プロローグ
大陸の北、魔の山の山頂に魔王城はあった。
切り立った崖の上にある城は禍々しい瘴気を放っている。
アタシたち勇者一行の四人は、モンスターの血が飛び散った廊下にいた。
目の前には黒くて巨大な扉。
勇者の隼人が扉に手をかける。
「いくよ、準備はいいかい?」
「任せろ!」「うん、頑張ろうね」「ようやくこれで最後かぁ」
隼人が扉を開けて先陣を切る。
続いて戦士の猛流、聖女のアタシ《彩音》、魔導士の賢助が続いた。
黒い石を積み上げて作られた壁や柱が、陰惨な雰囲気を漂わせている玉座の間。
正面の壇上にある玉座には、ふてぶてしい態度で足を組んだ魔王が頬杖をついて座っていた。
「よくきたな、勇者ども。我輩の部下をすべて退けたこと、褒めてやろう。まさか異界から呼ばれた勇者がこれほどまでだったとはな」
隼人が光の剣を抜きながらゆっくりと歩く。
「ごたくはいいです。僕たちは一日も早く向こうに帰りたいだけなので。さっさとやりましょう」
「ふん。面白みのない奴だ。我輩の前にひれ伏すがよいわ!」
魔王が黒マントをばさばさと広げて立ち上がった。
その圧倒的な迫力に、思わずアタシは息をのむ。
けれども隼人と猛流は勇敢に立ち向かった。
横では賢助が呪文の詠唱を始める。
アタシは唯一使える回復をいつでも唱えられるよう集中し、手は腰のベルトに差した各種ポーション類に伸ばしていた。すぐ投げられるように。
◇ ◇ ◇
長い戦闘の果てに玉座の間は半壊していた。黒い柱が何本も折れている。
壁や天井に至っては、崩れて外の景色が見えていた。
「これで最後です! てやぁぁぁ!」
隼人が剣をかつてない激しさで輝かせながら振り下ろした。
魔王を頭から腰まで真っ二つにする。
「ぐわぁぁぁ! ば、バカな! 我輩が――この我輩が……っ!」
断末魔の叫びを上げつつ魔王は倒れた。
戦士の猛流が荒い息をしながら近づいて、槍の先で魔王を突っつく。
「……倒したな。――おい、賢助!」
「わ、わかってるよ!」
賢助が魔導士のローブをバタバタとはためかせて駆け寄った。
腰に下げた小袋から手のひらに収まる小さな黒い球を取り出す。
――【時翔のオーブ】
アタシたちを呼び出した魔道具。そして日本に帰るための唯一の方法だった。
魔王の死体にかざすと、禍々しいオーラが玉へと吸い込まれていく。
アタシは、肩で荒い息をする隼人へ近づく。
「隼人、やったね」
「彩音がいてくれたおかげだよ」
そう言うと白い歯を見せて爽やかに笑った。
しかし猛流が鼻で笑う。
「彩音はなんにもしてねーよ。最後までヒールしか使えないんだからな。ずっとお荷物だった」
「しょーがないでしょ! ダンス一筋に生きてきたアタシに魔法なんて覚えられるわけないじゃん!」
「また逆切れかよ。役立たずじゃねーか」
猛流がますますバカにした声で吐き捨てた。
すると隼人がアタシの髪を優しく撫でる。
「そんなことないよ。彩音は何もしなくていい。いてくれるだけで役に立つんだよ」
「ありがとう、隼人。あなたって優しい。ほんとの勇者さまね」
アタシは思わず隼人に寄り添った。背の高い彼の胸に頭を乗せる。
爽やかな男性の匂いに胸がときめいた。
――と。
魔王の死体の傍にかがみこんでいた賢助が焦りながら言う。
「えっ、ちょっと待って! 足りない!」
アタシは首をかしげつつ、賢助に近寄る。
「どうしたの?」
「時翔のオーブに魔力が足りない。これじゃゲートが開けない!」
「え……それじゃ、魔王を倒したのに帰れないってこと!? なんとかしてよ!」
「無理だよ! 一番大きな魔力を持つ魔王の力を全部吸い取っても足りなかったんだ! 他に方法なんて――ッ!」
「アタシ、こんな世界いやよ! 向こうに帰ってダンス頑張って、絶対、振付師になるんだから!」
その時だった。
アタシの背後からひどく優しい声が聞こえた。
「さあ、役に立つ時がきたよ、彩音」
「え?」
振り返る間もなく、背中に衝撃が走った。
異様な熱さが背中を貫く。
思わず前のめりにたたらを踏んだ。
肩越しに振り返ると、隼人が涼しい笑みを浮かべて剣を振り下ろしていた。光る刀身に真っ赤な血がこびりついて、ポタポタと床にしずくをたらしている。
「え……なん、で……」
隼人に切られたとわかったとたん、背中の熱がすべて痛みに変わった。
彼がゆっくり近づいてくるので、自然と一歩、二歩と後ろに下がる。
「言っただろう? 彩音は傍にいてくれるだけで役に立つんだって」
あくまで微笑みを崩さない隼人。
ふと見ると、アタシから漏れる魔力が賢助の持つオーブに吸い込まれていく。
輝きが強くなっていく。
「ふ、増えてるよ! すごい魔力量……もうあと10%ぐらい!」
賢助が驚きと怖れの交じった声を上げた。
その瞬間、わかってしまった。役立たずのアタシを異常なほど守ってくれた理由が。
痛みにあえぎつつ隼人を睨む。
「騙したのね……今までずっと!」
「騙してないよ、ずっと大切にしてきただろ? 予備の魔力電池としてさ。君には本当の役目を言ってなかったかもしれないけど」
アタシは頭に血が上るのを感じた。頭が背中以上に熱くなり、自分の歯ぎしりが耳にギリギリと響く。
「……せない――許せない……っ!」
隼人が少し困り顔で、肩をすくめた。
「別に君が許そうと許すまいと、知ったことじゃないよ。僕はね、どうしても日本に帰りたいんだ」
「はやとぉ――っ!」
憎しみを込めて叫ぶと同時に、隼人が笑いながら切りかかってきた。
アタシはよろけながらも素早く逃げ出す。
――ダンスで鍛えた体は伊達じゃないのよっ!
しかし床の上は崩れた柱や天井のがれきがいっぱいで動きづらかった。
しかも玉座の間の入り口は隼人たちがいて逃げられない。
あるとすれば、玉座の間の奥に続く扉。
――出られるかわからないけど、そっちに逃げるしかない!
アタシは背中の痛みをこらえつつ、崩れた壁へと走った。
――が。
後ろに気配。
とっさに横へ飛んだ。
隼人の剣がきらめきながら通り過ぎる。
「ちっ! 賢助! 猛流! 彩音を殺せ!」
「逃がすかよ、役立たず!」
「え、うん……わかった」
猛流が大きく踏み込んで槍を突いた。
鋭い衝撃波が床石をめくりあげながら飛んでくる。
ザァァ――ンッ!
「きゃあっ!」
アタシは吹き飛ばされた。
「ごめん、死んで! 大火球!」
さらに賢助の放った火の玉が一直線に飛来する。
飛ばされてるアタシは顔の前で手を交差して防ぐしかできなかった。
ドゴォォォン――ッ!
「――うっ!」
壁際まで吹き飛ばされ、背中から壁にぶつかった。弾みで床を転がる。
痛みと衝撃で息が吸えず、魔法が唱えられない。
でも、外の景色が見えていた。
崖の上に立つ城。崩れた壁の向こうに広がる絶景。
遥か地平線まで見渡せた。
――そ、そうだ。外へ。
一か八かで飛び出そうと一歩踏み出したとき、ドンッ! と体に衝撃が走った。
コホッと自然と咳が出た。
ただ咳き込んだだけなのに、喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。
見下ろすと、アタシの胸から光る剣先が生えていた。
「……は……はや……と……カハッ」
咳き込むと、聖女用の修道服が血で染まった。赤い花が咲いたように。
「彩音、今までありがとう。おかしくておかしくて仕方がなかったよ――さよなら」
後ろから聞こえる隼人の声は、明らかに笑いをこらえていた。
怒りで頭がくらくらした。
――ぜったいに、許さない――っ!
アタシは途切れそうな意識を奮い立たせて、ダンスの要領でからだをひねりつつ後ろの隼人に回し蹴りを放った。
蹴った反動で前のめりにたたらを踏む。
でもあたしは止まらなかった。
崩れた壁を踏み越えて大空へ飛び出す。
風が頬を打った。
切り立った崖の上に立つ城から深い谷へと真っ逆さまに落ちていく。
地上は霞むほど遠い。服と髪がめちゃくちゃに乱れる。
かすかに上から焦る声が聞こえた。
「しまった!」「倒し損ねた!」「どうしよう、魔力がまだ足りないよ――」
――ざ……ざまぁ……。
途切れそうになる意識の中で、あいつらの思い通りにならなかったことが嬉しい。
でもそれだけじゃ満足できない。到底できない。
アタシを騙して殺そうとしたことへの怒りは尽きることなく沸き起こる。
――あいつらを絶対許さない――っ!
その怒りだけが心を保っていた。
アタシは歯を食いしばると、喉の奥から込み上げてくる熱い血を無理矢理飲み干した。
落下し続ける風の中、喘ぎながら息を吸う。
そして、すべての魔力を込めて叫んだ。
「――回復!」
体を暖かい光が包んだ。
でも、そこまでだった。
胸を貫かれた傷が治ったかどうかもわからないまま、アタシは意識を失った。
次話は一時間後ぐらいに投稿予定です。