59.悪魔の力
ギルマスの男は宝珠に施された封印を外し、自分の胸に押し当てた。
宝珠が胸にめり込み、光を放つ。
直後、どす黒い気配が急激に膨れ上がり、その場にいる全員が息を呑んだ。
「グオオオオオオオオオ!」
ギルマスが獣のような咆哮を上げ、その姿が変化していく。
髪が逆立ち、全身の筋肉が限界まで肥大し、血管が浮き上がる。
バーサーカー化に似ているが、あれよりもさらに数段階上の変化に見えた。
肉体そのものが二回り以上に巨大化し、服が破れ、黒に近い紫色の肌が露出する。
その姿は、もはや人間のそれではなかった。
例えるなら、超筋肉質の悪魔、といったところか。
悪魔化してしまったギルマスは、耳まで裂けた口を開いて、不気味な声を発した。
「どうだ、コイツの力は? 剣の達人だろうが、高位の魔法使いだろうが、そんなもんは所詮、人の領域の話だ! 人間を超える圧倒的なパワーさえ手に入れてしまえば、誰が相手だろうと勝てるのさ!」
悪魔が筋肉の発達しまくった腕を振るうと、突風が発生し、ギルド内のテーブルや椅子をバラバラにして吹き飛ばした。
仲間であるはずの盗賊連中まで吹き飛ばされ、ギルド内は騒然となった。
ギルドマスターが悪魔になったんじゃ、パニックになるのも当然か。
あの馬鹿、追い詰められて自棄を起こしたな。悪魔の力なんかに身を委ねて、ただで済むと思っているのか。
「俺の邪魔をするヤツは、みんな殺してやる! おら、文句があるヤツはかかってこい!」
すっかり頭に血が上っているみたいだな。話し合いができそうな状態じゃない。
あの男はギルマスとしては駄目だが、個人としての能力はかなり高いと聞いた。
それに悪魔の力が加わったとなると、完全に人の領域を超えた化け物だ。倒すのは容易じゃないぞ。
「おい、小僧。魔剣は取り返した事だし、ここは一つ……」
「ああ、そうだな。俺もそうしようと思っていたところだ」
ベルリエルに声を掛けられ、俺はコクンとうなずいてみせた。
「「よし、逃げるぞ!」」
するとアーシェが目を丸くして叫んだ。
「い、いや、逃げるって、アレをあのままにしてていいの!? なんかものすごい悪魔みたいなのになってるわよ!」
「俺は魔剣を取り戻しに来たのであって、悪魔なんか知らない。なにも見なかった事にしよう」
「ギルドの問題は、ギルドのメンバーで解決するべきだ。悪魔が暴れようがなにをしようが、我の知った事ではないな」
「あ、あなた達……なんでそんなに気が合うのよ……?」
戸惑うアーシェ達をうながし、建物の出口へ向かう。
あと少しで出口にたどり着くというところで、背後から声がした。
「おい、どこへ行くんだ? 黙って帰るなんて、冷たいじゃねえか! ちょっと遊んでいけよ!」
「いやあ、悪魔とは遊んじゃダメだって、学院の先生に厳しく言われててさ……また今度な!」
「そうか、それじゃ仕方ないな……なんて言うと思ったか? 帰るなら魔剣を置いていけ!」
悪魔の声を無視して、建物から外へ飛び出す。
直後、背後で爆発が起こり、俺達は慌ててギルドの建物から離れた。
建物が炎に包まれ、壁が崩れていく。盗賊達はどうにか逃げ出したみたいだ。
半壊した建物から、悪魔となったギルマスの男が出てくる。
……そう言えば、あいつはなんて名前なんだっけ。
「逃がさねえぞ、貴様ら。まず、魔剣を置いていけ。そいつは俺の物だ……!」
「いや、この魔剣は俺の物だぞ? 盗品を横取りしただけのくせに所有権を主張するなよ」
「うるせえ! お宝はみんな俺の物だ! この、新たな盗賊王のなあ!」
俺の知っている盗賊王は、あんな化け物じゃなかったんだが。
しかし、悪魔の力を得た人間か。アホみたいに強大な魔力をまとっていやがるし、かなり厄介な相手だな。
今現在の俺の力では、倒せるかどうか……本来の俺なら、『魔剣帝』なら余裕なんだが……。
「うわあ、火事ですよ! なんだか大変な事になってるみたいですね!」
「おまけに魔族みたいなヤツまでいるな。一体全体、なにが起こっているのだろう?」
どこかで聞いたような声がして、嫌な汗をかく。
見ると、仮面を被った黒いコートの男と、白い法衣を着た僧侶の女性の二人が立っていた。
カイルとリリアか。また面倒なのが現れたな……。
「おう、僧侶の女。先程はおかげで助かったぞ。ありがとうな」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ。無事に蘇生できてよかったですね」
ベルリエルがリリアに礼を言っている。
実を言うと、瀕死状態だったベルリエルを救ったのは、リリアなのだ。
彼女なら治せるのではないかと思い、メルティが魔法で居場所を探知し、連れてきてくれた。
リリアはカイルの相棒みたいだし、カイルから魔剣を盗んだベルリエルを助けてくれるか分からなかったんだが、頼んでみるとあっさり引き受けてくれた。
たとえ相手が敵であろうとも慈悲の心を忘れないのが信条らしい。なかなか立派な僧侶だな。
「あっ、先生! お久しぶりです!」
「ア、アーシェ……」
アーシェが声を掛けると、カイルは明らかに動揺していた。
コホンと咳払いをして、アーシェに告げる。
「私は、君の先生などではないぞ。人違いではないかな?」
「えーっ? 今、私の名前を口にしましたよね? 私は名乗っていないのに」
「空耳だろう。私は君など知らない。なにせ私は、魔剣帝なのだからな……!」
また性懲りもなく魔剣帝の名を騙るカイルを見つめ、アーシェはため息をついていた。
「どこが魔剣帝様なんですか。もう少し似せる努力をしてくださいよ。服装も違うし、口調や態度も全然違うじゃないですか! 魔剣帝様はもっとワイルドでクールで、超格好いいんですよ!」
「いや、君は魔剣帝に幻想を抱きすぎなんじゃ……実物は割といい加減で、適当な人間だよ?」
うるせえよ、馬鹿。魔剣帝の名を騙っておいてそういう事言うなよな。つか、今はお前が魔剣帝なんだろうによ。
「詳しい事情はよく分からないが、あの悪魔が盗賊ギルドのマスターで、盗品の魔剣を売りさばいて儲けようとしていたわけか。黒幕という事で間違いないのかな」
「は、はい。大体、そんな感じだと思います」
アーシェからこれまでの経緯を聞き、カイルはうなずいていた。
ズシン、ズシンと地面を踏み鳴らしてこちらへ向かってくる筋肉質な悪魔をにらみ、静かに呟く。
「ならば、私が片を付けようか。この、魔剣帝がな……!」
「い、いえ、先生は魔剣帝じゃありませんよね? どうしてそんな嘘を……」
「すまないが、私にも色々と事情があるのだ。ここは一つ、私は魔剣帝だという事にしておいてくれないか。これもすべて、魔剣帝のためなのだよ」
そうまでして、魔剣帝は健在であると示したいのか。さすがに申し訳なくなってくるな。
知名度なら、カイルの方が上だろうに。
カイルは前に出て、悪魔と対峙した。
「そこまでだ、諸悪の根源め! 貴様の野望、この私が……魔剣帝が阻止してみせよう!」
「むっ、出やがったな、魔剣帝! このアイテムは、てめえを倒すために手に入れた物だ! 先代の盗賊王の恨みと、この街を半壊させた罪、今この場で償わせてやるぜ!」
「そんな罪など記憶にない! なにしろ魔剣帝だからな! ははははは!」
カイルのヤツ、俺の事をどういう目で見てるんだろう。俺ってあんなキャラじゃないよな……。
皆が息を呑んで二人の対決を見守る中、ベルリエルはメルティとアーシェに声を掛けていた。
「貴様らから奪った物を返しておこう。魔法使いの、お前の宝物はこのペンダントで間違いないな?」
「ええ。師匠の魔力が込められている大事なお守りなの。やっと戻ってきた……」
「剣士の小娘、お前の宝物はこの……男の写真で間違いないか?」
「か、返して! それは大事な、魔剣帝様のサイン入りブロマイドなんだから! ファンの間では超高値で取引されているのよ!」
「そうなのか? おかしなマニアがいたものだな」
なにやってるんだ、あいつら。そういうのは後にしなさい。
つか、アーシェよ、そのサイン、偽物だぞ? 俺はグッズ販売なんかやってないし、その手の業者に協力した覚えもない。
ファンにサインなんか書いた事もないはずだしな。そもそもアーシェ以外に俺のファンなんかが存在するのかって話だが。
「変わってるよな、アーシェは。あんなに有名で腕の立つ剣士から剣術を教わっているのに、自分の先生のファンじゃないのか?」
「えー、だって……先生の事は尊敬しているけど、ファンかどうかは別問題でしょ。魔剣帝様の冒険譚の方がハラハラドキドキする事件の連続で面白いし……」
「おい、自称魔剣帝様に聞こえているみたいだぞ。なんかプルプル震えてるし」
「先生がすごい人なのは理解しているけど、魔剣帝様と比べちゃうと、ちょっとね……私、ワイルドな人が好みなのよね」
「おい、自称魔剣帝様が、膝をついてうずくまっているぞ! 嘘でもいいから先生の事もほめてやれよ! さすがに気の毒だ」
さしものカイルも、自分の弟子からああいう評価をされるのはショックなのか。
うずくまったカイルを見やり、悪魔化したギルマスの男はニヤリと笑った。
「なんだ、俺の圧倒的な力を前にして、戦意を喪失でもしたか? 情けないな、魔剣帝よ!」
「……」
これは勝てると踏んだのか、悪魔はその身にまとった魔力をさらに高めてみせた。
強力な攻撃をぶち当てて、一気に倒すつもりか。
対するカイルはうずくまったままだ。……おい、嘘だろ? そこまでショックだったのか?
「うおおおおお、ぶち殺してやるぜえ、魔剣帝よぉ! 先代の盗賊王の恨み、この俺が晴らしてやるわあ!」
悪魔が手をかざし、どす黒い魔力の塊を作り出す。
高めた魔力を圧縮した、魔力弾だ。あんなものを街中で放ったら、ここら一帯が消し飛ぶぞ。
「死ねえ!」
愉快そうに笑いながら、悪魔が魔力弾を解き放つ。
魔力が渦を巻いた闇の球体が飛来し、うずくまったままのカイルに激突しそうになる。
俺はあえて、動かなかった。
なぜなら、動く必要などないからだ。
スパッ、と。
魔力弾が命中する寸前、カイルは背中の剣を抜き、薙ぎ払った。
その斬撃は、恐ろしく速く、鋭く。そして、強大な魔力を帯びていた。
魔力弾は斜めにスライスされ、爆発もせずに消滅してしまった。
「……危ないな。街を消し飛ばすつもりかい?」
「なっ……い、今のを防いだだと……お、お前はやはり、本物の魔剣帝なのか……?」
いや、偽者だよ、そいつは。
魔剣帝なんかじゃないとも。本物の俺が断言するぜ。
ヤツは……カイルは、この世で唯一、魔剣帝に匹敵すると言われている、最強クラスの剣士なんだ。
聖剣帝、カイル・ブランツ。剣士の中の剣士で、最強の聖剣使い。
この世界で、俺が唯一、倒す事ができなかった剣士だ。




