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直線距離では物足りない  作者: アユの塩焼き
2/2

2話 出会いと寄り道


 初めての旅から1週間後のこと。



 相変わらず長峰は怠惰な生活を送っていた。人間そう簡単に生活リズムを変えることはできないらしい。


 唯一変わったことといえば、夜更かしの原因がゲームから、動画配信サイトで旅動画を視聴することになったくらいである。

 続きが気になり、次のを見たら寝ようを繰り返し、結局明け方まで見続けてしまっている。



 そんなわけで例のごとく前日も夜更かししていた長峰だが、寝ぼけた頭と重たい体を無理やり動かし、講義の5分前には日本地理学の教室までたどり着いていた。


 学生証を読み込ませ、出席を記録して席につく。何もしていないとはいえさすがに明け方まで動画を見ていれば疲労は溜まる。4時から10時までのおよそ6時間は寝ているのだが、生活リズムが狂っているせいか起きても疲れが残ったままのことが多い。


 それでも講義中に寝ているので今のところは体調に支障をきたすようなことはない。

体が重いのにもとっくに慣れた。


「学生としては問題しかないけど」


 客観的にそう思うが今の生活習慣を直す気はない。

 たぶんギリギリ単位は取れるだろうし。必修のものはないから、最悪とれなくてもいいとさえ思っている。



 長峰が不真面目なことを考えていると、前の扉から教授が入ってくる。講義の時間まではあと2,3分といったところなので、前回の遅刻を反省したのかもしれない。反省せずもっと遅れてくれてもいいのに。

 ...どっちにしろ寝るだけだから変わんないか。


 教卓にPCを置いたり、配線を確認したりしているので、プロジェクターでも使うんだろうか。もしそうなら部屋が暗くなって、より快適にぐっすり眠れるな。


 そう考えた途端、疲れからか急に瞼が重くなる。でも前回の講義のこともあるし、さすがに初っ端くらいは聞いてあげようかな。もしかしたらまたどっか出かけるときの参考になるかもしれない。


 ・・・あ、やっぱ無理だ。おやすみー。




「あの~、すいません...」


 長峰が意識を手放そうとした瞬間、唐突に上から女性の声が降ってくる。長峰は慌てて顔を上げ、隣の席へ寄せるために自分の荷物へと手を伸ばす。


 机同士の間隔が狭い大学では日常的に席を移る必要があるので、長峰は頭が冴えていない状態でも反射的に体を動かしていた。普段の調子なら、教室の半分ほどしか席が埋まってないのに声をかけられた、ということを疑問に思っていただろうが、今の長峰にそんな余裕はなかった。


 言葉が続けられる。

 

「先週、〇〇という和菓子屋さんにいませんでしたか?」



 ・・・・・・はい?




 長峰は予想外の台詞に処理が追い付かない。

 ほぼ無意識のうちに言葉を吐き出してしまっていた。


「あ、はい、そう...ですね」


 その言葉を聞いて相手の顔がぱあっと明るくなる。快活そうな子だ。

 ...いやそれはどうでもいい。


「やっぱりそうですか!よかったぁ。違ってたらどうしようかと思いました~、えへへ。あ、ごめんなさい、えっと...私は2回生の白浜 渚(しらはま なぎさ)といいます!よろしくお願いします!隣、大丈夫ですか?」


「え...あ、うん」


「ありがとうございます!失礼します!」


 また咄嗟に反応してしまった。

 だがそれよりも状況が読めない。



 先週は誰とも会ってないよな??


 ・・・客は誰かいた気がするから、それがこの人で、話しかけてきたってこと...なのかな?

 でも見かけたとしても、わざわざ話しかけにくるか、普通?


 もしかして忘れているだけで面識あったとか?いや、そうだったら自己紹介してこないし...

 



 長峰は警戒レベルを引き上げて次の言葉を待つが、彼女はこちらのことなど気にせず、のんびりとした動作で鞄から筆記用具を取り出し始めた。

 いや、説明してくれよ!とつっこみたくなるのを我慢して問いかける。


「えっと、白浜さん?にいくつか聞きたいことがあるんですけど・・・」


「はい!何ですか?!」


 白浜はニコニコした顔をこちらへと向ける。何がそんなに楽しいのだろうか。


「まず、なんで私に話しかけ」


と言いかけたところで、


「えー、時間になったので講義を始めていきます。前回は・・・」


教授の声が響き教室が静まる。


 白浜が困ったように笑みを浮かべているので、長峰は謝って講義に向かうように手で示す。

 なんか申し訳ない。


 というか前はあんなにサボってたくせに、なんでこんな時だけちゃんと仕事するんだよ。



 

 いつも通り講義の大半を睡眠に当てていた長峰は、肩のあたりに刺激を感じて目を覚ます。そちらを見れば白浜がレポート用紙を前に差し出しながら長峰の肩を躊躇いがちに揺らしている。どうやらすでに講義は終わっていたらしい。学生もまばらになっている。白浜も自分の分のレポートは書き終わっているようだ。


 目をこすりながらレポートを受け取り、今日の課題を確認する。


 うーん、講義の感想って言われてもねえ。『質問を遮られてイラっとしました』とでも書くか?というかそれ以外に何の記憶もないんだが。


 ...背に腹は代えられない。頼むしかないか。


「ごめん、ちょっと見せてくれない?」


 長峰は白浜に白紙のレポートをひらひらと見せる。

 それだけで状況をわかってくれたようで、


「はい、どうぞです。」


と白浜は思ったよりもすんなりと見せてくれた。


 自分だったら感想なんてあんまり人に見せたくないんだけどなぁ。心の内を見られてるようで胸がムズムズするし。この子はそんなに自分を隠さない子なのかな?まあ、なんにせよ助かった。


 長峰は表現だけ変えてほとんどを写経したのち、礼を言って原本を白浜に返す。そしてレポートを提出しに行こうと荷物をまとめて席を立つ。


 が、前を塞ぐ白浜は立ち止まったまま動かない。じっとこちらを見つめ、何かを訴えかけくる。


 あれ?どうした?どいてくれないと出れないんだけど...




 意を決したように白浜が口を開く。


「あ、あの!お昼ご飯一緒に食べませんか?」


 ありゃ。食事のお誘いとは珍しい。新歓のとき以来だ。


  まあ、勧誘とか関係なしにぶっちゃけ面倒くさいんだけど。さっきまでは聞きたいことが何個かあったけど、なんか寝たらどうでもよくなってたし。

 ちょっと話しただけでグイグイ来そうな子だからあんまり関わりたくないんだよなぁ。



「え~っと、」


 適当な理由をつけて断ろうとすると、その雰囲気を感じ取ったのか、白浜は瞳を潤ませ懇願するようにこちらを覗く。

 ・・・そういう顔をするのはやめてほしい。罪悪感がものすごい。


「...」


「...」


 長峰が言葉を探す間も、白浜が上目遣いで見つめてくる。


「...」


「...」


 はぁ。あーもう、わかったよ。行けばいいんでしょ。

 まあ気になってたこともあるし丁度いいや。たまには明るい子と話したほうが、人生が楽しくなるんじゃないの。うん、そう考えることにしよう。


「...3限はあるけどそれまでなら大丈夫、かな」


 長峰がそう言うと、白浜は最初に話しかけてきたときのような笑顔を見せて


「ありがとうございます!じゃあ、レポート出してきちゃいますね!」


と長峰の分のレポートをひったくって、教授のほうへと軽やかな足取りで進んでいく。


出してくれるのはありがたいんだけど、もう少しテンション抑えてくれないかな。一緒にご飯食べるだけなのにそんなはしゃがれても困る。


 自分はそんなたいそうな人間ではない。大学で誰とも喋らず、一人暮らしでニートしてるんだぞ。ついでに勉強もしてないし。

 ...あれ、私って生きている価値あるのか?




 戻ってきた白浜と合流した長峰は教室を出て、食堂へと向かう。


「私から誘っておいてあれなんですが、良かったんですか?」


「何が?」


 長峰は女子にしては背が高く、白浜は小柄なので必然見下ろす形になる。妹がいたらこんな感じなのだろうか。


「お昼何か予定があるみたいだったので...」


「あー」


 なるほど。さっきの間をそう解釈したのか。


「うーんと、別に予定があったわけじゃないんだけど......いや、白浜さんがね、もしかしたら化粧品とか売りつけてくるのかな~とか思って警戒しちゃったんだよね。実際に見たことはないんだけどそういう人も一定数いるらしいから。急に話しかけられてびっくりしてたし。」


 あれ、コミュニケーションってどうやってやるんだっけ?

 最近人と会ってないからわかんないや。



 これを聞いて白浜は気を悪くすることもなく、


「あ!確かに、言われてみれば...突然押しかけてしまってごめんなさい...」


 と視線を落とす。

 本当にそこまで頭が回っていなかったようだ。

 確かに、どちらかといえばそういうのに引っ掛かるタイプの人間っぽいけど。


「いや、別にいいよ。どうせ暇だったし。あと私も2回生だからタメ口でいいよ。」


「え、そうなの!?教室で一人でいたから、先輩なのかと思ってた!え~っと...」


「長峰」


「長峰...さん!ありがと!」


 感謝されるようなことは何もしてないんだけど...

 まあ、しれっとぼっちをディスられたので、それとトントンということにしておこう。




 そんなやり取りをしている間に、長峰たちは食堂の周りに並ぶ行列の最後尾へたどり着く。普通のレストランだったらざっと2時間待ちにはなりそうな人数だが、効率重視の学食である。おそらく15分ほど経てば注文から会計まで済んでいることだろう。


 行列の一部となった長峰はずっと残っていた疑問を投げる。


 「白浜さん...だっけ?講義が始まる前も言おうとしたんだけど、なんで私に声かけてきたの?」


 人と関わりたくないオーラを出してる奴に、というニュアンスを含ませて問いかける。



 白浜は記憶を辿るように答える。


「ちょっと長くなるんだけどね...まず先週お姉ちゃんと一緒にあそこの和菓子屋さんに行ったの。それで私は注文決めてたんだけどお姉ちゃんはうんうん悩んじゃって。だから決まるまでのんびりしよ~って思ってたら長峰さんが入ってきて!でもそのときは、なんかどっかで見たことある気がするな~って思っただけでちゃんと思い出せなかったんだよね。ごめんね...」


 講義でちらっと見ただけの人を覚えているなんて普通は無理だろう。自分は@@に全く気が付かなかったわけだし。

 さっきからよくわからないことで感謝されたり謝罪されたりしている。



「それであんまり良くないとは思ったんだけど、気になっちゃって。食べ終わってからも長峰さんのほうをちらちら見てたの。そしたら長峰さん、注文したパフェをすっっっごく幸せそうに食べ始めるじゃん!ほんとウッキウキって感じで。それ見てたらなんかこっちまでほっこりしちゃって、私も追加でパフェ頼みたくなっちゃったよ~、えへへ」


 確かにめっちゃおいしかったけどそんな顔に出てたのか。心の中に留めてたつもりだったのに。


「で、その日はなんか楽しそうな人がいるな~、大学で会えるといいな~で終わっちゃったんだけど、今日来てみたら長峰さんがいるからびっくりしちゃって!それでウワ~って舞い上がっちゃって話しかけに行ったってわけです、はい...」



 ...なるほど、だいたいの事情はわかった。

 ただそれよりも


「なんというか...恥ずかしいね」


 長峰は顔を背けながら話すが、白浜は食い下がる。


「いやいや、すごい可愛かったよ!」


 うん、そういうことじゃないね。あと女子が言う『可愛い』は当てにならないって、それ一番言われてるから。




 並んでいる人達が一人、また一人と食堂へ吸い込まれていき、長峰たちも流れに従って中に入る。


 お盆を取って今日のメニューを見るが先週とほとんど変わっていない。献立を考えているうちに順番が来たので適当に鶏の醤油揚げを頼む。一番安いメニューだが味はそこそこで安定している。

 ご飯をSサイズで頼み、味噌汁と小鉢をそこに追加する。味噌汁はわかめと油揚げしか入っていない簡素なものだが、最近になって出汁が変わったのか少し美味しくなった気がする。


 白浜と話していて甘い物が食べたくなったので小鉢には大学芋を選んだ。(多分)冷凍のものが数本しか入ってなくて80円はどうかと思うが、味は美味しいので深くは考えないようにする。

 そもそもご飯や味噌汁の原価もそんな高くはないだろうが、回転を良くするのにたくさんの人を雇っているので仕方がないことなのだろう。


 会計を済ませてセルフサービスのお茶を注いだのち、長峰は@@とともに運よく空いていたテーブル席へと座る。誰かと一緒にご飯を食べるのは1年ぶりくらいかもしれない。



「「いただきます」」


 醤油揚げはやはり100点満点でいうところの60点ってくらいの美味しさだ。美味しいっちゃ美味しいけど、これが食べたいとはならない感じ。

 それに先週も食べてるから何の感慨もない。強いて言うなら付け合わせのキャベツになんとなくかけてみたポン酢がちょっと美味しいくらいだ。ポン酢は最強って言った偉い人は正しかったんだな。


 向かいの白浜は鶏の香草焼きとLサイズのご飯を頼んでいたがもう完食したらしい。長峰はまだ6分目といったところである。小柄なのによく食べる子だ。



 手持ち無沙汰になった白浜が話しかけてくる。


「長峰さん、金曜日の昼から暇じゃない?お姉ちゃんと嵐山行く予定だったんだけど、さっき並んでるときに行けなくなったってライン来ちゃって...」


 だったら一人で行けばいいじゃん、と思うがぐっと堪える。さすがに長峰でもそれくらいの分別はつく。


「それでもし長峰さんが良かったら...一緒にいきたいな~って」


と期待を込めた眼差しで見つめられる。

 (実質)初対面の人を旅行に誘う度胸にはかなりビビるが、サークルや部活ではそれも普通なのかもしれない。そもそも白浜がサークルに入っているかも知らんけど。


 大学芋を食べながら考える。

 講義も予定もないが、付き合う理由も特にはない。旅をするなら、気を使わなくていい一人旅のほうが性格的に合っているとも思う。



しかしながら


「...まあ、いいよ」


 長峰は白浜の誘いを断ることができなかった。


 普段人から相談を受けることがないため、いざ頼られたときにどうやって断るかわからない。

 というか@@の子熊のような愛くるしさとは相性が悪いようだ。構ってあげないといけない気になってしまう。...その上目遣いはズルじゃん。


「ほんと?!ありがと!!」


 席から立ち上がらんばかりの勢いで白浜が言う。


「それなら長峰さんも行きたいところあったら教えて!一応私が行こうとしてたところはこんな感じであるんだけど...」


 白浜が身を乗り出しスクショを何枚か見せてくれる。道路を囲む竹林や、濃厚そうなジェラートなどが写っている。


「うーん、急に言われてもパッとは思いつかない、かな」

 

「まあそうだよね、えへへ。じゃあ見つかったら後でラインして!...って思ったけどまだ交換してないんだったね。はい、これ私の」


 白浜がパッパッとスマホを操作し、QRコードを映して長峰のほうへと差し出す。それに対して長峰は手間取りながらも友達登録を完了させる。流れるような連絡先交換に圧倒的なコミュ力の差を感じたが、それはひとまず置いておくことにする。


「おっけー、登録できた」


「ありがと!じゃあ、金曜日よろしくね、長峰さん!」


 白浜が満面の笑みで笑いかけてくる。


 可愛さの暴力という言葉の意味を初めて実感した。

 


 白浜と別れて3限を受けた長峰は、家に帰ってスマホで『嵐山 食べ歩き』で検索してみる。


 結果の上位に出てきたサイトを覗くと10店舗くらいの店がおすすめ商品の写真や営業時間などとともに紹介されている。その中には昼に見たジェラートの店もあり、コンクールで入賞したらしいピスタチオのジェラートが薦められている。

 そのほかにも肉屋のコロッケや濃厚なソフトクリームの店など惹かれるものがいくつもあったが、読み進めていく中でふと一つの写真が目に留まる。


 それは二つに割ったゆで卵を撮影しただけのものであったが、逆にスイーツや総菜が並んでる中では異質な存在感を放っていた。赤みがかった黄身がとろけ落ちそうだ。

 改めて記事を見る。どうやら卵の専門店のようで、他にもプリンや卵かけご飯を販売しているらしい。


 専門店のゆで卵か、どんな味なんだろう。プリンはお土産にしてもいいし、お腹に余裕があれば卵かけご飯も食べてみたいな。

 想像を膨らませ、マップで所在地を検索してみる。商店街からは外れているようだが、行けなくもない距離だろう。

 最悪そこだけ自転車で向かえばいいわけだし...


 と考えたところで思い出す。


 そういえば嵐山までどうやって行くかを聞き忘れていた。自分は勝手に自転車で行くつもりでいたけど、普通はバスで行くんじゃないだろうか。それでもいいけど多分自転車のほうが早く着きそうだ。京都のバスは停留所が多いのと渋滞するのとでダラダラしか進まないんだよなぁ。


 それに先週の一件で割と自転車が好きになったのもある。自分の力でたどり着くという達成感があるのが気持ちいい。あと自動車みたいに後続を気にする必要があまりなく、自分のペースでゆったり走れるというのも性に合っている気がする。


 まあ、一番の理由はバスだと車内が人で溢れかえるからなんだけど。


 路線にもよるが地元のお年寄りや観光客などでいつも満員になっている。

 わざわざ人混みの中に突っ込む趣味はない。相当の変態じゃない限り、呼吸と体温で蒸し返った密室に、数十分も閉じ込められるために金を払おうと思う人はいないだろう。


 そんなわけで長峰が卵屋の情報と自転車で行きたいという旨をラインで伝える。

 ちなみに文面は


『少し外れた位置にある〇〇っていうお店に行きたい

それと聞き忘れてたんだけど嵐山までどうやって行く?

私は自転車で行くつもりだった

もちろんバスとか電車とかでもいいけど』


という短いものだったが、打つのに15分以上はかかった。


 正確に意思が伝わるかが不安で、だけど長くなりすぎて逆にわかりづらくなるのも良くないと何度も書き直した末の送信だった。その結果箇条書きみたいな感じになってしまったのだが。


 どうしてみんな当たり前のように自分の考えをちゃんと伝えられるのだろうか。外部への情報伝達回路なんていつどこで取り付けてもらったんだろう。


 ああもう、なんでコミュニケーションってこんなに難しいんだ。

 自分が嫌になってくる。


 話しているうちに伝えるべき情報と伝えたいだけの情報がごっちゃになって喉が詰まったように言葉が出てこなくなる。一つ一つの単語は浮かんでくるが、それらを繋げて意味のある言語に変換することができない。


 そんなことを考えていると白浜からの返信が来る。...早い。


『おけおけ~

 私も自転車のつもりだったよ~』


という文章と、胴体がなく顔から直接手足が生えているハードボイルド風のおっさんが自転車に跨っているという、わけのわからないシュールなスタンプが送られてきた。文面のゆるさとのギャップがすごい。てかそのスタンプいつ使うんだよ。


 まあいいや。

 とりあえずバスに乗らなさそうで一安心だ。元から自転車の予定だったのなら嵐山までのルートも任せておいて大丈夫だろう。

 


 金曜の昼、大学の北門近くで白浜と待ち合わせる。これから食べ歩きの予定なので昼ご飯は抜いておいた。自転車に乗った二人は大学を出てすぐ西に向かう。


「とりあえず今出川通りを進んで、御所を越えたらあとは適当に曲がる感じでいくねー」


「りょーかい」


 白浜が乗るママチャリの後ろについて、学生でごった返す交差点を通り抜ける。


 そのまま駅のほうへ向かい、鴨川を横断する。このあたりまで来ると、商店街や別の大学が近くに迫ってくるので再度歩行者が増加する。さらに自分たちを追い越していく自転車や原付の数も増えてくるので、後方にも十分気を付けておく。


「気持ちよさそうだな~...」


 白浜の呟きに橋の上から川のほうにちらりと目を向ける。

 縁石を伝って川を渡る親子連れや、気持ちよさそうに河原で寝ている老人の姿が視界に映る。年を取ったらあんな風にのんびり暮らしたいと考えていると、前方の@@から声がかかる。


「ちょっと寄りたいとこあるんだけど、いい?」


「いいけど、どこ行くの?」


「ちょっと豆餅買っていきたいな~って!」


「おっけー」


 音が流されないように普段よりも声を出して会話する。豆餅といったらおそらく商店街の入り口にある和菓子屋のことだろう。返事をしてから思い出したが、あそこは平日でも結構並んでいるんじゃなかったか?


 10分くらい待つはめになったが、これでも短いほうらしい。


 しかしながら、長峰としては嵐山に行くぞーと息巻いていたところでの足止めだったので、水を差されたような気分ではある。当の白浜は一人で豆餅を4つも買って満足げであった。来れなくなったというお姉さんの分も入っているのだろう。


 そんな白浜の様子を見ていると、このくらい許してやろうという気持ちが湧いてくるのが不思議だ。そもそも長峰もつられて2個買っているので責められるような立場ではないのだが。

 


 商店街を抜け、改めて嵐山へと向かう。

 するとすぐに御所(ごしょ)を取り囲む塀と、その上にせり出している青々とした木々が見えてくる。いつの時代に植えられたものなのかは知らないが、車道の中心まで日陰にするほどの巨木が立ち並び、辺り一帯に冷気を生み出している。


 そのぶん散歩するにはとても気持ちのいい道であり、周囲をランニングしている人たちもちらほら見かけられる。

 サイクリングには京都特有の、道路狭すぎ問題が立ち塞がってくるのだが、それを抜きにして考えれば、四辺のどの道も雰囲気が違っているため、道沿いにぐるっと走るだけでも京都の色んな側面を感じることのできる道である。


 ついでに、御所(京都御所)とは明治の初期まで使用されていた、今でいう皇居のような場所である。外周約4㎞もある広大な敷地の中には、平安京時代の建造物が復元されているほか、テニスコートや野球場など公園としても整備されており、一般の人でも自由に出入りすることができる。また春には梅や桜、秋には紅葉を見ることができ、他にも松や欅など様々な植物が植えられており季節の移ろいを楽しむこともできる。


 というような話を白浜がしてくれた。所属しているテニスサークルの関係で普段からよく行っているらしい。


 白浜、あんたやっぱり陽キャだったのか...




 御所沿いを1㎞ほど角から角まで走りぬくと、景色は学生街のそれに近づいていく。

 右手に見えるキャンパスも含め、長峰たちの通う大学周辺よりも小綺麗な感じがするのは気のせいだろうか。あっちのほうが学生も店も、もっとごちゃごちゃとしているような気がする。


 横断歩道を渡る学生たちに注意しつつ信号を渡る。

 無いに等しい路側帯と路上駐車に非難の視線を向けつつ、さらに西へと進む。


 このあたりは北西に山が近くなるため緩やかな上り坂で、だんだんとペダルを踏む足が重くなっていく。それに合わせて自転車がゆらりと揺れ、息も荒くなる。


 白浜はどこまで進むつもりなんだろうか。

 さすがにそろそろ曲がりたい。

 交差点を抜けるたびに左手に見える下り坂が羨ましい...



 次に信号が赤になったら曲がらないかと提案しようとした矢先、白浜が振り返る。


「ここまで来たんだし天神さんに寄っていかない?」


 天神という場所には聞き覚えがなかった。何かの通称だろうか。


「天神さんって何?」


「あそこ!」


と白浜が指すほうには大きな鳥居が建っている。

 その前はロータリーのようになっており、タクシーが何台も止まっているので、とりあえず有名な観光地らしいということはわかった。


 白浜に添って大の字になっている交差点を神社のほうへ渡る。


 鳥居の中央に楯が飾らおり、金色の文字で『天満宮』と書かれているのが見える。

 ただ結局、何神社(天満宮)なのかはわからず仕舞いだった。


「ごめん白浜さん、やっぱりどこなのここ?」


「え?だから天神さんだよ?」


「...そうじゃなくて正式名称的な意味で」


「北野天満宮?」


 なるほど、長峰でも名前くらいは聞いたことがある。菅原道真を祀っている、とかなんとか。...多分そんな感じだったと思う。


「天満宮は全部そう...じゃなかった?で、天神さんはその中のでっかいところ...みたいな?」


 白浜もよく知らないようなので、この話はここで終わらせよう。



 二人は自転車をロータリーの脇に止め、一礼してから鳥居をくぐる。参拝の作法については詳しくないのだが、学問の神様らしいので学生である自分たちには優しくしてくれるだろう。こういうときだけは神様を信じておく。


 道なりに北にある本殿へと歩く。通り沿いの鳥居からはゆるやかなカーブを描いて石畳が続いており、傍らには松の木が生い茂っている。その手前には灯篭が並び、奥は駐車場になっている。


 今の時間は車が満杯で風情もくそもないが、日が落ちて明かりが灯れば、幻想的な景色になりそうだ。

 ・・・・・・。



 深夜人々が寝静まるころ、灯篭の中で揺らめく明かりがぼんやりと地面を照らし、迷い込んできた人間を奥にそびえ立つ異界の扉へと導いていく。門を潜った先は神霊の住む町になっていて、道のそこかしこで宴が開かれ・・・



 ・・・・・・なーんてね。

 妄想は終わらせて現実に戻ろう。


 いつの間にか入口の門までたどり着いていた。

 白浜が不思議そうにこちらを見ているので適当にごまかしておく。白浜ならそこまで気にしなさそうだが、さすがに中二病だと思われるのはごめんだ。


 それにしても立派な門だ。

 白浜の言う通り、神社のでっかいところって感じがする。

 敷居に使われている木材は元の色がわからないほど黒みがかっており、等間隔に節が浮かびあがっている。


 雨の匂いを吸ったような、どこか懐かしい木の香りを感じながら門を潜り、本殿へと足を運ぶ。白く眩しいほどに太陽を反射する石畳が、神聖で荘厳な空気を感じさせる。


 手を清め、賽銭を投げる。

 二礼二拍手一礼。

 願い事は前期の単位。...とできれば交通安全もお願いします。

 

 

 ひとまず参拝は終えた。

 いつになく素直な気持ちでお願いしたので、道真さんも及第点はくれるだろう。


 なんというか辺りに漂っていた緊張感から解放された気分だ。気のせいかもしれないが、門を潜ってからは言葉を発してはいけないような、そんな見えない圧力がのしかかっていた気がする。


 似たようなことを考えていたのか、


 「ぷは~。なんか神社に入るとピシってなっちゃうよね~。」 


 と白浜も笑っている。

 

 本殿の周りにもいくつもの建物があり、誰々さんを祀っていてこんなご利益がありますよ、と看板が立てられているが、歴史や神話に詳しくない長峰としては、どれを見ても「ほへー」という反応しかできない。


 そんなわけで、隅のほうで参拝者が少なそうなところに賽銭を投げつつ、境内を見て回る。



 発色の強い赤色の塗料に無性に興味をそそられたり、掛けられていた何万もの絵馬に人の想いの強さを感じたり、その手前に横たわっている身体の削れた撫で牛から、ヤギに舐められ続ける拷問を連想してしまったりと、気の向くままにのんびりと散策する。


 その間にも太陽は等速に円運動しながら、東から西へと進んでいく。律儀に時間を守っている風を装いながら、毎日バレない程度に軌道をずらしては、気付かない者を裏で嗤っているんだろう。

 

 「一通りは見たし、そろそろ向かう?」

 

 境内を一周するころ、白浜が言う。

 パンフレットを広げ、パタパタと扇ぐ様子が可愛らしい。


 正直同じような建物に飽きてきて、変な妄想を始めたくらいだから、もちろん異論はない。


 「おっけー。じゃあ、ちょっとそこの自販機で水買ってくるわ」


 「ういういー」


 ささっと自販機に向かい、何も考えず600mlの麦茶を購入する。

 しばらくぶりの一人の時間だ。

 


 さてと...


 ここから嵐山までどのくらいなんだろうか。

 割と西のほうまで走ったから、半分は越してると助かる。南は下り坂ぽかったからそこまではきつくなさそうだけど、着いてからも歩くだろうし体力を消費したくない。

 疲れて楽しめない、なんてことになったらそれこそ最悪だ...


、自動車をぶつけたようにガコッと音が鳴り、商品が排出される。

 どうせ外れるだろうルーレットを無視し、冷えているうちにすぐさまお茶を体に流し込む。喉の奥から胸のあたりまで気持ちよさが突き抜ける。


 ふはーっ...

 しっかし、白浜は元気だな。今も手水の写真撮ってるし。

 体が小さい分、燃料の消費も少なくて済むんだろうか。

 

 

 白浜と合流し、来た道を戻る。


 寄り道だけでも十分なボリュームだったが、ここからは本題に戻るとしよう。

 


 二人は木陰に置いておいた自転車を引き出し、嵐山を目指して改めて出発する。



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