第18話 魔女の少し先の未来。
湖に飛び込んでから3日は高熱で起き上がれなかった。
物心ついてから初めての出来事だった。
17にもなってなんとも馬鹿な事をしてしまったとは思ったが、誰かと一緒に水遊びなんてした事がなかったので……正直楽しかった。
それだけで満足感はあるのだが。
自分は子供の頃から病気らしい病気をしてこなかったし、まさか風邪ごときでこんなに寝込むのは、本当に初めての体験だった。
ラファエルが毎日お見舞いに来てくれていた様で、枕元に寝込んでた日数分の花が飾られていた。
「ラファエルも暇じゃないだろうに……」
自分の嬉しさを隠す様に、そんなことを口走る。
思わず口元を押さえるが、言葉と裏腹に自分の顔は緩み切っていた。
熱も下がり意識もはっきりしてきたので、モソモソ起き出すとムウが何やらバタバタと忙しそうに動き回っていた。
トウが起きてきた事をジェイスが気がつき、トウに声をかけた。
「もう起きて大丈夫なんですか?
……なんだか申し訳ない、僕らがつい、はしゃいでしまったせいで……」
「いえ、私の方こそ御迷惑を……」
ジェイスは爽やかな笑顔でトウに入れたてのお茶を渡した。
「ムウの薬湯です。ぶり返さないためにもまだ飲んだほうがいい。」
さっきまで爽やかと思っていた笑顔が、まるで親に言われている様な気分に思えて、素直に一気に飲み干した。
その様子を見て『よく出来ました』と言わんばかりにまたクスクスとジェイスは笑った。
口の中になんともいえない苦味が残る。
それを誤魔化す様にトウは口を一文字に結び、眉を寄せた。
「ムウは何をやってるの?」
忙しそうに動き回る姿を目で追いながら、キッチンの椅子に腰掛ける。
残りのお粥をもらったので、それをすすりながら。
「ああ……」
ジェイスがふと寂しそうな表情を見せた。
トウは黙ってその顔を見つめている。
俯いたジェイスが再びトウを見つめ微笑んだ。
「……そろそろ出発しようと思ってね、色々お世話になってしまって……」
『え、もう?』
トウは言葉を飲み込んだ。
最初は早く出てって欲しかったのではなかったのか。
……でも。
邪魔にはなっていないし、また一人になると……寂しくなってしまうかもしれない。
不安そうに眉を寄せるトウにジェイスは無言で頭を撫でてくれた。
うちに来てまだ5日ぐらいしかたってないのでは。
その3日ぐらいは私は寝込んでいたのだが……。
うっすら熱でうなされながらでも、家に誰かがいる安心感に目が覚める度にホッとした。
おぼろに覚えている夢にも、その安心感は表れていた。
夢の中で誰かが自分の額に手を置いた。
とても大きくて冷たい手だった。
次に白く綺麗な手が頬に触れる。
綺麗な手は、温かかった。
「……お父さんとお母さんって二人揃うとこんな感じかな。」
「え?」
「ああ、いや、……なんでもないの。」
思わず夢話が口から出た。
生まれて一度もあったことない、想像だけの『父親』がまるでジェイスと重なった気がした。
年はラファエルと、変わらないはずなのに……。
俯いたまま黙ってしまったトウをグリグリと撫でながら、ニコニコと何も言わないジェイスを見て、ムウもクスクスと笑い出した。
「なんだか娘でも出来た気分ね。」
「ああ、そうか。妹って感じではないと思っていたんだ。そうか、娘……」
「いや、年そんな変わりませんけど!」
撫でるジェイスの手を口を尖らせながら振り解いたら、ジェイスがハッとした顔をしながら『反抗期……!』なんて言うもんだから、ムウがまた大爆笑した。
「もう!子供扱いして……!」
ボサボサの髪の毛を手で整えながら、また口を尖らせそっぽを向いた。
ジェイスとムウが顔を見合わせ、そっとトウを抱きしめた。
「……トウ、色々ありがとう。北の連絡係から通信が来たの。
すぐそこまで追手が迫っているらしい。
だから今夜丹色の国へ行き、そのまま船に乗ることになったわ。」
スッとジェイスが二人から離れる。
するとムウの腕の力が強くなった。
「短い間だったけど、私はあなたの事妹……いえ、娘の様に思ってる。」
「……だから、年はそんなに変わらないって……」
「気持ちの問題よ!あなたはまだとても幼く、頼りない。
魔女のことにしても知らないことが多すぎるから……とても心配よ。」
「……」
これ以上、何があるのか。
ムウが知っていて、自分が知らない事とはなんなのか。
思わずムウを見上げた。
ムウと目が合う。
目を赤くして、悲しそうに微笑んだ。
「何かあったら、ナナを頼って。ナナなら疑問を一緒に解決できる。
魔女は魔女にしかわからない問題があるの。
そうしたときは必ず、ナナを頼って……!」
トウはムウの泣きそうな顔を見つめ、頷くことしかできなかった。
「……手紙を書くわね。」
「……うん」
言葉が出てこない。
ただ、『幸せになってね』って言いたいだけなのに。
だけどそんな言葉より、トウはムウに行って欲しくない気持ちのが大きかった。
何故このまま3人で暮らせないのか。
何故幸せになってはいけないのか……。
『ただ静かに暮らしているだけなのに……』
トウの頬に溢れた涙が溢れる。
それは溢れて、ムウの頬にいくつも流れた。
時間はあっという間にきた。
そしてあっという間に別れの時間へとなる。
再び強くムウとトウは抱き合った。
ジェイスもトウに向かって手を広げたが、その腕に飛び込もうとしたトウの腕を掴み、殺気を向けるラファエルに押され、サッサとジェイスが腕を下げてしまった。
迎えにナナがポータルからやって来たが、トウと一瞬目を合わせただけで、サッサとムウの荷物を持って戻って行ってしまった。
だが今はナナを気にしている場合ではなかった。
ムウが言っていた言葉を思い出す。
『魔女には魔女にしかわからない問題がある……』
その時はナナに疑問をぶつけよう。
ムウに言われた通りに。
まだまだ知らない自分の秘密にトウは心細くなり、自分の肩を抱えた。
祖母も母も魔女については何も教えてくれず亡くなった。
二人ともあっという間だった。
祖母が亡くなった時の気持ちに似ていた。
ひとりぼっちは、怖い。
ムウと一緒に自分も行こうか。
そんな言葉が思い浮かんだ時、ふと視界にラファエルが見えた。
キョトンと自分を見つめ、何も疑わず自分に微笑みを向けるラファエルに、トウの足はすくんだ。
私がいなくなったら確実に彼の責任になる。
彼は私がいなくなったことを悲しんでくれるのか。
はたまた、裏切られたと恨むのか……。
胸の痛みを隠す様に、トウは両手を強く握りしめた。
「ムウ……!」
振り絞るトウの声にムウが再びトウに抱きついた。
「ごめんなさい。
私を許してね……
魔女を捨てる、私を……」
トウは左右に激しく首を振る。
幸せになって。
そう呟こうとしたら、ムウがジェイスに呼ばれ、ポータルに足をかけた。
トウに小さく手を振った。
トウはムウに手を振り返すこともできなかった。
二人の姿が消える。
最後に藤色の髪がフワリと跳ねたのが見えた。
「……どうして、私は。」
「……トウ?」
「ただ、幸せになってねって言いたかった……!」
「……トウ、大丈夫か?」
「言えなかった、だって私……!」
泣き崩れるトウをラファエルが抱き起こした。
「大丈夫だ、伝わってる。
言葉に出さずとも、きっと……」
トウは自分の顔を両手で覆ったまま、小さい子供の様に泣いた。
もう2度と会えないかもしれない仲間の代わりに。
泣き疲れたトウはそのまま眠ってしまう。
ラファエルがゆっくりと抱きかかえたままトウをベッドに寝かせると、ノラがトウに寄り添う様に丸くなる。
ラファエルはしばらくトウを見つめていたが、ムウに頼まれた仕事をしに奥の部屋へと歩いていった。
『お願いがあるの。』
ラファエルは今日の出発を事前に聞いていた。
本来ならすぐにでも移動しなければムウの魔力の色を察知され、中央にいることがバレてしまう。
だがトウが寝込んでいる間はと、毎日薬草を練ったりと看病してくれていた。
ジェイスの従兄が流してくれた情報でなんとか丹色の国へと旅立てたのだが……。
もしや向こうにももう追手が回っているのかもしれない。
それでもムウはジェイスとともにトウの回復を待ったのだ。
『あなたにお願いがあるの。トウが寝ついたら、この薬を枕元で焚いて欲しいの。』
トウの見舞いにきた日、ムウに手渡された小さな薄紫の薬紙を懐から出した。
言われた通りに皿に盛り、ワラで火をつける。
薬は小さく赤く燃えると、うっすらと煙を吐き出した。
枕元の花をよけ、そこに皿を置く。
細くか細い煙はトウの呼吸に合わせて、口元へと流れていった。
『これは記憶を封じる魔法が込められています。
多分私たちはもうすぐ捕まってしまう。
そうなったらトウはショックで正気を保てなくなるかもしれない。
そうならない為にも、彼女の記憶から私達を消してしまおうと思ってます。』
ムウはそう言うと寂しそうに笑った。
『……そこまでしなくても……』
ラファエルが薬を手に持ち躊躇っていると、ムウがラファエルの手を両手で覆った。
『トウがうなされていた時に、トウが呟いてたの。
〜北の魔女はどこにも逃げられず、捕まり処刑される。
北の騎士は家へ連れ戻され、婚約者と結婚させられるだろう。
全ての責任は、拐かした藤色の魔女にあり、関わった全ての魔女にもそれなりの処分が下される事となる〜……と。
トウを巻き込んでしまった分、迷惑をかけられない。
彼女の記憶さえ消し、私の痕跡を消してしまえばトウに迷惑がかからないし、私が死んでしまってもショックは受けないはずよね?
……だから、お願い……!
トウのことを思うなら、お願い……』
ムウの手に力がこもった。
その迫力にラファエルは何も言えずにいた。
最後まで迷っていたが、トウが子供の様に泣き崩れた時に、覚悟は決まった。
人の記憶を改ざんなんてしていいはずはない。
自分なら絶対嫌だ。
……だが。
多分トウは気付いている。
だからトウはムウに言えなかったのだ。
『幸せになってね』
少し先の未来が見てしまったなら、ムウの命はすぐにでも尽きてしまう運命なのかもしれない。
それを知ってたからこそ、言えなかったのだ。
「これは、俺の罪だ。」
キッチンのテーブルに肘を付き、頭を抱えた。
煙のせいでノラがすぐラファエルの側へと走ってきた。
ラファエルの呟きにノラは『ニャア』と鳴いた。
そして、ラファエルの肘にもたれる様に丸くなった。
『大丈夫よ。思い出は私が覚えている……それで十分。』
最後にムウは笑っていた。
薄暗いキッチンで、ラファエルは両手で顔を覆った。




