第9話 魔女、コッソリ街に出る。
トウが歩き始めて、しばらくの時間が過ぎる。
歩くと言っても、何とも足が前に出ない。
一歩進んで2歩下がるからであるのだが。
『これじゃあ夜になってしまう……』
お店のポータルも撤去してしまったので、何処か帰りのポータルの置き場所も探さないと帰れない。
最悪セイルのお店の片隅に置いてもらえたらいいのだろうけど、そしたらセイルが頻繁に来てしまうだろう。
それもまた、嫌だ。
思わず顔がしかめっ面になる。
いま一度水たまりで自分の姿を確認する。
深緑の髪は暖炉の灰に塗れさせ、黒ずんでいる。
これなら見た目で魔女とはバレない。
何度も大丈夫だと繰り返した。
カバンの紐をより強く握りしめながら、意を決して進む足に気合を込めた。
ヨロヨロとクラゲのように漂いながら、やっとお店の前に立つ。
一番の目的である、ローブを売っているお店だ。
……だが。
キョロキョロ見渡すと、どうも覚えているお店の名前と違う。
もしや数年来ないだけで、街の様子も変わりお店が変わってしまったのだろうか……。
お店の前でウロウロと行ったり来たり。
トウはとても困ってしまった。
「……お嬢ちゃん、どうした?迷子か?」
突然かけられた声に、トウの体は高く跳び上がった。
少し大げさに言えば、気持ちは空高く体が舞い上がったような感覚に、目眩もした。
「……いえ、あの……」
ゴニョゴニョと口籠るので、ハッキリと聞こえなかったのか、声をかけてくれた男はトウの方へ顔を近づけた。
トウは慌てて男の顔を避けるように俯く。
そして焦ったようにお店を指差した。
ここはハッキリしたほうがいい。
覗き込まれて眼を見られたら、騒ぎになってしまう。
トウは小さく肩で息をしながら、勇気を出して声を出した。
「えと、ここのお店、ローブ……ローブを、売ってるお店ですか?」
指をさす方とは逆の、カバンを握る手が赤くなっていくほど力がこもる。
……怖い。
街の人と話すのは怖い。
小さく震える小さな少女を見て、男は微笑み、トウの頭をポンポンと撫でた。
「こんなちっさいのにお使いに来たのかぁ。エライなー!」
頭を撫でられ、咄嗟にトウは男を見上げてしまう。
優しくされて、ひどく驚いた。
まさか街の人に頭を撫でられるとは。
その驚きにトウは油断してしまった。
顔を上げ、男を見上げる。
驚いたのもあるが、街の人の優しさに触れ、嬉しかったから。
だがトウと目があった男は、小さな少女に浮かべてた微笑みが……一瞬で凍る。
「……ひっ!!」
男は小さく悲鳴をあげると、トウを突き飛ばし、灰で汚れた手を高らかに空へ向けた。
「ま、魔女だ!!!俺は魔女に呪いを受けた!!……た、助けてくれえええ!!」
男は自分の汚れた手を見てまた叫ぶと、命からがら抜けそうな腰をグラグラさせながら走り去った。
トウはそれを横目で見ながら、突き飛ばされ地面に倒された体をゆっくりと起こす。
その場に座り込んだまま動けずにいた。
騒ぎを聞きつけ、街のあちらこちらから人が集まってくる。
ふと顔を隠そうと頭の帽子に手をかけるが、今日は置いてきてしまった事に気がつく。
トウはなすすべも無く、ただ呆然と耳を塞ぎ、座り込んだ。
「……何の騒ぎだ?」
ふと。
聞き覚えのある声がした。
表情が消え、青い顔をしたトウがゆっくりと顔を上げる。
それと同時に筋肉質な手が自分を引っ張り起こした。
「……こんなとこで何をしてた?トウ……」
「……あなたは。」
ボンヤリとする目の前に、見覚えのある黒髪の騎士が自分を支え、立っていた。
自分の腕を掴んだまま、トウを心配そうに見つめていた。
一緒に来たであろう騎士達もラファエルから離れ、遠巻きに見ていた。
「……アンタ、この子魔女だよ!?
触ると呪いが……呪いがかかるよ!!」
近くのパン屋の女主人が、パンを物差し棒の様に振りながらラファエルに向かって叫んだ。
遠巻きに眺めていた街の人も、口々に何かをラファエルに言っていたが、もう耳に入らない。
それをトウはボンヤリと眺める。
何故私はそこまで嫌われるのか……。
好きで魔女に生まれたわけではない。
母だって祖母だってそうだ。
二人が生きていた時は街の人も祖母の作った薬を飲んでいたし、母の作る料理を食べていたではないか。
なのに、何故。
途端に悔しくなり、涙が溢れる。
だが、トウはぐっと堪えた。
『泣いたって仕方ないのよ、トウ。』
母の声が蘇る。
優しく自分を撫でる声に母は悲しそうに笑うのだった。
『いつかきっと、街の人もわかってくれるわ。私たちに危険がない事を。
街の人と変わらないということを。
だから、その時を信じて今は頑張るしかないの。』
眉間にしわを寄せる。
母の言葉に鼻の奥がツンとしたが、涙を飲み込む。
優しかった母。
最後に覚えているのは、道に倒れ込んで動かない姿。
『助けて』と小さなトウは叫んだが、魔女を誰も助けてくれなかった。
トウが掴まれた手をそっと見つめ、ラファエルの手をふり外そうと、掴まれた手にぐっと力を入れたその時。
ラファエルが大きな声で笑った。
「……何を言ってんだ?
呪いなんてあったら、俺はもう死んでるな。
この子とは何度も会ってるし、何度も会話している。
……あ、でも触れたのは初めてか?」
ラファエルは慌ててトウの手から離れた。
「トウすまない、軽々しく触れてしまって……。
君も一応、嫁入り前のお嬢さんだからな。
気軽に触れていいわけではなかったな。」
「い、一応って何!?」
思わずラファエルの言葉に反論するように口を開いた。
それに触れられたのだって、初めてではないはず。
その時も腕を掴まれ引き寄せられた気もするが……。
「……引っ張られたの、初めてじゃないし!」
赤い顔で口を尖らすトウを見て、ラファエルはまた笑った。
「だ、そうだ。聞いたか?
魔女に触れると呪いがかかるなんてただの噂にしか過ぎない。
その噂が本当なら、もう俺は死んでいるってことだ。
しかしそんな噂に踊らされて、こんな小さな少女にいい大人が何をやってんだこの街は……。」
ラファエルはそういうと、街の人をユックリと見渡してため息をついた。
「……ヴァンス副隊長……?」
銀色の髪の男がゆっくりと近寄ってきた。
そしていきなりトウの頭に恐る恐る触れた。
灰が少し舞い上がり、銀髪の男が少し咳き込んだが、触れた自分の手をじっと見つめ呟いた。
「スッゲー!魔女って触れるんだ!?」
「おいコラ、サーマン!失礼だぞ!!」
突然叫んだ部下にラファエルが叱り飛ばした。
その声に銀髪がハッとし、トウに頭を下げる。
「あああ、すいません、悪気はないんです!すいません!……でも。」
銀髪がニヤリと笑った。
「……呪い、無いっぽいですね?」
「……あるわけないだろ。」
「ですよねー?」
とラファエルと言いながら、銀髪は微笑んだ。
「はい!お集まりの皆さん。
騒ぎは終了ですよ!誰か知んないけど騎士まで呼びつけて、僕らだって暇じゃないんですよー!」
銀髪は他の騎士にも指示をするように手を軽く振り、街の人を散らせていった。
トウはポカンとしていた。
「次からは魔女が出たぞーで騎士を呼びつけないように!
触っても危険がないなら、別にウロウロするぐらいいいじゃないですかー!もうー。」
シッシと言わんばかりに手を振り続ける。
納得いかなそうな街の人たちは、ブツブツ言いながら去っていった。
「あ、でも、アレですよ。
街の中では魔法禁止でお願いしますね?」
銀髪が振り向いてトウに指差しながら言った。
トウはポカンとしていたが、とりあえず頷いておいた。
「トウ、何故街に?」
ラファエルの声が優しく耳に響き、ハッとする。
ゆっくりとラファエルを見上げるが、目が合うと思わずそらしてしまった。
「あの、買い物に。……ローブとか服とか、食べ物とか、必要なものを……」
「なんだ、言ってくれたら迎えにいったのに。」
トウは首を傾げながら、またラファエルを見上げた。
今度は目があったが、逸らさず見つめる。
「……何故?」
「……何故って、俺トウの護衛だからな。」
「それは、集会の時だけじゃ……」
トウの言葉にラファエルは『んー』と考え込んだ。
「……集会だけって言われてないしな。護衛をしろって言われたんだ、普通にどこへ行くのもしていいのでは?」
この男は何を言っているのだろうか。
トウはまたポカンとしてしまった。
国がわざわざ自分を護衛しろなんていうものか。
言われたからっていう言葉を、素直に取りすぎなのでは?
あ、むしろ護衛と言う名の監視なのでは。
ラファエルを使い、自分を監視するための護衛と言う意味か。
ボンヤリ考えていたトウの眉がギュッとよった。
それをラファエルが見て、微笑む。
「……またここにシワが。」
ラファエルがトウの眉間に触れた。
ビクリと体が固まり、眼を見張る。
ポカンと見つめるトウを見て、ラファエルはまた楽しそうに笑ったのだった。
「……騎士様、ありがとうございました。」
突然の声に振り向くと、息を切らしたセイルが立っていた。
「……セイル。」
トウが小さく名前を呼ぶと、顎に伝う汗をぬぐいながら、セイルがトウを引き寄せる。
「……この魔女はこちらで預かります。
騒がせてしまって申し訳ありませんでした。」
セイルが自分の背にトウを隠すように、ラファエルの前に立った。
ラファエルは先ほどのトウのように一瞬眉を寄せたが、セイルの背中からちょこんと覗くトウが安心してそうな雰囲気に、すぐ笑顔をつくる。
「……トウの知り合いか?」
「ええ、昔馴染みです。」
胡散臭そうな笑顔を浮かべ、セイルが間を空けずに答える。
それを無視する様にラファエルがトウに聞いた。
「トウ、本当か?」
「……うん。」
「そうか。」
ラファエルは頷く等を見つめ、もう一度微笑んだ。
「では、トウを頼む。」
セイルに視線を移し、キチンとお辞儀しながらラファエルは言った。
そして、視線はまたトウへ向かう。
「トウ、また近々寄らせてもらう。
集会の打ち合わせもしたい……いいかな?」
微笑むラファエルに違和感を感じながら、セイルの背に隠れながらトウは頷いた。
ラファエルはそのまま銀髪たちとともに去っていった。
「……あ!」
トウが小さく声を発すると、また俯き言葉を続ける。
「……また、お礼を言いそびれた。」
ボソボソつぶやくトウをセイルはじっと見つめたが、肩から大きく息を吐くとトウの背中を押した。
「あのさぁ、なんで一人できたんだよ。必要なものあったら僕に言えばいいのに。」
「……自分で見て、買いたかったから……」
「……ともかく僕の店まで急ごう。
あまりに目立ちすぎる。」
セイルは周りを気にしていた。
人がはけたと言っても、まだボツボツとこちらを見て何か言っている人たちは少なくない。
自分と一緒にいるところを見られると、セイルも困るのだろう。
思わず申し訳なくなり、俯いた。
セイルは徐にトウに自分のフードを被せると、トウの手を引いて早足で歩き出した。




