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昭和が香る古本屋  作者: 橋沢高広
4/5

【第4回】 谷崎の検印

「何か、変な方向へ話が進んでしまいましたが……」

 永原さんは、その様に言ってから、「谷崎の件ですが……」と、話題を元へ戻す。

 そもそも、この話になったのは、「有名作家のサイン本」という何気ない一言が発端だった。その時、彼は、「もし、一冊、サイン本が貰えるとしたら、誰が良いですか?」と尋ねたのだ。

「谷崎潤一郎!」と、即答する私。そして、お気に入りの谷崎作品を永原さんに告げたのである。その時に発せられた彼の、「『耽美派』としての谷崎作品を捉え様とした時……」という言葉が要因となって、話が脱線して行く事になった……。

 彼の話が続く。

「谷崎のサイン本となると、入手は難しいかも知れません。近代文学担当教授の話ですが、何回かネットオークションに出品された事はあり、最終的に数万円という値段になったと聞かされました」

 貧乏学生の私にとって、「数万円」という金額はキツイものがある。でも、「数万で入手出来るのなら、欲しいかもな……」とも考えていた。

 この時、永原さんが面白い話をしてくれたの。

「志賀さんは『検印』って、ご存知ですか?」という言葉が、その発端だった。

 以前……、昭和三十年代頃まで、本の後にある「奥付おくづけ」……、発行年や著作者名、出版社名等が書かれた場所に著作者の〈印〉が押されていたそうだ。これは、発行部数を確認する為のもので、本に直接、ハンコを押す場合と、「検印紙」という紙にハンコを押し、その紙を本に貼り付ける方法があったという。つまり、三千部の本を発行する時は、三千回もハンコを押さなければ、ならない半面、それがあるものは、「著作者が発行を認めた本」という事になるのだ。

 このハンコは、著作者本人が押す必要はないものの、著作者所有の〈もの〉を使うのが通例だとか。

(まぁ、それは、そうよね。他人が持っているハンコを使ったら、発行部数の確認は出来なくなるし……)

「余談ですが、太宰治の場合、この検印を押すのは奥さんであった津島美智子さんの仕事だったそうです。その人が書いた『回想の太宰治』という本にも、検印の話が書かれています」と、永原さんは教えてくれた。

「そうすると、谷崎の場合も、その検印を押した本が、あるって事ですよね?」

「そうです」と言って、彼は、レジカウンターの後方にある書架から一冊の本を抜き出した。それは表紙に「聞書抄 谷崎潤一郎」と書かれた、少し汚れた本である。

 永原さんは、その本の後側を開き、奥付のページを私に見せた。そこには、「谷崎」というハンコが押してある!

「これは!」と、思わず私は声を挙げてしまった。

 永原さんの話が続く。

「サイン本は中々手に入りませんが、検印が押された本で良ければ、割と簡単に入手出来ます。この本、『聞書抄』という作品ですが、昭和二十一年に発行されました。本来なら、箱に入っていた本ですが、この本の場合、箱は〈無し〉です。しかも、余り綺麗な本じゃありませんので値段は五百円で……」

「その本、買います!」

 私と彼しかいない店内に、「買います!」という声が響き渡った。

(谷崎本人が押した可能性は少ないが、『谷崎のハンコ』が押された本を入手出来る!)

 そう考えただけで私は軽い興奮を覚え始めていた。しかも、この本、表紙には毛筆で書かれた「聞書抄 谷崎潤一郎」という文字しかない。

「もしかして、これ、谷崎の直筆を使ったものですか?」と、私は質問していた。

「その件に関して、若干、調べてみたのですが、『谷崎の直筆』という確証は得られませんでした。その可能性は高いと言えそうですが、違う人が書いた可能性も捨て切れません」

 その言葉に少し失望したが、奥付に押されたハンコは「谷崎のもの」なのは確かだ。それが五百円で手に入る!

 本が汚れている事は全く気にならない。私が欲しいのは、この「検印」なのだ! 

 しかも、本自体に関しても、この程度の汚れなら「経年劣化」という範囲だと私は判断した。

 結局、私は彼が見せてくれた『聞書抄』を手に入れる。同時に、「雲の上の存在」と思っていた谷崎潤一郎が、少し身近に感じたのも事実。

(チェーン店ではない古本屋……、しかも、お店の人と話せば、それが切っ掛けで、こんな本が手に入るんだ!)

 その〈本当の目的〉は別として、マキノ書店に足を運んでいた事を私は心の底から喜ぶ。

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