聞き込み
俺は呆然と真っ赤に染まった死体を見つめる。
部屋の隅で壁を背にして倒れる男。首元がぱっくりと裂けており、溢れ出た血が男の体だけでなく部屋全体に飛び散っている。
部屋の中に足をゆっくりと踏み出し、死体のそばに近寄っていく。だが、後ろから服を掴まれ、その歩みは妨げられた。
「少し待ってください。死体の調査をするのは皆が集まってからの方がいいでしょう」
耳元で、鳥肌が立つような艶美な声が囁かれる。
二重の意味でぞくりと体を震わせた俺は、声の指示に従い、動きを止めて振り返った。
背後では蠱惑的な笑みを浮かべた黒桐の姿が。
彼女は俺が動きを止めたのを見るとより笑顔を深め、その後ろに控えていた裕翔に指示を出した。
「それでは、私と彼とで現場を見張っておきますから、新牧さんは他の方を呼んできてくださいますか。言うまでもないと思いますが、誰がどこにいたかはちゃんと記憶しておいてくださいね」
「なんで俺が……って、今はそんな場合でもねえか。じゃあまあ、行ってくるわ」
素直に黒桐の指示に従い、ポメラニアンを蹴らないよう気を付けながら裕翔が走っていく。
扉が閉まり、死体が転がる部屋の中に、俺と黒桐の二人だけが残される。
唯一裕翔から紹介を聞きそびれた少女。見た目は高校生ぐらいの少女に見えるが、あどけなさよりも妖艶さが際立っている。艶めいてたなびく黒髪は一本一本に意思があるかのように存在感が強く、目鼻立ちの整ったその表情には、自身の容姿への自信が溢れ出ていた。
一体彼女はどんな罪を犯し地獄に落ちたのか。
ついつい彼女の笑顔に見惚れていると、口元に手を当てながら、黒桐は口を開いた。
「少しお聞きしたいのですが、あなたと新牧さんはずっとあの部屋にいらしたのですか? 一度も別れたりはせずに」
俺はどぎまぎとしながら、彼女の質問に答える。
「え、ええ。廊下の端から端まで移動した後は、ずっとあの部屋で話していました」
「ではお二人には彼のことを殺す機会は全くなかったということになりますね」
「いや、自分で否定するのも変ですけど、そうともいえないかと」
「あら、それはどうして?」
「最初に聞いたルールによれば、悪魔は一つだけ特殊能力を持っているそうですから。例えば透明な分身体を召喚する特殊能力でも有していれば、彼の殺人もできたでしょう」
「ふふふ。それもそうですね。悪魔の能力が不明な以上、安直に犯人を特定することはできませんよね」
何が面白いのか、黒桐は忍び笑いを漏らす。
そんな彼女を見ていて、俺はふとある疑念を抱いた。ここは最初に皆が集まっていた部屋。つまり隻腕のジョンと共に最後までこの部屋にいたのは黒桐だということになる。そして先ほどの話では、ここを出てから俺たちの部屋に入るまでは廊下にいたらしい。となれば隻腕のジョンを殺した人物に最も心当たりがあるのは彼女だと言えるはずだ。
廊下に出ている間に物音や誰かを見かけたりしなかったのか。それらを尋ねようとするも、唐突に黒桐が俺にすり寄ってきた。
「ところで、あなたのお名前はなんというのですか?」
頬を赤らめ、上目遣いで黒桐が尋ねてくる。
全身に走る謎の衝撃。「シ、シルバーです」と答えながら、俺は一歩彼女から距離を取る。しかし黒桐はすぐさまその距離を詰めると、ぎゅっとこちらの手を両手で握りしめた。
「シルバーさん、ですか。とてもかっこいい名前でいらっしゃいますね。お名前の通り髪も瞳も優美なシルバーで、見ているだけで何だか胸が高鳴ってしまいます。それに他の方と違い、シルバーさんからは穏やかな雰囲気を感じます。あの、もしよろしければ私と――」
「おう、全員連れて戻ってきたぜ」
扉が開き、息を切らした裕翔が部屋に入ってきた。言葉通り、裕翔の後ろには残り四人の参加者が全員集まっている。
想像していたより速い裕翔の帰還に、俺は驚きの表情を、黒桐はなぜか苛立ちの表情を浮かべながら出迎える。
そんな俺たちを見た裕翔はなぜか笑顔を浮かべると、呼吸を整えながら全員を部屋の中に案内した。
「確かに、あのやんちゃな坊やが殺されているわね」
首から血を流した鮮烈な死体を前にしても、顔色を変える者は一人もいない。中でも戦慄のメアリーは全く動じずにそう呟くと、杖をつきながら死体に近寄った。
目を細めて隻腕のジョンの体を隅々まで観察していく。俺も彼女の後ろに付き従い、ようやく死体へと目を転じた。
「腕にも足にも傷はなし。服も破けていないし……体に外傷があるようには見えないわね。頭部も殴られたわけではない。首も、前側をすっぱり切られているだけで紐で絞められたわけでもなし。おやまあ、これは随分とスマートな遺体ねえ」
戦慄のメアリーが言う通り、首の傷以外にはこれと言った外傷が全く見当たらない。死体の周りを見回してみるが、こちらも男の血で赤く染められていることを除けば、壁・棚・花瓶・ソファと全て元の状態から変化していなかった。
唯一床の一部だけ、不自然に血がついていなかったが、おそらくこれは廊下で吠えているポメラニアンが原因だと思われる。足や腹だけでなく全身が赤く染まっていたことから、隻腕のジョンが殺された際、ちょうどこの位置に座っていたのだろう。
俺とメアリーが死体を調べた後、裕翔や黒桐が死体を調べ始める。
残りの三人は死体を調べることに興味がないのか、扉の近くで黙ってこちらの動きを眺めている。
狙い通りと言えばそれまでだが、同じ参加者の一人があっさりと殺されたことに対して、彼らはどんな思いを抱いているのか。地獄に落ちた悪人であり、この悪魔の遊戯に選ばれた者たち。罪悪感や死への悲しみとはやはり無縁なのだろうか。
むくむくと湧き上がってくる好奇心。それを抑え、俺は取り敢えず彼らに今後聞くことになるだろう質問を投げかけた。
「それで皆さんは、裕翔に呼ばれるまでどこにいらしたのですか? 俺と裕翔はずっと二人で行動していたのですが、皆さんはそれぞれ単独で行動を?」
「ええ。私はずっと端の部屋――Ⅵ号室に一人でいましたよ。正直皆さんのどなたも信じられる気がしなかったから、何か起きるまで一人でゆっくりと体を休めておこうと思って。もし襲われても、人型の悪魔相手なら勝てる自信もあったものだから」
真っ先に、ステッキで床を叩きながら思考していた、戦慄のメアリーが答えてくれる。
こちらに向けるまなざしはとても優しく、パッと見彼女が犯罪者には見えない。だが油断は一切できない。彼女はこの中でもトップレベルの怪物。その優しいまなざしの奥に潜む、怜悧な光。もし敵だと認識されれば、彼女は一切の躊躇もなくその鉄のステッキをふるうだろう。
「私も同じよ。信用できる相手もいないし、Ⅹ号室で一人うたた寝していたわ」
続いてカーミラの再来が口を開く。彼女は自ら推理する気がないのか、いまだ死体に一度も目を向けていない。ただちらちらと、黒桐に対して怪しい視線を投げかけている。
正直遊戯をクリアする気があるのだろうかと訝しく思えるが、何はともあれ彼女も一人だったらしい。
さて残るは人喰いのデオガートとベイビーアブダクションのイーサン。正直この二人が一緒に行動しているとは思えないため、それぞれどこか別の部屋で待機していたのだろう。
そんな予想を裏付けるように、人喰いのデオガートが、
「オレ、ヒトリ、ムカイノヘヤ、イタ」
と片言で言い、ベイビーアブダクションのイーサンは、
「僕は、Ⅷ号室で花を愛でていました」
と、ぼそぼそと呟いた。
ふとデオガートの声を聞き、彼らの言葉はあくまで俺にこう聞こえているだけで、実際の言語は違うのだよなと思い至る。意外とこれは後々面倒なことになるのではないかと懸念を抱きつつ、一度思考を整理する。
隻腕のジョンが殺されたこの部屋はⅨ号室。その両隣りの部屋にそれぞれカーミラとイーサン、真向かいにデオガートが。位置取りとしては、この三人が最もジョンの近くにいたことになる。
そこで俺はふとあることを疑問に抱き、黒桐に声をかけた。
「黒桐さん。あなたはこの部屋を出るとき扉は閉めていかなかったのですか? それとポメラニアンがこの部屋に入っていることは知っていましたか?」
黒桐は死体から身を離し、俺に視線を移す。
「ええ。最初は扉を閉めようとしたのだけれど、この死んでしまった男の人に開けておけと止められたんです。私が部屋から出てすぐにそこの白毛玉、もとい赤毛玉とすれ違い、この部屋に入っていくのを見ましたわ」
「そうですか……」
四人に釣られて一緒に部屋に入りこんでいたポメラニアンに目を向ける。全身が真っ赤に染まっており、血を吸ってしまったせいか毛のボリュームが減って見える。今は先ほどまでと違い、驚くほど静かに部屋の隅に座り込んでいた。
さて、どうしたものか。
俺はこのゲームが内包する問題点に今更ながら気づき、何か対応策はないかと首をひねる。果たして、力のない俺のような人間にこのゲームをクリアする術はあるのだろうか?