわ。たとえ相手の方が明らかに悪くても、なるべく暴力には訴えないようにね。やりすぎるとあなたが悪者にされちゃうわよ」
「はい」
そこでクララ先生は俺に手を伸ばし、俺の頬をそっと撫でてきた。
意味が分からず、戸惑う俺を見つめ、クララ先生は小声で呟いた。
「少しやりすぎではあるけど、さすがね。真剣を抜いた上級生の集団と対峙して、怖くはなかったの?」
「まあ、ちょっとは。手強いのがいたら思わず斬っちゃうかも、と思うと怖かったですね」
「自分が斬られる心配はしていなかったわけね……さすがは魔剣帝の弟子といったところかしら?」
「ははは……」
クララ先生は、俺の事を心配してくれていたらしい。
今は年上だが年下の先生に心配されるというのは、なんだか恥ずかしいし、申し訳ないな。
次からはもう少し上手くやろう。
「それはそうと、妙な噂を聞いたんだけど……」
「噂?」
「魔剣帝が、魔女の討伐に出た後、行方不明になっているとか」
「!?」
やべえ、噂になっているのか。まあ確かに、魔女の討伐に出たやつが帰ってこなかったら、魔女にやられちまったんじゃないかって話になるんだろうけど。
王国騎士団の団長には魔女を倒した事を話してあるから、問題ないと思っていたんだが……。
「魔女は見事に退治されたそうね。さすがだわ」
「そ、そうすね……」
「でも、だったら、魔剣帝はどこへ消えたのかしら? なにか聞いてはいない?」
クララ先生に問い掛けられ、嫌な汗をかく。
魔女の呪いで子供にされて、あんたの目の前にいますよ……とは言えないよなあ。
「い、いや、俺はなにも……あの人はその、すごく気まぐれでいい加減だから……自分探しの旅にでも出たんじゃないですかね……」
「……」
クララ先生は俺の顔をジッと見つめていたが、やがて視線を外し、ため息をついていた。
「弟子のあなたも知らないのか。よく行方が分からなくなるらしいけど、放浪癖でもあるのかしらね」
「あー、たぶん……」
「久しぶりにお会いしたいと思ったんだけど、当分の間は無理みたいね。連絡が取れたら教えてもらえる?」
「はい、もちろん」
呪いを解いて元の姿に戻れたら、俺の方から挨拶しに来よう。
「子供の俺がお世話になりました」って言ったら、先生は驚くだろうな。
それがいつになるのか分からないが……なるべく近いうちに挨拶したいものだ。
噂と言えば、俺が上級生の集団とやり合った件は生徒の間で広まっているらしい。
翌日から、なんかやたらと視線を感じるようになった。
子供の俺が高等部の連中相手に圧勝したので、注目されているようだ。
マズイな。初等部から飛び級で高等部に編入してきたってだけでも目立っているのに。
これ以上、変な風に目立つと、余計な揉め事に発展するかもしれない。しばらくは大人しくしとくか。
「モテモテね、アロン君」
教室に入り、席に着くと、隣に座るアーシェがニヤニヤしながら話し掛けてきた。
無論、俺はクールに返しておいた。
「まあね。みんな、俺のアダルトな大人の魅力に夢中なんだろうな」
「大人の魅力? ……あははは、面白い事言うのね! あははははは!」
「……笑いすぎだろ」
アーシェは腹を抱えて笑い転げ、目尻に涙をにじませていた。
そこまでおかしいのか。ふん、笑いたきゃ笑えばいいさ。
「それにしても、どんな分野でも飛び抜けた才能の持ち主っているものよね。このクラスにはもう一人、飛び級の子がいるし」
「そうなのか? 誰だ、そいつは」
「おっ、興味あるみたいね。でも残念、その子は剣士じゃないの。魔法使いなのよ」
「魔法使いだと……」
この学院には剣士だけではなく、魔法使い志望の生徒もいると聞いている。
だが、魔法使い志望の生徒はかなり少ないために専門のクラスなどはなく、各クラスに数人ずつ振り分けられているらしい。
教室の一番隅、最後尾窓際の席にそいつはいた。
頭にフードを被った、小柄な少女だ。
飛び級してきたというだけあって、かなり幼いように見える。同じ飛び級同士、挨拶しとくか。
「よう、あんたも飛び級なんだって? 俺はアロン・エムス。よろしくな!」
席に近付き、声を掛けたところ、その少女は俺を見て、眉根を寄せていた。
まだまだ子供という感じだが、美人だな。フードを被っているので髪型がよく分からないが、青い色の髪をしていて、つり目がちの目には紅い瞳が輝いている。
「私は、メルティ・メルトロン。一応、言っておくけど、私は中等部一年からの飛び級だから。君より三つも年上よ」
「えっ、マジで? へー、年上には見えないな」
「……失礼ね」
メルティと名乗った少女は、ムッとしていた。
いかん、フレンドリーに接したつもりが……ちょっと馴れ馴れしかったか。
「メルティは魔法が得意なんだって? 魔法使いを目指しているのか」
「悪い?」
「悪くはないさ。そっか、魔法使いか……なあ、もしかして、呪いとかに詳しかったりする?」
「呪い? 多少の知識はあるけど、専門外ね」
「そうか……」
大人の魔法使いでも、呪いに詳しいやつは少ないみたいだからな。もしかしてと思ったが、そう都合よくはいかないか。
「誰かを呪いたいの?」
「い、いや、違うよ。呪いを受けた時の解除方法を知っておきたいと思ってさ。剣士はそういう類の攻撃に弱いから」
「専門家に任せた方がいいわ。魔道の知識がない者が下手に手を出すと危ないから」
「そ、そうだな」
「呪いなら魔法使いよりも呪術師か僧侶か……魔女の方が詳しいかも」
「魔女、か」
知り合いの魔法使いにも同じ事を言われたな。
魔女は高位の魔法使いであり、限りなく魔に近い存在だ。絶対数は少なく、人里から離れてひっそりと暮らしている者がほとんどだと聞く。
悪党というわけではないが、善人でもない、という者が多く、ぶっちゃけ変人ばかりらしい。
そして、中には恐ろしく凶悪な者達がいる。あの『呪詛の魔女』のように。ヤツの場合は、人間やめてモンスターになっちまってたみたいだが。
「魔女の知り合いとかいないか?」
「……いないわ。そう簡単に知り合えるようなものじゃないし」
「うーん、やっぱりそうだよな……」
「魔女を探してみようとしたりしない方がいい。少なくとも今は」
「今は? なにかあるのか?」
首をひねる俺に、メルティは、やや声を潜めてボソボソと囁いた。
「魔女の間で、揉め事が起こっているらしいわ。トップに君臨していた邪悪な魔女が倒されたために、勢力争いが起こっているんですって」
「なっ……なんだって?」
想定外の話を聞き、俺は冷や汗をかいたのだった。