ハイキング
パンダちゃんとの約束の土曜日は、まずまずの晴天だった。
降水確率的にも問題無さそうで。
猪臥山の最寄り駅での待ち合わせに、少し早めの電車で向かう。
車内は、家族連れの行楽客で賑わっていた。
そういえば俺や大輝は、こんな風に親と出かけることって無かったよなぁ。学校が休みの日は、基本的に仕事だったもんな、うちの親。
盆暮れ正月にそれぞれの祖父ちゃんの家まで行くのが、一番の遠出で。それすらも仕事の具合によっては、大輝と二人っきりなんてこともあったし。
そんなことを考えていて、パンダちゃんへと思いが向かう。
あの子は、きっと。パパやママと休みの度に出かけたんだろうな。休日出勤のない親だって、言っていたし。
目の前の座席に座っている女の子みたいにさ。両側から両親に挟まれて、『瑠璃ちゃん、パンダさん見に行こうね』とか、おしゃべりしたりしてさ。
って。ちょっと待て。
今日、彼女のことはどう呼ぼう?
名前を教えてもらったんだから、やっぱりきちんと呼ばないとな。
『瑠璃ちゃん』は、子供っぽいか?
『瑠璃さん』は、他人行儀だし。
『瑠璃』って、馴れ馴れしすぎる。
昔のカノジョは、自然に名前を呼んでいたのに。その“自然”が、分からない。
でも。
呼び方を考えているだけで、頬が緩んでくる。
どんな反応をしてくれるかと、想像するだけで心が弾む。
「お地蔵さん、おはようございますっ」
待ち合わせの改札前で、パンダちゃんが元気に手を振る。
俺の名前も教えたのに、彼女はいつもの呼び方で。
ガクッと力が抜けて、なんだか笑える。
「おはよう、パンダちゃん」
こっちも、いつものように応えて。
いつもと違うその姿に、足が止まる。
スカートを穿いていることの多い彼女が、ジーンズなのは当然として。
パンダっぽく見せている眼鏡がない。
「今日は、コンタクト?」
「はい。オンの日です」
自分の目を指さしながら尋ねた俺に、小さくガッツポーズをして見せる。
「気合、はいっているなぁ」
「そりゃぁ、入りますよ」
朝ごはんもしっかり食べました。なんて言って、ニコニコと笑う。
パンダちゃんから聞いていた駅前のコンビニで、弁当を買って。
登山口へと向かって、歩き始める。
「パンダちゃんの実家って、この辺り?」
信号待ちをしながらの世間話。
「いえ。もう少し西の方です。共働きだったから、『なにかあったときに祖父母に来てもらえるように』って、ママの実家に近いところで」
大学まで通える距離なのに一人暮らしをしているのは、親離れのためだとか。
それでも“なにかあったときのため”。ママの実家に近いところでの一人暮らし、なんだろう。
「へぇ。鍵っ子だったんだ? 意外」
「そうですか? 保育所育ちの鍵っ子ですよ?」
「俺も。俺は三つ下に弟がいたから、自分で鍵を開けてたのは小学校低学年までだけど」
弟の方が先に帰ってきてたから、無人の家に帰ることは少なかった。
「私の妹は三年生まで学童保育に行っていたから……六年生になるまでの五年間やったかな」
「あれ? パンダちゃん自身は? 学童保育行かなかったの?」
「学童保育がなかったんです。私が入学した時には」
「おー。じゃぁ、俺と同じで一年生から、鍵っ子かぁ」
「入学してすぐって、一人で留守番するの、寂しくなかったですか?」
「いやぁ、あんまり。ランドセル置いたら、暗くなるまで外で遊んでいるタイプだったし」
パンダちゃんは、寂しかった? と、問いかえして。
「入学する……前の年くらいまではパパの仕事が暇で。家にいることが多かったから、反動で『ちょっと寂しいな』とか」
ディープな家庭の事情ってやつが、こぼれてきてしまった。
慌てて、聞かないふりで。
青になった信号をきっかけにしたような顔で、話を逸らす。
「こないだのほら、ルリなんとかってインコ」
「あぁ、ルリコンゴウインコ」
「あれって、家で飼ってたりするの?」
「いいえ?」
どうして? と尋ねる彼女が、小さくリュックをゆすり上げる。
「あんまりメジャーな奴じゃない気がしてさ。自分の名前と一緒でも、よく知ってたなって」
「あれは、神戸の祖父の所に遊びに行ったときに……」
鳥類動物園のようなところが、市内にあるらしい。
「そんなのがあるのか。パンダの“お地蔵”動物園もあるのに?」
「あそこにも、ルリコンゴウはいるけど。籠に入っているから写真を撮りにくくって」
どうやら、動物園というより、ふれあいコーナーみたいな所らしい。
「ふぅん。“籠の鳥”じゃないんだ」
「そうなんです。近い所で見れるのが、すごくって。」
ネタ的に突っ込んだ単語をスルーされて、軽くへこむ。
そんな俺に気づかない彼女は、どうやらかなりの鳥好きらしい。
「足元をオシドリが歩いていたり、オオハシが腕に乗ってきたり」
「オオハシって? 何?」
「オレンジ色の大きな嘴で……」
登山口につくまで、色々な鳥の話をしてくれた。
登り始めると、話をしている余裕が無くなる。
前を歩くパンダちゃんのペースについていくのが、やっとで。若さの違いを、まざまざと見せ付けられた気がする。
それでも途中での紅葉は見事だったし、峠の茶店のような売店で飲んだほうじ茶のおいしかったことと、上気したパンダちゃんの横顔がかわいかったことで、疲れも吹き飛んだ。
「着いたぁ」
頂上のちょっとした広場で、パンダちゃんがバンザイをした。
横のベンチに座っている三人組のおばさんたちが、クスクスと笑う。
「お疲れ様。オヤツをどうぞ」
左側の赤い上着の人が、小袋に入ったアラレを二つ、パンダちゃんに差し出して。
お礼とともに受けとった彼女が、一つを俺に渡してくれた。
「遠慮なく、頂きます」
軽く捧げるようにして頭を下げると、再びおばさんたちの笑い声が弾ける。
「仲良いわねぇ」
「そりゃあ、このくらい若い時なら……ねぇ。何するのも、一緒が良い頃よぉ」
「歳をとったら、邪魔でしかないわねぇ」
「ほんと。今日も、『どこ行ってくる? いつ帰る?』って。うるさいったら」
愚痴大会になだれ込んだおばさんたちに会釈をして、その場を離れて。
空いているベンチを探す。
さすがに見晴らしのいい場所は、先客が居たけど。少し枝が邪魔をしているようなベンチが空いていた。
枝を避けると、自然と寄り添うように座ることになりそうな。
そんな距離感に躊躇いも見せず、パンダちゃんは座って荷物を開ける。
電車で隣り合う程度、と自分に言い聞かせながら、俺も荷物を降ろして。腕が触れ合う感触にドキリと鳴った胸に気づかないふりで、隣へと腰を下ろした。
途中のコンビニで買った弁当を取り出す。今日の気分は、から揚げ弁当。
パンダちゃんは、サンドイッチだろうか。紙製の弁当箱が、出てきた。
「おにぎり?」
行儀悪いとは思いながら覗き込むと、薄くて四角いおにぎりのようなものが並んでいた。
「おにぎらず、っていうんです」
「握ってるのか、握ってないのか……」
「握ってない、ですね」
具材をご飯で挟んで、海苔で包んだだけ、らしい。
「いろんな中身が、入れられるから、おかず要らずで……」
そう言って彼女が最初にとったヤツは、ナゲットとスライスチーズだと言う。
「そういえば、小学生の頃、おにぎり遠足ってのが、あったなぁ」
から揚げのつけ合わせ、ポテトサラダを突きながらの話題は、やっぱり弁当の思い出で。
「おにぎり遠足?」
「そう。俺の行ってた学校ではさ、春のクラス懇親に、おにぎり二個だけを持って、隣町の大きな公園までって遠足があってさ」
おかずもおやつもなし。
そのかわり、おにぎりのサイズや具材は何でもアリってヤツ。
「おにぎらずが、ちょうどよさそう」
「だよな?」
そんな話の間に、から揚げも一つ。口へと放り込む。
食事をほぼ終えるころ。
「パンダちゃんは、クリスマスコンサート、行くの?」
織音籠の話題を持ち出してみると
「この冬は……」
水筒の蓋を緩めながら、パンダちゃんがフフフと笑う。
「年明けの神戸に、行くんです!」
「おー。遠征じゃねぇ?」
「そうなんです」
楽しみで仕方ないと、表情が雄弁に語る。
お正月に、神戸のお祖父さんの所へ年始に行って。そのまま、一月の連休一杯を向こうで過ごしてくるらしい。
「パパが成人式をしたホールらしくって」
「うん? 成人の直前だったよな?」
三連休の土日、だったはず。コンサート日程は。
「式典の準備とか………あるんじゃねぇのかな?」
「何年か前から、成人式の場所がサッカースタジアムになったって」
「うわ、寒そう」
俺自身の成人式が、みぞれ混じりの雨降りだったことを思い出す。
「お地蔵さんは、クリスマスのに行く予定?」
「やっぱり、市内に住んでるからには、行かなきゃ」
「ですよねぇ」
織音籠は、さっちゃんたちの住む東隣の市、楠姫城が活動の本拠地だけど。
パンダちゃんが産まれた頃から、俺たちの住んでる鵜宮市のホールでクリスマスコンサートをしている。
「こっちのホールは、ママが成人式をした所って」
あっちでもこっちでも繋がっている、って思うのは、勝手なファン心理ってヤツだろうけど。
「なんか……パンダちゃんって。織音籠の申し子みたいだな」
「籠の鳥じゃなくって、籠のパンダ?」
「パンダを入れようと思ったら、かなりデカい籠だな」
そんな与太話をしながら、弁当ガラを片付けて。
しばらく山頂からの紅葉を楽しんだあと、下山することにした。
帰りに実家へ顔を出すらしい彼女は、『買い物を頼まれた』とかで、駅前で別れて。
独り、帰りの電車に揺られる。
楽しかったけど、疲れた。やっぱり、まだまだトレーニングしなきゃな。
夢うつつに考えながら、訪れた睡魔に身を委ねる。
汗が冷えたか、うたた寝が悪かったか。
家につく頃には、寒気がしてきた。
非常食のつもりでリュックに入れていたエナジーバーと、買い置きのカップラーメンで、ずさんな夕食をとる。
押し入れから市販の風邪薬を探し出した所で、スマホがメッセージアプリの着信を告げた。
[今日は楽しかったです。また、どこかに行きましょうね]
そんなパンダちゃんからのメッセージに、つかの間、具合が悪いことを忘れる。
[俺も楽しかった。冬の山は低くても大変だから、次は違う所な?]
[そうですね。スケートとか?]
[お、いいかも]
薬を飲み下しながら、指ではメッセージを入力する。
コレ、電話じゃ無理だったよな。
っていうか。具合が良くないって、声とかでばれそう。
アプリ様のおかげで、通常営業を装えたことを有難く思う。
その夜、見た夢は。
籐の籠から掴み出した色とりどりの紅葉を、辺りに振りまきながら、パンダが果てしなく行進している夢だった。
連休明けには再び、仕事の毎日に戻る。
その中で、些細な変化は。
パンダちゃんと時間帯を合わせて、図書館へ行くようになったこと。
ハイキングの前に話したように、時折、休日出勤のある俺だから、休みの合わない週もあるし、パンダちゃん自身の用事もあるけど。
今週はどう? なんて、やり取りを交わすことすら、楽しかった。
そうして慌ただしい年末も乗り越えて。新年が明ける。
新年明けてしばらく、パンダちゃんは神戸に居たから、半月ほど会えない日々が続いた。
合間に、ルリコンゴウインコと一緒に撮った写真や、織音籠のコンサート会場の前で自撮りしたらしい写真が、メッセージアプリを通じて送られてきた。
楽しんでいるらしい表情を、繰り返し眺めて。
『俺も行きたかった』と、残念な気持ちを抱いたのは。
織音籠に対してなのか。
それとも
パンダちゃんに対してなのか。
一月の最終木曜日にも、近場で織音籠のライブはあるけれど。
平日の夜。仕事のあと。
しかも、俺もパンダちゃんも、ごく最近コンサートに行っているわけで。
いくら“籠の鳥”とはいえ、そんな短期間に何度も行くのは……ナシだろう。
彼女は学生の身で、そろそろ後期試験もあるだろうし。
仕方ない、よな?
また、今度。
今度いつか
一 緒 に 行 こ う。