10話 精神支配と赤い竜(4/6)
いきなり怒らせてしまったようだ。
なんて思った俺の目の前で、いきなりエルディランの姿が消えた。
ほんの一瞬、上の方向に弾かれたエルディランの残像が見えた気がして、俺は頭上を見上げる。
「ぅわわわわわぁぁああああああっっっっ!!!」
少し遅れて上から悲鳴が聞こえてきた。
「エルディ!?」
ママさんの悲鳴が上がる。
そこへ、ズズン、ズズンといつもの地響きと共にリリアさん達がやってきた。
「あらぁ? あたしの結界に何か弾かれてるわよぅ?」
結界!?
今のは結界の仕業なのか!
リリアさんの姿を目にしたエリュビーノさんが、サッと姿勢を低くして頭を下げる。
「あぁ、いいのよぅ。ここでは皆、子を預けるママさん同士で。ねぇ?」
同意を求められて、レンティアさんが困ったような顔で頷く。
「とはいえ、私は職場でご一緒させていただいてたのでまだ慣れがありましたが、日頃神族に目通りのないトラコンに、それは難しいかも知れませんね」
なるほど? 神族っていうのは一般的に畏れ多いものなんだな……?
俺は新たな知識を整理しつつ、頭上を見上げる。そこには丸い透明な玉のようなものに包まれたエルディランが遥か遠いところに浮かんでいる。
俺は見えない両手を使って巣の上へと飛びながら、両手で拡声器のポーズとる。
「おーい、エルディラン大丈夫か! 怪我はないか?」
「なっ、お前! 羽もないのに何で飛ぶんだよっ!?」
「えーと……魔法で?」
とりあえず、怪我はなさそうだが……。
「嘘つくなよ! お前全然魔力ねーじゃねーか!!」
おお? エルディランは見るだけでそれが分かるのか、すごいな。
「ああ、これはちょっと仕掛けがあって……」
ファサッという柔らかい羽音に振り返ると、いつの間にかそばに来たザルイルが俺の肩を引いて俺とエルディランの間に入った。
「ヨウヘイ、離れていなさい」
「ザルイルさん……!?」
「リリアの結界に弾かれたという事は、この子は……」
ザルイルの言葉を引き継ぐようにして、リリアさんが言う。
「悪意・もしくは殺意を持ったって事ねぇ」
ああ、さっきの「噛み殺してやる」ってやつか。
俺はようやく納得する。
いや、すごいなリリアさんの結界。
悪意を持ってやってくるモノを通さないだけじゃなく、中にいる者が殺意を抱いてもこんな風に外に弾いてしまうなんて。
じゃあなんだ。子ども達が互いに牙を剥くような大喧嘩をすれば、今後もこうなるってことか……?
「リリアさん、これってどうやったら解除できるんですか?」
俺の言葉に、エルディランを見ていた二人が一斉に振り返る。
「ヨウヘイ!?」「ヨーへーちゃん?」
「え、いや、今後はこんな事もちょこちょこあると思うので、聞いておいた方がいいかなー、と……」
二人が少なからず動揺する。
なんか、俺、変なこと言ったか……?
「え……、でもぉ、解除しちゃったら、また殺されそうになっちゃうかも知れないのよぅ?」
「あ、はい。子ども達が狙われる場合は、しっかり話し合いをして、安全を確認してから解除しますね」
俺の答えに、ザルイルが問う。
「では、君が狙われている場合は安全でなくとも解くと言うのかい?」
ザルイルの目が、八つ揃って俺をじっと見つめる。
俺は何ともいえない居心地の悪さを感じつつ、口を開く。
「あー……、その、抱っこが必要な場合も、あるので……」
時と場合によっては……。と付け足した俺に、ザルイルは片手で額を押さえて大きなため息をついた。
「あのねぇ、ヨーへーちゃん、あたしの結界は本気の悪意とか殺意にしか反応しないのよぅ? 本当に、本気でヨーへーちゃんを殺そうと思ってるような子の面倒なんて、見られないでしょぅ?」
そうは言われても、残念ながら子どもに「死ね」と言われながら保育した事も、一度や二度ではない。
あの時あの子達に鋭い牙と爪があれば、俺は殺されていたかも知れない。
それに、ニディアにだって、肩を食いちぎられそうになった事はある。
あの時、もしここに結界があったら、ニディアは弾かれていただろう。
毎日を一生懸命生きていれば、時には人を殺したくなる事だって、自分が死にたくなる事だって、あるよな。
その気持ちをどうやっておさめるか、その気持ちとどう付き合っていけばいいのかを教える事だって、俺の仕事だ。
俺は微笑んで答える。
「大丈夫ですよ、それも含めて仕事ですから」
「あぁん、もぉぉ、保育士さんが神々しすぎて足をむけて寝られないわぁ~」
リリアさんがグネグネと体を揺らして言う。
神様に神々しいとか言われたんだが、どういう事だ?
そもそもリリアさんに足は生えていない気がするんだが。
ザルイルは、言葉を選びながらも切実にうったえる。
「ヨウヘイ……、私は君に、なるべく危ないことはしてほしくないんだ……」
ザルイルに対しては、申し訳ないと思うばかりだが、俺も死ぬつもりは毛頭無い。
「ええ、十分気をつけます」
ザルイルはまだ俺に何か言おうとしていたが、俺は気づかないフリでエルディランのそばまで進む。
今は、少しでも早くこの子を安心させてあげないとな。
エルディランは、リリアさんとザルイルの発する静かな怒気に当てられてしまったのか、丸い玉の中ですっかり怯えて震えている。
地上ではエリュビーノさんも息子の元に駆けつけても良いものかとオロオロしていた。
保育初日の初めからこれじゃあ、明日から早速登園拒否になってもおかしくない。
俺はなるべく優しい声で、ゆっくり話しかけた。
「エルディラン、急にこんなことになって、びっくりしたよな。今から囲いを消すけど、自分で飛べそうか? 俺が抱えて降りようか?」
エルディランは俺の顔を見て、くしゃっと顔を歪めてから、下にいる母親の姿を見つけて大泣きした。
「すみませんママさんも、こちらに来ていただいてかまいませんか?」
「は、はいっ」
俺は解除の手順をリリアさんに教えてもらって、メモをとりつつやってみる。
エルディランの包まれていた丸い膜がパチンと弾けると、エルディランはそばに来ていた母トラコンの腕に飛び込んだ。
それから、エルディランの母親エリュビーノさんは他のママさん方が仕事に向かった後も、時折ぐすぐすと鼻をすする子をお昼寝クッションのコーナーでなだめていた。
俺はもう一度エルディランの聞き取りシートを思い出す。
ママさんの職業欄は空白だったよな……。
もしかして、この世界の保育園っていうのはこっちでいうこども園のような物なんだろうか……?
朝の会と今日の制作をすませて、他の子どもたちに自由遊びの開始を告げた俺は足早にお昼寝クッションのコーナーへ向かった。
「エルディランくんは落ち着きましたか?」
なるべく静かに問いかけてみる。
「はい……。ご迷惑おかけしてすみません……」
「いえいえ、初めてのことばかりでびっくりしちゃいましたね。こちらこそすみません。ママさんはお時間は大丈夫ですか?」
「あ、はい。私は何も予定がないので……」
話を聞けば、やはりエルディランのママさん。エリュビーノさんは仕事はしていないらしい。
話を聞いてみれば、こちらには幼稚園、こども園、保育園といった括りはなく、すべて保育園と言われているそうだ。
それなら、今日は一日ママさんも一緒に慣らし保育という感じで過ごすのもありか……?
そう思った矢先、エルディランが呟いた。
「もう帰る……」
そこからはひたすらに帰るコールの連呼で、その日はママさんが折れて昼前には帰ってしまった。
まあ今までがずっと登園拒否だったんだもんな。急に一日を園で過ごすのは難しいんだろう。
何せ、エルディランは家に帰ればずっとエリュビーノさんがそばにいてくれるんだもんな……。
俺の記憶には無い光景を、ぼんやりと羨ましく思ってしまって、俺は思わず頭を振った。
とりあえず、エルディランには明日からママさんと一緒に来てもらって、少しずつここで過ごす時間を増やして、一週間ほどかけてこの場所に慣れて行きましょう。……という事になった。
…………はずなんだが……。
慣らし保育四日目。
エルディランは保育室に着いて人型になった途端、母トラコンに言い放った。
「いつまでついて来るんだよ。もう俺様についてくんなって言ってるだろ!? さっさと帰れよ」




