第3話 魔女の商売
あれっきり。
あれっきり幾度と日が流れた。
野花が元気なうちには、ラファエルは姿を見せなかった。
枯れてゆく花を見つめ、トウは頬杖をついて呟いた。
「……嘘つき。」
お気に入りのコップに飾られている花を指でつついた。
普段テーブルに花なんて飾ることはなかったのに。
このコップだって花なんて飾られるなんて、思わなかっただろうし。
ありったけの力を込めて指を光らせると、花は少しだけ元気になった。
その様子にトウは少しだけホッとする。
今日は長い間降り続いていた雨がやっと上がったのだ。
なので湖の水かさも落ち着いてきたし、誰かが訪ねてくる気がする。
そんな気がするのだ。
もしかするとラファエルかもしれない。
そう思うといても立ってもいられず、朝早くから少しでも綺麗に見える様に掃除をしていて、絶賛ヘトヘトなのだ。
テーブルに顔を俯してダラダラと花を見つめていると、誰かが橋に足をかける音がした。
この橋は一見ボロい見た目の割に実は、頑丈にできている。
向こう100年はメンテナンス要らずの魔法がかかった橋なのだ。
その割にガラガラと崩れそうな音がするのは、防犯のためだった。
誰かしら橋に足をかけると、すごい音で知らせてくれる。
その足がだんだん近づくにつれて、木が軋む音も大きくなる仕組み。
代々女ばかりで住んでいた身を守る方法である。
母が亡くなった後、自分が一人ぼっちになる事を見通して、祖母がかけてくれた魔法だった。
昨日切りそろえたばかりの前髪を気にする。
手でパッパと前髪を整えて、呼び鈴が鳴るのをウロウロと待っていた。
コツンコツンと靴音が扉の前で止まった。
玄関の前に誰かが立ったようだ。
チリンチリンとベルが鳴り、急いで覗き窓を見ると……。
……トウはブスッと顔をして扉を開けた。
「……今日は何の用ですか?」
「つれないなあ、久々に会ったのにー」
トウを見てニコニコと胡散臭い微笑みを浮かべるのは、取引のある商人の……昔から馴染みのある男だった。
トウは静かに彼を招き入れる。
それでも顔は浮かないままだった。
「いつもにまして仏頂面だね?なんかあった?」
まるで自分の家の様に、リビングの椅子に深く腰掛けて足を組む。
その様子を見ながらやっぱり口を尖らし、コップにお湯を注いだ。
「ねえ、トウ。せっかく来たお客にお湯はないだろ?
せめて蜂蜜薬草茶とか、前にハマって作ってた下手くそなクッキーとかないわけ?」
明るめの茶色の髪を鬱陶しそうにかきあげながら、勝手に台所の瓶を漁り出す。
「……薬草はこないだの雨が降る前には無くなったし、今朝採ってきたのは乾燥中だし。
ハマってたクッキー作りは、もう半月も前に飽きてしまったし。
ていうか、商人なんだからアンタが持ってくるべきじゃないの。」
ブスッと頬を膨らませるトウに、ニッコリと胡散臭そうに微笑む。
そして差し出されたコップの中身に全く色がついてないことを確認すると、諦めた様に肩をすくませた。
「久々に来たのに相変わらず何もないなあ。
僕が来ない間は、また畑のジャガイモばかりをかじっていたのか、かわいそうに。
あ、肩のとこほつれて穴があいてるよ?」
「……別にいつもと変わらないわよ。」
慌てて指摘された肩を見つめ『あとで縫わなきゃ……』と呟きながら、裁縫セットを取りに隣の部屋へと移動した。
「……街に出たらもっとカラフルで楽しいこといっぱいあるのに。
もう魔女やめちゃってこっそり町で暮らしたら?」
茶色の巻き毛はニコニコと笑いながらトウを見た。
それをトウは眉を寄せ、睨みつける。
「月と同じ色の瞳ですぐ魔女だとバレるわよ!
……分かってて言ってるんでしょ?本当に意地悪ね!」
トウが隣の部屋から声を上げて台所の方へ顔だけ向けると、茶色の巻き毛は楽しそうに笑った。
「あは!バレちゃうかーやっぱり。
街に住んだら僕の商売手伝ってもらえるのになあー、残念。」
「……今だってたくさん手伝ってるじゃない!」
またトウが声を張り上げる。
その様子を見てなだめる様に茶色の巻き毛は微笑んだ。
「……そうだったよねぇ、ごめんね。
でもそのお陰でトウもこうやって生活できてるわけだし?
一石二鳥だね!」
トウが台所へ戻ってくるのを確認すると、ゴソゴソと自分の鞄を漁った。
「はい、今月分のトウの取り分。」
そう言いながらジャラジャラと音がする小袋をテーブルの上に置いた。
トウはそれを受け取ると、無言で中を確認する。
「……少し多い気がする」
その言葉に巻き毛がまた微笑んだ。
「僕が自ら持ってきた意味がこれだよ!」
満足そうに微笑む巻き毛に、さらに不審そうに見つめ返した。
「今月から取り分少し多くなるからね。
なんかよく当たるって人が増えたんだよねー?
お陰でこっちはだいぶ儲けさせてもらってるし。」
巻き毛がニマニマと顔を緩ませると、トウはもっと怪訝そうに眉を寄せた。
「……大丈夫なの?人増やして……。
ねえセイル、私は1日に見れる人の数は決まってるんだからね?」
セイルと呼ばれた巻き毛の男はにっこりと微笑む。
「大丈夫だよ!本気で困ってそうな人だけトウが見て、適当に相談のってりゃいいヤツは僕が適当にのるし!
……でも便利だよね、魔女って。
少し先がわかる魔法なんてすごく便利じゃないか!」
その言葉にまた眉を寄せる。
「……私はそれしかできないもの……」
そんなトウの肩に手を乗せ、セイルは微笑んだ。
「僕にとっては最高の魔法だよ。
お陰でお金儲けできるわけだし!
僕は水晶で繋がったトウの代わりに喋るだけだしね!」
嬉しそうに微笑むセイルを見て、深く息をついた。
トウは魔法をうまく使えない。
だけどほんの少し先を見ることができた。
そのお陰で一人で十分暮らしていけるほどのお金は稼げている。
この茶色の巻き毛……セイルとは子供の頃からの知り合いだ。
まだ母や祖母が生きているときは、今よりは少し街の住人と身近だった頃。
祖母は街の片隅で薬草を薬にして売っていた。
それは『とても苦いけどよく効く』と近所の人には好評で、その薬のおかげで小さなトウは近所の子供と交流する事があった。
苦いけどよく効く薬屋の子供。
小さな子供達の認識はまだ、この程度だったのだ。
お陰で一緒に遊んでいても魔女だと怖がられることもなかった。
だがしかし、セイルが現れたのだ。
セイルはこの街の一番大きな商会の次男で、丸々と太った体にいつも美味しそうなお菓子を抱え、ワガママで上から目線の嫌な存在だった。
トウを見るなり薄灰色のワンピースを指差して、雑巾のようだと指差して笑ったのだ。
母が縫ってくれた、トウにとってはお気に入りの服だったのに。
なので最初の印象からかなり最悪だった。
その頃トウはセイルがとても嫌いだったのだ。
街へ行くたび何かにつけて魔女が来たと罵り、時には泥団子なんかを投げてきた。
小さなトウはその度に泣いて祖母に縋り付いたが、街の人がセイルを叱ることはなかったのだ。
トウは他の子供より少し大人びていたので、セイルに関して何をされても大人は強く言えないことを素早く感じ取ると、『自分の身は自分しか守れない』ことを悟る。
この頃から薄っすらと危険認知能力を研ぎ澄まし、セイルが現れる前に隠れることにしたのだ。
そしたら今度は面白くないのはセイルの方だ。
来ている気配はあるのに姿は見えない。
揶揄いたくてもトウに会えないのだ。
セイルもまたズル賢い子だったので『これは何かある』と感じ取ると、トウが出てくるまで魔女の家に居座り続けたのだった。
祖母はそんな様子を微笑んで見つめ、とうとう痺れを切らしたトウがセイルの前に出て文句を言ったのだった。
「どうして付きまとうの?嫌いなら姿が見えなかった方が清々するはずでしょ?」
涙を溜めて怒るトウに、セイルは太って組めない足を組みながら真面目な顔でトウに詰め寄った。
「……なぜお前はこれ程までに僕と会わずに済んだ?」
今までにないセイルの態度に戸惑いつつも、トウは答える。
「それはあなたが来るのをほんの少し前に知ってたから。」
「それは魔女の力か?」
「……わからない。私は魔女だけど、魔法は得意じゃないの……」
トウの話を聞き、セイルは考え込んだ。
そして何故かトウの祖母の顔をジッと見つめると、満面の笑みで笑った。
セイルはトウの方に向き直り、肩をがっしりと掴んだ。
「お前面白いな。僕と組まないか?子分にしてやるぞ!」
「……イヤよ、絶対イヤ。」
トウは怯えた顔で祖母の後ろに隠れた。
セイルは面白そうに笑い、トウに手を差し伸べる。
「イヤじゃない、この街で生きていきたかったら僕と手を組んだ方がいいぞ?
なぁ、バァサン。そう思わないか?」
まん丸な体を揺らし、得意げに祖母に指をさした。
その様子をにっこりと微笑みながら見ていた祖母は、トウの肩に手を置いてこう言いました。
「トウ、セイルと仲良くしてみない?
仲良くしたら、もういじめないって事よね。
セイルもお友達がいないんだから、トウがなってあげたら?」
にっこりと笑ってトウの頭を撫でた。
セイルの言葉をなぜ祖母はこんな前向きで言い直しているのか。
トウの頭は混乱したが、祖母がそう言うならとセイルの前に立つ。
「……子分はイヤ。友達ならいいわ。」
トウが譲歩する形でセイルの差し出した手を取った。
セイルは祖母に負けないぐらいの満面の笑みを浮かべる。
「友達というよりは、相棒でもいい。
僕は将来お前と一緒に金を稼ぐ!!
お前、絶対金になる!」
セイルは意地悪だけど、守銭奴だった。
生きていくには、お金が大事。
それはきっとトウも一緒だった。
見解の一致により、8歳の子供が固く握手を交わす。
それを祖母はまた面白そうに笑って見守っていた。
「……しかし8歳で既にこんなことを思いついていたとは、ね。」
トウは奥の部屋にある大きな水晶を磨きながら呟いた。
お母さんが占いに使っていた大事な水晶だ。
大事に大事に、丁寧に磨く。
「なんか言ったー?」
セイルは相変わらず執拗に、台所を漁って食べ物を探していた。
あのまん丸だった面影の無くなった細身な体と、細くながい手を乱暴に動かしながら。
結局セイルはこの家に何もないことを悟ると、『また近いうちに保存が効く食べ物を持ってくるから』と言い残し、忙しそうにサッサと引き上げていった。
ベーコンやチーズ、柔らかそうなパンが入った袋をそっと玄関に残して。
トウの好きな果物のジャムも入っていた。
「お土産なんだから堂々と渡してくれたらいいのに。
というかお腹が空いたなら、これを食べたらよかったのに。」
セイルの事だから実はこれはお土産ではなく、自分が持ってきたお弁当だったのでは?
なんて思いながらクスリと笑う。
次男ながら商会を任されている程の腕を持っている為、自分に会いにくる時間もないはずだ。
でもこうやってトウの食生活を心配して、様子を見にきてくれるのだ。
ついでに憎まれ口も叩きながらだけど。
久々に幼馴染の様子も見れて、ホッとした気分になる。
『そういえば』と肩のほつれの指摘を思い出し、乱暴に服を脱ぐ。
キャミソール姿で、あちこちボロボロのワンピースを継ぎはいでいく。
サイズもだいぶ小さくなってしまって、洗い替えの枚数も心細くなる。
そろそろ新しい服を作らねばならないのだけど、トウは服が作れるほど裁縫が得意ではなかった。
なので無理やりでもツギハギで誤魔化さねければならない。
別に魔女だからといって黒系以外着てはならないという法則もないのだが……。
街に行けばカラフルな服が売っているが、自分に売ってもらえる服はどこにもないのだ。
そんな事を考えるとまた惨めな気持ちになる。
眉を寄せ、何かを堪えるような表情のまま、直したばかりの服を洗濯桶の中に入れた。
そして今日も静かな森は、そっと夜を繋いでいくのだった。