第2話 黒髪の騎士とへっぽこ魔女
その場にいた人物と目があった瞬間、トウは思いっきり叫んだ。
その声に驚いて、黒髪の騎士も叫ぶ。
だがどれだけ二人が叫んだところで、この何もない深い森の中では屋根に留まっていた鳥がビックリして羽ばたいて逃げるぐらいで、静かなものだった。
「な、なん、なんで、いるの!?」
側にあった箒の柄を騎士に向ける。
自分でもなんの意味もないことぐらいわかってる。
だが今自分で一番強そうな武器が、このおばあちゃんが使ってた丈夫な箒ぐらいしか思いつかなかったのだ。
だが騎士は繁々と箒を見つめると、こう言った。
「さすが魔女だな、やはり箒で空を飛ぶのか?
これは立派な箒だな。
これなら空も飛べそうだ……」
「飛べないわよ……」
「……ん?」
小さく蚊の鳴くような声でトウは言った。
それを聞き返す様に、騎士はトウの近くに寄ろうと一歩前に出る。
「飛べないって言ったの!
そもそも箒で空を飛ぶなんておとぎ話の中だけよ!
魔女は箒で空を飛べない。
偉大な大魔女様でさえ、空を飛んだことないという噂だし……」
騎士が一歩自分に近づいたことにより、トウは一層の警戒を箒で示した。
その様子がなんだか微笑ましく見え、ラファエルは少し頬を緩める。
「……大魔女様とは……」
ラファエルの言葉にトウは顔を赤くして口を尖らせた。
どうやらラファエルは彼女を怒らせてしまった様だ。
「あなたそれも知らないの!?
150年前この世界を救って追い出された5人の魔女様達よ。
彼女達は私の先祖の一人、というか……大婆様よ!!」
プリプリと怒ったトウを見て、また頬が緩んだ。
彼女はなんて愛らしいのだろうか。
書類には17歳と書いてあったが、どう見ても栄養の足りてない痩せっぽちの子供にしか見えない。
よく言って14……いや、15か。
自分で切っているのだろうか、髪の毛の毛先はバラバラだ。
よく見ると前髪さえ長さが違う。
綺麗な深緑の髪の毛が実に勿体無い。
ちゃんと切りそろえ香油でも塗ってやれば、とても映える色をしている。
思わずラファエルがトウの髪の毛に手を伸ばす。
その手にトウは怯えた様に体を硬ばらせた。
酷く怯えたような目で、差し出されている手を見つめている。
小さい頃から他人から差し出される手には酷い目にしかあったことがなかったので、トウは小刻みに震え、ひどく怯えた。
恐怖にカタカタと震えるのを見て、慌てて手を引っ込める。
まるで自分がしてはいけないことをした気持ちになり、その手を後ろに隠した。
「……すまない、とても綺麗な髪の色だったのでつい……」
騎士の言葉に体を硬ばらせたままだったが、トウはゆっくりとラファエルと目を合わせた。
『やっと目があった。』
実はここに戻ってきたのは、彼女の事を知りたくなったからだ。
こんな所に何故一人で暮らしているのだろう?
こんな山奥で物騒ではないのか?
不便はないのだろうか?
実は戦場での功績が認められ、出世して第3に所属して初めての仕事がこんな書類を届けるだけなんてと、ちょっと不満はあったのだが。
初めて見た魔女という存在に、ラファエルの好奇心は高まっていた。
地方出身の自分には魔女という存在は御伽噺の中での生き物だったからだ。
もちろん150年前の事は知っている。
騎士団に入る前、ざっと勉強させられたこの世界の歴史の中に出てきた人物。
だがそこで魔女は滅んだという認識でいたのだ。
まさか生きている魔女に会えるとは。
しかもこんな小さい少女だった。
自分の中の魔女の想像は、ひどく年をとった老婆だったから。
髪の毛を褒められた魔女は小さく震えながら、クリっとした金色の瞳でこちらをじっと見つめている。なぜか怖がっている割に、自分から目を離そうとしない。
その様子になんだか森に住む小さな動物の様にも見えてきた。
穴から出てきたネズミが、猫のそばにある大きなチーズを見つけてしまった時のような……。
猫が怖いがチーズは食べたい。
そんな感じに見えてしまって、思わず頭を撫でつけてやりたくなる。
だがここで頭を撫でると小さな牙を剥き、どこかへ去ってしまうかもしれない。
また伸ばしかけた手をサッと背に隠した。
「……すまない、まだ確認してなかったことを思い出して戻ってきたのだが、呼び鈴を鳴らしても誰も出てこなかったので……勝手に入らせてもらった。」
「だ、だからと言って、勝手に入ってきたら、ダメです!」
赤い顔で大きな帽子のツバをギュッと掴み、顔を帽子の中にしまおうと努力している。
だが、うなじの赤みは丸見えだ。
なんとも可愛らしい小動物だ。
「……驚かせて申し訳なかった。」
ラファエルは緩んだ顔を手で隠し、深く頭を下げた。
それをみてまた、トウは驚いた様にこちらを見る。
「……魔女に頭を下げるなんて……」
小さな声がボソリと漏れた。
「……え?」
「……魔女に頭を下げてはいけないと騎士長に言われなかったの?」
ラファエルは何のことかわからず、返答に困っていると。
「……騎士は魔女に頭を下げてはならない。」
「……何のことだ?」
ラファエルはトウに静かな声で聞き返した。
「前の前に来た騎士が私の家の花瓶をわざと壊した時、謝罪を要求したらそう言われた。」
トウの言葉にラファエルは驚いて顔をあげる。
「……なんだそれは。
そんなこと言われてないぞ?」
口元に手を当ててまま、眉を寄せて考え込む。
『騎士たる者、よそ様のものを壊して謝罪をしなかっただと?』
というか騎士云々ではなく、『人として』どうなのかという話である。
もし自分の下のものならば厳しく罰せねばと、ラファエルは思っていた。
「……それはすまなかった、花瓶は私が代わりのものを用意しよう。」
ラファエルの謝罪に、トウは静かに下を向くと首を左右に振った。
「代わりなんてないの。
あの花瓶は私のお母さんが作ったものだから。」
その小さく震える声にラファエルは申し訳なさでいっぱいになった。
「その騎士の名前はわからないか?
私が責任持って処罰させよう……」
なんならここまで連れてきて謝罪させてもいいと言いかけて。
ラファエルが最後まで言い終わる前に、トウはまたブンブンと首を振る。
「名前以前に、処罰なんかできっこない。
この世界では魔女に人権はないんだから。」
「……さっきからそう言っているが、それは何故だ?」
ラファエルの言葉に、トウは『キッ』っとラファエルを睨みつける。
その瞳は少し、涙で潤んでいるようにも見えた。
「……もう帰ってほしい。
あなたは私に聞く前に帰ってちゃんと勉強すればいい。
もう申請しないから、私に確認することもないでしょう?
あなたは何も知らなさすぎる。」
トウは強い目でラファエルを見つめた。
その目はとても、ラファエルの心に重さを与えてきた。
「……わかった。
何から何まですまなかった。」
ラファエルはまたお辞儀をすると、ドアの方へと歩いて行く。
トウはそれを静かに見守ると、追い出す様に扉に鍵をかけた。
もう突然入って来れないように、何度も鍵がかかっているかを確認した。
そしてそのままノラを抱きしめ、ベッドへと潜り込み目を閉じた。
花瓶のことを思い出すと涙が溢れそうになる。
あれは母が作って、大事にしていたものだから……。
『もう忘れてしまおう、考えても仕方ない。』と、トウは目をギュッと硬く瞑った。
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朝日が差し込む前に目が覚める。
ノソノソ起き出して、立て付けの悪い玄関の扉を開ける。
今日は朝一番で野菜を収穫しないと、今日は午後から雨が降る気がする。
雨が降ると、野菜はすぐ腐ってしまうから。
いそいそと畑に行く支度をしていると、ふと扉の隙間に一輪の野花と手紙が挟まっていることに気がついた。
恐々手紙に手をかけ、ゆっくりと開くと。
力強く綺麗に揃えられた文字が目に飛び込んできた。
『次に来る時にこの花を活ける為のものを用意する。』
というメッセージとともに、ラファエル・ヴァンスと名前が添えられている。
手紙をギュッと握りしめ、なんだか胸が温かくなる。
始めての手紙に感動したからなのか?
トウは手紙を大事そうに胸で抑えた。
ラファエル・ヴァンス……
そして何度も名前を繰り返し呟いた。