第43話 婚約と、北の国の魔女の立場。
『婚約者』という言葉は、もちろん知っている。
ラファエルに婚約者がいるという事も、シーザから聞いて知っていた。
だが今目の前に『ラファエルと婚約している者』がいるという状況に、トウは目の前が真っ暗になっていた。
しきりにラファエルと『婚約者』が何かを言い合っているようだが、全く目も耳も機能が低下している様だった。
「……トウ様?」
スカイがトウの異変に気が付き、そっと声をかける。
スカイのエプロンを握る手が、ブルブルと震えていたのだった。
「……お話し中申し訳ありませんが、私どもは失礼いたします。」
スカイはそう言ってトウの肩を抱える様に歩き出す。
それに護衛の騎士も慌てて付き添った。
「……あらアナタ。」
フェリシアの声に一同に緊張感が走った。
「……その髪色、もしかしてこないだの魔女さん?
……こんな所まで出歩いているの?
やだ、ここは人がたくさんくるとこなんだから、ここまできちゃダメよ。」
含み笑いをする様に『魔女』に対し、蔑んだ言い方をするフェリシアに、ラファエルは彼女の腕を掴んだ。
「……お高くとまった貴族の娘は、だから嫌なんだ。
教育を受けてもこの程度か……。」
ラファエルの瞳に怒りが見える。
それにフェリシアは意味がわからず、後退りをした。
「ラファエル様……?腕が痛いわ。
どうしてお怒りになられているの?」
ラファエルの怒りが理解できず、周りをキョロキョロと周りの反応を伺った。
だが誰一人フェリシアを味方する者はおらず、侍女長までもが下を向いてしまう。
「……おっしゃっている意味がわからないわ。
私に何をお怒りになられているの?」
フェリシアも負けじとラファエルを睨み返すが、ラファエルの迫力に肩を強張らせた。
ギュッと口を窄め、頬を膨らます。
その時、誰かが急いでこっちへ向かってくる足音が聞こえる。
「……フェリシア、来てたのかい?」
突然トウは後ろに引っ張られ、誰かの腕の中に滑り込まされた。
ビックリして見上げると、ミラルドが息を切らし微笑んでいた。
「トウ、探したよ。
部屋に行ったら庭に出たと聞いて、やっと見つけた。
……ここにいたのかい?」
「……!?」
驚きすぎて、声が出なかった。
ミラルドはトウを愛おしそうに微笑み、深く被った帽子の上から頭を撫でた。
パクパクと水から顔を出した金魚の様に、ミラルドを見つめている。
「……ミラルド様、ご機嫌よう……。」
フェリシアは眉を寄せ、とても嫌そうにミラルドを見つめ、お辞儀をする。
「……相変わらず他人の家で我が物顔で好き放題していると聞いたが、今度は男漁りでも始めたのかい?」
「失礼ね!こちらは私の婚約者よ!!」
ミラルドの笑顔に、フェリシアは怒りをあらわにした。
紹介された『婚約者』にミラルドは微笑む。
「ああ、君が不幸な婚約者様か。でも大出世じゃないか!
彼女と結婚した暁には、第一騎士団隊長も夢じゃなくなるわけだね。
おめでとう!」
トウの肩を抱き抱える腕が強くなる。
少し窮屈さに、トウの頭も段々とクリアーになってくる。
「……あの、ミラルド?」
「ああごめん苦しかったかい?」
緩んだ腕は今度は自然と腰に回された。
違和感なく収まる手に、トウの頭はハテナがいっぱいとなった。
試しにグッと突っぱねたが、びくともしないので早々に諦める。
状況がまるで見えないので、トウはとても不安に駆られた。
すぐにミラルドはフェリシアにも微笑む。
自分に向けた時とは違う、真逆の微笑みで。
「フェリシア、まず彼女に謝ってくれるかい?」
ミラルドの言葉に、フェリシアは眉を寄せる。
「……何故?
私、何も悪いことしてないわ。
魔女は昔から『忌み嫌われる者』でしょ!?
何故そんなものに私が謝らなければならないの?」
腕を組み口を尖らせ、そっぽを向くフェリシアに、ミラルドはクックッとバカにするように笑う。
その言葉にラファエルも反応する。
そっちは瞬時にニールが抑えて欲しいと首を振った。
フェリシアそんなラファエルに気がつかず、ミラルドに怒りをぶつけるように睨みつけた。
ゆらりと首を傾け、口元だけを歪ませて笑うミラルドが口を開いた。
「……君の立場は僕の従妹。
そして公爵令嬢だ。」
「ええ、そうよ。
王族の血筋の公爵は貴族の中でも偉いとお父様が言っているもの。」
『そうでしょ?』と言わんばかりに、侍女長の顔を見た。
侍女長も逆らわず、何度も頷く。
その反応に鼻をツンと出し微笑むフェリシア。
それをまた、馬鹿にする様にミラルドは笑う。
「相変わらず18にもなっても何も成長しない君に、称賛するよ。
だったら……そんな君に質問いいかな?」
「何よ!!人のこといつも馬鹿にして!
アナタのお父様の愛情が、私に注がれていることが悔しいんでしょ!?」
痛いとこをついたつもりのフェリシアが、ミラルドに指をさす。
それを顔色を変えず、フェリシアを蔑んだ。
「……だから頭が足らないと、言っているんだよ君は。」
感情的になるフェリシアに、ミラルドは低い声で言った。
その声にフェリシアはグッと黙り込む。
「フェリシア、君は公爵令嬢だ。
ならばこの国の王子である僕の方が、立場が上なのはわかっていると思うけど。
……その僕の婚約者だったら、君と立場はどうなる?」
「……私より、もちろん上よ。」
「ならば、君は不敬をしたことになる。」
「はぁ!?
何を言ってるの?訳がわからないわ!!
アナタとは従兄妹関係だし、言葉使いなら子供の頃からずっとこうでしょ!」
フェリシアはミラルドに対し、また感情をあらわにした。
その場にいた誰しもが、ミラルドの言葉の意味がわからなかった。
スカイもニールと顔を見合わせている。
だがラファエルだけは、ミラルドを不穏な顔で見つめていた。
そんな周りの反応に、ミラルドはトウを引き寄せ微笑んだ。
「トウ、待たせてしまったがやっと解決したんだ。
さっき王からの承諾も貰い、正式に決定したよ。」
「……え?」
振るいだすような声でトウが呟く。
「鈍色の魔女であるトウは、今日正式に僕の婚約者となることが決定した。
喜んでくれるかい?」
トウを見つめ愛おしそうに微笑むラファエル。
驚いてまた金魚のように、口をパクパクするだけしかできないトウにミラルドは頬にかかる髪の毛を手でソッと流した。
ラファエルは立ち上がり、ミラルドに静かに怒りを向けた。
「……どういう事ですか?
婚約など……魔女の婚姻は認められていなかったのでは!?」
ラファエルの静かな怒りを見せ付けるように、ミラルドはより一層トウに身を寄せる。
「……ああ、そんなのどうでもいい事だ。
16年前王族に魔女が出てからその辺の法律はさ、国独自の『なあなあ』で決めていいことになったらしいよ。
すごいよね、西の王妃はとてもやり手だ。
国同士の抜け穴を見つけ、娘を保護する最前の方法を選択し、誰にも文句言えない方法を作った訳だ。
それを考えたらウチも、それで行けると王は判断したんだよ。」
いまだ意識のハッキリしてないトウに微笑み、ギュッと抱き締める。
「思った以上に簡単だったよ、北の攻略は。
寒波で足りなくなる前に、物資を大量に支援したからね。
もちろん支援品は僕の個人資産で賄ったから、うちの国には何も損もない。
北の彼らはとても感謝していた。
だからウチには攻め込む事はしないと協定を結んでくれた。
藤色の魔女がいなくなった事の結果は、1ヶ月もたたないうちに現実になっていたからね。」
ミラルドの話はこういう事だった。
事前に予測していた北の国の寒波はもう始まっていた。
どちらにせよ北は年中寒さの険しい冬の国で、、一年中雪が降り積もっている。
なので蓄えを出来るほど日々の生活が潤っているわけではない。
生活には困らない程度の野菜、家畜などで主に暮らしている現状。
そこで魔女が消え寒波が来ると、育つはずの植物が一切育たなくなる。
寒さに家畜は死に絶え、国に住む国民が飢えてしまうのだった。
北は元々ムウを死なせる気はなかった。
駆け落ちから連れ戻し、幼なじみの恋人と引き離した後は、ほとぼりが覚めるまで幽閉するつもりだったのだ。
ムウは自身で毒の効果や浄化の薬の効きを試すため毒には耐性があったし、ムウが牢で服毒を図った時、死ぬはずがないと踏んでいたのだ。
幽閉されたムウは自ら持っていた毒を飲んだ。
この世界を、魔女という柵から飛び立つために。
ムウは自分が死ねる毒を知っていた。
それを遠くへ逃げ延びたら、ジェイスと一緒に飲むはずだったのだから。
ジェイスの分も一緒に飲む。
苦しくはない。
ただ、でも涙が溢れた。
それでも最後は微笑もうと必死に笑った。
最後に微笑みながら、祈るように呟いた。
『どうか、他の魔女は幸せに死ねますように。
私のように、悲しんで死ぬことがありませんように……』と。
『彼女は最後にそう言っていた』と。
トウはその言葉に、静かに涙を流した。
ただただあふれる涙が、ポタリと靴に落ちた。
それにつられるように、スカイも涙を流す。
予期せぬムウの死に、北の国はとても慌てた。
前回の寒波がもし、魔女が死んだせいなら……。
死んだ日から既に天候はおかしかった。
国民は家から一歩も出れないほどの吹雪に見舞われ、暖炉が凍って火もつかないほどの寒さが襲う。
だが他の国に悟られないように、ムウの死はしばらく極秘にされる事となる。
ミラルドの狙い通り、北は中央の国を攻め落とす事を計画していた。
だが、中央が自らたくさんの物資を寄越してくれたことに、北の心も絆される。
南の国も西の国にも説得して周り、毛皮のコートや防寒具、暖炉とは別に暖を取れる火鉢のような物を物資として協力させる。
これなら他の国にも戦争で攻められる事はない。
定期的に物資を送る約束もし、戦争という事の安全は各国同士守られた。
北は向こう2年は細々くだが、国民が安定して暮らしていける確保は出来た事はとても大きな貢献だった。
他の国も物資を出し渋ったが、結果戦争に攻め込まれる損失を考えると、ミラルドの提案に大きな感謝を示した。
そしてどの国も2年もあれば、次の魔女が生まれるだろうと見越していたのだった。
「さぁ、フェリシア。
トウに不敬を働いた事を謝罪するべきでは?」
ミラルドの言葉に、フェリシアはワナワナと手を震わせる。
「その婚約が正式に認められ発表するまで信じられない!
私、用事があるのでこれで失礼するわ!」
大きく髪の毛を揺らし、逃げるように去っていく。
その後を侍女長が軽いお辞儀をした後、追いかけていく。
それを見つめ、ミラルドはため息をついた。
「……説明は後でするから、しばらく我慢してくれ。」
ミラルドはトウに頬を寄せ、耳打ちをした。
指先で後から流れる涙を拭う。
トウは静かに頷いた。
「キミ、トウを部屋に連れていくから付き添ってくれ。」
ミラルドはスカイに指示を出すと、トウを抱き抱え、ラファエルに目もくれず歩き出した。
残されたニールは困惑しラファエルの顔色を覗き込む。
ラファエルは静かに鞘に手をかけた手を握りしめていた。




