第22話 騎士との別れ。
ウトウトとベッドの中で微睡んでいると、甲高い馬の鳴き声と蹄の音が響いた。
それがうちの前で止まり、暫くして橋が軋む音。
こんな夜更けに、聴き慣れた足音にトウは急いで起き上がった。
流石に着替えは間に合わないので、大きめのショールで寝着を覆う。
窓からこっそり見たラファエルの表情は今までに見た事ないぐらい暗かった。
トントンとノックの音。
そっと扉を開け、ラファエルを中に招き入れる。
言葉はどちらも交わしていないまま。
外は少し雨が降っていたようで、うっすら濡れた髪の毛がより一層黒を引き立てている。
長い前髪から頬にひとすじの滴が垂れた。
トウはそれを静かにタオルで拭き取った。
ラファエルは何も言わないままトウの手を取り、自分の腕の中に引き寄せた。
トウも何も言わないまま、ラファエルの背中に手を置いた。
抱きしめたトウのツムジから、ふんわりと洗い立ての石鹸の匂いがする。
匂いに誘われ思わずツムジに唇を寄せると、トウが真っ赤な顔をして自分の腕から跳ね上がった。
あまりに真っ赤になりすぎて、先ほど口を寄せたツムジから湯気が出ている。
ラファエルはそれを見て思わず笑ってしまった。
トウは頭の上にたくさんの『!?』を浮かべ、ツムジを抑えながら恥ずかしそうに口を尖らせた。
『……離れがたいな。』
ラファエルはニヤける口元を押さえながら、素直にそう思った。
トウは何も言わずこんな夜更けに来た自分を受け入れてくれた。
そして何も言わずに、こうやって側にいてくれる……。
この気持ちは何なのか。
初めての気持ちが今、芽生えた気がした。
いやもっと前に、出会った時にもう芽生えていたのだろう。
早く気が付けば、この関係を変えられていたのだろうか……。
ラファエルは悔しそうに眉を寄せ、俯いた。
「……トウ、俺……。」
ラファエルが俯いたまま、拳を握りしめた。
シーザの話を聞いてる時もギュッと握りしめていたため、拳に爪が同じ位置で食い込んだ。
あまりの力の強さに血が滲んだ。
トウはそれでも何も言わない。
ゴソゴソとタオルを広げ、ラファエルの頭を拭き始めた。
そして頭にタオルを残したまま、暖炉に火を入れた。
薪と火が馴染むまでに暫くかかる。
部屋がゆっくりと温まるまで、トウとラファエルは何も話さなかった。
部屋が緩やかに暖まってくる頃、キッチンの椅子に無理やり座らされたラファエルは、手の平の傷を手当てしてもらっていた。
「何故何も聞かないんだ?」
ラファエルが呟くように言葉を溢した。
トウはニッコリと微笑む。
「私は一人になれてるから大丈夫よ。心配しないで。」
「……俺が伝えようとしている言葉がわかったのか?」
「別れが見えてたけど、詳しいことは……。でも表情がそう言ってた。」
トウは微笑みながら、キッチンのテーブルを指でそっとなぞった。
「トウ、すまない。私は君の担当ではなくなってしまう。
もう会えなくなる。……って言おうとしてたでしょ?」
テーブルクロスの模様を指で追うように、ゆっくりとなぞっていく。
ラファエルはそれがとても胸が痛かった。
もしかしたら少し先を見たのだろうか?
テーブルクロスを撫でるトウの手をギュッと掴んだ。
まるで自分の心をなぞられているような気がして、とても痛かったのだ。
トウはそれでもラファエルに微笑み続ける。
「……もう、笑わないでくれ……。」
手を掴まれ動揺してしまうトウ。
ラファエルが泣きそうな顔で眉を寄せる。
トウはそれを頭に乗せたままのタオルで隠した。
大の大人の泣き顔なんて、きっと誰にも見せたくないはず。
トウはそう思った。
タオルがラファエルの目を隠すぐらい下がってしまい、トウからは鼻先と口しか見えなくなる。
それをわかっているかのように、ラファエルは掴んだトウの手をゆっくりと自分の口元に寄せた。
トウが恥ずかしさにびくりとなるが、手を振り解くことはしなかった。
「……もう来れないんだよね。」
トウが目を伏せて頑張って微笑もうとしているのがわかる。
自分が言わなきゃいけない言葉を、彼女は全部感じ取ってしまった。
「……俺はこのままムウとジェイスの様に君をさらって逃げたい。」
「え?……ムウ?」
記憶のないトウは聞き返そうとしたが、ラファエルは構わず続ける。
記憶が戻って欲しいわけじゃない。
だがトウに聞いて欲しいのだ。
「捕まって殺されてもいい。
一緒に死ねるなら、ずっと一緒にいられるなら……!」
「ラファエルどうしたの?……何があったの?」
タオルの隙間から不安そうな表情を浮かべるトウが見える。
『……愛おしい。』
自分の婚約者と結婚したところで、愛せる自信などない。
自分の気持ちは100%ここに残っている。
ジェイスもきっとそうなんだろう。
ムウが死んでしまったんなら、ジェイスは永遠にムウのことを忘れられない。
永遠に恋い焦がれて狂いそうになる。
だが、俺は……。
「……トウ、俺は生きなければならない。
勿論、君も。」
「……」
トウはまた何も言わなかった。
ただ苦しそうなラファエルを見つめていた。
「村のみんなが盗賊に殺された時、俺は助かった。
爺さんはその時言った。
『お前はこいつらの分まで生きなければならない』と。
俺もそう思った。
みんなに助けられた命だ、俺が自分から絶っていいものではないんだ。
だからみんなの分まで背負った命を、俺は自分で亡くすなんて出来ないんだ……。」
「……わかってるよ。だから、もう」
「いや聞いて欲しいんだ。」
こんな自分のエゴで話す話なんてトウには聞きたくないはず。
でも、どうしても聞いてもらいたい。
話しておかなきゃいけないんだ……。
ラファエルは自分の視界を遮っていたタオルを振り落とす。
トウの胸元にあたり、床に落ちた。
「トウ、俺は生きる。
これからも、天命が尽きるまで。
……だからトウも絶対生きていて欲しい。」
トウがゆっくりと頷いた。
顔は不安そうなまま、悲しそうな表情で。
ラファエルはギュッと眉を寄せた。
そしてまたトウを抱きしめる。
「俺はずっと君を想う。
君は俺を忘れてくれていい。
俺は君が生きてさえいてくれたら、それでいい……。」
「私だってラファエルがずっと元気にいて笑ってくれたらそれでいいよ?」
拙い表情でラファエルに微笑んだ。
トウの頬に涙がこぼれる。
慌ててそれを手で拭おうとするが、片手をまだラファエルに掴まれて身動きができない。
ゆっくりとラファエルの顔が近づく。
トウは自分の顔にかかる影を見上げる様にラファエルを見た。
ツムジに落ちた感触が自分の唇にも落ちる。
一瞬理解できず、頭の中が真っ白になった。
柔らかで温かい感触が自分の唇から熱が上がっていく。
優しく触れ、何度も重ねられ、そしてトウがやっとその行為にハッとする頃。
「俺は君をずっと想い、忘れない。
またいつか必ず……君と……」
ラファエルの言葉の最後の方はもう、よく聞き取れなかった。
唇が離れたらずぐトウから離れ、もう振り向かず部屋から出ていってしまったからだ。
トウはその場にヘナヘナと座り込む。
腰が抜けてしまったのだろうか。
体に残るラファエルの香りと暖かさが自分の周りに残っている。
掴まれていた腕の痛み。
ラファエルの指の後が強く残る。
トウは赤い顔でそれを見つめ、そっと唇を寄せた。
そして二度とこうして会えないことを悟り、その場で泣き崩れた。




