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新たなステージ

 俺にとって最後のステージになる学園祭が終わって、就職活動に本腰を入れ始める。

 ピアスは外して、髪も黒っぽく染め直して。

 次に俺が目指すのは、“大人のステージ”で。そこへと繋がる階段は、今まで通りの生活で登ることなんてできないから。

 毎日欠かさず練習してきたベースも、気分転換に時々触ってみる程度に手を離した。気分転換(それ)も、次第に間隔が開いてきて。

 このままきっと、部屋の隅で埃をかぶるようになっていくのだろう。



 そして、その年の正月。ほんの少しの心残りを解消するために、電車で出会ったときのことを、さっちゃんに訊ねてみた。


「秋? 電車で?」

 そう言って、さっちゃんはビールのグラスを片手に首を傾げて。

 ああ、あの時か。と呟いて、ビールを飲んだ。


 忘れてたんだ。俺と会ったことなんて。


 面白くない気持ちを、お節料理にまぶして。嫌いなお煮染めと一緒に噛み砕く。

「アイツはさ、JINの甥っ子」 

「はあ? 甥?」

 だったら、俺と同じじゃん。

「今田君の?」

 横からオフクロが話に寄ってくる。

「あー、あの兄貴さんの……じゃなくって。嫁さんの甥っ子っつうべき?」

「ああ、そっちかぁ」

「兄貴さんところは、暁よりチョイ年上くらいじゃねぇかな。きいた話じゃ」

「へぇ。じゃあ、小学生……か」

「そんなモンだろ」

 二人でわかる話で、納得しないでほしい。


「あのさ、俺には、さっぱり訳が判んねぇんだけど?」

 オフクロの向かいに座る さっちゃんの、空いたグラスにビールを注ぎながら、俺の方へと話を手繰りよせる。

「姉貴とJINの兄貴が中学校の同級生だった、っつうこと。同級生の近況って、気にならねえ?」

「いや。別に」

 さっちゃんやオフクロくらいの歳になったら、気になるのかもしれないけど。

 俺にはまだ判らない感傷ってやつか。


「そっか。兄弟で同級生同士なんだ」

「あんたの幼馴染みにも居たじゃない」 

 三丁目の……と、オフクロの口から、久しぶりに聞く名前がいくつも転がり出てきた。

 確かに。俺の同級生の弟妹が大輝の同級生、ってヤツらだな。


「で、それがなんだって?」

「どういう知り合いかな? って……好奇心?」

 “嫁さんの甥”なら、俺より遠い関係じゃねぇかって、勝ったのか負けたのか微妙なライバル意識は、押さえ込んで。一息に飲んだ、グラスに半分のビールで蓋をする。


「“好奇心”ねぇ」

「…………」

 純粋な好奇心とは言えない内心のモヤモヤに、さっちゃんに向けていたつもりの視線が、逸れては戻りを繰り返す。

 右手でテーブルに頬杖をついた さっちゃんは、そんな俺をじっと見つめて。

「あそこでさ。オレが、お前に声をかけたとして……」

 考え考えの口調で、話しかけてきた。

「うん」

「お前、友達に何て言うつもりだったわけ?」

 友達? ああ、雄人(ユージン)と一緒に居たっけ。


 『大学に入った頃から、サインをねだらなくなった』と、俺の行動に絡めたらしい、さっちゃんからの問いかけに、頭の中でシミュレーションしてみる。

 大学の友人には、“織音籠ファン”ってことで通している俺が、『実はSAKUの甥でーす』なんてカミングアウトするのは……正直に言って、イタすぎる。


 逆に、俺から彼らに近づいたなら。

 サインの一枚なり握手なりをゲットしないと、格好がつかないけど。それはそれで、さっちゃんたちにどう思われるかと考えて、背中がモゾモゾして落ち着かない。


 更に言えば、あの時の車内の空気的にも。

 他人のふり、がベストな選択。


 そう結論づけた俺の心を読んだように、さっちゃんは頬杖を外した手で箸置きから祝い箸を手にとると、俺の向かいに座る五歳の娘、明海の皿へと伊達巻きを取り分けてやっていた。



 就職活動も無事に終え、学生生活最後のコンパで、ワンゲル部の後輩達から追い出される。

 そして俺は、新生活へと生活をシフトさせていく。


 四年間お世話になったバイトも卒業したし、スーツやカバンも準備した。 

 四月から俺は、この地方を中心に営業展開している医薬品卸の社員になる。



 研修から始まった社会人生活は、とにかく仕事を覚えることに学生生活以上に頭を使う。

 扱う商品の知識は当然として、ビジネスマナーだの、社会経済の基礎だの。

 『絶対に将来、役に立つから』とか言っていた、かつてのカノジョ(妃沙羅)の言葉が、刺さる気もするけど。

 しても仕方ない後悔に、頭を使う余裕すらない。



「やっぱり理系の方が、有利っすよね」

 そんな泣き言を先輩にもらしたのは、配送課に配属が決まった六月から数カ月が経った秋のこと。

 昼飯時で混み合っている会社近くのラーメン屋でその日、隣り合うカウンターの席に座っていたのは、俺の配送ルートを含む地区の営業を担当している五歳年上の桐生さん。

「そうか?」

「いや、だって。薬品名を覚えるなんて、楽勝でしょ?」

 カタカナだらけ、似た名前だらけ。

 凶悪なことには、同じ商品名のメーカー違いまであるし。



「うーん。まあ、嶋田はタイミングがなぁ」

 麺を手繰る手を止めて、切れ長の目でこっちを見ながら首を傾げた桐生さんは、市内にある公立大の理学部卒業らしいと、同期の田坂から聞いたことがある。


「タイミングっすか?」

 カウンター越しに大将から渡されたネギ醤油ラーメンに、割り箸を突っ込みながら訊ねる。

「一気にジェネリック医薬品の取り扱いが増えてきたからな。この前の薬価改定で」

()うなん()すか」

 口へと麺を運びながらの行儀悪い俺の返事に、桐生さんは苦笑して。 

「忙しいヤツだな」

 と言うと、きれいな箸使いで煮玉子を口へと運ぶ。


 この週の俺は、二件の配送ミスをやらかしていた。

 一つは、配送先を間違えて。薬局からの連絡をうけた桐生さんが、通常の営業回りの便でフォローしてくれた。

 そして、もう一つが。

 倉庫でのピッキングの時に起こった製品の取り違えを、スルーしてしまった。

 幸い、こっちも先方が開封前に気付いてくれたのと、同一成分のメーカー違いだったおかげで、大事にはならずに済ませて貰えたけど。


 自分の能力の低さに、あと二日の今週を乗り切るだけの気力が続きそうにない。 

 そして、隣で音も立てずにラーメンを食べている桐生さんにも、申し訳なくって。


 意味も無くスープに浮かんだネギを、箸先で麺の下へと押し込んでみたりする。



「理系だ文系だって区別より先にさ」

 先に食べ終えた桐生さんが、カウンター上のピッチャーからお冷やをおかわりしながら、口を開く。

「まずは、目の前のモノを一つ一つ、確認するところからじゃないかな?」

「はぁ……」

 わかっちゃいるけど。

 できない俺は……やっぱり、ダメ人間なんだろうか。


「あとは……」

 ちょっと考えるような間を置いた桐生さんは、グラスのお冷やを一口飲んで。

「あまり思い詰めないでさ、気分転換もしろよ」

 休みの日には、仕事のことは忘れて、な?


 そう言ってグラスを空にした彼は、スツールから立ち上がると、カウンター上の俺の伝票にひょいっと手を伸ばした。

「それ、俺の……」

「まあまあ。これくらい、奢ってやるから」

 『元気だせよ』と、笑いを含んだ声にふり仰いで見上げた先輩は。

 薬指に指輪の光る左手で、軽く俺の額を小突いて。


 滑るような足取りで、レジへと向かって行った。 



 俺よりも低いはずの後ろ姿を、妙に大きく見せながら。

 小柄な先輩は引き戸を開けて、明るい日差しの中へと出て行った。



 気分転換、な。と、考えて。

 まず出てきたのは、埃をかぶったベースのことだったけど。

 いざ、引っ張り出して弾いてみると、あまりにも指が動かなくって、脳内に鳴っている音とのギャップに虫酸が走る。

 ダメだわ。こりゃ。

 余計、ストレスになる。


 じゃあ。他には……読書か、山か。


 手っ取り早いのは、本だな。ワンゲルを引退してからの方が、ベースを辞めてからより長い時間がたっているから、体力的作りから始めないと、ハイキングコースすら踏破できそうにない。


 こうして再び俺は、図書館や本屋に足を運ぶようになった。



 図書館に行けば、相沢さんを見かけることが無いわけではないけれど。

 もう、俺とは関係のない人だと割り切れたのは、彼女の名札が変わっていたから。


 『桐生』と書かれた新しい名札に気付いて、まっ先に思い浮かべたのは、営業の先輩の顔だった。

 でもまあ、高校時代の塾の先生とか、小中学校の同級生とかにもいた程度には珍しくもない名前だから、偶然の一致に過ぎないだろう。

 現に今、目の前の本棚にも、“桐生 某”って作家の本が並んでいる。



 そんな彼女がどうやらオメデタらしいと、俺でも気付く頃。

 世間は、新しい年が明けていた。


 その頃には俺も、定期便の他に突発的な配送も任せてもらえる機会が出てきて。なんとか一人前の仕事がこなせているような、自信も持てるようになった。

 それは、忘年会の頃

「病院さんや薬局さんにとって大事なことはさ。どれだけ安いかよりも、確実に素早く商品が手に入るって安心感らしいから」

 なんて話を、桐生さんから聞いたことが、大きく影響していた。


 俺のしている仕事は、会社や社会にとって意味がある。

 その自負に背中を支えてもらって、ハンドルを握り、重たいコンテナや段ボール箱を運ぶ。 

 この四月にはまた、次の薬価改定が待っている。

 桐生さんたち営業の人達の交渉で定められた卸値に、俺たち配送の働きでプラスにもマイナスにも付加価値がつけられて。

 次の契約の交渉へと、影響していくのだろう。



「なんすか? この量?」

 コンテナの底に同じ薬品が、びっしり敷き詰められている。その数、目算で……百錠入りが、三十箱。

 午後の定期便とはいえ。通常の配送として、見たことのない数だった。

 同じコンテナに入れるために準備された他の商品は、一箱とか二箱。多くても五箱程度なのに。


「んー、ちょっとした交渉の結果?」

 払い出し伝票のチェックを手伝ってくれている桐生さんが、苦笑いしている。

「あの薬局さんで、これだけ捌けるんすか?」

 日頃の配送の感覚でいくと、半年分くらいにあたりそうだ。

「向こうの決算までの、ギリッギリかな?」

「うわぁ。そんな、えげつない」

「“ぎぶ あんど ていく”ってやつ」

 会社同士での駆け引きが、俺にはわからない上の方であって。それを受けた現場レベルでの調整が、桐生さんと薬局さんの間で行われた結果、らしい。

 チェックを終えた伝票をクリップでまとめている桐生さんの英語が、怪しげな発音すぎて。  

 交渉ってのが、大変だったのだろうと思いながら、次の病院へ持って行く伝票とコンテナを準備する。


 こうしてみると、薬価改定の影響ってのは……すさまじい。

 旧薬価で仕入れた在庫を抱えすぎないようにと、改定直前の三月は、どこの医療機関も在庫を絞っているとかで、毎日が急ぎの発注の嵐だった。

 おそらく、うちを含めた卸会社も、在庫と納品のバランスを調整するシーソーを繰り返して。


 年度が変わった途端、その反動で発注が押し寄せる。

 そこに加えて、こんなまとめ買いまでって。


 去年の春、新人研修で習った内容が、実感として判った気がする。


「それはそうとして」

 折り畳み式のコンテナを広げながら、桐生さんが話しかけてくる。 

「気分転換は、うまくいってるか?」

「ええ。まあ」

「そっか。なら、良かった」

「ちなみに……桐生さんって、気分転換に何をしてるんすか?」

「んー、バレーボール」

「え?」

「なに?」

「あ、いえ。別に」

 俺より確実に低い、この身長で。バレーボールって。

 まじか?

「まぁ、この前、息子が生まれたばっかりだから、しばらくは大人しく嫁さん孝行だけどな」

「……」

 息子! オヤジ!

 五歳の差は、大きい。

 この人は、俺とは違って。大人、だ。


 あと五年で、家庭を持てるほと、俺は成長できるのかな? なんて、考える日もあり。

 その前に、彼女つくんなきゃ、なんて考えては妃沙羅とのあれこれを思い出して落ち込む日もあり。

 そんなウダウダグダグダを振り払うように本を読んで。

 次の年が明ける頃、『やっぱり山の方にも手を出そうか』なんて考えることが増えてきた。 


 そうはいっても、すぐには始められないのが、社会人。

 基礎体力をつけて、使ってない道具のメンテナンスも……なんてことを考えているうちに、年号の変わり目を含んだゴールデンウィークがやってくる。


 今年限りのイレギュラな連休は避けてやったとばかりに、四月の末に三日ほど雨が続いて。

 満を持したような五月晴れの休日。貯めていた洗濯を済ませた俺は、昼飯ついでに、図書館へと向かった。

 小説の棚から始まって、いつの間にか決まっているルートを辿って、閲覧室を巡る。

 最後の楽しみのような、アウトドア雑誌の棚の前。

 若い女性がしゃがみ込んでいた。


 ポニーテールにした頭を傾げながら、バックナンバーを引っ張り出している。

 お仲間、か。

 そんな事を考えながら見下ろした彼女の、肩からさげたトートバッグが目に入る。

「お・じ・ぞー?」

 ローマ字のロゴを、思わず声に出して読んでしまった。


 お地蔵って?

 パンダのイラストと、何の関係が?


 俺の呟きにしてはデカイ声が、彼女にまで届いたらしい。

 ポニーテールの頭が、こちらを仰ぎ見る。


「パンダ、だ」

「は?」

 色白で垂れぎみの目。さらに、黒縁の眼鏡って風貌が、さっきのイラストとリンクして、つい。

 余計な事を言ってしまった。


「あ、いや。そのカバンがさ」

 怪訝そうな顔に、慌ててフォローを。 

「カバン?」

「パンダとお地蔵って、面白い組み合わせだよな?」

 見下ろしている俺の視線を追うように、彼女の視線がトートバッグの方へとさがる。

 雑誌を片手に立ち上がった彼女が、俺にカバンを見せるように体の向きを変える。

「王子動物園、です。お地蔵さんじゃなくって」

 あ、確かに。


 OJI-ZOO。

 おーじ ズー、か。一文字、隠れていたんだ。 



 納得したところで彼女に、邪魔したことを謝って、棚の前から離れる。


 山の本を借りそびれたことに気付いたのは、家に帰ってからだった。

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