新成人
恋人として迎えた初めてのクリスマスは当然、織音籠のコンサートで。
チケットをYUKIに融通してもらった関係か、終わって早々に、さっちゃんから『寄り道せずに、まっすぐ帰れよ』なんてメッセージが、スマホに届く。
瑠璃の方も、パパから同じような内容で釘を刺されて。
「パパったら、また子供扱いするんだから」
「仕方ないだろ? 未成年だし」
拗ねる瑠璃をなだめながら、少し残念な気分にもなる。
クリスマスなんだからさ。
少しくらい、羽目を外しても罰はあたらねぇと思うんだけど。
「じゃあ、コォさん。来月の成人式が終わったら、大人よね?」
俺が心の中に呟いた恨みごとが聞こえたような瑠璃の誘導に、
「そりゃ、まあ……って」
危うく頷きそうになって。
「月末だろうが、誕生日」
慌てて、互いを引き止める。
「誤差やないですか」
「……」
「成人式の日なら……遅くなってもいいよね? コォさん」
当日はママから譲ってもらった振り袖を着るって話は、さっき聞いた。晴れ着姿の瑠璃を見たい欲は、正直に言って……ある。
あるけど。
「その日は俺、休日出勤。ゴメン」
「あ……そっか。その代休やったのよね? 今夜は」
「うん、まあ」
年末のくそ忙しい時ではあるけど。
週明けには、正月休み分のまとめ買い発注が来るだろうから、その辺りよりはマシって、許してもらえた半休だった。
「それにさ、同窓会があったりするだろ? 成人式の後って」
「それは、パスしてもいいかな……って」
「ドタキャン?」
訊ねた俺から、微妙に目を逸らす瑠璃。
「こら。先約は、ちゃんと守らなきゃ」
「コォさんとの約束のほうが、大事だもん」
「ダメ。それは。社会人としては、失格」
大人だっていうなら、ルールは守りなよ。
不服そうな顔に、落とし所を提案。
「そのかわり。誕生日に一番近いデートで、お酒を呑みに行こう」
「ホント? 本当に? コォさんっ」
分かりやすく、機嫌を直す。
「一番近く、だったら、直前でもいい? ね、いい?」
「仕方ないなぁ。パパには、ナイショだぞ?」
「大人の、や・く・そ・く、ね」
指切りをするように小指を立てた瑠璃に、思いも寄らない大人びた表情で、覗き込まれて。
心臓が、跳ねた。
この年の正月は、喪中で初詣は無しだし、新年の祝いも控えていて。祖母ちゃんの家に集まりはしたものの、することもない時間を、ビール片手に誕生日デートの行き先をスマホで検索して過ごす。
瑠璃が初めて酒を呑むなら。
チェーンの居酒屋では、なんか残念だし。かといって、気の張るような店もどうかと思う。
予算とアクセスと。そしてなによりも大事なのは、店の雰囲気。
「兄ちゃん、新年会?」
ヒョコッと大輝が画面を覗き込む。
「うーん、まあ……な」
「ここは、デート向けじゃない? 宴会には使いにくそう」
検索サイトのアイコンを指差す弟から離れようとして、画面に手が当たる。
開いていたタブが、ずらりと並んで。
「兄ちゃん、どれだけ必死?」
「いろいろ、条件を考えてたら、こうなっただけだろ」
慌てた素振りを見せないように気をつけながら、スリープモードにする。
「皓貴くん。外食なら、朔矢が詳しいかも」
オフクロを手伝って鍋物の支度をしていた知ちゃんが、野菜が盛られた大皿を座卓に置きながら、アドバイスしてくれた。
「さっちゃん?」
知ちゃんに訊きかえしたつもりだったけど。頭の上から返事が落ちてくる。
「さすがに鵜宮は守備範囲外。クリスマスコンサートの準備で行くだけの街で、わざわざ宴会なんかするかよ」
いや、宴会じゃないんだけど。
さっちゃん相手にデートって言ってしまうと、色々面倒くさいから。
オヤジの向かいに腰を下ろした さっちゃんには『あ、そ』と、軽い相槌で話を切り上げる。
仕方ない。帰ってから、ゆっくり探そう。
新年会じゃないんだから、予約も簡単だろうし。
「瑠璃、誕生日おめでとう」
一足早い誕生日のプレゼントは、アウトドア用品のメーカーがシリーズで出しているツールナイフ。
俺が学生時代から使い続けてきたのより一回り小振りな、女性向けのヤツを選んだ。
アクセサリーよりは、なんとなく。こっちの方が、瑠璃は喜びそうな気がして。
「あ、これ……密かに欲しかったんです」
よっし。当たり。
「コォさんが使ってるの、格好いいなぁて、思って見てて」
「俺、使ったっけ?」
春や秋のハイキングで、ちょっとしたオヤツなんかの口を開けるのに使っていたらしい。
「当たり前すぎて、意識してなかったな」
「仕事でも使うの?」
「まあ……ものによりけり」
商品にはさすがに刃物は使わないけど。郵便物の開封程度なら、キーホルダー替わりに持ち歩いているコレが、意外と役立つ。
「あ、そうそう。刃物のプレゼントは……」
傍らに置いたバッグから、財布が出てきて。
「貰った刃物で縁が切れないように、買い取ると良いって」
そんな言葉と一緒に、百円玉がテーブルに置かれる。
「形だけ、ね?」
「へぇ。それは、知らなかった」
「私も、昔、外国の小説で読んで。ちょっと、真似がしたかったの」
彼女が読んだ小説では、結婚記念日のプレゼントとして、主人公の女性から夫へペーパーナイフが贈られた、とか。
赤ワインのサングリアで乾杯して、彼女の成人を祝う食事が始まる。
「わぁ、本当に果物が入っている」
グラスに注いだあとテーブルに置かれたデキャンタには、オレンジやパイナップルなどの果物がゴロゴロと詰められて、その隙間を半分くらい残ったワインが満たしている。
それを見て歓声をあげる瑠璃を眺めつつ、俺はグラスに口をつける。
「若い方に、人気なんですよ」
ブルスケッタの皿をセッティングしていた女性店員が、微笑みながら話しかけてきた。
「ワインの渋みが苦手な方には、お勧めです」
「ワインって、渋いんですか?」
「そこが良いとも、いわれますが。若い方には……」
たしかに、ビールも飲み始めた頃は苦いだけだった。あの苦味が上手いと感じられるようになったのは……成人してからか。学園祭の打ち上げで、渇いたノドに染みたよなぁ。
『どうぞ、ごゆっくり』の言葉を残した店員が立ち去るのを待って、ダイストマトが乗ったブルスケッタに手を伸ばす。
どこから囓ってやろうか……なんて考えていて。
「このお店、友達のSNSに載ってて。実は気になってたの」
嬉しそうな瑠璃の声に、テーブルの下で小さくガッツポーズをする。
この日のデートに選んだのは、去年の夏にオープンしたという地中海風バル。
会社の忘年会で話題になっていたな、って思い出したのが、祖母ちゃんの家からの帰り道でだった。
「他にも気になる店があったら、教えて。次は、バレンタインデーにでも行こう」
そうか。悩んでないで、瑠璃に訊けば良かったんだ。
少しぱかり年上だからって、大人ぶる必要はないのかもしれない。
女子の情報収集能力は馬鹿にできないって、学生時代にも分かっていたのに。
でも。
調べる過程が、楽しかったのも。
否定はしないけど。
次に運ばれてきたキノコのアヒージョは、塩加減が酒を呼ぶ。添えられたバケットに乗せたら……辛口の赤ワインが、呑みたくなるな。
「ちょっと……辛い、かも。コォさん、平気?」
「唐辛子か?」
所々に見える輪切りの赤唐辛子でも、噛んだな。
「塩っ辛い。結構、味が濃いいよね?」
「そうか?」
うーん。酒のつまみには、これくらいの味の方が……。
「瑠璃の家は、薄味、か」
「そうなのかな?」
「だって、パパが関西の人だろ?」
「でも、ママはこっちの出身よ? パパも仕事柄、普通に外食とかしてるし。私も、普段の食事ではそんなに気にしたことないけど?」
別に、うちのごはん、普通だと思うんやけど……と呟いた瑠璃の口へ、マッシュルームが運ばれて。
「今度は、唐辛子っ」
小さく叫んで、サングリアを飲む。
酒には、そこそこ強いとみえる。
塩加減はともかく。
瑠璃の興味のままに選んだメニューは、どれもオリーブオイルとニンニクがたっぷり使われていた。
アヒージョを筆頭にして、ミネストローネもラタトゥイユも。
土曜日の夜で、良かった。って、真剣に思うほど。
サングリアのデキャンタが空になるころ。
パエリアが登場してきた。
「エビぃー」
有頭エビのヒゲをスプーンで突きながら、瑠璃がはしゃぐ。
「あの、黒い貝じゃないんだな」
パエリアっていったら、なんとなく。黒くて楕円の貝が口を開いているイメージがある。
ご飯が黄色いのは、イメージ通りだけど。エビの間から見え隠れしているのは、どう見てもアサリだ。
「コォさん。あの黒い貝って、おいしいの?」
「どうだろ? 俺も写真でしか見たことねぇからさ」
ちょっとだけ、楽しみだったけど。
無いものはしかたない。
「じゃぁ、また今度。ね?」
「そうだな」
他の店で、出会えるかな?
それこそ、さっちゃんに訊くか。
互いの皿に取り分けたパエリアは、さっきのエビとアサリの他に、細く切ったカラーピーマンも交ざっていて。
黄色と赤のコントラストが、食欲をそそる。
エビの頭を外し、アサリの殻を剥がし。
手を動かしながらの話題は、先日の成人式のこと。
「で、カッシーがね」
「うん」
早いよなぁ。瑠璃の友人たちに“パパの正体”を教えられてから、もうすぐで一年か。
「コォさんと、お泊まりデートはした? って訊いてきて」
なんつう、会話だ。女子大生。
ごはん粒が、気管に入りかけて咽せる。
「それで?」
あぁ。苦しかった。
お代わりに頼んでいた、白ワインで咽を宥める。
「前の列に座ってた男子たちが、同じ学校の子でね。私達の話が聞こえてたらしくって、騒ぎ始めて」
「そりゃぁ……騒ぐだろうな」
防弾ガラスに守られたパンダだからな。彼氏が出来たとなったら……。
「ちょうど、市長さんの話の最中だったから、係の人に叱られて」
「荒れる成人式の出来上がり、か」
「荒れるって……ちょっとだけよ? 騒いだのは」
「まぁ、ニュースには、なってなかったか」
ニュースになる騒ぎとは、レベルが違うだろうけど。さすが二十歳。若いよなぁ。
デザートまでしっかりと楽しんで。
瑠璃を家まで送るために、二人並んで電車に揺られる。
「暖かいから、眠くなっちゃう」
いつもよりも、ホワホワした瑠璃の声。
「瑠璃は、呑むと眠くなるタイプだな」
「コォさんは、眠くならないの?」
「どっちかといえば、ハイになる方」
元が暗い訳じゃないけど。やたらと、はしゃぎたくなる。
「今は? ハイになってる?」
「いや、まだこのくらいなら、全然」
「私より、呑んでたのにぃ」
瑠璃に呑ませたのは、サングリアだけだった。
ワインってヤツは、口当たりの割に意外と度数があるから、初めての彼女にはデキャンタの分だけしか呑ませなかった。そのかわり、俺は早めにグラスワインへと切り替えたから、瑠璃も食事の最後まで楽しむことはできたはずだけど。
トータルでいえば、グラスに一杯半ほど、俺の方が多かった。
「多いって言ったって、誤差だろ?」
「誤差じゃないぃ」
意外と、絡むなぁ。
「じゃあ、あれだ。体格差」
「ええー?」
「体重が五割増しくらい、俺の方が重いだろうからさ。飲めるアルコールの量も五割増しまでOK」
「本当に?」
「子供の薬の量って、体重で決まるらしいし」
ってのは、いつだったか仕事で聞きかじったことだけど。
「なんか……ずるい」
「ずるくない、ずるくない」
膨れる瑠璃の顔を、覗き込んで。
酔いに潤んだ瞳に、俺の視線が彷徨う。
その顔の方が、狡いだろ。
咳払いで動揺を誤魔化して。正面に向き直る。
向かい合った十人掛けの座席に三々五々と座っている他の乗客を眺めるふりをしていると、『お泊まりデート、した? って訊かれて……』と、さっきの店での会話が脳裏に蘇る。
横目でこっそりと瑠璃を盗み見る。
お泊まりデート、なあ。
したいぜ? 俺だって。
だからと言って。はい、今夜ってわけにもいかねぇしさ。
なによりも、あれだけ釘を刺してくるYUKIの存在が、重い。
どうしたものか……と、下心含みの悩みを知らず。瑠璃が左隣でウツラウツラと舟を漕ぎはじめる。
不安定な姿勢を安定させるため、左手で頭を抱くようにして俺の方へともたれかけさせて。
艶やかな黒髪の、潤いを感じさせる手触りに、おもわずハーフアップの裾の方。肩口にこぼれる髪を弄ぶ。
指の間からしなるように落ちていく、持ち重りのする髪は、パーマもカラーリングもしたことがないと聞いたことがある。
健康そのもの、って髪だよなぁ。
なんだよ、この手触り。
去年、花見の最中に触れた時には、こんなに惹かれなかったのに。
一晩中この髪から、手を離したくない。
他の誰にも、この髪を触れさせたくない。
飽きることなく、掬っては落とし、梳いては捩る。
触れるにつれて、欲が高まる。
このまま、うっかり……って、ウチに連れて帰りたいなぁ。
浅ましい欲に振り回されそうになっていると、何かを感じたのか、瑠璃が身動ぎをした。
「ん……」
慌てて髪から離した手の、置き場に瞬間、迷って。
触れたかどうか。
紙一重の緊張を含ませ、そっと肩に載せる。
「今、どこ?」
起きてしまった瑠璃が、真っ暗な窓の外を見ようと体を捩るのに合わせて、手を引っ込める。
「次の次が、降りる駅だな」
「やだ。けっこう寝てた? 私」
「降りる前に起きたんだから、いいんじゃねぇの」
「でも……恥ずかしいなぁ」
電車で寝るなんて……って言いながら、前髪を手櫛で直して。
軽く俯いた瑠璃は、肩口の髪を指先に巻き付けては手を離し……を繰り返す。
弾けたゼンマイのように勢いよく、解けた髪が肩口へと落ちていくのを見ていると、さっきまで確かに手の中にあった感触が蘇る。
もう一度、触れたい。
あの、弾むような髪の手触りを。
もう一度……この手に。
とは、いっても。
意味も無く、人の髪に触れるわけにもいかず。
チラリと、オヤジたちの仕事が羨ましくなる。
俺も美容師だったら。
彼女の髪に触れる理由が、掴めるだろうに。
例えば、複雑な編みこみをしてやるとか。
例えば、みだれ髪を結い直してやるとか。
例えば
濡れた髪を
乾かしてやるとか。
って。俺は、何を考えてる。
濡れた髪なんて、どういうシチュエーションだよ。
お泊まりデート……。いやいやいや。
違うから。
らちもない考えに浸っているうちに、降りる駅が近づいて。
いつものデートと同じく、瑠璃に前を歩かせてプラットフォームへと降りる。
吹き抜ける冬の風に小さく震えた瑠璃が、ダウンジャケットの襟元を掻き合わせる。
「やっぱり、冷えるな」
「明後日は、雪だって」
「雪かぁ」
路面の状態によっては、仕事がなぁ。
明後日の天気は、ともかく。
星のキレイな夜だった。
頭上に瞬くオリオン座が近い将来、超新星爆発を起こすらしい、なんて話をしながら、人気の途絶えた夜道を歩く。
押しボタン信号が変わるのを待ちながら、イタズラのように彼女の髪にキスをする。
「コォさんっ」
裏返った声で俺を呼んだ瑠璃が、旋毛を両手で押さえる。
「ほら、渡るぞ。青になった」
しれっと促して、その背中を軽く押す。
「もうっ、コォさんってば」
車が来るわけでもない横断歩道を渡りながら、瑠璃は『狡い』『コォさんってば』の二言を繰り返す。
「何が、狡いって?」
渡った先の曲がり角。
立ち止まった歯科医院の前、看板を照らす灯りの下で覗き見た彼女は、夜目にも判るほど紅い顔をして。
「子供扱いなのに、大人なんだもん」
「は?」
「キスをしてくれるくらい大人だって、思ってる? 私のこと」
「当たり前だろ」
キス以上に触れたい。ってのは、言えねぇけど。
「なのに……大人のキスは、してくれないの?」
『狡い』と、また呟く、
「あのな。瑠璃」
「……」
「さっき、俺たち何を食った?」
「パエリアと……」
指折りながら、今夜のメニューが挙げられる。
「ニンニクがさ、気になるわけ。俺は」
「あ……」
俺の躊躇に気づいた瑠璃が、慌てて両手で口元を押さえる
「瑠璃にとっての初めてのキスだから、やっぱりさ。『なんだかなぁ……』ってヤツには、したくねぇし」
俺のファーストキスなんて、記憶の彼方だけど。
二十歳の女の子には、特別だろうし。
「じゃあ、来週からの後期試験が終わったら……」
聞き逃しそうな声を、辛うじて拾う。
「少し遅めのバレンタインだな」
「付き合って一年の……だから……」
「あ、そうなるな。また、スケートにでも、行こうか?」
軽い調子でうった相槌に、垂れ目が睨む。
「夜、デートしてださい。それで、その……」
言い淀む瑠璃が、俺の顔を見上げては、目を逸らす。
なんとなく、言いたいことが。
判 っ て し ま っ た。
暴走しそうな送り狼を、必死で繋ぎ止めて。
「じゃあ、その時には大人の……キスな?」
間抜けな最終確認をした俺に、瑠璃は。
「キスだけじゃ、いや。本当の、大人の恋人にして」
互いの身長差を埋めるように背伸びをして。
俺の口元に、ぶつかるような
キスを
した。




