歩んできた道
雄人たちとの約束は、新年早々の連休で。
新年会らしき学生に交じって、西の県境に近い駅で待ち合わせる。
最初に来てたのが、竜星だった。
「早いじゃん。学生時代には、遅刻魔だったくせに」
二番目だった俺が茶化すと、
「チビがいるとさ、イロイロ段取りが狂うから。早めに動くクセがついたんだよ」
なんて、さらりと言われて。
「……さすが。オヤジの貫禄」
軽くダメージを受ける。
俺の次の電車でテッちんが来て。言いだしっぺの雄人が最後に現れた。
「なんか、この辺も変わったよな」
改札とは逆方向。ショッピングモールの方からやって来た雄人は手に、職場への土産らしき地元銘菓の紙袋をぶら下げていた。
その姿に感じた痛みは、雄人が遠くなったことの実感。
この夜、俺たちが向かった店は、学生時代によく使った居酒屋と同系列のチェーン店で。テッちんが昔、バイトをしていたとか。
「んじゃ、とりあえずビールか」
竜星がオシボリを使いながら、学生っぽい店員に注文をする。その後を
「俺、ウーロン茶」
テッちんの声が追いかける。
「は? テッちん?」
メンバーで断トツに酒が強かったのに……。
「どっか、悪いのか?」
尋ねた俺に、雄人が
「皓貴も、ビールでいいんだよな?」
注文の確認をしてくる。
お、忘れてた。俺も、ビール。ビール。
「で、テッちん?」
食い物なんかも、いくつか頼んで。店員がテーブルから離れるのを待ちかねて、改めて友人に答えを促す。
「いや、どこも悪くはないけどさ」
照れたような顔で笑ったテッちんが、俺の背後を指さす。
壁を背に座っていた俺は、何かと思いながら体を捻ると。
間近にあったのは
さっちゃんたちのポスター。
そういえば数年前から、織音籠がビールの宣伝に起用されてたっけ。
ビールの銘柄のロゴが斜めに走るポスターから、正面に座ったテッちんへと視線を戻す。
突き出しの松前漬けに、箸をつける。
「織音籠のJINがさ、声を守るために酒を飲まないって聞いたから……リスペクトっていうか……」
「それ、マジ?」
うん? 飲んでなかったか? いつぞや瑠璃と行った打ち上げでは。
「え? ビールの宣伝してるのに?」
俺の隣で、竜星も首を捻る。
「うーん。まあ、噂話のレベルだけどさ」
『俺の周囲では、知られた話かな?』って、軽く言っているテッちんは、さっちゃんたちと同じ世界で生きているんだって思い知る。
そして。その世界からドロップアウトしてしまった俺は、いじけたような胸の痛みを、松前漬けのカズノコと一緒に飲み込んだ。
まだ、卒業から十年も経ってないのに。
テッちんは独り、高い場所にいて。
俺は、下から見上げることしかできない。
竜星の子どもの写真を見せてもらったり、雄人が住む街の話を聞いたりしながら、杯を重ねる。
合間に、訊かれるままに瑠璃の事なんかも話したりして。
テーブルの上で数本残った焼き鳥が、すっかり冷めてしまった頃。
「なんか、こうしてるとさ。昔に返った気分だな」
しみじみと言いながら、竜星が雄人のお猪口に酒を注ぐ。
「昔、なんだよなぁ。あの頃は、ずっと同じ毎日が続いていくみたいに思ってたのにさ」
俺も焼酎のお湯割りを片手に、感傷的な事を言ってしまって。
「いや、皓貴は昔と変わってないだろ」
テッちんに笑われる。
「変わって……ないかな?」
尋ねた友人たちには、考える素振りも見せずに頷かれる。
俺のこの六年って……何?
「やっぱりさ、カノジョが若いと、老けないんだろ」
軽くヘコんだ俺に、雄人がフォローのつもりらしき事を言ってはくれたけど。
「竜星のところだって、若いじゃん?」
瑠璃とそんなに年は変わらなかったはず。
「いや、所帯を持つと違ってくるぞ?」
竜星が焼き鳥を片手に、眉をひそめる。
「すっかり“ママの顔”っての? 貫禄がつくんだよな。さっき皓貴が言ったみたいに」
「俺? 言った?」
「ほら、駅で待ち合わせた時」
あー。うん。言ったかも。竜星に貫禄が出てきたって。
「女性は、精神的な成長が早いっていうから」
そう言った雄人によると、女性は七歳ごとに一つ、精神年齢の階層をあがるって説もあるらしい。
ってことは。現在の瑠璃は、第四階層、か。
「じゃあ、男は何歳ごと?」
「八歳ってさ」
うん?
「俺たちって……」
「四つ目の階層だな」
「うぉー。マジ?」
瑠璃と同じじゃん。
雄人と俺のやりとりを聞いていたテッちんは、すっかり氷の溶けたウーロン茶に口をつけながら
「まあまあ。若さは金では買えないし」
なんて言って、笑いに目を細める。
そして細めた目で、俺の後ろにあるポスターの辺りを眺めたと思うと、一息にグラスを空けた。
『また、吞もうな』『結婚するときには、招待しろよ』なんて言葉を交わして、駅前で友人たちと別れる。
雄人は駅前のビジネスホテルに泊まり、テッちんは近くに住む恋人の部屋へ。竜星はバスで帰るとか。
独り電車に揺られているうちに、今日のやり取りがとりとめなく脳内で再生される。
一家の大黒柱として、家族を支えている竜星。
夢の実現のために、一歩一歩進んでいるテッちん。
責任ある仕事を任されて、充実した生活をしてる雄人。
みんな、それぞれの道を生きている。
あんなに気が合った仲間だけど。
この先、あの頃みたいに、
道が重なることはないだろう。
寂しさを噛み締め、眺めた窓。
ガラスに映った自分の顔が、彼らに比べて、随分と情けない表情をしているように思えたのは。
俺だけが、学生時代から成長していないせいだろうか。
そうして、今年も年度末がやってくる。
春休みも当然、瑠璃は仕事で。
俺の方も、薬価改定で忙しくなる年だった。
それでも、ささやかにデートの時間を作って。
三月末のこの日は、市内でお花見に出かけた。
「やっぱり、名所には負けるよなぁ」
瑠璃と数年前に出かけた城址公園に比べれば、本数も枝ぶりも淋しい感じは否めなくて。
残念な気持ちが、愚痴になる。
「三分咲きって、ネットには書いてあったから、ちょっと早過ぎたかなぁ」
「来週にできれば、良かったな」
休日出勤さえなければ……って、言っても仕方の無いことを口にした俺に、瑠璃は
「でも、こんなのんびりした感じも良くない? ほら、こんな近くに……」
足元で名も知らぬ小鳥が何やら啄んでいるのを指さす。
俺の顔を覗き込むようにして、笑う。
「これは、なんて鳥?」
体の割に長いオレンジ色の足で、危なっかしく歩いている。
大丈夫か? その足。折れるんじゃねぇ?
「さあ? 何だろうね」
興味深げにしゃがみ込んだ瑠璃から、小鳥はヒョロヒョロと離れていく。
「あーあ、行っちゃった」
「鳥、好きだよな。瑠璃って」
小鳥が潜り込んで行った茂みを眺めながら、立ち上がった瑠璃は、
「ママが言うには、ヨチヨチ歩きの頃から、公園で鳥を追っかけていたって」
カラスに手を差し出して、『おいでー』って、やっていたらしい。
「カラスはダメだろ? カラスは」
下手したら、反撃をくらいそうだ。
「さすがにカラスの時は、止めたって」
「他は、やりたい放題?」
「まぁ、相手にされてないけど」
手乗りの鳥に憧れていた彼女にとって、お祖父ちゃんの住む神戸にある鳥類動物園は、夢の国だとか。
「家で飼ったりは、しなかったのか?」
インコでも文鳥でも、慣らせば手に乗るだろうに。
「うちはほら、JINさんが遊びにくるから」
「アレルギーとか?」
「喉に良くないかもしれないからって」
「へぇ」
そういえば、さっちゃんの家にもペットはいない。
マンションのせいかと思ってたけど。
「喉を傷めたら……っていうのは、切実だよな」
「うん。歌えなくなったJINさんは、二度と見たくないって。パパが」
さっちゃんが結婚した頃。
JINが喉を潰して、織音籠は活動を休止していた。
「神戸の祖母は『犬も猫も好きやったのに』って、言ってたけど。パパは『JINの声の方が大事やから』って」
「そういえば、JINは酒も飲まないって聞いたけど?」
「うん。だから、打ち上げには必ずウーロン茶が用意してあるみたい」
年明けにテッちんが言ってたことは、どうやら本当らしい。
全体に淋しい咲き具合の公園でも、日当たりによっては見頃と言えなくもない木もあって。
駅前で買ってきた昼メシをどこで食べようかと相談していた俺たちに、
「るるちゃん?」
声を掛けてきた男がいた。
「あれ? ハルくんとショータくん」
もう、びっくりしたじゃない、とか言いながら、瑠璃が声を立てて笑う。
声を掛けてきた男だけじゃなくって、その連れも知り合いらしいけど。
「るるちゃん。コレがアキラの……?」
『知り合いか?』って俺が口を開くより先に、さっき声を掛けてきたのとは違う方の男が、瑠璃に尋ねる。
どうやら“るるちゃん”なんて愛称で呼ぶほどの仲らしいって事だけは、俺にも判った。
……って。
アキラ?
暁?
「そうよ。暁くんの従兄で、コォさん」
やっぱり。
さっちゃんの息子の、暁のことか。
「暁も知ってるって、どんな繋がりなわけ?」
瑠璃と同年代に見える二人と、高校生の暁の接点が見えねぇ。
「あのね。コォさんと出会った結婚式に来ていた子たちなの。左がハルくんで、右がショータくん」
最初に声を掛けてきたヤンチャそうな方がショータで、暁の名前を出してきた大人しそうな方がハルだな。
瑠璃と出会った結婚式ってことは、つまり。
織音籠の家族か。
「俺たちは暁を、生まれる前から知ってる」
「パパの友達の子供やから。みんな」
瑠璃が言い足すまでもなく、ハルの言葉に納得。
「あー、なるほど。確かに、暁が生まれた時から知っていてもおかしくないな」
従姉弟みたいに育ったって、言ってたしな。
「従兄っていうわりには、似てなくねぇ?」
俺たちのやり取りを黙って聞いていたショータが、自分の顎を抓むようにしながら独り言のように呟く。
その口調に含まれる何かに少しムッとはしたものの、俺と変わらない身長の彼を、気持ちだけは見下ろして。
「暁に似てると言われたことは、ないな」
とりあえず、否定はしない。
否定しなかった俺の言葉に
「いや、似てなくもないんじゃないか?」
首をかしげたハルが、俺の顔をじっと見つめる。
「暁よりは……千晴に、だけど」
「は?」
さっちゃんの次女に似ていると言われて、これはこれで反応に困る。
「ハルくん。千晴ちゃんとコォさんって、歳が離れすぎじゃない。性別も違うし」
瑠璃が言うように、千晴はまだ小学生。
親子って言っても問題は無い程度に、俺とは歳が離れてる。
「うん。でも、千晴が一番、お父さん似じゃない? あの兄妹では」
「うーん……」
「千晴たちから見て、父方の従兄だろ?」
「そうだけど。なんか……うーん」
『素直には頷けない』とか言いながら、唸る瑠璃。
「まあ、従兄弟だからって、似てるとは限らねぇだろうけど」
小さく肩を竦めたショータに。
「お、納得したのか?」
ハルがクスクス笑いながら、その背中を叩く。
「従兄弟が居ないショータも、一つ勉強になったな」
「偉そうに。ハルだって、居ねぇじゃねぇかよ」
「中学校の同級生に、従兄弟同士ってやつが二組ほどいたからな」
「え? マジ?」
従兄弟同士が似るかどうかについて、真剣に話し合っているハルたちは、放っておいて。
「瑠璃、ショータたちとは同い年?」
ちょっと気になったのは。
いつぞや見かけた、瑠璃と一緒に歩いていた男が、ショータだったような気がするから。
「ハルくんは妹と同じ年だけど学年が一つ下で、ショータくんはもう一つ下かな? ついでに言えば、ハルくんのお姉さんのメイちゃんが、私より一つ上」
「メイちゃん?」
「ほら、さっき話した結婚式の時に、コォさんから一緒にゼリーを貰った子」
ああいつだったか、そんなことを話していたっけ。
俺は、どんな子だったか覚えてねぇけど。
『ショータと道を歩いていなかったか?』って、いまさら瑠璃に訊くのは、かっこ悪いよなぁ?
それこそ、『ガキの頃から、何度でも』みたいな答えの返って来るのが、オチだろうし。
そんなことを考えて、訊けずにいるうちに、
「で、ハルくん達は、こんな所で何をしてるの?」
『まさか、ナンパとか……』って言いながら、瑠璃が先生ぶった顔で二人を睨む。ショータが慌てたように、顔の前で手を振る。
「ナンパなんかじゃねぇよ」
「いや、近いかも?」
「おい、ハルっ」
話をややこしくするな、と、ショータがハルの口を塞ぐ。
「ショータくん? 場合によっては、アヤさんたちに言うからね」
「だから、違うって。おふくろに告げ口なんかすんじゃねぇ」
ショータの母親が、“アヤさん”かな。
「じゃあ、うちの両親に……」
「それって、お父さん経由のルートが増えただけじゃ……?」
ハルが二人の会話に口を挟む
瑠璃の話す相手がパパだろうが、ママだろうが、結局はハルたちの親には伝わるってことらしい。
なるほど。『織音籠のメンバーは家族ぐるみの付き合いだから』ってのは、伊達じゃないらしい。
「とりあえず、大学の友達と遊ぶ約束をしてるだけだから。変な勘ぐりは、するなってば」
「本当かなぁ? ハルくんとは違う大学なのに?」
「共通の友達ってのが、いるから」
そりゃまあ、居てもおかしくはないだろうな。
自分自身の学生時代を思い出しながら、黙ってやり取りを聞いているうちに、ショータの機嫌がナナメに傾いできたのがなんとなく感じられる。
「だから、もう。るるちゃん、いい加減にしろって」
ショータの声に、イラつきが混じる。
「俺も言ってやるからな。『るるちゃんが、男と手を繋いでましたー』って」
まぁ、普通で考えれば。あのYUKIなら怒り狂いそうだよな。
どこの馬の骨と……って。
「言えば? コォさんと付き合っていることは、親も知ってるもーん」
瑠璃が、勝ち誇ったように胸を張る。
これは、瑠璃が勝つな。時間の問題で。
なんて、高見の見物をしていた俺は
「コォさん、うちの父親と吞んだこともあるし。ね? コォさん?」
いきなり話を振られた。
「マジで? るるちゃんの“あのパパ”と?」
ショータが、マジで驚いたらしい声と伴に、俺を見る。
一緒に吞みに行った。と、取れなくも無い瑠璃の言葉に、
「ああ、まあな」
若干の後ろめたさのようなものを抱えつつ頷く。
とりあえず。俺も保護者つきだったってのは……内緒にしておこう。
って、思っていたけど。
「コォさんの叔父さんや、ショータくんのお父さんたちも一緒やったから、みーんなが知ってるの」
あっさりと瑠璃に、ばらされて。
「あー、うちのお父さんですら、言ってたし……。『瑠璃が暁の従兄と一緒に来てたぞ』って」
ハルにまで、肯定されてしまった。
「なあ、ハル。コレって、いわゆる結婚を前提にって、やつか?」
ショータに訊かれたハルが、慰めるような顔で頷いて。
「そりゃあな。親どころか、周りの小父さん連中まで、認めてる訳だし」
芝居がかった身振りでショータの背を叩く。その答えにため息をついたショータは、
「そうかぁ。るるちゃん、そんな歳だもんなぁ」
大げさに天を仰いで。
目の合った俺に戯けた顔で笑いかけてきた。
ここ、笑うところか?
反応に困っている俺の隣で
「何? その言い方はっ」
本気では無い顔で怒って見せた瑠璃が、拳を振り上げて。
ショータはそんな瑠璃を見て、今度はケラケラ笑う。ハルの後ろに身を隠す。
『今泣いたカラスが、~~』で、ショータの機嫌は、一瞬で治ったらしい。
こいつはどうやら、“面白そうなこと”があれば即、ご機嫌って感じだな。
そして、口の軽いハルのオヤジさんが誰かってことは、ともかくとして。
夏のあの夜。俺たちは、ライブの打ち上げに参加させてもらったわけだから、織音籠のメンバー全員に知られていることには、違いない。
それを”周囲も公認のプレ婚約者”みたいに言われるのは、どうかと思うけど。
「まあまあ、落ち着けって」
俺も冗談として流すことにして、振りあげられた彼女の腕を軽く握る。
「だって、コォさん。そんな歳って。そんな歳だって」
「歳、歳って連呼されると、この場の最年長としては、居たたまれないんだけどさ」
「あ……」
自虐的に笑って見せた俺に、ショータが
「そういえば。コーさんって、歳幾つ?」
微妙な発音で呼びやがった。
それは”降参”に聞こえるぞ?
「こ……二十九」
『今度の誕生日で三十』って、普段している答えを飲み込んだのは。
二十代であることを、ことさらに強調してしまったのは。
二十歳を超えたかどうかの彼らに、
思う所があったのかもしれない。
それは多分。
自分でも自覚してなかった
引 け 目 の
ようなもの。




