第1話 深碧の髪の少女
大きな泉の真ん中に、ポツンと小さな家があった。
その家は茜色した三角形の屋根が3つあり、とても特徴的だった。
そして正面の玄関の前には、家と陸地を繋ぐ為に必要な橋がかかっている。
その橋は風に吹かれる度にロープと木がアンバランスにこすれ合い、ギシギシと揺れ心細さを誘う。
湖と家に沿って小さな畑も見え、綺麗な水で立派に育った収穫時期間近の野菜も見えた。
屋根にはまたオンボロそうな、斜めにガタガタと揺れる風見鶏らしきものがまた、不気味さを醸し出していた。
それに合わせて、奥の方からメェーとヤギの声もした。
ついでに言うと、玄関のドアも建て付けが悪く、ガタガタしてそうだった。
ラファエルは大きなため息をつく。
今から自分がこの心細い橋に足をかけなければいけないのかと思うと、正直不安でしかない。
足をかけた途端自分の重みでロープが切れて、あっという間にびしょ濡れになる気しかなかった。
足をかける前にもう一度深くため息を吐く。
そういえば自分は泳げない。
この橋らしきものが朽ちて落ち、自分も一緒に澄んで深そうな青い水の中に落ちるのかと思うと、生きた心地もしないのだ。
ドキドキと胸を鳴らしながら、何度も足をかけて引っ込めるを繰り返していると。
「……あの、さっきからなんですか?うちにご用です?」
ため息が吐き終わらないうちに、見るからにオンボロそうな家から1匹の灰色の猫がこちらを見ていた。
「……ね、猫が喋った……?」
ラファエルは驚いて目を見開くと、猫は『ニャア』と鳴き、クスクスと笑った。
「猫が喋るわけないじゃないですか。」
薄暗いドアの隙間から、白く細い手が猫を抱き上げ玄関から現れた。
「……」
ラファエルが驚いて言葉を失っていると、白く細い手がゆっくりと手招きした。
「……どうぞお入りになってください。」
白い手に導かれる様にラファエルは息を飲むと、意を決してギシギシと揺れる橋に足をかけたのだった。
〜*
「君が、『トウ』と言う者かな?」
深い緑色した髪の毛の少女が頷いた。
「そうです。」
大きなツバのついた三角の帽子の帽子を被った少女。
その帽子から深緑の髪の毛がサラリと彼女の頬を滑る。
よく見ると後ろの方はザンバラに切り取られていて、見事に毛先をより一層あちらこちらに跳ねさせていた。
それを見つめながらゆっくりと頷く少女の返答を待ち、ラファエルが胸元から一枚の紙を出し少女に向ける。
少女はそれを受け取ると、その紙に目を通し出した。
「君が商売を希望している場所はココだが、今回は許可が降りなかった。
これがその許可が降りなかったという書類だ。
異議があるならここに……」
ラファエルの言葉に少女は紙から目を離し見開いた。
「今回も、ですよ。
元々祖母の代からずっとそこで商売をしていたのに、突然許可を取れと言われて追い出されたのです。
追い出したかったんならこんなめんどくさいことしないでそう言ってくれたらいいのに……。」
少女はそう言うと、小さく頬を膨らましながらラファエルから目をそらした。
「今までずっと商売していたのに、ダメになったのか?」
ラファエルは首を傾げ、少女に突きつけた書類を自分の方に向け、マジマジと見つめた。
その様子を少女はじっと見つめている。
「……あなた、新人さん?
私を知らないなんて騎士になったばかりかしら?」
小馬鹿にしたようにチラリと流した目でラファエルを見つめている。
その言葉にラファエルが少しムッとする様に眉を寄せた。
「先週第3騎士団に編成されたばかりだが、別の部隊で4年任期を務めた。
なんだ、君は有名なのか?」
怪訝な顔で書類と少女を交互に見つめる。
少女は小さくクスッと微笑むと、ラファエルの前に立った。
「キミじゃなくて、私の名前は『トウ』よ。そこにも書いてあるでしょ?
……私が有名かですって?」
トウはラファエルの前をコツコツと左右に歩いて通り過ぎる。
そして振り向き、悲しそうに笑った。
「……私は魔女よ。
この世界で忌み嫌われた存在。」
慣れてなさそうな微笑みは、すぐ白い頬を硬ばらせる。
まるで自分の言葉に傷ついたように……。
魔女と聞いて固まったままのラファエルに、無表情のままトウは呟いた。
「わかったらその書類を置いてさっさと出て行って頂戴。
もう申請は結構よ。」
冷たい金色の瞳がラファエルに刺さる。
トウは踵を返し、静かに部屋の奥へと消えていく。
灰色の猫が『ニャア』と鳴き、トウの代わりにラファエルの前に立った。
まるで『お帰りはこちら』と言わんばかりに尻尾を扉の方へパタパタと向けた。
ラファエルはハッとして猫を見つめるが、猫はラファエルに見向きもせずに尻尾をパタパタとさせたままだった。
深く息を吐くと、ラファエルは扉に手をかけた。
「トウにすまないと伝えてくれ。知らなかったとはいえ彼女に嫌な態度をしてしまった……。」
その言葉に猫はチラリとラファエルを見たが、すぐに再び目を閉じ寝そべった。
静かに扉が閉まる音がする。
その音を聞いてトウがコッソリと窓から外を見つめた。
さっきの騎士が橋を渡りきってホッとしている様子が見える。
黒髪を無造作に後ろに束ねて、前髪を横に流していた。
ボサボサ感だったらトウにも負けてないと思うほどだった。
「……新人だからかな、態度が横柄じゃないのは。」
黒髪の騎士の後ろ姿を見つめながら、トウが呟いた。
自分の息で窓が薄く曇っていく。
ふとラファエルが振り向きこちらを見た。
この距離だと絶対目が合うことはないが、思わずヒョイと隠れてしまう。
『なんで私隠れてんだ?』と思い直し、ギリギリ見つからない位置でもう一度覗くと、もうラファエルの姿はそこになかった。
なんだか残念な気持ちになる。
「久々に人と喋ったからかな。」
胸元をギュッと掴む。
着心地の良い古ぼけた灰色のワンピースが少しよれた。
多分もう2度と会えないだろうし、人間自体会話をするのも久々だったのでもう少し喋ればよかったなと、なんだか複雑な気持ちでいっぱいになった。
普通に『会話』をしたのはどれぐらい振りだろうか。
あれが普通の河合だというのならだが……。
窓枠に肘を置いたまま、誰もいなくなった外を見つめた。
150年前、月が二つになってから世界は魔女を呪われし存在となったと祖母に聞いた。
それでも魔女は代々生まれてくるもので、自分も母親も祖母だってずっと魔女だったし。
私だって好き好んで魔女に生まれたくなかったし。
先祖代々、150年前からずっとここに住んでいる。
祖母も母もここで育ったらしい。
世間から閉ざされたこの森で、一番近い街に行くのにも歩けば2日はかかる。
だがコッソリ祖母が町外れに家を買い、ポータルを置いているので一瞬でいけるのだが。
トウは魔女といっても魔法がそんなに得意ではない。
というよりも魔法とはなんぞやというレベルで使えないのだ。
もはや魔女でもないのではと自分でも思っている。
だがしかし魔女と言えど、お金を稼がないと生きてはいけない。
なのでトウが一つだけ得意な事で、コッソリ商売をして生計を立てていたのだった。
「おばあちゃんはもっと魔法が使えたんだよ。箒を指で撫でるだけでお掃除してくれるし、お母さんも魔法でかぼちゃが柔らかくなる料理が作れたり、魔女ってすごいなって思うのよね!」
トウはいつも通りに灰色の猫に話しかける。
トウの話に猫は『ニャア』と相槌を打った。
「でも私は魔法、得意じゃなかったんだよねぇ……」
何もないところに指を振る。
指先がわずかに光るが、ただ光っただけで何も変化が見られない。
思わず口を尖らせる。
「今日は調子がいい方だわ。ちょっと光ったもの。
ねえ、ノラ、今の見た?
ちょっと光ったよね?」
トウがノラと呼ばれた猫の方を向く。
だがそこには猫はおらず、黒いブーツのつま先が見えた。
ゆっくりと視線を上げると、そこには先ほど背中を見送った筈の黒髪の騎士が息を切らし立っていたのだった。