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パンダとお地蔵

「あ、お地蔵さん」

 軽やかな声に呼ばれて、手にした本から顔を上げる。

「お久しぶりです」

「おー、パンダちゃん。久しぶり。夏休みで、旅行にでも行ってた?」

「はい。ワンゲルの合宿で穂高に」

 日焼けで少し赤くなった鼻の頭を指先で搔きながら、彼女が微笑む。


 パンダを思わせる図書館の彼女とは、あれから何度か顔をあわせる機会があって。

 一言、二言の立ち話をするような仲になった。

 互いに、名前はまだ知らない。

 二度目に出会った時。俺を呼び止めた彼女の言葉が『お地蔵さんの人』で。彼女にとって印象的だったらしい、初対面での会話に因んで、俺の方も『パンダちゃん』と呼ぶようになった。


 ささやかな会話から得られた情報によると、“パンダちゃん”は六歳下で、市内の大学に通う1年生。更に、ワンゲル部に入っているらしいと、さっきの会話から知る。


「ワンゲルか。懐かしいな」

「お地蔵さんも、ワンゲルしてたんですか? 穂高は? 行きました?」

「いや、なんかさ。あそこは、どうも縁がなくってさ」

「えー。もったいない」

「だろ? 台風が来たりして計画が流れまくってさ」

「せっかくやのに。残念ですねぇ」

 チラリと混じる方言。

 神戸にあるという動物園のトートバッグを持っていることと考えあわせると、あっちにルーツのある子かな? 


「パンダちゃんは、高校生の頃から山に?」

 ちょっとだけ、踏み込んでみる。

「いいえ。遠足のハイキングで猪臥山に行ったくらいで」

 返ってきた答えには、隣の市にある手頃な高さの山の名前が添えられていて。

「あそこ、かあ」

「行ったことあります?」

「うん。俺のいたワンゲル部(ところ)じゃ、新入生の歓迎ハイクに使ってた」

 それ以前に、さっちゃんの家からそんなに遠くない場所だし。

「あー、ナルホド」

 納得、って顔で、パンダちゃんが小さく手を打つ。  


 この日のおしゃべりは、それくらいにして。

 彼女と別れて、本棚巡りを再開する。

 途中でチラリと、貸し出しカウンターで順番待ちをしているパンダちゃんの後ろ姿を見かけた。

 とりあえず今日は。

 パンダちゃんの出身が、さっちゃんの家の辺りらしいとの情報もゲット。


 パンダちゃんの方にも、俺がワンゲル経験者だって伝わったはず。


 その日借りた山関係の本は。

 穂高の写真集だった。 


 貸し出し期間の間、繰り返し写真集を眺める。

 パンダちゃん、こんな景色を見てきたのか。これは、ハマるだろうなぁ。

 俺も見に行きたかった。


 俺も? 行って……みるか?

 いやいや。無理だろう。現役の学生時代ほど、体力も休みもねぇぞ?



 とりあえず、って感じで簡単なウォーキングから始めてはいる。

 通勤時の駅の階段は極力歩いてあがり、休みの日には少し離れたスーパーまで買い出しに出かけて。

 図書館の行き帰りに一駅分歩くのなんて、適度な重さの荷物も担いでいるから、なかなか良いトレーニングになっていると思う。


 そろそろどこかの山へ行ってみても、良いかもしれない。

 そんなことを考えながら、電車の吊り広告に載っているワンデーハイクの告知を眺める。



「お地蔵さん、一緒に紅葉を見に行きませんか?」

 彼女からのお誘いを受けたのは、十月の連休初日。

 閲覧室で新刊の音楽雑誌を読んでいた俺の横に、パンダちゃんが立ち止まって……の、いつもの世間話の合間にさりげなく挟み込まれた突然すぎる言葉に、

「お、俺と?」

 ちょっとばかり面食らって。読みかけの雑誌を、思わず閉じてしまう。


 そんな俺の動揺に気づかず彼女は

「はい。来月あたり、猪臥山が見頃だと思うんです」

「あー、猪臥山、かぁ」

 いつだったか、パンダちゃんとの会話に出てきた、さっちゃんの家から近い“初心者向け”の山を勧めてきて。

「部活で行ったりしないの?」

「行くかもしれませんけど。お地蔵さんとも行ってみたいなって」

 これって。どう受け止めたら、いいんだ?


「それは、彼氏と行くべきじゃ……」

「居ませんよ-。カレシなんて」

「マジ?」

「マジです」

 垂れ目を少し怒らせて見せるパンダちゃんの表情に、一瞬、ドキリとする。


「あ。お地蔵さんが、彼女さんに怒られる?」

 そんなことを言いながら表情を緩めて覗き込んできたから、こっちも仕返し。

「居ませんよー。カノジョなんて」

 パンダちゃんの口調を真似た俺の肩が、背後から軽く叩かれる。  


 振り返ると、パンダちゃんとは逆側。数冊のハードカバー本を抱えた男性がいた。俺の肩には軍手を外した、大きな手が乗っていて。この図書館の司書であることを示す名札が見えた。

「館内では、お静かに」

 ひそめた声にジェスチャーまでつけた注意をうけて、顔から火が出る。

「すみません」

 軽く頭を下げた俺に小さく頷いてみせた彼は、器用に軍手をはめ直しながら背中を向けた。


「パンダちゃん、中庭に出ようか」

 椅子の足元からデイパックを持ち上げて。机に置いていたスマホを突っ込みながら、席を立つ。読みかけの雑誌は……とりあえずキープ。

 この図書館の中庭は、四方を閲覧室に囲まれた坪庭のような造りで、館外への通路はない。つまり、出入り口は閲覧室からの扉だけだから、貸し出し前の資料の持ち出しも許されている。

 二冊の文庫本を手にしたパンダちゃんを先に行かせるようにして、秋晴れの下へと扉をくぐる。


 ふわりと、キンモクセイの香りが流れてきた。


「キンモクセイ、咲いてますね」

 ベンチに腰を下ろしたパンダちゃんが、辺りを見渡す。

「見えなくても判るって。よく考えたら、スゴイ」

 どこかなぁ、と呟きながら、鼻をクンクンとしているのが、妙にパンダっぽくって。

 気付くと、頭を撫でそうになっていた。


 俺、何しようとしてた? いま?


 何かを誤魔化すように、パンダちゃんから目を逸らして。

 見つけた。キンモクセイのオレンジ色。

「パンダちゃん、ほら。あそこ」

「え?」

「隣のベンチの……」

「あ、ホント。あったぁ」

 小さく手を打つようにして、控え目な歓声をあげる彼女の横。雑誌一冊分くらいの幅をあけて、腰をおろす。


「で、紅葉、なんですけど」

 並んだ俺の気配を察知したみたいに、こっちを向いた垂れ目が伺いの色を帯びる。

「俺は、いいよ。一緒に、行こう」

 一転、笑みに細くなるその目につられて、俺の頬も緩んだ。


「お地蔵さんって、土日お休み……ですよね?」

「基本的、には」

「お仕事の日も、ある?」

 

「たまに、当番が回ってくるんだ。得意先がさ、土日も開いている所もあるから」

 病人怪我人は、年中無休。医療機関だって、休んでられない。

 病院勤めをしているらしい桐生さんの親なんて、正月も出勤してたって、聞くし。

 なんて、内情を軽く説明したら、わずかに彼女の表情がかげる。

「大変ですね。働くって」 

「いや、このくらいは、働いてたら普通じゃねぇかな?」

「そうなんですね。私の身内とは、働き方が違うから……知らなかった」

 恥ずかしそうな顔で、肩をすぼめるけど。

 なんか。いい。

 会話のペースが、心地良い。


「で、どうしようか。紅葉は」

「来月は、出かけても大丈夫ですか?」

「次の当番が今月末だから……うん。大丈夫だろ」

「本当に? 疲れてたりしませんか?」

「大丈夫。その分の代休もあるし」

 そもそもが、泊まりがけの予定な訳じゃねぇし。



 互いの予定なんかを、すり合わせて。

 来月あたまの連休に、ってことで話がまとまる。

「連絡は、メッセージアプリで?」

 って彼女の言葉と一緒に、お地蔵トートバッグから笹色のケースに包まれたスマホが出てきた。

「あ、うん。ちょい待ち」

 俺もさっき突っ込んだデイパックから、引っ張りだしてきて。


「お地蔵さんのって、どこのメーカー?」

「安物のSIMフリーだよ」

 なんとなく、誤魔化したのは。彼女が手にした端末に見えたメーカー名が、さっちゃんの使っているのと同じだったから。

 織音籠(オリオンケージ)がローカルな広告に起用されている、国産の端末。

 俺が使っているヤツの、倍近い値段がしたはず。


 使い勝手がどうこう、なんて話をしながら、メッセージアプリを起動させる。彼女のアプリの方が先に立ち上がるのを見て、『使い勝手ってのは、こういうところだよな』と、ちょっといじける。

「ええっと」  

 新しい相手を登録するには、と。 

 久しぶりに使う機能に戸惑いながら、そういえば社会人になってから、新しい出会いって減ったよな、なんて考える。 

 その横でパンダちゃんはといえば、手慣れた様子でスタンバイ完了している。

「学生はやっぱり、使い慣れてるなぁ」

「お地蔵さんも、ちょっと前まで学生やったでしょ?」

「そりゃ、まあ」

「そんなに変わらないじゃないですか」

「でもさ。スマホを持ったのは遅かったよ。これが、二台目だし」

「私も、そうですよ」

「ほら。高校生から使ってた世代とは、違うんだよ」

 弟よりも、年下だもんな。


 パンダちゃんから送られてきたアカウントのプロフィール情報には、胸の部分の黄色が鮮やかな、青いオウムの写真と“瑠璃”というネームが添えられていた。

「パンダじゃないな」

「当たり前です。そんな呼び方するの、お地蔵さんだけです」

 そりゃそうだ。

「これは、オウム?」

「インコです。ルリコンゴウインコ」

「それで、“瑠璃”?」 

「あ、逆ですね。私の名前が瑠璃なので、その写真を」

 ついでのように苗字まで告げて。『どうぞよろしく』とか言いながら、ぺこりと頭を下げる彼女。

 思わぬ展開で、本名まで知ってしまった。


「お地蔵さんは、“KO-h”?」

「うん。アカウントを取った頃は、学生でバンドをやってたから。その時の名前」

「ああ。そうなんだ」

 ため息のような声で、相づちをうたれた。

 呆れられた、っぽい?


「楽器は……ベース、とか?」

「お?」

「あ、いえ。気にしないでください」

「いや、あたり。なんで?」

「あー、なんとなく?」

「なんとなく?」

 で、あたるか? 普通。


 不審な表情になった自覚のある、俺の顔をチラリと見て。

「さっきのプロフィールに……」

 パンダちゃんが差しだしたスマホの画面には、さっちゃんのサイン入りピックの写真。

 そういえば、そんな写真(モノ)をプロフィール写真に使ってたっけ。

「これ、かぁ。うん。そっかぁ」

 納得。めっちゃ、納得。

 そして。

 さっちゃんのサインから、ベースという楽器にまで辿り着いたパンダちゃんの発想が、俺の心に緩やかな歓びの波を立てる。

 この子、絶対に織音籠のことが好きに違いない。


 もっと彼女のことを、知りたい。

 もっと俺のことを、知って欲しい。


 『まずは、俺の名前も……』と口を開きかけて。

 思考が足踏みをした。



「あのさ、パンダちゃん」

「はい?」

 スマホになにやら入力していた手を止めて、彼女の顔が上がる。

「自分の名前、あっさり男に教えるもんじゃないぞ」

「はぁ……?」

 怪訝そうな返事に、

「俺なんて、出会って半年の、どこの誰かもわからないヤツだぞ?」

 と、説明の言葉を重ねたけど。

「お地蔵さんは、お地蔵さんですよ。山が好きで、休みの日に仕事をしていることもあって」

 私より六歳年上で……と、パンダちゃんは、いくつもの“俺のこと”を、並べていく。

 確かにそれは、”俺のこと“ではある。

 でもな。


「パンダちゃんの知ってる情報に、俺の身元はないよな?」

「それは……そう、ですね……」

「そんな男に、個人情報を渡したら危ないって」

「はい」

「それにさ」

 軽く釘を刺すだけの積もりだったのに。言い始めたら、もう一つの危うさに気付いてしまった。

「男と二人っきりで、ハイキングってのも、ヤバいんじゃねえ?」

「……」 

「もうちょっと、危機感とか持たねぇと」

 柄にもないことを言いながら、心の底で思う。


 未成年だから危なっかしいのは、仕方ないだろ?

 十代の俺なんて、危機感ゼロだったじゃねぇか。


 でも。できれば彼女には、危険とは縁遠くあって欲しい。


 例えそれが。

 俺自身の

 独占欲じみた

 エゴだとしても。



「いつも、そんなことをしているような子だと、思っていますか?」 

 スマホを握りしめて足元に視線を落としたパンダちゃんから、問いが投げられた。

「してる、のか?」

「いいえ」

 顔が上がって。

 真剣な色を浮かべた垂れ目に、見つめられる。

「高校生になった頃から、パパにも繰り返し言われてるから」

「うん?」

「『男なんて、狼やからな。隙を見せたらアカンで』って。何度も何度も。だから私は、これでも気をつけているつもりです。特に大学に入ってからは、一人暮らしだし」

 どうやらパンダちゃんのパパは、娘のことが可愛くて仕方ないらしい。

 そりゃあ、そうか。学生に、あんな高いスマホを買ってやるくらいだもんな。



「俺も、男だぜ? 狼かもしれねぇぞ?」

 あえて悪ぶった声を出して見せた俺に、パンダちゃんは。

「お地蔵さんのことは、信頼してますから」

 なんてことを、言って。

 その信頼の根拠を尋ねると、思いも寄らない答えが返ってきた。


「お地蔵さん、パパの友達と雰囲気が似ているから」


 友達? パパの?


「って、何歳のヤツだよ。パンダちゃんに恋愛感情を抱きそうにない“おっさん”ってこと?」

 ちょっと。傷ついた。

 声にショックが滲んだのが、自分でも判った

「あ、そう言う意味じゃなくって」

「……どういう意味?」

「きっと、パパも『コイツやったら、大丈夫』って、言ってくれそうな人って……」

 友達に似ているからって、それはないだろう。


「それに」

 言い募る勢いのパンダちゃんに、気圧される。

「織音籠のファンに、悪い人は居ないから」

 え? そこ?

 それが、根拠になる。のか?


「……パンダちゃん」

 軽く咳払いをした俺に、パンダちゃんの勢いが弱まる。

「は、い」

「実は、“籠の鳥”?」

 織音籠の熱心なファンは、自らを『籠の鳥』と呼ぶ。

 自分たちは、彼らが“織り”あげた“音の籠”に囚われた身だと。


 その意味が、彼女に通じるかと試してみたわけだけど。


「はい。産まれる前からの、籠の鳥です」

 思わぬ反撃をくらう。

「え?」

「ママが、かなりの……」

 ああ。なるほど。


 それで、スマホがあのメーカー。

 パンダちゃんのママ、結構ミーハーだな。


 じゃなくって。

「俺より、年期が入ってんじゃん」

「そうですか?」

「俺、中学……いや、小学生か」

「それでも、長い方やないですか」

 うれしそうな顔で笑う彼女に、肩の力が抜ける。


 この日、俺たちは。

 名前も知らない間柄から、一歩進んだ。

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