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ちっぽけな俺

 妃沙羅(きさら)と別れて十日後。

 俺はまだ……頭を上げられずにいた。


「なあ、皓貴。これって、お前?」

 そう言って、竜星(りゅうせい)がスマホを差しだしてきたのは、俺を含めて五人のバンドの仲間のうち、三人で飲みに行った夜のことだった。

 画面には、妃沙羅のSNSページが開かれていて。『今日は、カレシと勉強会』なんて言葉が、ハートマークと並んでいた。スタンプされている日付は……三日前。

「そんなわけねぇし。っていうかさ。俺と妃沙羅で何の勉強すんだよ?」

「だよなぁ」

 ふーん、カレシ、な。

 半月も経ってねぇぞ?

 ファミレスの修羅場から。


「竜星、見せんな。気分悪いわ」 

 威嚇する気分で睨みつけて、ビールのグラスをあおる。

「あ、悪い、悪い」

 ヘラヘラ笑いで誤魔化しながらスマホをテーブルに置いた竜星から、ビールを注いで貰う。

 瓶の尻から垂れた雫が、画面上に落ちる。


 あんな妃沙羅の近況を見せたスマホなんざ、壊れちまえ。


 なんてことを言うのは、竜星がかわいそうだから止めておこう。

 春休み前に、俺もついにスマホデビューして。その便利さの虜になりつつあった。 


 注がれたビールを半分ほど、一息に流し込んで。

「勉強熱心なカレシには、俺はなれなかったんだよ」

 勢いで自虐的な言葉が、こぼれ落ちる。

「鈴木さんって、将来設計とか、ガッツリ考えてそうだしなぁ」

 竜星の隣から話に寄ってきた雄人(ユージン)も、ワンゲル部だったりするから、妃沙羅のことはよく知っている。

 薄く笑っているヤツに、肩をすくめてみせる。

「ああ。だから、俺みたいに将来をマジメに考えて無いヤツは、苛つくんじゃね?」

 妃沙羅はキラキラした名前を裏切って、日本で一二を争うメジャーな名字だったことを思い出して。少しだけ勝った気分になる。

 絶対に“嶋田”って、俺の名字の方が、レアだし。



「女の方が、精神年齢高いって言うしな」

 宥めるような雄人の言葉に、竜星が

「皓貴、ガキだってさ」

 箸で俺を指してゲラゲラと笑う。

「うるさい。お前もガキだろうが」

 年下の彼女に振り回されてる竜星にだけは、言われたくない。



 その夜、自分の部屋に帰った俺は

 メッセージアプリとアドレス帳から妃沙羅の名前を消去した。

 SNSのフォローも、削除した。



 妃沙羅との縁をすっぱりと切って、俺は少し頭をあげられるようになったように思う。

 この世に女は妃沙羅だけじゃない。

 遅かれ早かれ、彼女とはこうなる未来が見えてたし。


 そう思いながら、いつものようにバイトとバンドと講義に毎日を送る。合間に就職活動の下準備を挟みつつ、相変わらず図書館にも通う。



「あ、予約されていた資料が入っていますね」

 今日の貸し出しカウンターには、相沢さんが座っていた。

 貸し出しカードをバーコードリーダーに読み取らせた彼女は、画面に現れたポップアップを見て席を立つ。

 三つほど予約を入れていたけど。どれが入ったかな?

 そんなことを考えながら相沢さんの姿を目で追う。奥の棚のまえで背伸びをするようにして本を取る姿が危なっかしくって、ひやひやする。


 俺ならきっと、楽勝で取ってやれるのにな。なんて、考えて。

 妙な気分になる。

 こんなこと、妃沙羅相手には、思ったことがないよな? 俺。 


「おまたせしました」

「あ。はい」

 戻ってきた彼女が微笑む。営業スマイルでしかないはずのその顔に、心臓が音を立てる。

 似たような修羅場を経験した仲間意識のようなものは、妃沙羅と別れて以来、相沢さんに対して抱いてはいたけど。

 あくまで“仲間”だったのに。


「去年ドラマ化されてから、この本のリクエストが増えていたんですよね。かなり待たれたでしょう?」

「正直、忘れていました」

 苦笑した俺に、相沢さんはもう一度『お待たせして申し訳ありません』と頭を下げて、バーコードを読み取る。

 他の本の貸し出し手続きをする彼女の手元を眺めながら、考える。

 予約を入れたのは、半年くらいまえ、だったっけ。うん。妃沙羅と別れる前だな。


 返却日の確認をして。

 差し出された本を受け取る時に、相沢さんと俺の指先同士が触れあった。

 触れた部分から見えない何かが、流れ込んできたような。気がした。



 今年も夏が来る。

 暑さしのぎと銘打って、図書館へと通うのは去年と同じだけど。

 違うのは一つ。

 働いている相沢さんを、チラリチラリと目で追う。


 本が積まれた重そうなカートを押している姿とか。

 高い棚へと本を戻すため、背伸びしたところとか。

 空調の効いた館内なのに、軍手を外して額の汗を拭う顔とか。


 相沢さんにとって一利用者でしかない俺は、意識すらされていないだろうことを逆手にとって、彼女をひそかに見守る。



「お前、それってストーカー……」

 雄人の部屋で飲んでいて、ついポロリと相沢さんのことを話したのは夏休みも終わりにさしかかる頃。

 『実家の親からくすねてきた』と、ウイスキーを出してきた雄人に勧められるままに、ソーダー割りを二杯ほど飲んで。

 俺の口は、自分でも驚くほど軽くなっていた。


 相沢さんとのアレコレを、怪しい呂律で話していて、雄人からストーカーだと突っ込まれた俺は、

「後を尾けたりしてねぇし。歳も知らねぇから、ストーカーじゃないっ」

 自分に課したけじめに胸を張る。

「いやいや。覗きは、立派に犯罪だって」

 確か軽犯罪法の……なんて言葉に、雄人も妃沙羅と同じ法学部だったことを思い出して、耳を塞ぐ。

「ってのは冗談として」

 笑いながらグラスを手に取った雄人をみて、俺もツマミのスティックチーズに手を伸ばす。

 フィルムを剥いて、爪の間に挟まったチーズの欠片をしゃぶりとっていると、

「話かけるとか、いっそのこと告白するとか。アクションは起こさないのか?」

 と尋ねられて。

 酒の酔いだけだなく、顔が火照る。


「話しかけたことがないわけじゃ……」

 ないけどさ。

「何を話したわけ?」

「えー、雑誌の記事のコピーを頼んだ」

「で?」

「『この書類に記入を』って言われて」

「ほー」

「ボールペンを借りて」

「まさか、私物?」

「うん。多分。エプロンの胸元に差してあった、コアラが付いたヤツ」

 何かの商品名がボディに書かれていたっけ。


「“彼女の温もりを感じながら俺は、書類に記入したのであった”」

 雄人が朗読口調で語るのを聞いて、感じたわけでもない彼女の体温が手の上で再現された気が……する。

「おい。マジかよ」

 立派にストーカーだぞ。

 そう言って小さく笑う雄人に、返す言葉もない。

 居心地の悪さをごまかして、グラスに口をつける。


 ウイスキー特有の薬臭い香りが、喉をやく。


「妃沙羅に振られたからさ」

 テーブルに顎を乗せて、愚痴めいたことを吐き出す。

「学生の妃沙羅から見てもガキくさい俺なんかがさ、社会人の彼女に釣り合うわけねぇし……」

「そこ? っていうか、そっち?」 

「うん? どっち?」

「いや、良いって。お前、酔ってるし」

 うん。否定はしない。


 炭酸の泡も消えたグラスを目の前において、ため息をつく。


「なあ、皓貴」

 しばらく黙っていた雄人の声に、夢うつつから立ち戻った錯覚を覚える。

「悪ぃ。一瞬、寝てたかも……」

「いや、いいけど」

 融けかけた氷を口に流し込む。奥歯で齧る。

 齧った音が、頭蓋骨に響く。


「彼女、紹介しようか?」

「雄人が?」

「学部の友達の、高校時代の後輩の彼女の友達がさ……」

「それ、限りなく他人じゃねぇ?」

「学部の友達同士なんて、鈴木さんとどこで繋がってるかわからないぞ?」

「そりゃあ、まあ?」

 その“限りなく他人”な女の子がライブで俺に興味を持ってくれたとかで。

 伝手を手繰りまくって、雄人に辿り着いたらしい



 『じゃあ、夏休み明けにでも予定を合わせて』なんて、約束が酔った勢いで成立してしまう。

 さらにその話が広がって。バンド仲間五人と相手の女の子の友達も誘っての合コンへと予定が変わってしまったせいで、実際に顔を合わせたのは、十月のとある金曜日の夜だった。



 俺に興味をもってくれた女の子に、悪感情なんてあるはずのない合コンだったけど。

 なんかこう……波長が合わない。話のテンポはズレるし、会話の脈絡はつかめないし。

 二時間ほどの飲み会がお開きになった時には、正直言って疲れ果てていて。会計をしながら、内心でホッとしてしまう。


「皓貴。いまいちダメだった感じ?」

 雄人と電車を待ちながら尋ねられて、苦笑いでごまかす。竜星たち三人は、二次会と称して次の店へと流れて行ったけど。俺たちは、翌日のバイトを理由にパスさせてもらっていた。

「悪ぃ。なんか、ちょっと……」

「気にするなって。限りなく他人だからさ。この先、会うこともないって」

「ああ、うん」  

 確かに。これで、来週も顔を会わせる相手だったら、ちょっとばっかし居心地が悪い。

 そういう意味では、学部の違った妃沙羅との別れも俺にとっては、気楽だったけど。間に挟まったような立ち位置の雄人には、気苦労をかけたのかもしれない。


「ゴメンな、雄人」

 と、電車に乗ろうとしている背中へと呟いた謝罪は、駅の喧騒に紛れてヤツには届かなかった。



 二人並んで吊革にぶら下がる。

 西隣との県境近くの駅から乗車した車内は、立って居るヤツがパラパラ程度の混み具合で。金曜日の夜としては、空いているほうだった。

 俺たちが乗った次の駅で、そんな車内の空気がザワリと動いた。


 さっちゃん、だ。

 織音籠が、五人揃って乗ってきた。


「うぉ。織音籠、でかっ」

 隣で雄人が、呟く。

 うん。確かにデカいよな。電車の戸口をくぐるようにして乗って来るヤツなんて、そうそう居ない。しかも、メンバー全員が、だし。



 呆れ半分の思いで、見慣れた叔父の長身を眺めていると、吊革四つ分ほどの距離から、さっちゃんがチラリとこっちに視線を流してきて。

 まともに目が合った俺に、目元を緩めるだけのささやかな笑みを寄こした。


 そして、さっちゃんは何事もなかったように、隣に立つドラムのYUKIの方へと向き直る。

 俺もさっちゃんたちから、目を逸らせて。鏡のように、車内の様子を映している夜の窓ガラスを眺める。


 偶然乗りあわせた乗客たちが醸し出す、街中に営巣してしまった野鳥でも見守るような微妙な雰囲気の中。

 乗ってきたドア付近にたむろしている織音籠とは逆側の戸口近くで、じゃれ合っているカップルが見えて。

 酔いと疲れに任せて、呪詛を吐き出す。

「くっそぉ。バカップルめ」

「やっかむなよ。皓貴」

 雄人の苦笑を含んだ声を聞きながら振り返って、人目も憚らずに女性を抱え込んでいるスーツ姿の男を睨む。 


 男の腕が、緩んで。

 軽く顔をしかめるようにして、女性から離れる。 

 残された女性は、相沢さんだった。 


 こんな所で男とイチャイチャする人だったなんて、信じられない。

 周りの迷惑を考えていないような行動に、恋心が冷める。


 彼女に覚えていたのは、仲間意識以上のなにかだったり……するもんか。



 それは、失恋を上書きするためだけの、苦しい言い訳だったのかもしれない。

 未練がましく彼女を見ていようとする自分の心を引き剝がして、さっきの男の行方を目で追う。

 ヤツが歩み寄った先には……織音籠。



 そのまま男は、ボーカルのJINに肩を抱かれるようにして、ひそひそ話をしている。

 そんな二人に、さっちゃんや他のメンバーが笑顔で話しかけているのが見えた。


 アイツ、織音籠の知り合い、かな? 

 スーツを着慣れている雰囲気からして、社会人だろうから。メンバーの誰かの息子……ではないはず。

 さっちゃんの結婚式に、織音籠は家族揃って来ていて。その席では、俺がダントツで最年長の“子供”だった。



 電車内なんて公共の場で、家族か仲間の風情で さっちゃんたちと話をしている男の姿に、イライラがこみ上げる

 さっちゃんは俺に気付いても。声なんかかけて来なかったのに。

 なんでお前は、そんなに仲良しなんだよ。


 俺はなぁ。

 織音籠の親戚なんだぞ。

 結婚式にも呼ばれるくらいの

 身内なんだぞ。



 苛つく光景から無理やりに剥がした視線が再び相沢さんへと向かってしまう。

 心配そうな顔で、男のことを見守っている彼女の姿に、さっきのじゃれ合っている二人の姿が重なって。 

 小柄な彼女と違和感なく釣り合っていた身長差。あの男、かなりチビだよな?


 思い至ったことを確認するために、さっちゃんたちへと目を向ける。

 そこにある姿は、やっぱり。さっちゃんと並んだ感じから推測すると……俺よりも十センチほどは低そうに思えた。


 なんで、あのチビ(アイツ)は。

 あそこにいて。

 なんで、俺は

 ここにいる?



 速度をおとした電車が、ホームに停まる。

 男は相沢さんを促して、電車を降りた。


 その時に相沢さんが、チラリと車内へと振り向いて。

 さっちゃんたちに会釈をした。


 そして、俺は気付いてもらえないまま。

 ドアが閉まって、窓の外で景色が後ろへと流れ始めた。


 

 うん。知ってる。分かってる。

 彼女にとって俺は、“よく来る図書館の利用者”って認識があるかすら微妙だって。


 でも、なんか……悔しい、なぁ。



 体の大きさでは、俺の方が目立つはずなのに。

 織音籠と相沢さん。

 俺が憧れている“人たち”に認識してもらえている相沢さんの彼氏と、その他大勢の扱いで車内に埋没している俺と。



 この違いは、なんだろう?

 どこから生まれてくるのだろう?

 年の差? 人生経験の差? 

 それとも、人間としての格? 



 この夜、俺は。

 自分が、とるにたりないちっぽけな存在だと


 思  い  知  っ  た。 

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