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俺のカノジョ

 金曜日の夕方。

 バイト先のコンビニで、ロッカーの扉に伸ばそうとした手を、尻ポケットの携帯が呼び止める



[皓、今度の日曜ね]

 俺にとって初めての彼女、法学部の鈴木 妃沙羅(きさら)からの電話は、いつも突然掛かってくる。

[映画に行かない?]

 同じワンダーフォーゲル部員の彼女とのデートは、部活動の合間に互いのバイトなんかの都合をつけて……なんだけど。

 そこには、やっぱり俺自身の予定ってヤツも有るわけで。


[出かけるなら、昼からかな?]

[えぇー。朝からは、ダメ?]

[うーん]

 図書館で借りてる本の、返却期限が……。


 ま、いいっか。

 土曜日の朝、バイトの前に返却ポストへ入れとけば。

 ここで揉めてたら、バイトに遅れる。



 『じゃあ、九時に駅ね』って、約束を交わして。切った電話はマナーモードにして、カバンの内ポケットへと落とし込む。ロッカーを開けて、カバンを放り込む。


 そろそろ、周りの連中のスマホ率が高くなってきて。俺自身も、次の買い替えはスマホにしようか、なんて考え始めてる。

 彼女にも、メッセージアプリを使えって、言われているし。


 ただなぁ。高いんだよなぁ。

 オヤジが買ってくれるわけ、ねぇし。

 貯めるとなると……イロイロ厳しい。



 厳しい財布状況を賄うために、図書館の存在は有難い。読みたい本が、無料(タダ)で読み放題。

 そんな考えもあって、五月に貸し出しカードを作って以来、図書館は身近な存在になっていた。


 国文学部に志望を決めたとき、自分でも『さっちゃんの真似か?』って思わなくもなかったけど、元々、本を読むことは好きだった。

 さすがに、“暇つぶし”に国語辞典を読む さっちゃんほどの変態じゃねぇけど。借りた本を返すついでに、次の本を借りる。そんなサイクルも、いつの間にか出来上がってて。


 特に夏休みに入ってからは、数年前から言われている“夏の節電”に協力しつつ、電気代も抑える目的で、暇な時間は図書館で過ごす。

 夏休みのレポートも片付くし、試験勉強もはかどる。


 良いこと尽くめ。



「で、さぁ。皓?」

「うん?」

 約束だった映画を観るために、東隣の市にあるシネコンまで足を伸ばした日曜日。

 地元のシネコンは系列が違うらしくって、妃沙羅の観たがった作品は、上映がなかった。

 ちょっと『面倒くせぇ』って、思わなくもなかったけど。そこそこ面白い話だったから、よしとするか。

 今度また、原作を読んでみるのもいいかも……と思う程度には。

 


「学園祭、ステージ出るの?」

 シネコンと隣接する商業施設で、昼食のスパゲッティをフォークに巻き取りながら、彼女が尋ねる。

「一応、その予定」

「今年も、織音籠(オリオンケージ)?」

「そりゃあ、な?」

「だよねえ。実質、最後の学園祭だし?」

「最後? 来年だってやるぜ?」

「ええ? まじ? 就活だってあるのに?」

 いや、確かに就活はあるけどさ。来年はまだ、三年生。学祭くらい楽しんだって、罰は当たんねぇと思うけどな。


 カルボナーラを口に運ぶ彼女から、軽く目を逸らして。サラダのトマトにフォークを突き刺す。

 ぷつりとした手応えと共に、種を含んだ中身が滲み出てきた。  



「いい加減に、しろよ」

 押し殺したような。でも、十分に怒りを感じさせる声が、右の方のテーブルから聞こえて、妃沙羅と顔を見合わせる。

 店内のざわめきが、トーンダウンする。

「お前の、そういうところ。マジで疲れる」

 男の声がたたみかける。

「なによ。そういうところって」

「ちょっとは遠慮とか、ないわけ? いっつも、言いたい放題でさ」

 痴話げんか、か。


 居心地悪い顔で、妃沙羅が薄い肩をすくめる。

 なんつぅか。場所、選べよって感じ。



 捨て台詞を残して、男が席を立つのが見えた。そのまま、乱暴に店のドアを押し開けて出て行く。

「まじかー」

 女に会計押し付けた、ってことだよな?

「何? 皓、何?」

「いやぁ、あれはねぇわ。男として、あれは無しだろ」

 店の注目のど真ん中に、女を置き去りにして、支払いまでって。

 男の風上にも、置けやしねぇわ。


 怖い物見たさ、に近い感覚で、男が立った辺りのテーブルを伺う。

 女三人、のグループは、違うだろうし。

 その隣か。


 って。

「相沢さんじゃん」

 思わず漏れた呟きを、妃沙羅に拾われた。

「知り合い?」

「うーんにゃぁ」 

 市立図書館でカードを作って貰った時の司書さんだけど。

 一方的に名前を知っている女性を、“知り合い”とは、言わねぇよなぁ。

「皓?」

「よく行く……店の店員さん?」

「はぁ?」

 なんとなく、事実とは微妙に違うことを答えてしまった微妙な返事から、微妙な俺の心持ちを感じとったように、妃沙羅の声に険が混じる。


「ほら、なんつぅか……。常連の逆?」

「何? それ?」

「『あ、またこの店員』って、思うことって、あるだろ?」

「あー、うん」

 無くもないけど、名前まで?

 って、不審げな顔の妃沙羅の後ろを、相沢さんが通り過ぎる。


 低い身長を大きく見せるかのように、昂然と顔をあげて。


 その顔に浮かぶ“負けん気”の色に

 俺は目を惹かれて。


 鼓動が一つ、大きく打つ間。

 妃沙羅の存在が、心から消えた。



 翌週の土曜日、図書館で見かけた相沢さんは、いつもと変わらず。と、言うほど、彼女のことを深く知っているわけじゃねぇけど。

 それでも俺は、心の奥でちょっとだけホッとして。

 フロアに膝をつくようにして、幼稚園児くらいの女の子とにこやかに話をしている相沢さんに背を向けて、小説の棚へと向かった。



 その年の学園祭も終えて、クリスマスを迎える頃。

 妃沙羅との間に、すきま風を感じるような気がしてきた。


 『いつまで、バンドを続けるの?』『来年の学祭かな?』

 そんな些細な会話が、きっかけだったと思う。 

 まだ演りたりない感のある俺に妃沙羅は、経済動向だの世界情勢だのの話題を振ってきて。現実へと目を向けるように、仕向けてくる。

 法学部の妃沙羅にとっては“押さえておくべきトレンド”で、“誰でも知っている“らしい話題は、俺には知らないことばかりで。

 とりあえずの会話を成り立たせるためだけに、図書館で新聞をまとめ読みしたりするけど。


 はっきり言って、興味も関心もない政治経済のニュースなんて、読んだ端からこぼれ落ちる。


 あー、面倒くせぇ。

 同じだけの文字を読むなら、この時間。

 読書にあてていたい。


 その読書、にしても。妃沙羅との価値観の違いがイライラを呼ぶ。

 好みのジャンルや作者が違うことぐらいなら、俺だって我慢する。

 でも、妃沙羅にとって、”読む価値のある“本っつうのが、直木賞か芥川賞をとった作品だけ。同じ作者でも、それ以外はハナカミ同然の屑らしい。

 そして、そんな紙屑を嬉々として読んでいる俺は、恐ろしく時間の無駄遣いをしているという。


 バンドも読書も。俺の人生は無駄ばかり。

 そんな空気が、妃沙羅の言葉の端々に感じられるのは、俺の被害妄想か? 



「ねぇ、皓」

「うん?」

 さて、今日のお題はなんだろうな。

 内心でため息をかみつぶして、グラスのビールで流し込む。  

 妃沙羅の“攻撃”は、春を迎えてさらに回数を増やしてきていた。


「来週の木曜日なんだけど」

「あー、悪い。その日は、バイト」

 午後の講義はとってなくって、貴重な稼ぎ日だ。邪魔をしないでほしい。

「夕方に、一時間。ダメ?」

「うーん。一時間で、何するわけ?」

「最近、通ってる学外セミナーなんだけど。一緒に行ってみない?」

「って、また。政治がどうとかってやつか?」

「うん。絶対に、勉強になるから。ね?」

 なんか……胡散臭ぇ。


「興味ねぇし、パス」

「また、そんなこと。やっておけば絶対に将来、得するって。就活のときとか有利だし」

 あ、これ。アウトなヤツだ。

「……うちの、祖父ちゃんにさ」

 ビールを一口。喉を潤す。

「絶対に得するっつう話には、絶対に乗るなって言われてんだよ」

 オフクロや さっちゃんを育てた祖父ちゃんからの、世代をこえた躾ってヤツな。


「なによ、それ」

「うん。うちの家訓だな。大概、詐欺師ってやつは、そうやって近づいてくるってよ」

 うぇ。怖っ。

 付き合って以来、最凶の怖さで妃沙羅に睨まれた。頤の細い彼女の表情が、魔女みたいで……呪われそう。


「だぁれが詐欺師ですって?」

「そんな言葉で人を誘うヤツが。“絶対に得”なら、自分だけでやれば?」

「私は、皓のことを思って……」

「うん。妃沙羅はそうかもしれねぇけどさ。妃沙羅を誘ったやつは?」

「……私が騙されてるって?」

「信じるかどうかは、妃沙羅の判断だろうけどさ。俺まで巻き込むなよ」

 得するも損するも。自分一人でやってろ。


「もういいっ」

 いきなり叫んで、妃沙羅が立ち上がる。

 おいおい。ファミリーレストランの店内で、なにやってるんだよ。

「皓のバカっ。ニートになって、のたれ死ねっ」

「勝手に人の将来、決めんな」

「あんたなんか、どうせまともに就活もできないくせに。私が、私が……」

 妃沙羅は声を詰まらせたかと思うと、カバンを掴んで泣きながら足早に店から出て行った。


 マジかよ。

 俺、晒しモンじゃねえか。


「こちら、ミックスセットになりまーす」

 気の抜けるような声が頭上から落ちてきて。

 エビフライとハンバーグを載せた鉄板が、目の前に置かれた。ジュウジュウと、美味そうな音を立てているんだけど。

 さっきの今で、コレを食っても。満足感は、半減だよなぁ。


「こちら、単品のドリアとサラダになりまーす」

 ため息をつきながらエビフライの頭を睨んでいるうちに、妃沙羅が頼んだドリアまで置かれて。

「ご注文は、以上でお揃いでしょーか?」

「あー、はい」

 俺の返事も待たずに、丸めた伝票が、テーブル上の筒へと差し込まれる。

 妃沙羅のヤツ。出て行くなら、食ってからいけ。


 店員も。

 空気読めよ。  


 八つ当たり気味に、カトラリー籠からフォークとナイフを探し出して。

 つけ合わせのニンジンに突き刺す。



 俺って、妃沙羅に振られたんだよなぁ?

 時間の問題とは思っていたけど。

 なんとなく。


 別れ話を切り出すのは、俺の方だと思っていた。


 そんなことを考えながら、しばらくニンジンとにらめっこをして。

 口へと押し込む。

 バターの風味に、なんだか視界が滲む気がする。


 鼻を啜りながら、ふと。半年程前に妃沙羅と行ったレストランで目にした男女の修羅場を思い出す。


 今の俺みたいに一人で店内に残された彼女(相沢さん)も、こんな気持ちだったのかな?

 切り分けたエビフライを、噛み締める。

 意図せず、小さく声が漏れた。


 泣いてなんかいねぇから。

 フライの衣が、口の中に刺さっただけだし。


 時間をかけて、自分の分は食べて。

 妃沙羅のドリアは……見なかったことに。



 二人分の会計を済ませて、重く感じるドアを押し開ける。

 外はいつの間にか、雨が降り始めていた。


 細かい雨に打たれながら、夜道を歩く。

 

 今はまだ、あの日の強気な相沢さんみたいには、頭を上げられねぇけど。


 でも、来週には

 俺だって。

 何事もなかったように、

 笑ってやる。

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