【第5回:最終回】 鶴見と谷崎……。そして、ある予感!
「そういえば……」と言って、永原さんは言葉を続けた。
「志賀さんは横浜市鶴見区に、お住まいとの事でしたよね?」と、尋ねられる。
私、自分が鶴見に住んでおり、そこから都内の大学に通っている話を永原さんにしていた。
「そうです」という私の答えに彼は、再び質問を口にする。
「以前、鶴見にあった『花月園遊園地』のダンスホールへ谷崎が通っていた事は、ご存知ですか?」との言葉に、「知っています」と応じた。
横浜市鶴見区内には「花月園前」という京浜急行電鉄の駅がある。以前……、とは言っても、かなり昔の話だけど、この近くには「東洋一」と称された「花月園遊園地」があった。ここにはダンスホールがあり、谷崎が通っていたのだ。しかも、『痴人の愛』の中にも「そう、そう、夕方から花月園に行ってもいいわ」という会話文が登場する。
この花月園遊園地は戦後になって競輪場……、「花月園競輪場」になったんだけど、それも廃止となり、今は公園とマンションを含む住宅地に変貌してしまった。
一方、谷崎が花月園のダンスホールに通っていた事は有名な話であり、それは私も知っている。しかも、そのダンスホールの前には〈藤の木〉が植えられ、これは競輪場時代も伐採されずに残っていた。
この話をすると、今度は永原さんが喰い付く。
「その藤の木は移植され、現在も花月園競輪場があった場所のどこかに残っているという話ですが、ご存知ありませんか?」
「『移植された』とは聞いていますが、残念ながら、その場所までは知りません」という私の返答に彼は、少し落胆した様な表情を浮かべ、「そうですか……」と呟く。そして、言葉を続けた。
「もし、その藤の木を探しに僕が、『鶴見に行きたい』と言ったら、以前、花月園競輪場があった場所をご案内頂けますか?」
(是非! 喜んで!)と私は心の中で歓喜の声を挙げる。
(それって、デートよね!)
私の脳内は一瞬で暴走を始めた。それでも、冷静な〈振り〉をして、「大丈夫ですが……」と答える。
永原さんは嬉しげな表情を浮かべ、話を続けた。
「谷崎は花月園以外にも鶴見とは縁がある人なのです。谷崎に実質上、文学を教えた小学校教師の稲葉清吉という人が、鶴見にあった小学校に赴任しており、その先生を訪ねて谷崎は何度も鶴見に行きました。この事は、その著作である『幼少時代』に書かれています」
(えっ、そうなんだ!)と思いながら、彼の話を聞き続けた。
「実は、この件に関して、かなりの興味を覚え、古い地図を使い、谷崎が歩いたであろう道を割り出してみたのです。『ゼミのレポートに使おう』という目論見もありましたので相当、真剣に取り組みました。しかし、当時と今とでは、道の位置が違う場所もあり、その全ては確定出来ていません。それでも、一度、鶴見に行って……、『幼少時代』の中に、『京浜電車の鶴見で下りて』という一文がありますので、実際に鶴見駅から、稲葉先生が赴任したと思われる小学校まで歩いてみようと、したのですが、何しろ、鶴見という場所に対する土地勘が皆無ですから、挫折した経験があるのです。一応、地図は作りましたので、それをご覧頂きながら、鶴見を案内して頂けると大変、有難いのですが……」
私には一つの特技があった。まぁ、正確に言えば、「特技」という程のものでは、ないが、地図が読めるのだ。その上、方向音痴でもない!
一般的な地図を渡され、「ここに行きなさい」と言われれば、絶対ではないが、その場所に辿り着ける自信があった。つまり、永原さんの申し出に私は、(応えられる!)と考えたのだ。
「僕、一人の為に、この様な申し出は心苦しいのですが……」
(と、いう事は、この『鶴見散策』は、彼と二人っきり!)
私の顔に浮かぼうとする満面の笑みを必死になって抑え込みつつ、言葉を発した。
「別に構いませんが、私で良いのでしょうか?」
それに対し、永原さんは喜びの表情を浮かべながら、即応する。
「色々と、お話していて楽しい志賀さんに鶴見を案内して頂けるなんて、光栄です。是非、お願いします!」
もう、私は天にも昇る気分だった。例え今の発言が社交辞令であったとしても、関係ない。読書傾向という意味では問題がある……、まぁ、それは認めたくないが、BLを愛読書としている私に、「色々と、お話していて楽しい志賀さん」と言ってくれたのだ!
(もしかして……、もしかしたら、谷崎は私に『春』を運んでくれるかも知れない!)
その後、具体的な「鶴見散策」の計画を練る為、二人だけ……、もちろん、この古本屋以外の場所で会う事が決る。
(これは正しく、デートだ!)
私の心は狂喜乱舞していた。
昭和が香る古本屋(了)