【第1回】 ある古本屋の彼
「異論は認めます!」と、私は言い放った。
そこは、マキノ書店という古本屋の店内。昭和という時代を実際に経験した事がない私でも「昭和の古本屋」を感じる店だった。
レジカウンターを挟み、その奥にいた永原さんは、微笑みながら、黙って私の言葉を聞いている。
「大手の古本チェーンでは、『BL』を『耽美小説』としていますが、あれは違うと思います!」
午後七時半。古本屋の店内に客はいない。閉店まで、あと三十分。
私が通う東京都内の大学から歩いて十五分程の場所にある、このお店は土曜日の午後七時以降になると、店員以外の人影が消えた。その原因は、お店が駅から離れた狭い路地に面した古書店だったからだ。この路地、土曜日や休日の午後六時半を過ぎると人通りが〈皆無〉と言っても構わない状態になる。よって、このお店に来る人も、いない。
ここの店主は土曜日の夜に用事があるとの事で、その甥である永原さんが店番をする。そして、店主が戻って来る午後八時に閉店となるのだ。
学校は違うけど、同じ都内にある大学に通う永原さんがマキノ書店で働くのは、土曜日の午後四時三十分から閉店時間まで。何だかんだと言って、六時頃までは、このお店に来る人も多く、それなりに忙しそうだ。
そして、それ以降の〈暇な時間〉に私は、このお店へ行く。その目的は、永原さん!
はっきり言おう! 私、永原さんの事が好きなんだ! 片想いだけど……。
私にとって、その出会いは衝撃的だった。
マキノ書店の入口前には「特価本」と称して、税別で一冊、百円の文庫本がワゴンに並べられている。二冊だと二百円。だが、三冊でも二百円という値段設定になっていた。その為、読書が趣味の私は割と、この古本屋を利用している。
ある時、そのワゴンに「ボーイズラブ」……、「BL」とも呼ばれる男性の同性愛を扱った文庫本が十五冊もあったのだ。それは初めての出来事である。しかも、このBL。私の愛読書でもあった!
いつもレジにいる五十代半ばと思われる男性……、この人が店主なのだが、その人が相手なら、「私は客だ!」という意識がある為、何の躊躇いもなく、BLが買える筈であった。そして、その本……、しかも、ワゴンにあった十五冊全部を持って、レジに行った時、ちょうど、永原さんの勤務時間となってしまう。
レジで店主が、その本を受け取った後、「じゃぁ、後は頼む」と言って、仕事を彼に引き継いだの!
しかも、この時、私は永原さんと始めて会う。その上、彼、私が好みとする風貌の男性だった!
(何という、バッドなタイミング……)と、心の中で天を仰ぐ。
次の瞬間、彼から声を掛けられたんだ。
「お客さん、この手の本、お好きですか?」
私は、その返答に困る。内心、(ええ、大好きです!)と叫んでいたが、それは口に出来ない。それよりも、(恥ずかしい!)という感情の方が勝っていたからだ。だが、その時、彼が思わぬ声を発した。
「この手の本、まだ、在庫があるんです。実は、この店では余り売れないんで処分しようかと考えていたのですが、もし、興味がある様でしたら、優先的に、お売りしますが……」
「是非!」と、私は即答していた。同時に、「BLが読みたい!」という自分の欲望が、好みの男性を目の前にしている事実に勝ってしまった瞬間でもある。
(あー、男が遠のいて行く……、しかも、良い男なのに……)と真剣に、そう思った。
だが、この一件が私と永原さんを近付ける要因になったのだ。
彼、店番をするのは、土曜日の夕方からだけだが、日曜日は、お店の裏にある作業場で本の仕分け作業をしているという。端的に言ってしまえば、このマキノ書店で「売れる本」と「売れない本」とに分け、売れないと判断された本は、しばらくの間、特価本のワゴンに並べ、その後、処分……、別の古本屋に買い取って貰うのだそうだ。その売れない本に「BL」が含まれているのだとか。
「明日にでも、入口のワゴンに並べておきます。欲しい本があったら、お買い求め下さい。二週間ぐらいして売れ残っている様でしたら、処分してしまいますので……」
私は翌日、大学が休みなのに、わざわざマキノ書店へ行き、更に十七冊のBLを買い込んだ。