第48話 偽る魔女と偽られた魔女の恋人。
組んだ足にそっと跪いて、子犬の様に手を乗せられる。
思わずドキリと心臓が跳ねたが、なんとか平常心を保っていた。
「なんで死んでしまったの?
もう一度一緒に逃げると約束したじゃないか」
ムウの死に関しての情報など、詳しいことはわからない。
なので黙って微笑むしかない。
黙っているとジェイスが今度は恋人に甘える様に、トウの太腿に頬を寄せた。
スカートの上から人の温度が伝わり、思わずじわりと汗ばむ。
そんなトウの様子に気がつかないのは、ジェイスがこの状況を信じているという事だけだ。
「僕が、一緒に死のうって言ったから?」
ジェイスが悲しそうな目でトウを見上げる。
何かをして欲しそうな表情に、彼女の仕草を必死に思い出す。
彼女と一緒にいたのは数日だけだったが、彼女とジェイスはいつもベッタリだった。
いつもムウが座る側に、子犬の様に寄り添っていた。
確かこんな風に……。
トウは見上げるジェイスの前髪をソッと撫でる様に指で触れる。
それを嬉しそうにジェイスは目を閉じた。
「……そんなんじゃないわ。
私ね、あなたには生きて欲しかっただけなの。」
トウの言葉にジェイスは眉を寄せた。
思わずバレたのかとヒヤリとしたが、ジェイスが自分に向ける瞳は憂いを帯びたままだった。
「僕はあの時死んだも同然だよ。
君は生きろと僕に言ったことが呪いの様に僕を生かしているだけだ。
無理やり結婚させられ、愛してもいない女が僕の妻だとすり寄ってくる。
君のいない世界はもう、耐えられない。」
『それでも生きて欲しかった。
私はあなたの幸せだけを考えていた。』
トウの口から自然に出た言葉が、何かに反響して重なった。
ジェイスは当の膝に顔を埋めながら、ギュッと当の膝を抱きしめる。
「それは僕も同じだ。
あなたが死んだのに、何故僕は生きていなきゃいけない?
君はずるいよ……
お願いだ。
君のところへ連れて行って欲しい。
僕はもう、生きていたくないんだ。
君が生きろと言った。
その言葉が僕を呪いの様に生かしている。
僕を解放して欲しい。
あなたの元へ……どうか僕を連れて行って。」
悲痛な顔で懇願するジェイスに、目を伏せゆっくりと首を振る。
「死は美化するものではない。
死んでも一緒にはいられないわ。
だって無になるから。
魂は体と引き裂かれ、決して死ぬ事で楽になるわけではないから。
死んでも魔女という力に弄ばれ、私はどこへもいけないの。
私はだから、ずっとあなたの側にいたのに。
あなたは何も気がつかなかったのね。
私は本当はいきたかった。
生きてあなたと幸せになりたかった。
私の幸せはあなたが幸せでいる事。
あなたはその努力さえ放棄してしまったのね?」
スラスラと出る言葉に、トウはもう自分が誰だかわからないぐらい困惑していた。
この言葉にジェイスはトウを見つめたまま黙り込んでしまう。
これは私の言葉。
でもきっと、ムウの言葉でもある。
彼女ならきっとこういうだろう。
そう信じて、トウは言葉を続けていく。
「じゃあどうやったら僕は幸せになれるんだ。
どうやって君がいない世界を生きたらいい?」
ハラハラと止め処なく流れる涙が、トウのスカートに幾つも落ちる。
そしてそれを慰める様に、愛おしそうに、ジェイスの前髪を指で撫でるのだった。
「……いきて。
私はあなたのそばにいる。」
「……とても酷いことを言うんだね。
それでもまだ生きろというのか?
君はどこまでも残酷だ……」
死ぬことさえ許されない地獄に、ジェイスは憔悴仕切っていた。
それをクスクスと笑って見せるトウ。
「あら、だって私は本当は生きかったのよ。
死んだら楽になると思ったけど、結局死んでも魔女という力に弄ばれ、私はどこへもいけないの。
それならば私は次の運命を待つまで、ずっとあなたのそばに。
そしてこれからも、私が私でいるうちは、貴方と共に生きているわ。」
「……共に?」
髪を撫でるトウの手をジェイスがゆっくりと触れる。
それを受け入れる様に、トウはジェイスを見つめて微笑んだ。
「ええ、共に。私は貴方のそばにいる。
貴方が私を感じる事ができなくても、私は貴方に愛を囁き続けているのよ……。」
「……辛いよ、君を感じることが出来ないなんて。
でも、僕らは共に生きているのだね……」
「ええ、そうよ。」
トウの微笑みに、ジェイスは微笑んだ。
そして、ソッとトウを抱き寄せる。
「いつか、僕らの魂は結ばれる事ができるのだろうか?
魔女というしがらみから逃れる事ができた君と、僕と……」
抱きしめられた腕に力がこもった。
その時、ふと。
二人の間に藤色の光がまとわりついている気がして、トウはハッとする。
そしてトウはジェイスの背中を包み込む様に、腕を回した。
「来るよ、絶対。
大丈夫、残された私たちに任せて……」
彼は気付いているのだろうか。
『トウ』の言葉と同じことを『ムウ』が告げたことを。
『トウ』の言葉を告げ、そっとジェイスの胸から体を離す。
驚いたジェイスの顔を見上げ、トウは下手くそに微笑んだ。
驚いたままジェイスは、苦しそうに微笑んだ。
「……すまない。
ありがとう、トウ……。」
そういうと、赤く滲むトウの首筋の傷にそっと手を触れた。
「ジェイスさん、大丈夫ですか?」
「ああ、いや……。どうなんだろう。
でも、僕にも光を感じられた。
だから、彼女が望む様に……頑張って生きてみるよ。」
ジェイスも下手くそに微笑んだ。
「大丈夫……ムウはジェイスさんがおじいちゃんになっても、かっこいいって言ってくれる……。」
トウの言葉にジェイスは『ふはっ』と顔を緩ませる。
そして口元を押さえると、手のひらで涙をゴシゴシと拭いた。
「トウ!!!」
振り向くとミラルドとニールがすごい形相で飛び込んできた。
そして触れられていた首筋の手を払い退け、自分の背にトウを隠した。
「貴様!彼女に何をした!!」
ミラルドの言葉にジェイスが静かに両手を上げ、降伏する様に膝をつく。
「違うの!!!彼は、私を助けてくれた、友人です……!」
慌ててジェイスを庇う様に前に出て両手を広げる。
その様子にミラルドは眉を寄せ、ジェイスを睨みつける。
「だ、大丈夫だから。そんなに怒らないでほしい。」
必死になるトウに、ミラルドはニールに視線を送ると、仕方なさそうにため息をついた。
「……首の傷の状況を聞いても答えないつもり?」
「……ちょっと爪で引っ掻いちゃっただけ。」
「……自分で?」
「自分で。」
目線を一切合わないトウが何を聞いても答えなさそうなのはわかったが。
ミラルドは納得できなさそうにまた、ため息をついた。
「……ジェイスと言ったかな?私は……」
「……ミラルド様、お待ちしておりました。すぐ、城内へ案内させていただきます。」
ミラルドの言葉を遮る様に、ジェイスはそう言った。
多分何事もなかったとしたいトウの気持ちを汲んだのだろう。
ムウの家に突然現れた中央の一行を見なかったことにしてくれる様だ。
ミラルドも苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたが、これ以上は何も言えない様子だった。
スカイに首の手当てをする様に合図し、後から現れた第一騎士団の一行と合流し、ジェイスの案内で北の王がいる城へと向かったのだった。




